第15話 蛇竜
日が昇る頃に集合場所に向かうと、荷馬車の近くにはゼスとギルツ、御者を務める三人の男が集まっていた。
「おはようございます。ユウトさん」
「おはようございます」
ゼスと挨拶を交わしてから、視線を移す。
まだ出発の準備は整っていないらしく、荷馬車の周りでは御者の男たちが忙しなく動いている。
更に視線を移すと、俯いて座り込んでいるギルツがいる。
「あ゛ぁ……」
「何やってんのお前……」
ギルツが頭を抱え、死んだ魚のような虚ろな目をしていた。
「昨日飲み過ぎ、うっぷ……」
「だから止めとけって言ったろうに」
「なんで無理にでも止めてくれなかったんだ……」
「そこまで面倒見られるか」
恨みがましい目を向けてくるギルツに冷たく返す。
しばらくするとロアとメイアがやってきたが、ギルツの様子を見て呆れていた。
「では出発しましょう。次の目的地はルシェになります」
ゼスの一声で、荷馬車が動き出す。
前日と同様、三台の荷馬車が縦列になって進む。振り分けも前日と同じで、前にロアとメイア、次にゼス、最後にユウトとギルツだ。
ルシェはミンダスの南東にあり、二日ほどかかる。
ルシェとミンダスは直線距離だけならそこまで離れていないが、ミンダスからルシェへの道は山を越える必要があるため余計に時間がかかる。それほど高い山ではないが起伏が激しく、道も荒れているためあまり速度も出せない。
ユウトは未だに頭を抱えて唸っているギルツに目をやると、溜め息をついた。
――仕方ない。話でもしてれば少しは気が紛れるだろう。
「ギルツ。昨日は俺に聞いたけど、お前は冒険者になる前はどうしてたんだ?」
「んあ? どうしてたって、冒険者になったのは成人してからだから、それまでは実家の手伝いだな」
「そもそもなんで冒険者になったんだ?」
ユウトの言葉にギルツが責めるような目を向けた。
「……王都行きの旅馬車の中で話さなかったか?」
「そうなのか」
「聞いてなかったな」
「いや、聞いてたぞ。聞いてただけだけど」
「記憶に残ってないってか!?」
「……十分の一くらいは残ってる」
「それは残ってないのとほとんど同じっ、いで!?っう……」
大声を出したギルツが頭痛に苛まれれ、頭を抱え込む。
「大声出すから……」
「誰のせいだ……」
呆れた様子のユウトを、ギルツが睨んだ。
「……まぁいい。一応興味をもったということで勘弁しておく」
一度溜め息をついてから、ギルツが話し始めた。
ギルツはアルシール西部の出身で、商人の長男として生まれた。両親は長男のギルツに家を継がせるため商人としての教育を施した。子供の頃のギルツも家を継ぐつもりで真面目に教えを受け、実家を手伝っていた。
しかし、ギルツの弟が商人としての才覚の片鱗を見せ始めたことで、ギルツは家を継ぐことに迷いが生じるようになった。
ギルツの商人としての資質は普通だった。良くも悪くも無い。それでも子供の頃からの教育の成果もあり、商人としてやっていくには十分な能力はあった。しかし、ギルツに対して弟は天才だった。
人当たりは良く頭脳明晰、取引の機微に聡く流行廃りにも敏感で、商人として必要な才能を軒並み持っていた。それに気付いたとき、ギルツに疑問が生まれた。
――家のためにも弟が継いだほうが良いんじゃないのか?
まだ幼い弟が自分より良い結果を出す度に、その疑問は強くなった。
そんな疑問を胸に抱えたまま日々を過ごしているうちに、ギルツは店に来る冒険者に興味を持つようになった。
そして、自由に生きる彼らの生き方に惹かれ、冒険者になることを志した。
「いやいやいや。ちょっと待て、いきなり話が飛んだぞ」
「そこはまぁ、気にするな」
「気にするなって、興味を持ってから冒険者になろうと思うまでの過程省きすぎだろ」
「色々あったんだって」
「その色々を聞きたいんだろうが」
「……二度目だから省く」
「絶対一度目も話してないだろ」
ユウトとギルツが睨みあいをはじめる。
目でけん制しあう二人だったが、唐突にユウトの顔つきが変わった。それと同時に、メイアの声が届いた。
「魔物よ! 数一、Bランク」
メイアの声に全員が動き出す。――ギルツだけ若干動きが遅かったのは気のせいではないだろう。
「お前はゼスさんについてろ!」
ユウトはロアの指示に素直に従った。
昨日よりも言い方が少しマシになっていたこともあるが、直感的に向かってくる魔物がかなり手ごわい相手だと感じていたためだ。
視線の先、山道の向こう側から逆光を受けて細長い影が現れた。
太陽を背にしたその魔物は、蛇のような体躯に退化した小さな翼のようなものが生えている。全長は五メートルほどあり、それに見合った太い胴体をしていた。蛇竜と呼ばれるBランクの魔物だ。その巨体と強靭な顎は容易く岩を砕き、牙に毒を持つ厄介な相手だった。
地面に体を這わせて素早く近づく蛇竜に、ギルツが正面に立って盾を構える。
ギルツの影に身を潜めるようにしながら、ロアは槍を手にしていつでも攻撃に移れるようにしている。
「ぐっ」
勢いのついた蛇竜の体当たりをギルツが盾で受ける。鈍い音が響き、ギルツが衝撃で後ろによろけた。本来なら横にいなすところだが、下手に横に流すと、そのまま後衛が襲われるおそれがあったため、真正面から受けることを選んだ。
頭から突っ込んだ蛇竜も少しはダメージがあったらしい、微かにふらついた蛇竜は弾かれたところで動きを止めた。
「“アイシクル”」
蛇竜が動きを止めたところを狙ってメイアが魔術を使う。蛇竜の体の下から大きく鋭い氷柱が突き立った。
魔術に気付いていた蛇竜は、体をくねらせることで氷柱を避けた。そのタイミングに合わせてロアが間合いを詰め、高速の突きを二度繰り出す。
一度目の突きは避けられたが、二度目の突きは蛇竜の長い体を深く裂いた。
「ギュア!」
苦痛の声をあげた蛇竜が暴れるように体をくねらした。地面を這いずる巨体が暴れたことで地面の砂が舞い上がる。すぐに飛び退いたロアは攻撃を受けずに済んだが、砂埃で視界が悪くなる。
再び前に出たギルツと入れ替わるようにロアが後ろに下がる。
ギルツが蛇竜の攻撃を防ぎ、メイアが魔術でけん制し、ロアが攻撃を加える。三人がかりで少しずつ蛇竜に傷を負わせていたが、再び“探査”で近づいてくる複数の魔力を察知した。
「!? 後ろから数四、Dランクよ」
「このタイミングでかよ! くそったれめ!」
ロアとメイアが悲鳴のような声をあげる。
Bランクの魔物は同ランクの冒険者数人で討伐にあたるのが通常であり、ロアたち三人がかりであれば手傷は負うが確実に討伐することができるだろう。しかし、それは相手が一体のみで、更に時間がある場合だ。
Bランク一体とDランク四体を同時にとなると話が変わる。高ランクの冒険者といっても、その肉体は一般人と大差ない。低ランクの魔物の攻撃でも直接体で受ければ致命傷になる。
特に後ろから襲われるかもしれないとなれば無視することはできない。このまま挟撃されるとロアたちといえどもかなりマズイことになる。
ロアとメイアがどう対処すべきか迷っていると、ギルツが蛇竜に視線を固定したまま、声を張り上げた。
「ユウト! そっち頼む!」
「了解だ!」
大きな声で答えたユウトに、二人のやり取りを聞いていたロアが怒声を浴びせる。
「何馬鹿なこと言っている! Dランク魔物四体なんてそいつの手に負えるわけないだろ!」
ロアは別にユウトを馬鹿にしているわけではない。Cランクの冒険者がDランクの魔物数体を相手にすること自体が本来困難なのだ。
一対一を四回ならば兎も角、同時となると四体全ての動きに注意しながら戦う必要があるため、その難易度は大きく変わる。Cランクの冒険者にそこまでの戦闘技術や経験はない。
ロアの反応は冒険者としては常識的な認識に基づくものだった。
しかし、ユウトはロアの言葉を無視した。
「少し離れます! メイアさん。フォローをお願いします!」
大声で告げるや否や、まだ姿の見える魔物に向かって走り出した。
本来相手が分からず、敵の数の方が多い状況において仲間から離れ単独で挑むのは良い判断とは言えない。仲間からのサポートが受けられなくなる上、予想外の事態が起きた場合立て直しが出来ないからだ。
しかし、今回に限ってユウトは相手が分かっており、倒しきる自信もあった。
――こいつらの魔力を間違えるはずが無い。ソルジャーウルフだ。
村を襲った灰色の狼型の魔物。
俊敏なソルジャーウルフ相手では、ゼスが近くにいない方が戦いやすい。ゼスのそばから離れるのはリスクがあるが、周囲に他の魔物がおらず、メイアが後衛にいるなら問題ない。
走り出してからものの数分で、ユウトはソルジャーウルフと遭遇した。
ソルジャーウルフの姿を確認した瞬間に“強化”を強める。
地面を強く蹴り、先頭のソルジャーウルフに突撃する。槍を突き出しソルジャーウルフの眉間を貫いた。ソルジャーウルフを串刺しにしたまま、他の三体のソルジャーウルフの横を通り過ぎた。頭部がひしゃげたソルジャーウルフから槍を引き抜くと、グチャという音と共にソルジャーウルフの体が地面に落ちる。
突然の出来事にソルジャーウルフたちが動きを止めた。すかさずユウトはそのうちの一体に槍を投擲する。風をねじ切るような音をさせながら、ソルジャーウルフの口に槍が高速で飛来する。凄まじい速さで向かってくる槍に気付いたときには避ける時間は無くなっていた。槍はソルジャーウルフの下顎を吹き飛ばし、前足を貫いて地面に突き刺さった。
ここに来てソルジャーウルフたちがようやく状況を理解する。相手が自分たちより強者であることを自覚したことで、獣の本能が戦うことに怯え、萎縮してしまった。
二体目を動けなくしたユウトは、次の獲物に狙いを定める。
残っている二体の片方に肉薄すると、白光を鞘から抜き放ち、そのままの軌道で斜めに切り上げた。ソルジャーウルフは体の上半分を斜めに切り落とされ、地面に崩れた。
瞬く間に数を減らされた最後の一体は、背を向けて逃げ出した。
最初のソルジャーウルフを倒した際にすれ違った両者の立ち位置は逆になっている。ソルジャーウルフの逃げる先はユウトが向かってきた方向、ギルツたちがいるところだ。
――このまま逃がすわけには行かない。
ユウトは逃げるソルジャーウルフを追う。
ソルジャーウルフは機敏で素早い動きを得意とするが、“強化”を使用している今のユウトの速度には及ばない。すぐにユウトに追いつかれ、逆手に持った刀が振り下ろされる。刀はソルジャーウルフの背中から腹に貫通し、尾に向かって両断した。
体の半分が真っ二つになったソルジャーウルフを一瞥してから、先程の場所に戻る。
槍で地面に縫い付けられたソルジャーウルフに近づき、槍を引き抜いた。虫の息だったが、まだ活きていたため、念のため槍で首を刎ねる。
周囲に視線を巡らせ、“探査”で魔力を探る。
他に魔物が近づいて来ていないことと、四体のソルジャーウルフが全滅しているのを確認してから、ギルツたちが戦っている場所へ戻るため走り出した。
ユウトがソルジャーウルフと戦っている間、ギルツたちも蛇竜と戦闘を続けていた。
「あのガキ生きてるんだろうな」
「何だ、ユウトのこと心配してくれんのか?」
「目覚めが悪いだけだ!」
蛇竜の攻撃を掻い潜りながら、ロアが近づいて突きを放つ。鱗を削る音がロアの耳に届き、穂先が逸れた。
ユウトが走り去ってから何度も攻撃を行っているが、蛇竜の鱗に阻まれて深手を負わせることが出来ずにいた。
一度深手を負ったことで蛇竜が警戒を強めたため、不用意に飛び込めなくなっていた。
下手に飛び込むと毒の牙を受けるおそれがあった。解毒薬はもっているが、毒はすぐに抜けるわけではない。一度受ければしばらくは戦闘に参加できなくなってしまう。そうなればややロアたちに有利な現状が一気に不利に傾くことになる。そのため、どうしても踏み込みが浅くなり、槍に力が乗せられずに鱗を貫けないでいた。
「“ファイアアロー”」
メイアの杖から数本の炎の矢が飛んだ。飛来した炎の矢に気を取られた蛇竜は、後退するロアを追撃することができなかった。
近寄ったり離れたりと周りをチョロチョロされて怒った蛇竜が巨体を大きく動かし、尻尾を振る。蛇竜の尾撃はギルツの盾を強かに打ちつけ、強烈な衝撃を受けたギルツはたたらを踏んだ。
体勢を崩したところを再び蛇竜の尻尾が襲う。盾で受けることには成功したが、尻尾の先が巻きつくようにギルツのわき腹を打った。
「ぐぁっ!」
衝撃に苦痛の声が漏れる。
吹き飛ばされたギルツの鎧はわき腹部分がへこんでいた。よろよろと立ち上がろうとするギルツを蛇竜が更に追撃する。
「“アイシクル”」
ギルツに向かう蛇竜の進路を妨害するように、進行方向に先回りして氷柱を立てる。何本もの氷の柱に行く手を遮られた蛇竜がメイアを睨みつける。ロアがメイアを庇うように間に立ち、槍を向ける。その間に咳き込みながらもギルツが立ち上がった。
かろうじて立て直したところでメイアが声をあげた。
「後方の魔物が消えたわ。彼が倒してくれたみたい」
「この短時間でかよ……」
「ほとんど瞬殺だったわよ」
「……俺たちがのんびりしているわけにはいかないな。だろ?」
ギルツが苦しそうに咳き込みながら、口の端を吊り上げた。ギルツとロアの瞳に強い闘志が灯る。
「すぐ戻ってくるはずよ。……それまでに決めましょう」
二人の気持ちを汲んだメイアが発破をかける。視線を交わした三人が頷きあった。
「動きを止める。メイア、確実に頭を潰せ。頼むぞギルツ!」
「わかったわ」
「了解!」
メイアが魔力を集中し始め、ギルツとロアは同時に前に出る。
攻勢に出たギルツは大盾で地面すれすれを這う蛇竜の頭を殴りつけた。鉄の塊で頭を殴られた蛇竜は巨体を揺らしてふらついた。好機と見たギルツはもう一方の手に持つ戦斧を蛇竜の胴体に叩きつける。
「ギュアァァァァ!」
悲鳴のような声をあげながら、蛇竜がのた打ち回る。しかし、ギルツが大盾と戦斧で蛇竜を地面に押し付けているため、動きが鈍い。
「オォォォォッ!」
槍を構えたロアが蛇竜に駆け寄り、胴体を串刺しにして地面に突き立てる。
「メイア!」
「“アーススパイク”」
地面から無数の土の棘が突き出る。
動きを抑えられた蛇竜の胴体に幾つもの棘が突き刺さり、その巨体を地面に縫い付けた。再度訪れた苦痛に苦悶の叫びをあげながら暴れようとするが、体に突き刺さった棘が動くことを許さなかった。
蛇竜が動けなくなったのを確認したギルツとロアは、魔術に巻き込まれないように距離を取った。二人が離れたのを確認したところで、メイアが追撃をかける。
「“アイスバーグ”」
メイアが蛇竜の頭上に手を掲げ、その先に巨大な氷塊が現れる。
掲げた手を下ろすと、重力に引かれて勢いを増した氷塊が蛇竜の頭に落ちる。グシャっという音と共に血肉が飛び散り、蛇竜の頭部が潰れた。
その様子を確認した三人は安堵の息をついて座り込んだ。
疲労と緊張感で集中力を切らせた三人が、蛇竜から注意を逸らした瞬間――蛇竜の尾がピクリと動いた。




