8 これで最後だ、と彼は飛び出した
「俺か。俺は何処にいるかな」
嘉勝ははっはっはと大口を開けて笑う。
「殿!」
「だがそれは大した問題ではないぞ、櫂山、南里」
「何処が大した問題ではないのです!」
「国は誰のためにあると、お前らは思うか?」
二人は言葉に詰まる。何を言うつもりだ。
「俺は国は民のためにあると思っている」
「それは確かにそうです」
二人は常々嘉勝が、もしくは先代の国主がそう言ってきたのを知っている。
「つまりは誰が統べたところで大した問題ではない」
「…」
「問題は、どう統べられるか、だ」
二人はどう言っていいのか判らない、というように、驚いたのか呆れたのか、ひどく複雑な表情になった。
「何も俺である必要などどこにもないのだ」
「それでは殿はそのお役目を放棄するおつもりか!」
それまで黙っていた南里が急に声を荒げた。最も南里の高い声では、いささか迫力には欠けたが。
「では太鼓打ちにでもなろうか。俺はどうやら筋が良かったらしい」
「殿!」
だが嘉勝はその南里の怒りにも似た言葉には、笑いに乗せたたった一言で返した。
「先のことなど判らないさ」
木々が色づきはじめていた。
*
野武士の集団は、半年程の間に、次々に阪島の拠点を奪っていった。
阪島は、桜野よりはずいぶん広い国だったが、それゆえに統治にはすき間ができがちだった。そして彼らはそのすき間をついた。
全てが全て、無条件に阪島の国主に服従している訳ではなかった。例えばこの国と隣国との交易を行う商人の寄合、生活に必要な道具を生産する工房の一群。もともと自主独立の気運の高いそういった集団は、現在の国主にずいぶんと不満を持っていた。
幾つかの条件と引き替えに、彼らは野武士の集団と手を組んだ。
一方嘉勝はその頃、まるで自分の命を何とも思っていないかのように走り回っていた。
実際何とも思っていなかったのかもしれない。腹心の二人が心配せずにはいられない程に、いつも一番前を真っ直ぐ走っていた。
この野武士の集団の頭領、やがてこの国の国主となる男は、この隣国の国主である嘉勝を信用して、話し合いで決裂したような地の奪取を幾度となく頼んでいた。実際それは適任だった。
もともと彼は、陣地にでんと座りこみ命令だけを出すような類の人間ではなかった。
前へ出て、実際に戦う相手の手応えが欲しい類の男だった。
腹心の二人は彼らの主君を信じていたが、時々不安になった。
一体殿は、御自身の先のことを考えておられるのだろうか?
彼が国や民にとっての先のことを全く考えていない訳ではないことは、無論腹心の二人には判っていた。実際その件について、頭領とずいぶん話し合っていたことは、彼らもよく目にしている。
この頭領、幼い頃に現阪島国主の手により野に捨てられた前国主の一人息子は、その育ちのせいか、実に柔軟性のある男だった。
育った環境も何もかも全く異なっていたというのに、如何なる点がこの二人、通じる所があったのだろうか。彼らは野営の日々、度々二人で酒を酌み交わしては、現在必要な戦略戦術ではなく、それ以降の、国を統べる方法について話し合っていた。
「国を統べるのなぞ、誰であろうが構わんさ」
嘉勝は言う。つまみの豆をぽりぽりと咬みながら、頭領はうなづく。
「そうだ。誰だっていい。だが統べる資格の無い奴にだけは任せてはおけない」
それが誰を指しているかは暗黙の了解だった。
「そうだ。だからそれは叩くべきなんだ」
自分達でなくともそれは構わない。だがとりあえず適任が自分達しかいない。だから動くんだ。
その点で二人は話が合ったと言えよう。
*
この一年は嵐の様な日々だった、と後に腹心の二人は思い出す訳だが、その中で、奇妙に残っている光景があった。
「それは何なんでしょう」
櫂山がある日、嘉勝に訊ねた。夜だった。そう大きくもない火を囲んで、短い休息を取っている時だった。
「何だとは何だ?」
「殿は時々その飾り紐に触れておりますが」
「ああこれか」
確かにそうだった。この時も彼は胸元からややはみ出した飾り紐をもて遊んでいた。
彼は胸元から飾り紐を取り出す。櫂山はそれをじっくり見るのは初めてだった。水浴びの際にも嘉勝はそれを外さないので、手に取れる程近くで見たことがないのだ。
飾り紐自体は、桜野で作られた、黒と朱の糸で編まれた、単純なものであった。だがそこにはやや大きめの珠が付けられていた。炎に照らされて、黒いものが二つと紅いものが一つ、つやつやと輝いていた。
櫂山は、何となくその珠に見覚えがあるような気がしていた。何かが記憶の中で引っかかっていた。だがやはり思い出せなかった。
嘉勝はにやりと笑って答えた。
「まあお守りみたいなものだ」
「殿とお守りとは多少合わないような気も致しますが」
お前さりげなく無礼な奴だな、と嘉勝は幼なじみの頭をこづく。
「俺には鬼がついているのよ」
「鬼、ですか」
櫂山はやや不思議そうな顔をした。
「そうだ、鬼だ。優しそうな顔をしてひどく恐ろしい鬼が、俺を守っているのよ」
はあそうですか、と櫂山は言うしかなかった。
後になって櫂山は思い出す。ずいぶんその時の主君の顔が楽しそうだった、と。
だがその時には、その意味は全く判らなかった。
*
嘉勝はまた、国の、残された家臣と渡りをつけた。桜野の地に隠れ住んでいる彼らを、野武士の集団の中の隠密に値する者が見つけ出したのである。
彼らは主君の元気な姿を見て安堵し、告げられた主君の考えに驚いた。
「残念なことです」
先代からの家臣の一人はそう言った。
「ですがあなた様の決められたことですから」
国は消えても人が、田畑が残ればいい。国など本当にその気になればまた作りなおせるが、殺された人は戻ってこないし、焼きはらわれた作物も戻ってこない。
無論家臣の中には、それに反発する者もあった。
だが少なくとも、目の前で行われている現実に比べればましな考え方だったのだ。
その当時、桜野の地ではいつもの年の倍以上の収穫物を徴収されていた。もちろん徴収するのは、桜野の国主ではなく、阪島の国主であった。
今は阪島の一部であるゆえ、その同じ国の者が困っているのを黙って見ていられるのか、とか、桜野と反対方向の隣国に迫りつつある新興勢力を食い止めるために武器の増産が云々。
お題目はひとまず流され、それを良いことに桜野の農民は持てるものを大半もぎとられた。
…我らが国主殿だったらそんなことはないのに…
殿は何処にいなさる?
そしてその殿が言うことであるなら。単純と言えば単純である。だがこの地の人間はその国主同様、単純ではあるが、実に理屈臭かった。
理にはかなっている。
普段より彼とよく議論し合っていた城下の学者がそう認めてしまったら、仕方がない。
*
そして彼らが起った年の冬、ついに野武士の集団は、阪島の城に迫った。
そこまで来たら、もう前国主には逃げる所などなかった。
集団は、実にじりじりと、城の周りをとり囲んできていた。
「雪が降る前には何とかしたいものだ」
頭領は言っていた。
それは尤もだと嘉勝も思った。
いくら温暖な地域と言っても、冬には雪も降る。大層に積もりはしないが、冷え込みが急激に強くなることには変わりはない。そうなると集団の動きも鈍る。野営の燃料も大量必要になってはくるが、それをそうそう民から徴する訳にもいかない。
協力する商人や工房も、なるべく短期決戦を願っていた。
ただの農民なら、殊更だった。
*
そして城に火がかけられた。
これで最後だろう、と誰もが思った。
だが最後のあがきというものは確かにあった。国主は全ての城に住む者を連れて立てこもったのである。
「…逃げ出そうとする者は容赦なく切り捨てよ、との事で」
報告する者の声もやや冷静さを欠いていた。頭領は唇を咬んだ。
「どれだけの者が残っているのか」
「主に女子どもで。御夫人方だけならともかくも、ただの下働きの姉さん達まで閉じこめられてますわ」
それはまずい、と頭領は言った。
「自分の責任を自分で取るのはよかろう。だが何故そこに何の力もない者まで巻き込むのだ!」
まあそれは感情であったろう。だが、その一族郎党を全て殺してしまうより、生かした方が後々の為になることは頭領も嘉勝もよく知っていた。
「何とかして外へ出してやることはできないだろうか」
頭領は近くに居た嘉勝の方を見やった。
既にあちらこちらに火が掛けられている。このままでは城自体が巨大な棺桶となりかねない。
「別にあの親父が勝手に自分で滅びるのは構わないが…確かにそれではな」
どうしたものか、と彼は考えた。
これで最後だ、と考えるのは彼も同様だった。正直言って、そのまま中の者を出さずにただ燃え尽きるのを待っても勝敗は決する。いや、既に決していると言ってもいい。
だからここで頭領が彼に訊ねているのは、戦そのものではない。勝った後に関わることだった。
女子供まで見殺しにするような国主についてくるだろうか。
阪島の人間はどうか嘉勝はしらない。だが桜野の人間は。
無理だろう。嘉勝は思う。自分の気性とよく似た、あの国の民は、そこまでして勝利を求める国主を認めない。
それはまずい、彼は思った。
これで最後だ、という言葉が再び彼の頭をよぎった。
「頭領」
「何だ」
「どのような方法を使ってもよいか」
「方策があるのか」
「無くはない。だが人数が多くない方がいい。…別に俺一人でもよいのだが」
ふらりと嘉勝は自分の後ろを向く。一人では行かせない、と言いたげに、ほとんどにらみつけているような顔がそこには二つあった。
「まあこ奴らを連れていく。三人でよい。何しろこ奴ら無傷で」
「…それはこ奴らが手だれであるからだろう? あんたには勝算はあるのか」
「無くはない。だが完全にとは言えぬ。八割がた成功すればまあよしとしてくれ。最悪の場合も一応」
頭領は少し考え込んでいたが、やがてゆっくりとうなづいた。
「正直言って俺はこの中へあんたを送り出したくはない」
「頭領」
「もう勝敗は決している。だが危険だ。危険なことは、今までの戦と何ら変わらない。しかも少ない人数でとあんたは言う」
「あまり人手があっても変わりはしない」
「そういうことではない」
頭領は嘉勝の肩に手を置く。
「あんたはいつも実によくやってくれた。いつか俺はあんたに何らかの形でそれを返したい。判るか?俺はあんた自身に返したいのだ」
「では返せばいい。だが別にそれは俺自身である必要など何処にもない」
嘉勝はあっさりと言う。
「俺が貴君に返してもらいたいものは、…貴君にはもうよく判っている筈だ。そしてその本当の受け手が誰であるかも」
腹心の二人は、時々彼らを襲う不安がまたそろりそろりと手を伸ばし始めているのを感じていた。
「これで最後だ」
嘉勝は飾り紐を引きずり出した。そして首から外すと、長らく解いていなかった結び目を解き、三つの珠を懐へ入れた。彼はしばらく珠を外した紐を眺めていたが、ふとそれを頭領の前に差し出した。
「まあ別に何ごともないとは俺も思うが…持っていてくれ」
「俺はあんたに返したいのだぞ!」
「それはようく判っている」
そして嘉勝は飛び出した。慌てて二人の腹心も飛び出した。




