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最終話 エピローグ~黒と白~


 「……」


 肩膝をつき、両手を合わせた姿勢で黙祷を捧げる。

 その前には墓石と、もう一つ墓石よりも一回り大きな石碑が建てられている。墓石の方は、誰の墓かは言うまでもないだろう。もう一つの石碑は、遥か昔に亡くなった()の妻や親友、仲間達の為に建てた慰霊碑のようなものだ。

 ユウト達が住んでいたあの小さな村から、そう遠くない場所。魔人が半生を過ごした村があったその場所に、二つの石碑は建てられた。勿論、魔人の遺体もその下にきちんと埋葬されている。


 「やっぱり、ここに居たか。英雄殿?」


 草花を踏み鳴らす音を立てながらやってきたギルツが、からかうような口調でユウトを呼ぶ。


 「……その呼び方は止めろ」

 「実際そう呼ばれてるじゃないか」


 周りが勝手に呼んでいるからといって当のユウトがそれを喜んでいるかどうかは別の問題だ。そのことはギルツも承知しているので普段はやらないのだが、時折からかうように言ってくるのだけは幾ら言っても止めようとしない。非難の視線を浴びせるが、やはり本人はどこ吹く風だ。

 だが、ギルツの言う通り、今のユウトは魔人殺しの英雄と呼ばれているのも覆しようの無い事実だった。今のユウトは、そんな状況から逃げるように王都を離れ、復興という名目で村まで戻って来ている。

 魔人との戦いから既に三ヶ月ほどが経っていた。その間に様々なことがあったが、最初の一ヶ月……特に王都に戻った直後は本当に目まぐるしいものだった。

 王都に帰還したユウト達を待っていたのは、英雄という偶像として民衆の目に晒されることだった。

 ユウト達が魔人との戦いを決めてからずっと、レオンハルトはユウトとスバルという魔人に匹敵する力を持つ存在が国民に受け入れられるように尽力していた。一歩間違えれば今度は二人が新たな魔人になり兼ねないし、二人を危険視する意見が出てくることはゆうに予想出来ていたからだ。レオンハルトは悩んだ結果、二人を魔人殺しの英雄として、自分達の味方だと印象付けることにした。要するに印象操作だ。二人が魔人を倒したのは事実であるし、幸いにも建国記やエイシス軍侵攻の件もあったため魔人が所謂悪であるという認識は大勢が持っている。後は少し脚色すれば……というわけだ。

 勿論、二人は最初大いに渋ったのだが、「魔人のような誤解から生まれる悲劇を再び繰り返すようなことはしたくない」と真摯に頼まれれば流石に嫌とは言えなかった。ユウトとスバルは国民の前でレオンハルトから直接称賛を受け、大々的にその勝利を祝われた。

 そこからは大変だった。朝から晩まで毎日毎日、色んな人間が館にまで押し寄せてきたのだ。単に英雄の顔を見ようという興味本位の人間くらいならまだ良いのだが、悪意や下心のある者も多かった。ちなみに、その中で特にユウトが鬱陶しく思ったのは自称第一のファン(クリス)だったのだが、どの程度鬱陶しかったかというと、最後の方はクリスの姿を見ただけで無言で舌打ちして殺気を漏らすほどだ。王都を離れて村に戻るのをエリス達が賛成したのは、そのうちユウトがクリスを始末しないか心配だったから……という理由が無いわけでもなかった。

 もっとも、全員が揃って戻って来ているというわけでは無い。


 「それにスバルを矢面に立たせてるんだから、これくらい安いもんだろう」


 痛いところを突かれ、「ぐぅ……」と唸る。

 ユウト達が村に戻ることを決めた際に、スバルだけは王都に残ることになった。二人とも居なくなられると都合が悪いというのもあったのだが、スバル自身が決めたことだった。

 以前、スバルはメイザースに操られて色々なことに手を染めている。その被害の多くはアルシールだ。諸々の事情や魔人を倒したことで罰を受けることは無いが、罪は残る。少なくとも、スバル自身がそう思っていた。そんなスバルは今、近衛騎士の一人としてアルシールの為に働いている。近衛騎士となった英雄という宣伝的な意味でも、罪を償うという意味でも丁度良かったからだ。地方に逃げたユウトと表舞台に立ったスバル、どちらに注目がいくかは比べるまでも無い。

 ユウト自身、スバルに面倒を押し付けて逃げたという自覚はあった。


 「それは分かってるけどさぁ……」


 そうはいっても、ユウトにも言い分はある。

 事情を知らない者から見れば確かにユウトは魔人殺しの英雄なのだろうが、その実はどちらも同じ人間……要するにマッチポンプのようなものなのだ。勿論どちらも独立した人格で、共謀したわけでもないが、ユウトにとっては自分がしでかしたことを自分で止めたというだけなのだ。英雄だなんだと言われるようなことではない。何より。

 ――自分(あいつ)を殺して、それを称賛されてもな……。

 素直に受け取れる筈も無かった。

 唯一、二人が同一人物だと知るスバルはそんなユウトの心境に気付いていたのだろう。だから、ユウトが逃げるのを止めもせずに、むしろ自分が矢面に立つことを選んだのだ。

 スバルにも気を使わせたことを再確認し、更に気落ちしたユウトが「はあ……」と大きく溜息を吐く。


 「まあ、お前はずっと頑張ってたんだ。少しくらいは休んで良いんじゃないか」


 掌を返したようにギルツが優しくなる。

 落として上げる……では無いが、これもギルツなりの気遣いだ。一人で罪悪感塗れにならないよう、敢えて指摘することで適度にガス抜きをしつつということなのだろう。


 「別にずっとここに居る、ってわけじゃないんだろ?」

 「ああ。とりあえず、村の復興がある程度落ち着くまではここに居るけど」


 名目とは言ったが、復興の為に戻ったというのも嘘ではない。

 大森林のキメラ騒動に端を発した魔物の大移動で村はぼろぼろになった。その後、ヴァルドが襲って来た所為で復興する間も無く村人は散り散りになって、村は放棄されてしまった。暮らす分には館がある王都でも十分だが、やはりここは大事な村で思い出もある。ユウトにとってもそうだが、エリス達村の出身者にとってはそれ以上だろう。そのままにしておきたくは無かった。

 幸いにも、ある意味魔物以上に脅威となっていた隣国エイシスとの関係は改善に向かっている。王都への襲撃の一件でエイシス側の戦力が激減したというのもあるのだろうが、ヴァルドとメイザースが居なくなったことで正気に戻ったからだ。それどころか、今後両国の間で貿易なり商人の行き来が予想されており、必然的に国境付近にある村や町はその恩恵を受けることになる。そういう意味では、むしろ前よりも前途が明るいくらいだった。

 もっとも、それは村自体の行く末の話であって、冒険者という立場にあるユウト達の事情とは少々異なる。確かにそのような未来が来れば、大森林が近いこともあって商人の護衛や魔物の討伐など依頼も増えてくるだろうが、今はまだ廃村も同然だ。満足な報酬を得られる依頼など無いに等しいし、そもそも依頼を受けるにもわざわざ近隣の町ガロに行かなければならない。


 「懐も寂しくなってきたからな。そろそろ依頼を受けて稼がないといけないし、王都に戻るさ」


 懐具合もそうだが、いつまでもスバル一人に英雄役を押し付けておくわけにはいかない。

 静かな暮らしもそのうち終わりだ、と王都に戻った後のことを考えて苦笑いを浮かべる。するとギルツが人の悪い笑みを向けた。


 「お前指名の依頼が沢山来てるらしいぜ。ギルド長が早く戻ってくれってよ」

 「……戻るの止めようかな」


 どんな依頼だか分からないが、一応はSランクとなったユウトに対する依頼だ。楽なものではないだろう。それが沢山と聞けば、戻る気が失せるのも仕方が無いことだった。


 「って、そんなこといつ聞いたんだ?」

 「ん? あぁ、手紙だ。さっき来てな。っと、そうだ。手紙で思い出した。嬢ちゃん達が呼んでたんだ。お前宛の手紙が来たって」

 「だからわざわざ俺を探しにここまで来たのか」

 「そういうことだ。といっても……」

 「ああ。遅かったみたいだな」


 やれやれと肩を竦める二人の耳に、名前を呼ぶ二人の女性の声が届いていた。その聞き覚えのある声の主が誰かは今更確かめるまでも無い。


 「ユウトさ〜ん!」

 「ギルツっ! 呼んできてって言ったのに何で話し込んでるのよっ!」


 一方は呼んでいるというより文句だったが。

 エリスとソフィアが村の方から駆けてくる。


 「ギルツが用件を忘れてて」

 「おいっ!?」


 すかさずソフィアに告げ口。鋭くなったソフィアの視線がギルツを捉えた。


 「どういうことかしら?」

 「悪かったって! わざとじゃねぇよ!?」

 「ユウトさん、手紙です」


 騒いでいるソフィアとギルツをバックに、エリスがしれっとユウトに近寄って二つの手紙を渡す。そのまま肩が触れる程に寄り添うと、ユウトの持つ手紙にジッと視線を注ぐ。他人の手紙を見ようとするなんてエリスらしくないな、と思いつつ差出人を確認する。


 「こっちは昴で、もう一つはローザさんか」

 「はい。ローザさんの手紙は宛名が私達の連名になってます」

 「なるほどね」


 エリスが近寄ってきたのはローザの手紙を一緒に読みたい、ということなのだろう。納得したユウトはスバルからの手紙を後にして、先にローザからの手紙を読むことにした。


 「んじゃ開封っと」

 「あ、ちょっ。ずるいわよ、エリスっ!」


 寄り添いあって手紙を開け始めた二人に気付いたソフィアが、遅れてエリスとは反対側に体を寄せる。


 「ソフィアさんが勝手にギルツさんとじゃれあってたんじゃないですか」

 「むぅ、そうだけど……」

 「はいはい。とりあえず手紙読むぞ」


 仲良く喧嘩をする二人の意識を手紙に向けさせ、仲裁する。その様子を見ていたギルツが、「……最近嬢ちゃん達のあしらい方が上手くなってきたな」などと呟く。ユウトは「頑張って隠してるだけなんだけどな……」と心の中で答えながら、ローザの手紙を読み始めた。




 ローザからの手紙を読み終えると、エリスとソフィアは嬉しそうにはしゃいでいた。

 手紙の内容は、ユウト達が居なくなった後の王都の状況とローザ自身の近況だった。

 エイシス軍の襲撃と魔人の復活で被害を受けた王都の復興は大分進んでいるらしい。英雄の存在が上手く活気に繋がったようだ。建物などの被害の規模に比べて死傷者が少なかったことも無関係ではないだろう。これで死者が多ければ、英雄云々などと浮かれていられなかったはずだ。

 その英雄騒ぎも随分沈静化したらしい。スバルが近衛騎士として活動しているおかげだろうが、以前のように館にまで押し掛けるような人間は随分減ったということだった。

 王都の復興にあわせて、ローザの勤めている娼館も営業を再開したそうなのだが、ローザ自身はもう客を取るつもりは無く、良い機会だからと後身に任せて引退するらしい。まだまだローザを望む客の声は大きいと思うのだが、「もう娼婦ではいられなくなってしまいました」とのことだ。ギルツ達はどういう意味か察しているようだったのでどういうことなのか聞いてみたが、返答は貰えなかった。

 最後に、引退したので近々旅行がてら遊びに行きたいと記されていた。エリスとソフィアがはしゃいでいるのはその為だ。


 「院長先生にも伝えて、歓迎の準備をしましょう」

 「そうね。近いうちにガロで食材を仕入れないと」


 と、ローザが来た時のことを考えて話に花が咲いていた。

 ユウトが知る限り三人にはあまり接点が無かったので不思議そうに首を傾げていたが、ユウトが眠っている間に良くローザが見舞いに来て二人と仲良く話をしていたことを知っているギルツとしては特に不思議はなかった。

 ローザの手紙を読み終えた後、今度はユウトだけがスバルからの手紙に目を通す。

 暫くした後、視線を落として手紙を読んでいたユウトがいつの間にか顔を上げて眉間に皺を寄せていた。そのことに気付いたギルツが、ユウトに声を掛ける。


 「ユウト……?」


 ギルツの声が聞こえていないのか、ユウトは何の反応も示さず、視線を動かすことも無い。その視線は、ずっと魔人の墓石に注がれていた。

 スバルからの手紙の内容は、概ね他愛の無い物だった。ローザの手紙と同じで、主に近況を記しただけのものだ。だが、その末尾に書かれた一文が、ユウトの心を酷く揺さぶっていた。

 その文だって、傍から見れば何でもないような一文だ。ユウトとエリスとソフィア、三人の関係について少しだけ後押しするような、「きちんと返事をしろよ」というだけ。ユウトが二人の気持ちに対してきちんと返事をしていないことを、誰かから――それが誰かは概ね予想は付くが――聞いていたのだろう。

 ユウト自身、そのことを忘れていたわけではない。むしろ、諸々のことが落ち着いて来たこともあって、最近はずっと考えていた。二人の気持ちは今更疑うことはないし、返事は後日とも言ってある。特に障害は無い……のだが、ユウトはずっと伝えることを躊躇っていた。


 「良いのかな……?」


 自分に問いかけるように呟いた。

 ユウトの頭を過ぎるのは、もう一人の自分の事……正確にはその存在によって引き起こされた惨劇のことだ。その惨事が自身の一つの結末であると知っているが故に、エリスとソフィアを不幸にしてしまうのではないかという不安がどうしても拭えなかったのだ。

 ギルツはそんなユウトの胸倉を掴み、引き寄せた。


 「ギル――」

 「あいつ(・・・)とお前は違う」


 叱りつけるようなギルツの声音に、そして魔人とユウトの関係を知っているかのような言い様にユウトが目を丸くする。ギルツは動揺するユウトを気にした様子も無く、「それにな」と言葉を続ける。


 「確かに、結末は酷い物だった。だが、だからといって不幸だったなんて決め付けるな。あまりあいつ等(・・・・)を馬鹿にするなよ」


 ユウトが何を考えていたか分かっているかのように……いや、それ以前にまるで当人であるかのような口振りだった。


 「ギルツ……?」

 「……何となく、そう思っただけだ」


 戸惑うユウトにそう告げると、ギルツは手を放してそっぽを向いた。しばらく呆然としていたユウトだが。


 「そう、か。そうだな……」


 ギルツに叱られて、スッキリした。

 言われてみればその通りだ。幸福か不幸かを決めるのは誰でもない、その人自身だ。結末だけ見て不幸だと決め付けるのは筋違いだろう。

 エリスとソフィアに対してもそうだ。三人の事をユウト一人で悩んで、不幸になるとかならないとか勝手に考えるのは彼女達に失礼た。二人がどう感じるかは二人次第であり、ユウトに出来るのは素直に気持ちを伝えて、二人を不幸にしないように……幸せに出来るように努力することしかないのだ。


 「ありがとな、ギルツ」

 「気にするな。これでもお前達より人生経験豊富だからな」

 「そうだったな。ただ……俺の事も良いけど、お前も相手を見つけた方が良いんじゃね?」


 「え、今それ言っちゃうの?」という顔をしたギルツを放置して、楽しそうに話をしているエリス達に声を掛ける。

 振り向いた二人と目が合うと、これから告げることに対する恥ずかしさが急激に湧き上がったのを感じた。純粋な、ユウトに全幅の信頼を寄せているのだと分かる、そんな瞳だ。そのような瞳を向けられては先程の決意もどこかに行ってしまった。「あー、うー」と言葉にならない唸り声のようなものを上げるユウトに、二人が首を傾げる。

 ギルツは照れまくって言葉が出ないユウトを見て、声を殺しながら笑う。そして、笑いながらユウトを指さしてから、今度はその指をエリスとソフィアにも向け、最後に自分の胸をトントンと軽く指で叩く。ギルツに背を向けているユウトにその行動は見えていなかったが、ユウトと対面している二人にははっきりと見えていた。その動作が意味することも、二人にはすぐ理解出来た。不思議そうにしていた二人が穏やかな……それでいて、どこか嬉しそうな表情に変わり、ユウトの言葉を待つ。

 やがて、言葉が見つかったのか、ようやくユウトが口を開いた。


 「前に、約束してたよな。色々あって遅くなったけど……」


 一度言葉を切って、大きく息を吐く。そして――。


 「好きです。幸せだと思って貰えるように頑張るから、ずっと俺と一緒にいて欲しい」


 告白を通り越してプロポーズのような台詞だが、嘘偽りの無いユウトの本心だった。

 エリスとソフィアは顔を見合わせ、嬉しそうに。


 「駄目です」「駄目ね」


 声を揃えてそう言った。

 固まるユウト。耐え切れずに腹を抱えて笑い転げるギルツ。

 あれ、俺振られた? とショックを受けすぎて、そんなギルツに気付いてすらいない。

 少しして正気に戻ったユウトが「そ、そうですか……」と搾り出すように声を出すと、効果があり過ぎたと気付いた二人が焦る。


 「あのね、ユウト。駄目とは言ったけど、嫌とは言ってないわよ?」

 「へ……?」

 「すみません。ずっと待たされたので、少し意地悪をするだけのつもりだったのですが……」

 「思った以上にダメージが大きかったみたいね」


 「それだけ好かれてるって分かって嬉しかったけど」と漏らしながら、エリスとソフィアがバツの悪い顔をする。急展開に――ユウトの中ではだが――未だ思考が追いつかない。さっきから笑っているギルツはおそらく最初から分かっていたのだろう。「後で殴ろう。“昇華”有りで」と心に決めた。

 ゆっくりと理解が追いついてきたユウトに、「だけど」とソフィアが続ける。


 「駄目と言ったのも事実よ。私達は一方的にユウトに幸せにして貰いたいわけじゃないもの」

 「ユウトさんにも幸せになって欲しいんです。ですから――」

 「三人で……いえ、皆で」

 「幸せになりましょう」


 二つの大輪の花が咲き誇る。

 差し伸べられた二人の手を、ユウトはしっかりと掴む。絶対にこの手を放さないという決意と共に、二人への気持ちがはっきりと伝わるように。


 「ああ。皆で一緒に」

 「はい」「ええ」


 三人で笑い合う。

 するとギルツがやってきて、ユウトの肩に手を乗せる。


 「皆でってことは、俺もユウトに娶られるのか?」


 ちょっとした冗談のつもりだったのだろう。だが、流石にタイミングが悪かった。邪魔をされた三人から、予想以上に手痛い反撃を受けることになった。


 「何を気持ち悪いことを言っているんですか?」

 「ちょっと近づかないで貰えるかしら」

 「吐き気がする」

 「さっきの言葉はどこへ行った!? っていうかユウト、てめえが一番酷いな!?」


 三人が冷たい視線を投げつけ、ギルツが叫ぶ。

 きっと、これからもこんな日々が続いていく。いや、続けていくんだ。もう一人のユウト(魔人)が欲した、何よりも平穏で少しだけ退屈な、大事な人達と過ごす幸せな日々を。だから――。

 ――俺はあんたと違う道を往くよ。まだまだ駆け出しで、全然慣れないけどな。

 同じ思いを抱きながらも魔人となってしまった彼とは異なる、英雄の道を。




 「かくして英雄は王道を歩み始めた……ってとこっすかね?」

 「ウェンディ。覗き見は良い趣味とは言えませんよ」

 「聞き耳を立ててる母様に言われたくないっすよ」


 ユウト達の頭上、その遥か上空でウェンディはその場に居ないウェルと言葉を交わしていた。その肩には、小さなシルが乗っている。


 「そう思わないっすか? シル」

 「キュゥ?」

 「……この子はなかなか曲者になりそうな気がするっす」


 良く分からない、と言わんばかりに首を傾げたシルにウェンディが戦慄する。話を理解した上で、ウェルにもウェンディにも配慮した……というか、巻き込まれたくないから無垢な振りをしているのだ。末恐ろしい。


 「馬鹿なことを言っていないで、早く戻って来なさい」

 「えぇー。折角来たんっすから遊んでくっす」

 「キュウキュウ」


 風から伝わる溜息混じりな母の声に、姉妹が揃って文句を返す。

 先程は無関心だった癖にこうやって自分の意思は貫こうとする辺り、シルは本当に侮れない。


 「……仕方ありませんね」

 「キュー!」


 渋々ながら折れたウェルに、シルが「母様大好き!」と声を上げる。

 (ウェル)自分(シル)に甘いことを実に良く理解している。この妹怖い。たが、今は好都合だった。


 「迷惑にならないようにしなさい」

 「勿論っす!」


 威勢の良い返事と共に、ウェンディとシルがユウト達の下に向かっていった。




 二人が居なくなった後、ウェルは改めてユウトに祝福を送る。


 「おめでとう、ユウト。貴方なら、今度はきっと大丈夫」


 ()の時は、兎に角あらゆる事が悪い方向に働いてしまった。帝国がこの大陸を統べる一つの強国だったこと、その皇帝が強い力を持つユウトの存在を悪い意味で捉えてしまったこと、彼自身が小さな村の中だけで生きてしまったこと、そして人間のことを良く知ろうとしていなかった自分(ウェル)のことも含めてだ。

 だが、今は……今度は違う。ユウトは村を離れて旅をして様々な人と出会い、アルシールの王であるレオンハルトやシグルド達近衛騎士、それにギルド長ジェイクといった権力者とも繋がりを持った。そして、人類の脅威たる魔人を倒した英雄となった。

 それらのうち幾つかは、おそらく彼の差し金なのだろうが。何にしても、確実に彼と違う道を歩んでいる。

 彼等はまるで黒と白のようだ。対極でありながらどこかそっくりな、二つの色。悪と善、魔人と英雄、そんな両極の道を歩むユウト(・・・)のイメージにぴったりだった。

 そんなことを考えているうちに、ウェンディとシルがユウト達に接触した。急な来訪に驚くユウト達に、娘達が嬉しそうにじゃれついている。

 その光景を遠い山奥で感じていたウェルは、「たまには私も外に出て、人と触れ合ってみるのも良いかもしれません」と呟いた。

 いずれ、人の形を取った始祖竜が遊びに行くことになるのかもしれない。


 何よりも平穏で大事な人達と過ごすユウトの幸せな日々は、まだ退屈と言うには程遠いようだった。



『黒白の英雄譚』完結です。

更新間隔が徐々に長くなりつつも、最後まで書ききれたことにホッとしています。

ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。


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