表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/110

第1話 拾われた先は・・・

16/9/29 差し替え


 「この辺りだったよな?」

 「あぁ、そのはずだ」


 そこは見渡す限りの草原。

 四人の男女は膝ほどまで伸びた草をかき分けるように歩いていた。

 前を歩いている二人の男のうち、片方は村人達を落ち着かせていた赤髪の男だ。

 男の名はランドという。背は百八十センチほどあり、鍛え上げられ引き締まった身体と野生的な顔つきからは獰猛な獣のような印象を受ける。ランドは金属製の胸当てと腕や足に革製の防具を身に着けており、それは隣を歩く青髪の男も同じだった。

 青髪の男――カインは背はランドより僅かに高く、ランド同様引き締まった身体をしているが、落ち着いた雰囲気はランドとは対照的だった。

 両者とも同じような防具を身に着けているが、装備の違いは主に武器にある。ランドは両腰にそれぞれ全長一メートルほどの剣を下げており、一方カインは二メートルを超える槍を手にしていた。


 「ケイト。“探査”に反応は無い?」

 「うん。今のところは何も」


 ランドとカインの後ろを歩いていた二人の女性が言葉を交わす。

 隣を歩く女性をケイトと呼んだ朱の髪をポニーテールに纏めた女性の名はアン。スレンダーながらどこか色気を感じさせる女性だった。ランドやカインと同じような防具を身に着け、槍を持っているがその長さはカインのものより少し短く、穂先の形状が異なっている。

 ケイトと呼ばれた女性は金の長い髪を首元で纏め、裾がゆったりとした膝下まであるローブを着て木製の杖を手にしている。アンとは逆に明るく子供っぽい印象を受ける女性だった。


 「あれは一体何だったのかしら?」

 「……村人が言ってたように、魔術か魔物の仕業だと思うか?」

 「魔術ってことは無いと思う。これだけ離れた場所から村の全部を光で包むような魔術を使ったんだったら、この辺りに盛大な痕跡が残ってるはずだよ。例えば、何百人も入れそうな大穴が開いてる、とか」

 「それはゾッとしないな。それと魔物の仕業というのも考え難い。ケイトと同じような理由だが、あれだけのことができる魔物が居るとしたら竜やそれに匹敵する魔物ということになる。それこそ何か痕跡があるはずだ」

 「だよな。だとすると本当に何なんだろうな」


 ランド達はそれぞれ意見を交わすが、思いつく範囲ではどれも可能性が低そうだった。

 四人はまだ若く、全員二十五歳前後だ。

 しかし、冒険者としてはそれなりに経験は積んでおり、また情報収集は怠らないようにしている。そんな四人でも、今回の件については全く思い当たらないどころか、予想もつかなかった。

 しばらく間、頭を捻って考えていると、見切りをつけたカインが止める。


 「これ以上は考えても無駄だな」

 「自分の目で確かめるしかないってことか」


 そうランドがぼやいたところで、ケイトが僅かに緊張を走らせた。

 他の三人はそれに即座に気付き、意識を切り替える。


 「魔力の反応。多分人間」

 「盗賊か?」

 「ううん、一人だから違うと思う」

 「ケイトの“探査”から逃れるほどの使い手……の可能性は無いか」

 「それは考えたくないね。もしそうなら、そのレベルの相手が何人も居るってことになるよ」

 「それは本当に考えたくないわね……」


 嫌な想像をしたとアンが頭を振る。

 仮にケイトの“探査”から逃れているのなら、それは確実にケイトと同等以上の実力者だ。それがこちらよりも多く居れば、アン達では手に負えないだろう。


 「そもそも、それなら一人だけ残しておく意味は無いだろう。相手に警戒されるだけで逆効果にしかならん」

 「なら、村人なり商人ってところかしら。何でこんなところに居るのかは不思議だけど」


 カインの冷静な意見にアンが続いた。

 それを結論としたのか、それ以上何も言わずにランドが先行する。アン、ケイト、殿にカインと続き、縦一列になって進む。

 この陣形が一番バランスが良く、最も慣れたものだった。

 ランド達はそのまま魔力の反応があったところまで進むと、ランドが立ち止まる。その視線の先には、人間が倒れていた。

 ランドは倒れている人間を頭からつま先まで観察する。

 ――背丈は俺より少し低いくらい、体格的にも男か。紺の服に……珍しいな、黒髪か。

 うつ伏せで倒れているため顔も見えず、それ以上の情報は得られそうに無い。

 そう判断したランドは、ゆっくりと近づきながら声をかける。


 「おい、大丈夫か?」 


 声をかけるが反応はなかった。

 ランドは念のため腰に下げた剣の柄を手で触れる。もし急に襲い掛かって来た場合、即座に斬り捨てられる様に。

 しかし、ランドがすぐ側まで近づいても動き出す様子は無い。

 演技であれば何かしらその兆候が出る。緊張や焦り、そういった感情が不自然さに繋がるからだ。

 だが、男にはそれがまるで無い。

 寝ているのか、気絶しているのか。何にせよ悪意は無いと感じたランドは、男を軽く揺する。


 「おい。生きてるか?」

 「ぅ……」


 身体を揺らされた男が呻くような声を漏らした。

 気絶しているのだとほぼ確信したランドは膝をついて、男を仰向けにひっくり返した。


 「男の子? 十五、六歳くらいかな。怪我とかは無さそうだね」


 怪我でもしているのかと血や傷跡を探していたランドの後ろから、ケイトが覗き込んでいる。

 ランドは不機嫌そうな顔をすると、すぐ横にあるケイトの顔を睨む。


 「おい、まだ合図してないぞ」

 「見てれば安全だってことくらい分かるよ」


 普段ならランドが危険は無いことを示す合図を伝えてから近寄ってくるのだが、合図を出す前に勝手に安全だと判断して近寄ってきていた。それは勿論ケイトだけでは無い。


 「外傷は無さそうだな。苦しんでる様子も無い。気絶しているだけのようだ」

 「黒い髪に……あまり見ない顔つきね。アルシールの生まれじゃ無さそう」


 当たり前のようにカインとアンも少年を覗き込む。

 視界を遮る物の少ない草原では、元々奇襲の心配は少ない。その上、ランドが少年を仰向けにしたということは、然程危険が無いと判断した証拠だ。

 それが分かれば、カイン達には十分だった。

 それはそれとしても、ランドとしては合図を待てよと言いたいところだったが、今は飲み込んだ。、


 「こいつが原因だと思うか?」

 「……分からん。仮にそうだとしたら何をしたのか」

 「でも、まだ子供だよ?」

 「見た限り、服装が変わってること以外は普通の子よね。あんなことが出来るとは思えないけど」


 少年を疑う様子のランドにケイトとアンが否定的な意見をぶつける。


 「能力や性格に外見や年齢は関係ないだろ」


 しかし、ランドの一言で二人は口をつぐむ。

 人の良さそうな顔をして酷いことをする人間はごまんと居る。そして、子供であっても特定の分野で大人顔負け――場合によっては誰よりも優れた能力を見せることもある。

 ランドの言う通り、外見や年齢だけで、この少年が原因で無いと言い切れる根拠にはならないのだ。


 「だが、巻き込まれただけという可能性もある」


 悪くなった雰囲気を断ち切るようにカインが言った。

 何が原因かどころか、何が起きたのかも正確には理解出来て居ないのだ。この少年があの光に関係がある可能性と同じだけ、関係が無い可能性もある。

 なんとも言えない表情で、ランドがガシガシと頭を掻いた。


 「結局何もわかんねぇってことか」

 「そうね。今この子がどっちなのかを判断するのは難しいわ」

 「だけど。なら、この子はどうするの?」

 「……連れて戻るしかないだろうな。関係があるにしても無いにしても」


 カインが難しい顔をして、そう言った。

 関係者であれば事情を聞き、場合によってはそれなりの対処をする必要がある。逆に、関係者じゃなかったとしても、このまま放置しておけば、間違いなく魔物の餌になるだろう。

 原因を探りに来た者としても、人道的な立場から見ても選択肢は一つしかなかった。


 「えぇ、子供をこのままにしておくわけにはいかないでしょ」

 「そうだね。助けてあげよう」


 女性陣は少年を連れて行くのに賛成だった。

 その心根が分からないにしても、子供を見殺しにするようなことはしたくなかった。

 それに対して男性陣――特にランドは、いまいち乗り気になれなかった。

 それは勿論、少年が危険な存在である可能性を憂慮してのことだ。

 しかし、そんな心境が態度に出てしまっていたため、アンはそれを見逃さなかった。

 微かに口元を歪ませると、ランドを挑発するようにわざとらしい態度を作る。


 「そうよねぇ。ランドはエリスが心配だものね」

 「なっ!?」


 ランドが露骨な反応を見せた。

 エリスというのは現在ランド達が滞在している村に住む少女だ。ランドはその少女に好意を寄せており、アン達はそのことを知っていた。だが、ランドはそれを頑なに否定していた。

 だからこそからかうネタにはもってこいだった。何せ、ランドの食いつきが良すぎるのだ。

 先のアンの指摘は、実際のところ全くの的外れだ。

 ランドは別にエリスのことだけを気にしたわけではない。だから単に否定すれば良いだけなのだ。

 しかし、生来の気質なのかランドは馬鹿正直に反応する。

 それがアン達に余計に遊ばれる原因だった。

 動揺してランドが言葉を失っていると、アンの意図を理解したケイトがすかさず後に続く。


 「それならいっそ、ずっとエリスについててあげれば良いんじゃないかな」

 「それは名案ね。なんなら一生守ってあげるとか言っちゃえば?」

 「わー。ランドってば男前だねぇ」


 流れるようなコンビネーションでランドが反論する間を与えず畳み掛ける。

 二人が本気で言っていないのは、からかっているような口調から瞭然だ。

 しかし、熱くなり易く、意外に純情なランドは二人の思惑に見事なまでに嵌り、怒声をあげる。


 「うるせぇぞ! 誰が言うかっ!」


 ランドが吼えたことで、カインがそっと溜め息をついた。

 ――全く……、単純な奴め。

 元々アンやケイトがランドをこういったネタでからかうのは日常茶飯事だ。

 しかし、今回のは明らかにランドの意識を少年から外すためにやっている。こうなってしまうと、話を戻すのは難しいだろう。完全にアンの思惑に踊らされた形になった。

 もっとも、少年が悪人である可能性に不安はあるものの、連れ帰ること自体に積極的に反対するつもりもなかった。

 ここに放置していけばほぼ間違いなく魔物に喰われる。アン達ではないが、子供がそうなると分かっていて放っておくことは出来なかった。そこで――。


 「ランドがそんなことを口にする訳が無いだろう。こいつは背中で語るんだ」


 カインもランドをからかうのに参加した。

 どうせ結果が変わらないのなら、楽しんだ方が良い。ランドを日常的にからかっているのはカインも同じだった。

 背中で語るランドの姿を思い浮かべたのか、アンとケイトがケタケタと笑い出す。


 「エリスがキョトンとしているところまで想像しちゃったわ」

 「アハハハっ。せ、背中でって、プッ。も、もうお腹痛い」


 特にケイトはツボにはまったらしい。からかうどころか本気で笑っている。


 「うっせーな! 良いからとっとと戻るぞ!」


 結局、有耶無耶のうちに少年を連れ帰ることになった。




 「ん……」


 ベッドに寝ている少年が微かに声を漏らす。

 閉じていた瞼がゆっくりと上がり、黒い瞳が彷徨うように揺れ動く。少しして、自分が見たことも無い場所に居ることに気が付いた。


 「どこだ……?」


 少年は体を起こすと、自分が居る部屋の中を見回した。

 それほど大きくない部屋で、内装も家具も木製の簡素な物だった。

 少年が寝ているベッドは窓の反対側に置いてあり、窓からは眩しいほどの日差しが差し込んでいる。部屋の中には机と椅子、本棚くらいしかない。

 ――ここはどこだ? 覚えの無い部屋だけど……。

 寝起きで少しボーっとしていた頭も、今は完全に覚めている。しかし、改めて確認しても、見覚えの無い部屋だということを再確認出来ただけだった。

 ――俺、なんでこんなところに……。あれ、そもそも俺は今まで何してたんだっけ?

 部屋だけではなく、ここで寝ていた経緯も思い出せない。それどころか、最後に何をしていたかも分からない。

 視点を変えながら何かを思い出そうと試みていると、扉の外から床が微かに軋むような音が聞こえた。規則的なその音が徐々に近づいてきたことで、ようやくそれが足音なのだと理解出来た。

 ――誰か来る?

 現状が理解できない以上、近づいて来る何者かもどんな相手か分からない。咄嗟に身構えたところで、小さなノックの音の後、扉がゆっくりと開いた。

 入ってきたのは修道服に身を包んだ銀髪の少女。

 腰まで届く銀の髪を揺らし、澄んだ空色の瞳を持つ美しい少女だった。陽光を反射して輝いて見える銀髪と整った顔立ちは、神秘さすら感じさせる。

 少年はその少女のあまりの美しさに息を飲んで、目を奪われた。

 少女は部屋に入ると、少年が起きていることに気付いて優しく微笑んだ。


 「目が覚めましたか。お加減は如何ですか?」

 「え? あ、えぇと……大丈夫、です」

 「良かった」


 しどろもどろになりながら少年が答えると、少女は安堵した様子で頬を緩めた。

 

 「だけど、ちょっと顔が赤いですね。熱でもあるのでしょうか」


 そう言うと、少年の顔を覗き込むようにして無防備に顔を近づけた。少女の顔が息がかかりそうなほどに近づき、少年は咄嗟に体を反らして顔を離す。

 少女はキョトンとしてから、表情に影を落とす。


 「あ、いや。今のは別に避けたわけじゃ――」


 傷付けてしまったかと焦って弁解しようとすると、少女がクスリと笑みをこぼした。


 「ごめんなさい。ちょっとした冗談です。急に顔を近づけたら驚いてしまいますよね」


 顔を離したのは驚いたからとは少し違うのだが、下手に突っ込まれても困るので、口にはしなかった。

 気恥ずかしくなった少年は、話題を変える。


 「あの、それでここは一体……?」

 「あ、そうでしたね。まずは自己紹介を。私はエリスと言います。この孤児院で修道女見習い――のようなことをしています」


 少年達が居る建物は表側が礼拝堂、裏側が住居になっており、身寄りのない子供を預かる孤児院だった。エリス自身もこの孤児院で育った孤児で、今は三人居る子供達の姉代わりをしていた。


 「エリス、さん。俺は――」


 名乗られたからには名乗り返すのが礼儀だ。

 少年は自己紹介をしようとして、初めてある事実に気が付いた。

 それを自覚した少年は頭が真っ白になる。動悸が激しくなり、呼吸が乱れる。それでも何かを言おうとして必死に口を動かした。

 様子のおかしくなった少年を心配して、エリスが顔を覗き込んだ。そうしてようやくエリスの耳に声が届く。


 「俺、は……? 俺は、誰だ?」


 少年はうわ言の様に小さくそう口にしていた。




 それからしばらくして、少年は落ち着きを取り戻していた。


 「大丈夫ですか?」


 エリスが心配そうに声をかける。

 今は落ち着いているが、それでも心配になるほど先程の様子は尋常ではなかった。


 「えぇ、なんとか。記憶喪失って、こんな気分なんですね。ちょっと予想以上でした……」


 そう言って笑うが、その笑顔は弱々しい。

 自分がどこの誰で、今まで何をしていたのか。具体的に何を忘れているのか分からないのに、何かを忘れているということだけ分かるのが、余計に不安を駆り立てていた。

 

 「何か、覚えていることはありますか?」

 「……いえ」


 ゆっくりと首を振る。

 エリスが少年に気遣わしげな眼差しを向けていると、少年が何かに気付き、エリスの方をジッと見る。エリスは不思議そうな顔をしてから、少年の視線がエリスではなくその後ろに注がれていることに気が付いた。

 振り向くと、扉が音を立てずにゆっくりと開いている。二人が見ている間にも、ほんの少しずつ隙間が大きくなっていき、人がギリギリ通れるくらいの隙間が空くと、三人の小さな子供が顔を覗かせた。


 「あ……」


 少年とエリスの視線が自分達に向いてるのに気付き、男の子が声をあげた。

 こっそりと覗くつもりだったのだろう。しかし、既にばれていることに気付いて慌てだす。


 「やべ、ばれてる」

 「何やってんのさカール(にい)

 「カールお兄ちゃんどうしたの?」


 聞こえないように話しているつもりのようだが、周囲が静かなせいでしっかり聞こえている。

 子供達がこそこそと話していると、エリスが大きく息をついた。


 「三人とも。そんなところに居ないで入ってきなさい」

 「はーい」

 「……はい」

 「……うん」


 三者三様の返事を返す。

 よく分かってなさそうな一番小さな女の子は楽しそうに、男の子二人はばつが悪そうな顔をしている。


 「人の部屋を勝手に覗くなんて何事ですか。失礼でしょう」

 「ごめんなさい」


 お姉さんらしく叱るエリスに三人が声を揃えて謝った。

 事前に打ち合わせておいたかのように、一部の乱れも無い動きだった。


 「私に謝ってどうするんです。彼に謝りなさい」

 「ごめんなさい」


 ――コント……?

 綺麗に揃った子供達の謝罪に、ついそんなことを思ってしまう。


 「まったくもう。ごめんなさい。悪気は無いのですが、少し悪戯好きで……」

 「あぁ、いえ。特に怒ってはいないので」


 エリスの言葉で納得がいった。

 結構な頻度で悪戯をして、叱られているのだろう。それを繰り返しているうちに、こういうことになったのだ。

 しかし、ここまで錬度を上げるのにどれだけ叱られたのか。

 ――逆に感心してしまいそうだ。

 あまり本気で反省している様子ではないが、少年としては特に気分を害した訳ではない。わざわざ怒る必要も無かった。。

 むしろ、子供達のおかげで落ち込んでいた気分が多少楽になった。


 「えぇと、はじめまして。残念ながら名乗る名前も覚えてないんだけど、よろしくな」


 その礼も兼ねて、少年の方から子供達に声をかけて、笑顔を浮かべる。

 怒っていないと態度で伝えられ、子供達が戸惑ったようにエリスを見る。

 「ほら、ご挨拶」と優しく言われて、これ以上叱られることを回避できた子供達も笑顔になった。


 「はじめまして、エイミィです。よろしくね、お兄ちゃん」


 三人の中で一番年下の女の子が可愛らしく笑う。

 エイミィは青い髪を肩まで伸ばし、髪と同じ色のクリッとした瞳を持つ人懐っこい笑顔の女の子だ。


 「はじめまして、僕はテリーと言います。よろしくお願いします」


 金髪碧眼の男の子が礼儀正しく頭を下げる。

 テリーは三人の中では一番大人しそうで、まだ可愛いという印象が抜けて居ない中性的な子供だった。、


 「俺はカールってんだ。よろしくな、にーちゃん」


 カールが一際明るい笑顔を浮かべる。

 三人の中で一番年上のこげ茶色の髪と瞳をした男の子は、一番元気でやんちゃそうだった。


 「エイミィに、テリーに、カールか」


 一人一人名前を呼ぶと、それに合わせて「うん」とか「はい」と返事をする。

 ――小学生みたいだな。

 見た目の年齢もそうだが、名前を呼ばれて元気に返事をしたりする辺りが余計にそう思わせた。

 ――あれ……、小学生? 知ってる……? いや、思い出した?

 小学生と考えた瞬間、頭の中にその情報が浮かび上がってきた。

 おそらくは元々知っていたことを思い出したのだろうが、急に知識を埋め込まれたみたいで気持ち悪い。

 その違和感に戸惑っていると、何かと結びついたのか、ある光景が脳裏に浮かんだ。


 「――っぅ!?」


 その途端、頭に激痛が走る。

 痛みはほんの一瞬ですぐに引いたが、同時に思い出した光景も頭の中から消え去った。

 ――今、のは……。

 だが、覚えていることもあった。


 「大丈夫ですかっ!?」


 急に頭を押さえて苦しみだした少年を心配したエリスが、焦ったように声をかける。


 「えぇ、大丈夫です。ちょっと、痛かっただけですから」


 既に痛みは引いている。

 少年がなんでもない顔で答えると、エリスは胸を撫で下ろした。

 それとは対照的に、丁度話をしていた子供達は不安げな表情を浮かべていた。


 「驚かせてごめんな。ちょっと頭が痛かっただけだから。それと――」


 子供達を安心させるように優しく微笑む。


 「俺の名前はユウトっていうらしい」


 ユウトの脳裏に浮かんだ光景は既に無い。

 しかし、そこで一緒に居た誰かから、確かに「ユウト」と呼ばれていた。


 「思い出したんですか?」

 「あ、その……名前らしきものは思い出したんですが、他には何も……」


 エリスが声に喜色を滲ませたことで、逆にユウトが申し訳無さそうな顔をする。

 気を使わせてしまったと感じたエリスは首を振る。


 「名前だけでも思い出せて良かったです」


 心の底からそう思っている様子のエリスに、気恥ずかしくなったユウトが頬をかく。

 会話が途切れて部屋が静かになると、外から複数人の男女が談笑する声が近づいてくるのに気が付いた。


 「丁度いらっしゃったみたいですね。ユウトさんを助けた冒険者の方々です」

 「冒険者……?」

 「はい。えぇと、御存知ありませんか?」

 「何となくイメージは出来るんですが、正確には……」

 「そう、ですか……」


 ユウトの言葉を重く取ったエリスが表情を曇らせる。

 エリス達にとって、冒険者は子供でも知っている常識だ。

 それを知らないということは、他の一般常識すらも怪しい。そうなると、生活にも困る深刻な状態だと考えざるを得ない

 そんなエリスを余所に、子供達が無邪気な声をあげる。


 「ランドのにーちゃん達が来たの?」

 「カール兄、ランドさんって呼ばないと」

 「別に良いじゃんか」

 「……エリス姉に本気で怒られるよ」

 「気を付けます」


 面倒臭そう顔をしていたカールがテリーの一言で別人のように素直になった。

 さっき叱っていたのは序の口で、本気で怒るとかなり怖いらしい。


 「ね。ユウトお兄ちゃんも行こう」

 「えぇと……」


 エイミィがユウトの手を引っ張る。

 困惑したユウトが助けを求めるように視線を向けると、エリスは安心させるように微笑んだ。


 「はい。一緒に行きましょう」


 エイミィに手を引かれながらエリス達と共に玄関に向かうと、男女の四人組が待っていた。


 「あ、来た来た」

 「あら? 目を覚ましたのね」


 気さくに声をかけてきたケイトとアンにどう返事をして良いか分からず、ユウトが硬い笑顔を返す。

 そんな勇翔をランドとカインが様子を窺うように見ていた。


 「いらっしゃいませ。皆さん」


 エリスがそう言うと、続いて子供達が出迎える。

 賑やかな出迎えにカイン達三人は笑顔で答えるが、唯一ランドだけがエリスの顔を見た拍子に緊張で表情を強張らせる。


 「こ、こんにしは」

 「挨拶くらいまともに出来ないのか、お前は」


 言葉を噛んだランドに呆れた視線を向けてから、カインがエリスに向く。


 「すまないが、少し邪魔をする。そこの少年に事情を聞きに来た」

 「はい。ですが――」


 エリスがユウトの記憶が無いことを説明すると、ランド達は僅かに驚いたようだが、すぐに怪訝な顔をした。


 「記憶喪失ねぇ。本当なら何の情報も無いってことか」


 ランドは何気なしにそう言ったつもりだったが、エリスが思いがけない反応を示した。


 「本当なら、ってどういう意味ですか? 彼が嘘を吐いていると?」

 「え、いや。そういう意味では……」


 エリスにムッとした顔で抗議されてランドがうろたえる。

 それを傍観していたカインがエリスの態度に内心驚いていた。

 エリスがユウトの記憶喪失を信じているらしいこともそうだが、むきになってランドに抗議しているのが意外だった。

 カインの知る限り、エリスは大人しくて自己主張が少ない方だ。弟妹のようなカール達や親代わりである孤児院の院長に対しては年相応の感情を見せるが、それ以外の者に対しては一定の距離を置いて接していた。

 しかし、今のエリスはカール達に接しているときと変わらない。

 これがランドとの距離が近づいたからということならランドが喜ぶのだが、おそらくそうではない。

 ――あの少年に何か思うところがあるのか……?

 今の態度は、少年を疑うようなことを言われたためだ。だが、単に出会ったばかりの少年を疑われたからといって、ここまで反応を示すのはおかしい。

 そんなことを思っていると、しどろもどろになって弁解しているランドが、カインに助けを求めるような目を向けて来ているのに気付いた。

 放っておくと話が進まないと判断したカインが助け舟を出す。


 「エリスさん。少年も困っているようだから、それくらいに」


 エリスがカインに言われて後ろを向くと、ユウトが困った顔をしていた。

 疑われるのは仕方ないと思っていたし、エリスが庇ってくれたのは嬉しかったが、だからこそ余計にどうしたものか分からなかった。

 ちなみに、子供達はユウトの後ろに隠れて嵐が過ぎるのを待っていた。

 エリスが恥ずかしそうに俯くと、カインが話を続ける。


 「とりあえず、彼の事情は分かった。それを踏まえた上で一応聞いておきたい事があるのだが、その前に自己紹介が先だな」


 おどけたようにカインが笑った。

 その後、すぐにユウト達は玄関から居間に場所を移した。

 そこでユウトとランド達はお互いに自己紹介し合った。もっとも、ユウトは自分の名前くらいしか言うことは無かったが。

 そして、改めて話をし始めたのだが――。


 「やっぱり覚えてない、か」


 そう言ってカインが溜め息を吐いた。

 村を覆った白い光について何か知らないかと尋ねたのだが、当然目を覚ます前のことをユウトは覚えていない。


 「結局、あの光に関しては原因不明のままだな」

 「あぁ……」


 ――ユウトが何か知っているか、もしかしたらユウト自身がその原因かとも思ったんだが……。

 記憶喪失というのが嘘か真かは分からないが、どちらにしてもユウトから情報を引き出すのは難しいだろうと結論付ける。


 「ね、そんなことよりユウト君って幾つなの?」


 カインとランドが黙り込んだことで、難しい話は終わりだとばかりにケイトが楽しそうに口を挟んできた。


 「そんなことってお前……」

 「良いじゃん。光ったこと以外何も無かったんだから」

 「何も無かったからこそ不気味なのよ……。でも、このまま考えても仕方ないのは確かね」

 「だよね。と、言うわけで幾つ?」


 アンがケイトを後押しするようなことを言ったために、我が意を得たりとケイトが押しを強くする。

 そんなケイトに苦笑しつつも、アンは止めようとはしなかった。


 「多分……十七、だと思います」


 ユウトが答えると、ケイトが意外そうな顔をした。ケイト達からするとユウトの顔つきは、実年齢よりも幼く見えていたためだ。


 「へぇ、エリスの一つ上なんだ。成人してたんだねぇ」

 「可愛らしいからエリスと同じか、一つ下くらいかと思ったわ」

 「かわ……」


 一応褒めているつもりなのだろうが、可愛いと評されて複雑そうな表情を浮かべる。しかし、すぐにあることに気が付いて不思議そうな顔に変わった。


 「成人って……十七ですよ?」

 「ん? うん」

 「え?」


 話が噛み合っていない。

 ユウトとケイトが互いに首を捻る。それを見かねたカインが言葉を足す。


 「この辺りでは十六で成人なんだが、ユウトの感覚では成人は幾つなんだ?」

 「十六? 二十じゃないんですか……?」


 思い出せないことばかりのユウトだが、成人が二十歳だというのは確信がある。十六で成人だというカインの言葉はユウトにとって驚くべきことだった。


 「成人が二十って、随分遅いわね。そんな国あったかしら?」

 「聞いたことは無いな。少なくともこの大陸では無いはずだが」

 「ということは大陸外? ……そういえばこの子、黒髪黒目だしあんまり見ない顔の作りよね」

 「黒髪黒目って珍しいんですか?」

 「えぇ、この大陸じゃ居ないわ。確か、東の島国に住んでいる人達は黒髪だって聞いたけど、そこの出身かしら?」

 「東の島国ですか……」


 ユウトの素性に繋がり得る情報だが、やはり推測の域を出ない。それでも何も取っ掛かりが無いよりはずっと良い。

 それはそれとして、そうなると次の問題がある。


 「で、お前これからどうすんだ?」


 ランドが事も無げにそう言った。

 名前と年齢は分かっていても、家族も出身も覚えていない。ついでに言えば今着ている学生服以外、何も持っていない。

 これでは当面生きていくことすら難しい。


 「そう……ですね。正直どうしたものか」


 事の深刻さを重々理解しているユウトの表情が暗くなる。

 自分のことが分からないのは不安だが、それ以前にこのままだとすぐにのたれ死ぬことになりかねない。

 ユウトが唸っていると、ずっと成り行きを見守っていたエリスが声をかける。


 「その心配はありませんよ。ここで生活すれば良いんですから」

 「え?」


 エリスが名案だとばかりに自信あり気に言うと、ユウトが驚いたような声を漏らす。


 「えぇぇぇぇぇぇ!?」


 そして、一拍置いて悲鳴のような大音量が響いた。

 その声の主はランドだ。

 うるさいと言いたげな視線がランドに集まるが、今のランドはそれどころではない。


 「ま、待って下さいエリスさん。仮にもユウトは男ですよ?」

 「はい……? 女の子には見えませんね」

 「だったらそれは不味いのではないかと」

 「何でですか? カールやテリーだって男の子ですよ」

 「いえ、カール達はまだ大丈夫ですけど、ユウトは成人していますし……」

 「でもユウトさんは記憶が無いですから、急に一人で生活するのは難しいと思います」

 「それはそうなんですが……」


 好意を寄せた少女が男と同棲するかどうかの瀬戸際だ。必死に危険性を伝えようとするランドだが、エリスはキョトンとした顔をしている。

 直接的な言葉を使えず、上手く伝えることが出来ないでいると、アンがニヤニヤと笑いながら補足する。


 「ランドはユウトがエリスに手を出したりするんじゃないかって心配なのよ」

 「ちょっ!? アンてめぇ!」


 ランドがアンを睨みつける。

 ある意味間違っては居ないが、手を出す(・・・・)のニュアンスが違う。

 当のアンは微笑を浮かべたまま、ランドの視線を受け流している。

 しかし、ランドの心配は杞憂に終わった。


 「そうでしたか。でもユウトさんなら大丈夫ですよ」


 そう言ってエリスが笑うと、ホッとしたような残念なような複雑な顔をしてランドが黙る。

 エリスの解釈は、ランドの意図していたものと同じだった。しかし、それがランドにとって良かったのか悪かったのかは言及しないでおく。


 「とはいえ、連れてきた俺達にも責任がある。ユウトの人間性を信用するにしても、流石にな……」


 ランドの個人的な感情から来る心配とは異なるが、ユウトを連れてきた人間の一人として、何かあってはいけないという心配はカインにもあった。

 ユウトが悪人ではないという確証は今のところどこにも無い。目を放した隙にどんな悪事を働くかも分からないのだ。


 「あら皆さん。こんなところに集まってどうされましたか?」


 どうするべきかと首を捻っていると、居間の入り口から女性が顔を覗かせた。


 「院長先生。お帰りなさい」

 「ただいま」


 院長先生と呼ばれた女性は部屋の中に入り、ユウトに気付くと優しく微笑んだ。


 「目が覚めたようですね。怪我も無いようで安心しました」

 「あ、はい。俺はユウトと言います。お世話になったようで、ありがとうございます」


 ユウトが軽く頭を下げると、女性が暖かい眼差しを向ける。


 「いいえ。貴方の看病は殆どエリスがやっていましたから。私はサーシャ。名ばかりですが、この孤児院の院長をしております」


 サーシャと名乗った女性は、とても気品があり優しい雰囲気の婦人だった。実際の年は四十を越えているのだが、見た目は三十そこそこ、人によっては二十代後半に見えてもおかしくない。


 「みんな院長先生って呼んでるんだぜ。ユウトにーちゃん」

 「あら。もう仲良くなってるのね。カール、あまりユウトさんのご迷惑にならないようにね」


 優しい口調で諭すと、「はーい」と元気良くカールが答える。それを見て、サーシャは満足そうに頷いた。


 「それで、こんなところに集まってどうされましたか?」


 サーシャの二度目の問いに答えたのはカインだった。


 「ユウトの扱いについてなのですが――」


 そう言って今までのことを話し始める。




 「そう、記憶が……」


 話が終わり、ユウトの記憶が無いことを聞いてサーシャが表情を曇らせる。

 そのままユウトのことをジッと見る。

 ――悪い子、には見えないわね。

 悪人ではないだろう。しかし、だからと言って軽々しく年頃の男女を一緒に住まわせるのも問題だ。もっとも、何を根拠にして言っているのか分からないが、当のエリスは大丈夫だと言っている。


 「……皆はどう思いますか?」


 サーシャは少し考えてから、子供達に意見を求めることにした。

 子供というのは純粋で、大人には気付かないようなことにも当たり前のように気付いていることがある。サーシャに見抜けないことにも気付いているかもしれないと思ったからだ。


 「俺はさんせー」

 「僕もユウト兄なら」

 「わたしもユウトお兄ちゃんと一緒がいい」

 「そう。分かりました」


 しかし、子供達は手放しで賛成した。

 このことは特に意外には感じなかった。

 様子を見ている限り、三人共がユウトを気に入っているようだった。

 ユウトが目を覚ましてからの短い時間、その間に子供達にこれだけ好かれる人物なら大丈夫だろう。サーシャはそう判断した。


 「皆も異論が無いようですから、ある程度落ち着くまで彼はこちらに住んで貰うことにします」

 「分かりました。院長さんがそう仰るのでしたら。……そういうことだランド、受け入れろ」


 落ち着かない様子のランドに、カインは呆れたような視線を向ける。

 ランドとしてはユウトがエリスと同じ家で生活するのは色々と心配なのだが、当の本人やサーシャまでもが反対しない以上何も言えなかった。


 「では、ユウトさん。孤児院と村の中を案内しますね」

 「はい。お願いします」 


 ユウトとエリスが席を立つと、子供達が一緒に行くと言ってついて行った。

 そして大人達だけが残されると、カインが真剣な面持ちになる。


 「院長さん。ユウトのこと、どれほど信用していらっしゃいますか?」

 「……そうですね。概ね信用しています」

 「そこまで……ですか?」

 「はい。エリスを含めてあの子達があんなに懐いてるのですから」

 「それは確かに……」


 カインを始め、他の三人もカール達にそれなりに懐いて貰えるまでには結構な時間を要した。

 子供は正直なもので、相手に抱いている感情が表情や態度に出易い。カール達の表情にはユウトに対する悪感情が一切見えなかった。本当に信用しているのだろう。


 「ユウトなら大丈夫よ。とても悪い子には見えないわ」

 「うん。私も同感かな。演技してたり、裏があるようには感じなかったよ」


 アンとケイトもユウトを好意的に見ているた。カインも短い時間とはいえ言葉を交わした限り悪人には思えなかったが、気付けなかっただけという可能性もある。


 「俺もあいつは信用して良いと思うぜ?」


 エリスとユウトが同居することになった衝撃から何とか立ち直ったランドがそう言った。

 全員から意外そうな目で見られたランドがうろたえたように引く。


 「な、なんだよ?」

 「なんだというか……」

 「驚いた……」

 「お前は逆の意見だと思ったのだが……」

 「お前等、俺を何だと思ってんだ……」

 「だって、あんなにユウトがここに住むのを反対していたじゃない」

 「それとこれとは話が別だろうが。あいつが悪人だと思ったから反対したわけじゃねぇよ」


 ランドが不貞腐れたようにそう言うと、アンとケイトがその言葉の裏を読んで「ならなんで反対したの?」とランドを追い込んで遊び始める。

 そんな二人を余所に、カインが顎に手を当てて考え込む。

 ――ランドまでか……なら俺の考えすぎということか。

 カインは慎重な性格だが、それが時折過剰になると自覚している。そのため、仲間の意見も参考にしているのだが、そのランド達はユウトを信用に値すると感じていた。

 何もかもをという訳にはいかないが、カインは一応の信用を置いても大丈夫だろうと判断した。




 ユウトがランド達に拾われ、孤児院で生活するようになってから数日が経った。


 「エリスさん。こっち終わりました。次は何をすれば良いですか?」

 「ありがとうございます。そうですね……水汲みをお願いしても宜しいですか?」

 「了解。行ってきます」


 相変わらず何も思い出せていないユウトは孤児院の――主にエリスの手伝いをしていた。そのエリスは孤児院の家事を一手に担っている。

 それというのも、昼間は孤児院にエリスとカール達しか居ないからだ。

 院長であるサーシャは、怪我や病気の人の家を回って治療を行なう医者のようなことをしていた。

 アルシールに医者という職業は存在しない。その代わりに教会に属する神父やシスター、それに薬を扱う薬師が医療行為を行っていた。

 この村ではそういった知識を持つ者はサーシャしか居ない。

 サーシャは昔王都の教会にいたことがあり、その経験を活かして村人の治療を行なう代わりに金銭や食べ物などを受け取っていた。

 エリスもサーシャから教えを受けているのだが、まだ修行中の身であるため、今は留守を守って家事を引き受けている。

 その家事も、ユウトが来たことで負担が増えていた。

 現状何もすることが無く、何もできないユウトは、少しでもエリスの負担を減らすために家事を手伝っていた。

 ユウトが手伝っているのは概ね力仕事だ。

 その代表格がこれから行なう水汲みだった。

 この村で水を手に入れるには村の中心にある広場、そこにある井戸から汲む必要がある。しかし、これが結構な力仕事なのだ。

 なにぶん孤児院は村の外れにあるため、六人が使う水を結構な距離運ばなければならないのだ。大きな瓶のような物を背負って行くが、勿論これ一回では無い。朝と昼、場合によっては夕方にも水汲みをする必要があった。

 ユウトが広場近くまで来ると村人とすれ違う。

 

 「おはようございます」

 「……あぁ」


 村人は素っ気無く返事をすると足早に立ち去った。

 ――まだ駄目か。

 深い溜め息をついた。

 ユウトは村人からあまり歓迎されていなかった。

 元々、この村のように辺境にあるところは外部の人間があまり来ない。

 そのため村人同士は絆が強いのだが、強すぎて閉鎖的になる傾向がある。この村も例に漏れず、外部の人間を歓迎しない。そういう意味では、エリス達孤児院の面々が特殊だとも言える。

 ユウトとしては出来る限り仲良くしたいと思って率先して声を掛けたりしているのだが、今のところ何の成果も出ていなかった。

 ――とはいえ、どこの誰かも分からず、記憶も無いってんじゃ余計だよなぁ……。

 ただでさえ急に現れた人間なのに、自分のことすら覚えてないという不審者だ。不気味に思われても仕方が無いところがある。加えて、変な光に村中が覆われるという変事の後だ。村人達の警戒心が強くなっていて当たり前だ。

 冷たい対応をされるのを半ば諦めつつ、井戸から水を汲む。

 その間にも、ユウトに幾つもの視線が向けられているのが分かる。

 ユウトを怖がっているものが三割、怖がるまでいかないが不安そうなものが四割、嫌悪の篭ったものが二割、妬んだものが一割。

 ――恐怖、不安、嫌悪は分かるんだが、妬みは何故だ……?

 妬みの視線を向けているのは若い男だ。

 孤児院には特殊な趣味の者を除けば殆どの男が見蕩れるほどの少女が居る。それを思えば男達の視線の意味は分かりそうなものだが、ユウトにその自覚は無かった。

 背負った瓶一杯に水を汲んで孤児院に戻ると、エイミィが本を持ってユウトを待っていた。


 「ユウトお兄ちゃん。これ教えて」

 「どれだ?」


 エイミィが指差した開いた本の一角に視線を落とし――硬直した。


 「えぇと……これは、だな……」


 しどろもどろになって何とか答えようとするが、ユウトには何が書いてあるのか分からなかった。

 分からないなら分からないと言ってしまえば良いのだが、教えて欲しいと言って来た小さな女の子を前に「分からない」と告げるのは年長者としての矜持が邪魔をしていた。

 悩んでいると――書いてあることが分からないので悩んでいる振りでしかないが、丁度エリスが通りかかった。


 「あら? どうかしましたか?」

 「エリスさん、丁度良いところに。これなんですけど――」


 エリスに助けを求める。

 事情を察したエリスが上手くエイミィに説明すると、エイミィに手伝いを言いつけて行かせる。


 「文字が読めませんか?」

 「そのようで……全く見覚えが無いです」

 「そうでしたか。言葉が通じるので、てっきり読めるものと……」


 ――文字も読めないなんて……やっぱり、深刻ですね。

 エリスが少し考えると、何かを決心したような表情を浮かべる。そして。


 「勉強しましょう」


 そう言った。




 そうして、その日からユウトの勉強が始まることになった。

 最初に習ったのは文字だ。

 エリス達が使う文字は母音の部分と子音の部分を組み合わせたもので、母音は五個、子音は十六個あった。

 文字数自体が少なく、文字が読めなくても言葉が分かるため覚えるのはそう難しくは無かった。

 ――何かローマ字みたいだな。……ローマ字?

 途中何かを思い出したが、それがどこかの文字だとは分かっても、それ以上のことは思い出せなかった。

 文字が読めるようになれば本も読める。

 ユウトが一番最初に読もうとしたのは、勉強の切っ掛けになったエイミィが持ってきた本だった。

 その本は建国記をアレンジしたもので、中身はどこにでもありそうな英雄の偉業を記したものだ。

 ――昔、この大陸は一つの大国が支配していた。強大な力を持っていた大国は永久に繁栄を約束された。そう思われていたが、ある時大国の南方に魔人と呼ばれる者が現れる。南方にある一つの村を支配した魔人は、今度は大国全てを支配しようと勢力を広げ始めた。大国は魔人を討伐しようと兵を出すが、魔人は支配した村人や悪しき力で操った魔物を使役して逆に大国を追い詰める。そして、戦いの末に大国は敗北し、魔人の手に落ちる。

 そこまで読んだところで、一息つく。

 まだ慣れていないこともあって、多少読むのに時間がかかる。


 「魔人、ねぇ……」


 魔人とは一体どんな存在なのか。

 本には詳しい描写や説明は無い。人と付くくらいだから人型なのだろうか。魔というのは魔物を使役しているところから来ているのだろうか。

 しばらく考えた結果、そもそも魔人というのも本として読みやすいようアレンジした箇所なのかもしれないと結論付けた。

 元は建国記なのだし、自国の正当性を示すためにそれらしい敵役を作り、少々過剰にしてあるのだろう。

 そして、再び本に目を落とす。

 ――魔人は支配ではなく破滅を望み、大国に住む民を虐殺しようとする。しかし、そこで四人の戦士が現れる。戦士達は壮絶な戦いの末、魔人を討った。

 魔人を討つことは出来たが、時の王だけでなく王侯貴族を全て失った民は戦士達を新たな王にと望んだ。四人の戦士は民の期待に応え、大国を四つに分けてそれぞれの地域を治めることになった。


 「で、アルシールが出来たってことか」


 本を閉じて、ぼやくように言った。

 建国記にしては、どこか御伽噺めいている。

 気になったユウトは、そのことをエリスに話した。すると――。


 「では、次はそのあたりの勉強をしましょう」


 そう笑顔で言われて若干後悔したが、それは置いておく。

 エリスが言うには、実際の建国記とこの本の内容にそう大差は無く、若干分かりやすく派手に書かれている程度の違いがあるだけとのことだった。

 そんな中、エリスの表情が曇っていることに気が付いた。


 「どうかしましたか?」

 「いえ……。その自分でも良く分からないんですが、この話を聞くとどうにも悲しい気持ちになるんです」


 「だからあまり好きではないんですよ」とおどけた調子で続けたが、その表情は晴れなかった。

 そのこともあって、建国記の勉強は上辺をなぞる程度の簡単な内容で終わった。




 建国記の話が終わると、次は現在の国の話に移る。

 今ユウトが居る村はアルシールの南西部、エイシスとの国境近くにある。

 北のフォルセナ、東のバイセル、南のアルシール、西のエイシス。

 この四つの国は丁度東西南北に分かれており、またその建国の経緯から四大国と呼ばれている。これらが建国記にある四人の戦士がそれぞれ王となった国だ。

 この四大国と幾つかの小国は、マルクス大陸と呼ばれる大陸にあった。

 ちなみに、この村には名前は無い。これは特段珍しいことでは無かった。

 商人など人が多く寄るような村では名前がないと不便なため、名前が付けられている。しかし、この村のようにあまり人が利用しない村では名前が付けられていないことは多かった。

 国境近くというと他国――この場合はエイシスとの貿易で人の往来が多いようにも思えるが、現在四大国は国同士の貿易は勿論、自国の商人に対しても国を跨いでの商売を禁止している。

 建国当初こそ、王同士が戦友同士だったこともあってその仲は良好だったが、代を重ねるうちにその関係が希薄になっていった。今では四大国の仲はあまり良くない。戦争こそ起きていないが、互いに牽制しあっているような状態だった。

 加えて、この村から半日ほど南に行くと大きな森林が広がっているのだが、この森林が余計に村に人が来ない要因になっていた。

 大森林と呼ばれるこの森林は、マルクス大陸を東西に横断するものだ。南北にも広く、その広さはどこまで続いているか分からないと言われている。それというのも、大森林の内部や大森林を抜けた先のことは良く分かっていないからだ。

 曰く、大森林の中にはエルフの国がある。曰く、大森林は強力な魔物の巣窟である。曰く、大森林には始祖竜の一体が今も存在している。曰く、大森林を抜けた先には魔の者が住む国がある。

 こういった事実かどうかも分からない噂ばかりが先行していた。

 しかし、少なくとも大森林が危険だという認識だけは一致しており、余程のことが無ければ近寄ろうとする者が居ないくらいだった。

 人が出入りしないということは、流通も無く、経済も回っていないということだ。

 実際、この村の中では貨幣を使用することが無い。

 物々交換だけで成り立っており、時折近くの町に行ったときくらいにしか使わなかった。

 アルシール国内で使われている貨幣は金貨、銀貨、銅貨の三種類があり、金貨一枚は銀貨百枚の、銀貨一枚は銅貨百枚の価値がある。

 物の値段は貨幣の枚数で表現されており、しかし、貨幣の種類と枚数では言い難いため、略すのが一般的だった。例えば、銀貨一枚と銅貨二十五枚の場合、銀一銅二十五という形だ。


 「とりあえず、これくらい覚えておけば、ここで生きていくには困らないと思います」


 何日か経った後、教え終わったエリスが満足げにそう言った。

 一通りの勉強が終わると、当然勉強に割いていた時間が空く。ここでの生活に慣れて余裕が出てきたユウトは、空いた時間で子供達と遊ぶようになった――というより、余裕が出てきたのを察した子供達がユウトを誘うようになった。

 特に断る理由の無いユウトは、それに付き合うようになった。


 「ということで、かくれんぼを始めます」

 「かくれんぼ?」

 「何それー?」


 エリスにはあまり遠くに行かないようにと言われている。孤児院の近くで出来て、特に道具を必要とせず、大人と子供でハンデが必要なさそうな遊びと考えて、思いついたのがこれだった。狭いところにも隠れられるという意味では、子供の方が有利かもしれない。

 カール達はかくれんぼを知らなかったため、ユウトがルールを説明し、かくれんぼを開始する。


 「んじゃ数を数えるぞ。孤児院の近くから遠くには行くなよ」

 「はーい」

 「いーち、にー、さーん――」


 ユウトが目を瞑って数を数え始めると、子供達が楽しそうに思い思いの方向に走り出した。

 その様子を見ていたエリスが微笑む。

 ――皆楽しそう。やっぱりあの人を迎えたのは正しかったみたいですね。

 エリスはユウトを孤児院に住まわせることを提案した。その時はユウトの善悪が分からず、ランドが言っていたような危険があったことはエリス自身よく分かっていた。しかし、エリスにはユウトを疑う気が全く起きなかった。

 それはエリスが子供の頃から見ていた夢が理由の一つになっていた。

 毎日ではないが、エリスは子供の頃からある一つの夢を繰り返し見ていた。

 まるで誰かの記憶を追体験しているかのような夢。

 エリスは一人の女性となって、ある男性と出会い、添い遂げる。その殆どは目を覚ましたときには忘れてしまっているのだが、女性(エリス)がその男性をとても大事に思っていて、一緒に居ることに強い安心感と幸せを感じていたことだけは確かに覚えていた。

 ユウトの特徴的な黒髪黒目は、その男性と同じだった。

 そのためだろう、ユウトを見たときにその男性を思い出し、大丈夫じゃないかと思えたのだ。

 勿論、それだけではない。ユウトと実際に顔を合わせて話をしたエリス自身(・・・・・)がユウトの側に居ることに安心感を感じたからだ。

 この人なら大丈夫。そう信じられた。


 「ほい。テリー捕まえた」


 思考に耽っていたエリスがユウトの声で我に変える。目を向けると、既にユウトがテリーとエイミィを見つけたようだった。

 ――今のうちに、あれの続きをしましょう。

 ユウト達が遊びに夢中になっているのを確かめてから、エリスは私室に戻ることにした。

 ユウトが来てからエリスは前よりも自由に時間が使えるようになった。

 今のようにカール達がユウトと遊ぶようになったこともそうだが、普段から良くじゃれあったりもしており、エリスが見ている必要がなくなったためだ。もっとも、それが少し寂しくもあったが、仲が良いのは嬉しかった。

 部屋に戻り、扉を閉める。そこで、ランド達がユウトを連れて戻ったときのことを、思い出した。

 意識を失っているユウトを見たとき、胸が痛んだ。嬉しくて悲しくて、そんな複雑な思いがほんの少しだけ胸を満たした。

 何故そんな気持ちが湧き上がったのか自分でも良く分からなかったが、おそらく夢の女性に引きずられたのだろう。

 夢の女性は最後には男性と悲しい別れをした。だから、男性と同じ特徴を持つユウトを見たときに、その別れを思い出し、同時に再会を嬉しく感じてしまったのだ。


 「夢と現実を混同しちゃうなんて駄目ね」


 感情的な部分なのでエリスが混同したというには少し無理がある。しかし、夢に出てくる誰かと自分を重ねて、その誰かの感情を投影させるなんて夢見がちな少女にありそうなことで、それを自覚すると気恥ずかしかった。


 「混同って何が?」

 「――っ!?」


 エリスが固まった。

 誰も居ないはずの私室には、何故かカールが居た。


 「……何をしているの? カール」

 「かくれんぼしてるんだけど、ここならユウトにーちゃんも来ないと思って」

 「ここは私の私室だってことは分かっていますよね?」

 「え? うん。だからここに居るんだけど」


 エリスとて年頃の娘だ。相手が弟同然のカールとは言え、無遠慮に私室に入られるのは気分の良いものではない。それ以上に、他人に見られたくない場面を見られたという恥ずかしさと怒りがあった。

 カールはエリスの声が平坦なものになっていることに気付かずに、机の上に置いてある物に手を伸ばす。


 「これって、まだ途中だけど服だよね。俺やテリーのよりずっと大きいし、ユウトにーちゃんにあげるの?」


 ユウト自身の服はユウトが拾われたときに身に付けていた物しかない。今はユウトと体型の近い村の男達の古着を貰って着ているが、どこか不自然さがあった。

 それもそのはずで、この村には碌に商人も来ないため、服は親や家族が本人に合わせて作るのが普通だった。別人のために作られた服がユウトにぴったり合う訳がない。

 孤児院ではサーシャやエリスがカール達の分を作っているのだが、ユウトには当然作ってくれる者が居ないため、エリスが作ってあげることにした。

 ただ、やはり同年代の異性に服を贈るというのはそれなりに勇気が要る。そういうのは大抵恋人や夫婦同士で行なうことだったからだ。

 いざ渡すときのことを考えると恥ずかしくなってしまうため、エリスは出来るだけ考えないようにしていた。

 しかし、カールはその無邪気さ故に、地雷を踏み抜いた。


 「そういえば、服を渡すって恋人みたいだよね」


 そこで、エリスの纏う空気が剣呑なものに変わった。


 「カール。貴方にはデリカシーというものが大きく欠けているようですね。ちょっとこっちに来なさい」

 「え? え、あれ?」


 細いエリスのどこにそんな力があるのか、カールの首根っこを掴んでズルズルと引きずっていく。部屋を出て、廊下を曲がり、玄関近くに行くと、丁度ユウトが中に入ってきた。


 「あれ、エリスさん。と、カール。そんなところで何を――」

 「ユウトさん。正座して下さい」

 「え? あの――」


 戸惑うユウトを余所に、言葉を返す隙も無くエリスが再度言葉を被せる。


 「正座」

 「はいっ」


 とても静かな声にもかかわらず、抗うことを許さない強烈な強制力があった。

 すぐにユウトの隣にカールも正座をさせられて、滔々とお説教が始まった。


 「おい、カール。お前何やったんだ?」


 何もした覚えが無いユウトが小さな声でカールに尋ねる。


 「エリスねーちゃんの部屋に隠れてたんだけど……何で怒ってるんだろ?」

 「それが原因だよ!」

 「ちゃんと聞いてますか!?」

 「はい! すみません!」


 結局、一時間ほど説教を受けた末にかくれんぼは禁止になり、女性の部屋に勝手に入らないようにと強く言われた。

 ――これ、俺とばっちりじゃね?

 そう思ったが、最後まで口にすることは出来なかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ