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花の下にて春  作者: 江戸川ばた散歩


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7/10

7 方針変更―――内部から埋め尽くせ

「だからあたしは、やっとお前と会えたんだ」


 彼女は嘉勝の手を取りながらつぶやく。しばらくはそれを揉んだり撫でたりしていたが、やがて舌を小さく出し、軽くなめた。

「ずいぶん傷が増えたな。だけどあたしは今のお前の手の方が好きだ」

 そして両手でぎゅっと握る。


 …ああそうか。


 奇妙だった。頭が空っぽになっているのに嘉勝は気付いた。

 自分の中にも、彼女がほえんと同じと感じる部分と違うと感じる部分があるのにずっと気付いていた。だがその説明がつかなかったのだ。身体は確かに相手を本物と認めていたのに。


 …まあ鬼と一つになったのなら口調くらい多少は変わっても仕方なかろう。


 もともとのほえんとて、ただしとやかな少女ではなかったんだし。

 それで納得してしまうのがこの男の凄いところなのかどうなのか。


「さて話を元に戻そう。さらわれたこの国の跡継ぎはどうなったか」

「お前は近くの里へと回したと言ったのではないか?」

「そう。回したんだ。だけど『うっかり』跡継ぎである証拠の品を残してしまった。薄着だったけれど、お守りみたいに身につけたものとか、あったらしいね。でまあ、大変と思いつつも、その育ての親はその子供が大きくなってから本当のことを話したんだ」

「それって育ての親がひどく大変じゃあないか?」

「だからその時の鬼はそこまで考える気力が無かったらしいよ。結構気も滅入っていたらしいしね。結構その辺がいい加減だったらしい。だがそのいい加減さが結構効を奏したよね」


 言い換えれば行き当たりばったりということだが。


「長じたその子は、秘かに立ち回り、今の国主に不満を持つ連中を集めていると」

「それが俺の幸運とどう関係あるんだ?」

「最後まで話は聞くもんだよ。さてその集団の頭領となったその元子供は、国主の兵の中に紛れ込むんだ。敵を知るには敵の中に入り込めって」

「…」

「さてここからだ。どうしてお前は逃げられた?」

「あれが、か!」


 妙に情勢に詳しい馬引き。その後ろに居たらしい仲間。


「そ」


 鬼であり、ほえんである彼女はにやりと笑った。


「さてどうする? お前はここで居ようと思えばずっと何ごともなく暮らしていくこともできる。あたしはずっとお前に歌を歌ってあげられる。この森は深い。まあ聞こえたところで鬼の仕業としか思われぬだろうよ。何処かから太鼓を調達してきて一緒に鳴らすも良かろう。それも悪くはないとは思うが?」


 なるほどそれも悪くはない、と嘉勝は思う。

 確かに目の前の彼女は、多少の姿は変わった。多少の性格は変わった。ほえんをよく知らない奴から見たら、とてつもなく変わったと言われるかもしれない。

 だがこれはずっと、手放してから会いたくて仕方がなかった相手だ。一瞬、この国さえどうでもいいと思いかけた相手だ。

 この森にはおそらくこれからも下手な侵入者は入って来ることはない。もしも現れたにせよ、それをはね除けるだけの力はあるだろう。

 悪くはない。


 だが。


 嘉勝は軽く目を伏せる。そして捕らわれた手を軽く払った。一瞬戸惑った目を彼女は向ける。彼は一度離した手を彼女の真っ赤な髪に差し入れた。そして何度も何度もそれをもてあそぶ。

 彼女は喉を撫でられた猫のように時々目を伏せる。それはほえんの癖でもあった。その表情が見たくて、よく彼はそんな風に彼女を撫でたものである。


「それも悪くはない。だがそれは少し先に延ばしてはくれぬか」

「先延ばし?」

「そこまで知った上で何もせずに居るというのは俺の性にには合わぬ」


 もちろん人の好い人間そろいの国の国主である自分が、この国をどうこうできるなど考えるのは甘っちょろい考えだということは嘉勝にも判っている。

 だが、かと言って、一度知ったことを放っておく訳にもいかない。それに借りもある。


「なあ、この国も俺の国も両方豊かになる、というのは無理かな」

「両方?」

「そもそも二つの国が争わねばならぬという決まりがある訳ではない。組めば別の側からの力に対しての強い対抗力となれるではないか」

「でも現在の国主とは無理だね。お前は今奴に会えば殺されるのがいい所だ」

「無論今の国主とどうこうしようなんて馬鹿なことは俺も考えてはいない。次の国主だ」

「ふん、やっとそこに思い当たったようだ」

「黙りやがれ」


 くすくすくす、と彼女は笑った。


「何やら呼ぶべき新しい名も持ってもいるらしいが、あたしにはまあどうでもいいことだ。奴はこの森の周辺につなぎを持っている。それに、おそらくはお前の二人の部下も」

「助かっているのか?」

「お前が助かるくらいなら大丈夫だろう? 全くしぶとい奴だから」


 さりげなくほえんは、片方についてだけ一言はさんだ。


「行けばいいさ。でもお前はあたしのだ。最後はあたしがもらう。だから死ぬな。いいや死のうとしても死なさん。それでも死体になったらそれを食らうぞ。お前はあたしのものだ」


 言葉に力が込められているのが嘉勝にも判った。それは呪文だ。それまでに聞いたこともない、最大の呪文だ。

 そして自分がその言葉から逃れられないのを嘉勝は感じていた。

 だがそれは決して悪いものではなかった。


「こんな怖い奴とは思わなかったな」


 くくく、とほえんは喉の中から音を立てる。


「知らなかった?」


  

 それは一見すると、野武士の集団だった。

 簡単な鎧や、ちゃちな刀は身につけているが、決してそれは何処かのお抱えの武士ではない。あくまで野武士だった。もしくはそういう格好を取ろうとしているかのようだった。

 森の木々に馬を隠し、奥に入りきらない程度の所に陣を張る。


「頭領。向こうの郷が手薄になっているようで」

「ああ。頃もよし… そう言えばあの連中はどうしている?」


 頭領と呼ばれていたのは、あの馬引きの男だった。


「あの連中ですかい? 相変わらずですわ。主人探しに明け暮れていやす」

「まあ律儀というものだな。だがそろそろ限界だな。奴らにどうするか聞かねばな」 


 そして「あの連中」と呼ばれていた二人は、野武士の格好がまだ板につかないように見えながらも、森の側をうろつき回っていた。


「どうだ?」


 南里は相棒を呼ぶ。


「駄目だ。こないだここであの方の鎧を見つけたから、この辺りに居るのではないかと思ってはいたが…」

「だがもう十日以上過ぎている。さすがにそれでは…」

「黙れ! それ以上言うと、いくらお前でも容赦はせぬぞ!」


 櫂山は今にも刀を抜いて飛びかかってきそうな勢いである。南里は、驚いて飛び退く。


「そういうことを言ってるんじゃない。お前普段は大人しいのにどうしてそういう時だけ怖いんだよ?」

「悪かったな」


 櫂山は、やや撫然として黙り込む。そしてしばらくは二人とも無言だった。

 先に口を開いたのは、南里の方だった。


「…損な奴だな全く」

「何が」

「お前、ほえんに何か直接言ったろ?」

「…言わねばならないとは思ったからだ」

「それはそうだ。だがお前でなくても良かったとは思わなかった?」

「誰かがやらねばなるまい。殿は決して言えぬ。だったら我々のどちらが」

「だからそこで」


 ぽんぽん、と南里は、相棒の肩を叩く。


「別に俺に頼んだって良かったのにさ」

「黙れ」

「お前だってほえんの歌は好きだったのに」

「黙れ…」


 足が止まる。そのままその場にしゃがみこむ。顔を隠す。


「…そうさ俺だってほえんの歌は好きだったよ。だけど仕方ないじゃないか… 殿が…」


 背の高い方もつられてしゃがみ込む。言っているそれが全てではないだろうことは判るけれど。


「俺が言わなかったら、誰が言ったんだよ… 俺だって嫌だったさ。鬼がどうこうって? そんなの口実に決まってるじゃないか。綺麗な彼女が欲しかっただけじゃないか。殿も殿だ。鬼だ何だってそんなの信じる前にどうして」

「…俺が何だって?」


 地を這うような低い声が、耳に届く。二人は顔を上げる。やや皮肉げに口の端をゆがめ、彼らの主君がそこに立っていた。


「…殿!」

「言いたいこと言ってくれるよなあ」

「御無礼はあのっ!ひらに!」

「無礼もへったくれも… お互いこの格好で言えるか?」


 三人はお互いの姿を見た。確かにそれは散々だった。

 城内では櫂山はなかなかお洒落で知られていた。普段はともかく南里も決める時は決めていた。だが今この場に置いては、二人とも本当に有り合わせのものしか身につけていなかった。

 嘉勝にしても、余分なものは身につけていなかった。他の野武士のそれとほとんど変わらない。元は良いものであったらしいが、長い厄介な袖など切り落とされている。故に腕はむき出しだった。下履きもまた絡まないように幾重にも止められている。

 ただ、それが黒一色であるところが、実にその彼らしいものだった。

 一つ違和感があるとしたら、それは彼の首に掛けられた飾り紐であろう。中に何やらつけられているらしいのだが、服の内側に隠され、何があるのかは二人には判らなかった。

 だが妙にそれは見覚えのあるもののような気がする。


「行くぞ」

「え、何処へ」

「この先に次の国主どのがおられるのだろう? 案内してくれ」


 二人は唖然とした。そういえば、と一人がよく見ると、彼らの主君の身体にはあちこち手当した跡があった。

 まさか、な。

 どちらともなくつぶやいた。


   *


 それは見間違いではなかった。


 阪島全体に渡る野武士の頭領が、正統な国主としての名乗りを上げたのは、嘉勝が彼らに合流してまもなくだった。

 彼は頭領に全面的な協力を誓った。

 そして驚くべきことに彼は、国を取り返したあかつきには、桜野を阪島に併合することすら承諾したのである。櫂山も南里も驚いた。


「何故でこざいます!」


 特に櫂山は不服気な表情を露骨に表した。ここのところの野武士の生活で、彼はずいぶんと陽にも焼け、精悍な顔つきに変わってきていた。

 すると嘉勝はあっさりとこう言った。


「国を統べる奴が誰であるかなどそう問題ではない」


 二人は驚いた。そして取り乱した。


「殿は国を取り戻すおつもりではないのか!」

「取り戻すつもりではあった。だが考えてもみろ。また我らが国は双方から狙われる」

「だからと言って殿は我らが桜野を」

「何もただでやるとは言わないさ」


 二人は息を呑んで主君の言葉に耳をそばだてた。


「この戦には勝つ。勝たねばならぬ。だが勝った後どうするのだ?この国は」

「…とおっしゃいますと」

「よく周りを見てみろ」


 嘉勝は集結しつつある野武士の集団を見やった。二人もそれに続いて彼らを眺める。


「確かに奴らはよくやっている」

「…はあ」

「中には知恵者も居る。そこらの武将では勝てない程の武芸者も居る。だがここには決定的に欠けている者が居る」

「…」

「まだ判らないのか? お前城から出てからずいぶん頭を使わなくなったな」

「申し訳ございません」


 かつて知恵者と呼ばれた男は謝る。


「つまりだな」


 嘉勝はまぶしそうに目を細める。


「ここには国を治める者はいないのだ」

「は?」

「確かにこの頭領にはそれが可能だろう。だが奴の身体は一つだ。それに、各地の将と争う今の世の中において、奴が直接野に出ていちいち水路の世話などとる訳にもいくまい。それはできなくなるだろうよ」

「ですが殿もずいぶん野に出てらしたではないですか」

「阿呆。何のためにお前らが居たと思っている」


 ぽん、と何を当たり前のことを聞く、と言いたげに嘉勝は言い放つ。そこで初めて二人の表情が変わった。


「俺が国であのように振る舞ってこれたのは、お前達家臣が居ったからだ。お前達に任せておけば、国の民の暮らしは大丈夫だと信頼しておったからできたのだ。だが見てみろ。奴らは確かに一人一人は悪いものではない。確かにいい兵にはなる。だが、どこに『よい家臣』、民の暮らしを上手く運べる奴が居る」

「…」

「俺はそれを我らが桜野の者で埋めたい」

「ですがずいぶん数が減ってしまいました」

「なら人の十倍働け。いずれにせよそうたくさんは送り込めないだろう。だが少数でも、価値ある人物なら、決して無視はできまい」

「…はい」

「判りました。…ですが」


 櫂山はやや歯切れの悪い言い方をする。


「何だ」

「その際殿は如何なるおつもりで」


 南里は相棒のその言葉に驚いた。確かによく考えてみれば。


「確かに殿のおっしゃる通りでございます。我々これからは名を惜しんでいては生き残れませぬ。実を取り、この国をも桜野にしてしまうことは非常によろしいことかと思います。ただ」

「ただ、何だ? 言ってみろ」

「殿はその際何処に居られますか」

「俺か」

「はい。今殿のおっしゃられた後々の光景には、殿の姿だけが見られません」


 確かに。


 相棒の言葉を聞きながら南里も思う。

 民は桜野の地にそのまま留まり、田畑を耕すだろう。燃えた花もまたいずれ咲くだろう。生き残った家臣も阪島の城に。だがその時、彼らの主君は一体誰になっているというのだ。

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