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第0話 プロローグ

16/9/29 差し替え


 ――何故だ。何故だ。何故だっ!

 男の声にならない慟哭が点を衝く。

 その周囲は炎が立ち昇り、黒い煙で覆われ、そこら中に瓦礫の山が積みあがっている。酷い惨状だった。

 男は一人、瓦礫の上に佇んでいた。

 その場所には、ほんの数分前まで見る者全てを驚嘆させる程大きく荘厳な城があった。しかし、今やその姿は見る影もなく、単なる瓦礫の山と成り果てた。

 男は人間だった者(・・・・・・)を抱きしめながら、涙を流している。

 ――何故こんなことをした。俺達はただ静かに暮らしていただけなのに。

 男の慟哭は続く。

 例え万の言葉を吐き出そうと、今の男の心は晴れないだろう。

 それほどまでに男の心は埋め尽くされていた。

 大事な人達を失った悲しみと、助けられなかった後悔に。

 ――もっと早く決断するべきだった。いつか分かってくれるなどと何故信じようとした。

 その結果がこれだ。

 全て失い、最早何も残っていない。

 気の良い隣人も、憎まれ口を叩き合った親友も、誰よりも愛した女性も、何より大事な子供も、誰もが殺された。

 ――何も残っていない。全て失った。こんな世界に一人生き残って、俺はどう生きれば良い……?

 悲しみも、後悔も、こうなっては何の意味も無い。ただ心を刻むような痛みを生み出すだけだ。

 だから、男は全てを放棄する。

 生きることも考えることも。何もかもを忘れて、ただの人形のようになってしまえば、楽になれる。、 

 しかし、空虚になりかけた男の心に、残った物があった。

 ――失った……? 違う。失ったんじゃない。……奪われたんだ。

 悲しみと後悔の消えた心に残ったのは、男から全てを奪った者達に対する憎しみだった。

 男は既に悲痛に満ちた表情も空虚な人形のような表情もしていなかった。

 その表情は憎悪に塗れ、もし誰かが見れば化け物と見紛うほどに歪んでいた。だが、男の顔を見る者は存在しない。その場には、他に生きた人間(・・・・・)は誰も居ないのだから。

 ――許さない。殺してやる。全て。全て殺し尽くす。

 全てを奪った奴等を、憎むべき奴等を。

 そして、男は言葉を紡ぐ。

 この世界の全てに向けて。

 深い深い怨嗟の念を込め、世界の全てを憎しみで満たしてやると、そう思いながら。――自分自身すら呪うように。


 「何もかも、滅ぼしてやる」


 その時、男は深い闇に堕ちた。




 「勇翔(ユウト)っ! おい、勇翔っ!」


 切れ長の鋭い目をした少年が友人の肩を揺する。

 その友人は机に肩肘をついて、先程からボーっとしたまま一向に動かない。


 「んぁ?」


 勇翔と呼ばれた少年が何度目か分からない呼びかけに、ようやく反応を返した。


 「何を間抜けた声を……。何度呼んだと思ってるんだ。目を開けたまま寝ていたのか、お前は」

 「悪い悪い。何かボーっとしてたみたいだ」

 「ボーっとしていたにしても限度があるだろう……」


 呆れ顔で溜め息を吐くと、勇翔が照れたように笑いながら頭を掻いた。

 少年の名は薙原(ナギハラ)勇翔。背は百八十センチより少し低いくらいで、肉体労働のアルバイトを続けているためそれなりに引き締まった体をしているが、十七歳としては比較的平凡な背格好だ。黒髪黒目で顔の造りも平均的な、どこにでも居そうな少年だった。

 そう感じるのは、一緒にいる少年の所為でもあるだろう。


 「それで、どうしたんだ? (スバル)


 昴と呼ばれた少年の名は神谷(カミヤ)昴。

 勇翔と同じ黒髪黒目の純日本人ながら百九十センチの長身で、外国人の血が混じっているのではないかと思えるほど日本人離れした顔立ちをしている。最早お約束とばかりに整った顔立ちと無駄な脂肪が一切無い体つきは、どこかの外人モデルのようだった。

 加えて、運動神経抜群、頭脳明晰と天から二物どころか三物与えられている。

 その代わりというのもおかしな話だが、昴は友人が少なかった。

 元々人付き合いが苦手で、思ったことを素直に言い過ぎる為、あまり人が寄り付かない。もっとも、生徒の約半数は遠くから見ていることで概ね満足していたが。

 それでも、やはりお近づきになりたいと、何度もプレゼントだのお誘いだのを受けていた。

 それとほぼ同じ回数、勇翔は昴への仲介を頼まれている。

 昴を誘うために、勇翔と仲良くしようと近づいて来る女子も多く――というか、そんな女子しか居なかった。

 ――くそう。イケメンめ、モテ男め。アァ、ニクシミデヒトガコロセタラ。


 「……憎しみの篭った目で俺を見るな。鬱陶しい」

 「なんだとっ。お前に俺の気持ちが分かるかっ」

 「分からんが」

 「何故分からないっ。俺のこの叫びがっ」

 「言ってること滅茶苦茶だからな……」 


 勇翔と昴は良くこんな馬鹿げたやり取りをしていた。

 普段はこういう冗談は鼻で笑って無視するような昴だが、勇翔にだけはこういう冗談にも付き合っている。

 だからこそ、昴狙いの女子も勇翔を介そうとするのだが、勇翔にとってはどんな事情であれ、体よく使われるのは御免だった。

 二人の付き合いはもう随分長い。勇翔は昴ほど人付き合いが苦手と言うわけではなく、それなりに広い交友関係を持っている。しかし、親友と言えるほどの相手は昴くらいだった。そして、それは昴も同じだ。


 「どうでも良いが、俺の話は聞いていたか?」

 「え? いや、聞いてなかった」


 呪詛を吐くのに気を取られて、何か聞き漏らしていたらしい。

 平然と聞いてなかったと答えたユウトに、昴が渋面を作る。


 「そこは普通誤魔化すところだろ……。まぁ良い、時間は良いのかと聞いたんだ」

 「時間?」

 「今日はバイトのはずだろ」


 昴が溜め息をつきながら教室の前方、壁にかかっている時計を指で指した。

 勇翔はキョトンとした顔でその時計に目をやり、時間を見る。そして、針の位置を確認した後、首を回して室内の様子を確認する。

 教室の中は窓から差し込んだ夕暮れ時特有のオレンジ色で照らされており、誰も居ない。勇翔と昴を除くクラスメイトは、とっくに教室を出て、既に部活動や帰宅の途についていた。

 開け放たれた窓の外からはグラウンドで部活動に明け暮れている生徒達の声が聞こえている。

 そこまで確認してから、ようやく勇翔が事の重大さに気がついた。


 「やべぇ!? ほぼ遅刻確定じゃん!」

 「気付くのが遅すぎる」


 冷静なツッコミを受けながら、悲鳴をあげた勇翔は机の中の物を鞄に放り込んで立ち上がる。

 勢い良く走り出して教室から飛び出す――ことはできなかった。

 

 「ぐぇっ」


 勇翔の口から蛙の潰れたような声が漏れた。

 出入り口に差し掛かった途端、壁か何かにぶつかったのだ。勇翔はその反動で後ろに倒れ込んでいる。


 「勇翔っ!? 大丈夫か?」


 その一部始終を見ていた昴が驚いて、勇翔に駆け寄った。

 勇翔はぶつかった衝撃でズキズキと痛む顔を手で押さえながら、出入り口に目を向ける。


 「いってぇ……、ぇ?」


 そこには黒い壁があった。正確には、壁に見えるだけでその空間に何も存在していないのだ。それこそ光さえも。

 

 「……は? 何、これ?」

 「なんだ……これは?」


 二人の口から同時に戸惑いの言葉が出る。

 有り得ない光景だった。

 教室の扉は開いている。しかし、その先にあるはずの廊下や、窓から見える光景がそこには存在していない。元より、閉まっていたとしても黒い壁のはずも無い。

 その何もかもがユウト達にとって非現実的で、受け入れ難いものだった。

 だからすぐには気付けなかった。

 廊下だけではない。先程まで教室に差し込んでいたオレンジの光も、校庭から届いていた生徒達の声も、もうそこには無いことに。


 「そうだ、窓なら……」


 振り向いた勇翔は、そこで初めて気が付いた。

 窓や廊下どころではない。黒板、机、椅子、更には壁や天井、床すらも。最早その空間には、勇翔と昴しか存在していなかった。


 「なんだよ、これ。一体何がどうなってんだよっ!」


 頭がおかしくなったのかと自分の正気を疑いながら、喚き散らす。そうしなければ、本当に気が狂いそうだった。


 「勇翔っ!」


 心を乱していた勇翔の耳に悲鳴のような昴の声が届く。

 咄嗟に昴の方を向くと、渦のように歪んだ空間が昴を飲み込もうとしていた。


 「昴っ!?」


 それは直感だった。

 助けなければいけない。そのまま行かせてはいけない。

 そう感じた勇翔は無意識に立ち上がり、足を前に動かしていた。

 しかし、勇翔は前に進めなかった。

 進まなかったというべきか。足は前に動くどころか、まるで石になったようにピクリとも動かず、勇翔は前のめりに倒れこんだ。


 「何でっ!?」


 言うことを聞かない自分の体に焦りが募る。

 足に外見上の変化はない。しかし、全く動く様子は無い。

 ――くそっ。それならっ!

 早々に動かない足に見切りをつけ、匍匐前進の要領で上半身を使って体を引きずりながら必死に昴に近づこうとする。

 昴を捉えた渦はその間にも少しずつ昴を飲み込み続けている。最早半身程度しか出ていない。

 懸命に体を引きずったユウトが、ようやく昴に手が届くほどに近づいた時、昴の全身は渦に飲まれていた。

 しかし、僅かに残った指先にユウトが触れた瞬間――ユウトの意識は闇に溶けた。




 薄暗く、じめじめとした陰気な部屋だった。

 部屋の中には太陽の光は一筋も差し込んでおらず、それどころか蝋燭の灯り一つ無い。

 しかし、部屋の中心、その床に怪しく輝く深紅の紋様が唯一の光源として部屋の中を微かに照らしている。それがまた部屋の陰気さを強調しているようだった。

 紋様は大きな円とその中に描かれた不思議な模様や文字のようなもので構成され、その中心にはローブを着て眼鏡をかけた神経質そうな優男が立っていた。


 「――っ!」


 男が一瞬顔を歪める。

 すると、床の紋様が眩いほどに強く輝き、部屋の中を白い光で満たした。

 しばらく経つと、光が消えて再び部屋の中が暗くなる。今度は床の紋様も光を失っており、一切の光源が無く、真っ暗になった。

 その中で、男は大きく息を吐いた。

 それを合図に、部屋の隅に小さな光が灯る。


 「召喚は成功したようだな」


 光は蝋燭の炎だった。

 そこには、燭台を手にした男が立っている。男はフードを深く被っており顔はちゃんと見えないが、整った相貌が覗き見える。


 「先程まで誰も居なかったはずなんですがね……」


 フードの男の登場に驚いた眼鏡の男が困ったような表情を浮かべた。


 「とりあえずは。ですが、本当に大事なのは中身(・・)ですから、まだ成功と言って良いかは分かりませんが」

 「その時はその時だろう。最悪、手駒にはなる」


 そう答えたフードの男の声は冷たく、何の感情も篭っていなかった。言葉通り、ただの駒としか思っていないのだろう。だが、それは眼鏡の男も同じだった。

 フードの男の言葉になんら動揺を見せることなく、話を続ける。


 「何にしても、ようやくひと段落です。これで概ねの準備は整いました」

 「これが上手くいけば、残りは二つ」

 「えぇ、ようやく半分。ですが、一番厄介なのがアルシールですから、今回成功すれば最早我らの計画は完遂したも同然ですよ」


 淡々と語るフードの男とは対照的に、眼鏡の男は興奮しているのか、徐々に早口になり、声が大きくなっている。


 「そう逸るな。エイシスは既に落ち、アルシールの準備は整った。バイセル、フォルセナも今同志達が準備を整えているところだ。最早この流れは止められん」

 「……そうですね。焦って、失態を犯しては元も子もありません。失礼しました」


 落ち着きを取り戻した眼鏡の男が、軽く頭を下げた。

 フードの男はそれを気にした様子も見せずに、視線を眼鏡の男の足元に向けた。


 「ハズレならハズレで構わんが、せめてアルシールでの仕上げの前に使い物になっていれば良いのだがな」

 「精神支配の術式は貴方が仕込んだ物ですから大丈夫でしょう。魔力の高さが邪魔をして、完全に支配下に置くには多少時間が掛かるでしょうが」

 「……そうだな。では、そちらは任せる。私はその間に他の仕込みを進めよう。ヴァルド殿、私はこれで失礼させて貰う」

 「えぇ、分かりました。またそのうち。それまで御武運を、メイザース殿」


 ヴァルドが芝居がかった仕草で恭しく頭を下げると、メイザースは溶けるように闇に消えた。

 その直前、メイザースが手にしていた蝋燭の火がほんの一瞬だけ大きく揺らめいた。

 揺らめきは部屋全体を強く照らし、口元を醜く歪ませたヴァルドとその足元に倒れる黒髪の少年を映し出した。




 ヴァルドとメイザースが顔を合わせているのとほぼ同時刻、アルシール南西部にある小さな村である事件が起こった。

 何も無いが平和で静かな村。

 そこで何の前触れも無く、村中を光が満たしたのだ。

 突如地上にもう一つ太陽が現れたのかと錯覚するような強い光が村中に届き、村人の視界を白く染めた。その光はほんの数秒で消えたが、村人達は突然の異変に戸惑い、恐怖していた。


 「何だ今のは? 急に光が……」


 村人達は村の中心にある広場に集まっていた。

 思いがけない変事に誰もが一人で居るのを恐れたからだ。

 一人だけで不安を抱えるよりも、皆で集まればその不安も和らぐ。それも一つの側面だが、逆に不安を抱いた人間同士が集まることで、その不安が更に高まることもある。


 「魔術か? だけど、あんな大規模な魔術聞いたことが無いぞ」

 「まさかとは思うけど……魔物、とか……」

 「止めてくれよ!」


 一人が不安を口にすると、連鎖的に別の誰かが更に不安を口にする。

 このようなことは今までに一度も無く、聞いたことも無い。原因はおろか、そもそもあの光が何なのかすら分からない。

 その何も分からない、という状況は村人達の不安を更に煽っていた。


 「ちょっと落ち着いて下さい!」


 そんな中で、一人の若い男が大きな声を出した。

 集まっていた村人達がその声の主に視線を向ける。

 男は村人達の視線が自分に向いたのを確認して、再び村人達に言葉をかける。


 「体調が悪くなったり、怪我をした人は出て居ません。現状、あれが何かは分かりませんが、少なくとも今すぐどうにかなる物では無い筈です」


 短く切った赤い髪の男が、村人達を安心させるように笑う。


 「これから俺達が光の発した辺りを確認しに行きます。だから安心して待っていて下さい」


 男がそう言うと、村人達は目に見えて安堵の表情を浮かべた。

 一先ずこれ以上の騒動は起こらないと判断した男は、三人の仲間と共に村を出る。


 「あの光の発生源、南だったな」

 「ああ」

 「あら、さっきみたいに敬語使わないの?」

 「何でお前達に敬語使わなきゃならねぇんだよ」

 「私達の方が偉いから?」

 「ほざいてろ」


 男達は軽口を叩きながら、不思議な光の発生源に向かって歩き出した。


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