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花の下にて春  作者: 江戸川ばた散歩


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5/10

5 過去4――ほえんが消え、戦が始まり、彼は捕まる

 何枚だったのだろうか、もう忘れていた。狭い庵の中には羽根のように薄い、白い衣装が至る所に広げられていた。

 その白い羽根の中に所々鮮やかな珠が転がっていた。何をどうしたのか、それらの珠は飾り紐から外され、勝手なところに転がっていた。

 そしてその幾枚かの羽根に、二人はくるまったまま先ほどの隣国の話をしていた。もちろんそこにほえんを送るかどうかという部分は故意に外しながら。


「するとその鬼というのはどうして人を欲しがるのでしょうか」

「食らうのではないのか?」

「食らうというのならそれこそ何かしら残すのではないでしょうか」

「いやあれは見せつけだけではないかと思う」

「だけどこうも考えられませんか? 鬼は森を人の死体で汚したくない」

「考えられはするが、それでは何故、と最初の質問に立ち返ってしまうぞ」

「そうですね」

「謎は謎さ」

「そうですね」


 だが翌朝ほえんの姿は消え失せていた。


 

「自分で行くと言ったのです」


 櫂山は朝、顔を合わせるなりそう言った。


「何故だそれは!」


 嘉勝は叫んでいた。


「仕方のないことでございます」


 櫂山は、なるべく無表情を装って答えていた。

 嘉勝にはも判っていた。この幼なじみ達は、どうしても自分に言いにくいことを言う時には、表情を隠した。隠さねば言えなかった。言うこと自体が辛かったのだ。


「ほえんがそれを選んだのでございます」

「ほえんは殿のことを考えてそれを選んだのでございます」


 低い声と高い声が交互に語る。嘉勝はその言葉が耳の上を素通りしていくのが判った。


「何故だそれは…」


 嘉勝は再び同じ問いを二人にぶつける。


「それは」


 低い声の方が顔を上げる。


「お分かりでございましょう?」


 無表情では、もはやなかった。


「隣の国は、十数年前に代替わりしてから兵力をそれまでの何倍にまで上げてきました。それまでの国主と違い、現在の国主は野心家です」

「代替わり? 確かその時は…」

「そう。当時の唯一の後継者たる若君が神かくしにあったとかで… 先代の弟が現在の国主となっております」


 ややこしい、と嘉勝は頭を抱えた。

 

 約束して下さい。


 唐突に、あの声が戻ってきた。


 もしもあなたの身に危険になることが起きるなら私を見捨てると。


 それは違うではないか!


 嘉勝は内心叫ぶ。

 

 あなたはそうしなくてはならないのです。


 俺は…


   *


 同じだ、と嘉勝は思った。

 嵐のような時間が過ぎた後、押し寄せる疲れの中で、彼はそう感じていた。


「どうしたの?」


 彼女は疲れ一つ感じていないような涼しい顔で訊ねる。


「…病み上がりで無理する馬鹿が何処にいるっていうの。…ああ、ここにいるんだよね」

「…ああそうだ俺は馬鹿だ」


 落ち込んでるんじゃないよ、と彼女は軽く嘉勝の頬を叩く。


「そうだよお前は馬鹿だよ。馬鹿正直だからこの国の連中に騙される。この国の連中にとって約束なんて裏切る為にあるようなものさ。最もお前の国へと来た使者はそれでも約束を守ろうとしたようだがね」

「知っているのか」

「知っているよ。あたしは、何でも」


 嘉勝は半身を起こす。


「では教えてくれ。どうしてこうなったんだ。何がこの国で起こったんだ」


 彼女もまたゆっくりと、やや赤みの残る身体を起こし始めた。そして、ん、と軽く声を立てると肩くらいまでの長さの赤い髪をかきあげた。


「でもその前にお前が思い出す番だ。その彼女がいなくなってから、お前達の国では何が起きた? お前のまわりで何が起きたんだ?」


   *


 夏になっていた。


 最初に報告をしたのは、国境近くに住む農民だった。国境は川だった。川自体はどちらのものでもない。


「…何だねあれは」


 夕暮れ時だったので、もしかしたら間違いかもしれない、と農民は付け加えてから、自分の住む郷の代表の所へ駆け込んだ。


「あれは、武器ではねぇですけ」


 だが代表は、それだけでは納得しなかった。


「何があった? 言ってみろ」


 農民はさほどに武器に関する言葉を知らない。だが。


「あれは大筒ではねぇかと。何本も、ごろごろ車に乗せて運んでましたで」


 大筒… 大砲だったら笑い事ではない。だがそれでもまだ見間違いかもしれない。代表は慎重になる。何と言っても、先日の使者はいい返事をした筈なのだ。


「だがお前がそんな所をうろちょろとしていたというのに、そんな危ないものを堂々と運ぶのか」


 農民は首を横に振り、断固とした口調になる。


「旦那、あの頃でしたらわしの姿は見えねぇ筈ですて」

「あの頃?」

「そんなひずるしいもん誰がいちいち目ぇおっぴろげて見たいですけ」


 逆光か、と代表も気付いた。川をはさんで西がこの国であり、東側が向こうの国だった。

 だがそれでも代表はそれをすぐさま城へ報告するのはためらわれた。

 正直言って、この国の人間は、その国主同様のお人好しが多かった。温暖な気候、凶作がまずない安定した生活、締め付けることの少ない統治者。そうなるといくら周囲が戦国だどうのと言ったところで、それは大した問題ではないのだ。

 そしてその一瞬の迷いが、大きな被害をもたらした。



 どん、と耳を突き破るのではないかと思われる程の音が城下に響いた。


「何だ!」


 城の人間は寝起きが良かった。音と同時に跳ね起きると、直ちにその音の正体と原因を明らかにすべく動きだした。


「殿! 一大事にございます!」


 南里は長い足でどたばたと廊下を駆け、高い声をさらに高くさせて呼んでいた。


「何だ!」


 嘉勝もまた、普段の地を這うような低い声をやや荒げていた。


「…隣の国が、攻め込んできました」

「…何て言った?」

「あれは大筒です。手出しはしないという向こうの言葉を信じた隙を付かれ…」

「急ぎ出陣の用意をせい!」


 は、と長いつきあいの部下は軽く礼をすると、走りだした。



 それからは無我夢中だった。

 代表を急ぎ呼び集め、農民に避難するように伝えた。城の方はありったけの武器弾薬を蔵から運び出し、隣国がこの時点で入り込んでこようとしている地点―――川近くまで運ばせた。

 耳元を風が吹き抜けていくような感じがずっと嘉勝にはしていた。何を自分がしているのか、その実感がなかった。無論自分がしなくてはならないことはしているのだ。手応えなくはない。だがその一つ一つに実感が湧かなかった。

 勢いよく声を張り上げている。命令を出している。情報を受け取る。情勢を見きわめる。そしてまた命令を出す…

 川のこちらとむこうで戦が始まった。

 矢が飛び交う。この国には南蛮渡りの鉄砲など殆ど入ってきてはいない。この国の兵は戦に慣れていない。ようやくの思いで防いでは、突入していく。

 だがそんな方法で勝てる筈がない。

 そしてこの国は負けたのだ。

 国主を出せ、とその場を預かる武将は言った。さすればこの国にこれ以上武器をもって手出しはせぬ、と。

 本当か、と嘉勝は訊ねた。本当だ、と武将は答えた。

 武器を捨てよ。我々とて焼け野原のこの国が欲しい訳ではない。後に彼は自分自身の態度に苦笑したのだが、その時はそれは理に合っていると思われたのだ。


「…これは罠です、行ってはなりませぬ!」


 腹心の二人は嘉勝を止めた。


「だが俺が国主であることには変わりはあるまい。どうせここで偽物が出た所で、死人の数が増えるだけよ」

「ですがお家は!」

「いずれにせよ俺には子供がいないから誰かが俺の跡目など決めるだろう。それが正しい方向へ行けばそれでよし。行かねば… 行くように仕向けるのがお前達の役目ではないのか?」


 確かにそう思っていた。

 嘉勝は国主とはそういうものだと思っていた。


 殿様殿様と呼ばれて暮らせるのは誰のおかげだ? 


 前国主の父はよくそう言っていた。


 国や国主のために民があるのではないのだ。民や国のために国主はあるのだ。


 そして何よりも次の一言をよく覚えていた。


 民が助かるなら国主は命を賭けねばならぬ。


 それは理にかなっている、と嘉勝は思っている。不思議な位彼の心は平静だった。


「では我々も参ります!」


 二人は泣きそうな顔で叫ぶ。最も彼も、二人がただの主君に忠実なだけの馬鹿という訳ではないのはよく判っている。何かしらの算段はあるのだろう。

 仕方ないな、と嘉勝は苦笑した。


「それでよろしいか?」


と隣国側に嘉勝は問う。

 仕方ありませんな、と敵将も承諾した。



すぐに殺されるのかと思ったら、そういう訳ではなかったらしい。

 嘉勝とその腹心の二人は川を越えた隣国を引き回されていた。引き回された挙げ句に城のある地へ連れ出され、そこで改めて首を取るとか何とか言っているのを聞いた。

 鎧を付けたまま縛られ、馬にくくり付けられ… 手の自由一つ利きもしない。

 だが引き回されるうちに見るこの国の土地は確かにひどかった。今の時期なら既に田植えも済み、青々とした苗が風に揺れている頃である。だが田にはその様子はない。干涸らび、地面には亀裂が入り、所どころ浮いているかのようにも見える。

 これはひどい。

 畑は畑で、土の色自体が違っていた。桜野の土は黒く、富んでいた。何が原因であるのか、そこまで詳しくは知らなかったが、その目の前に広がる赤い土の平野は、ひどく痩せているように見えた。


「少々訊ねたい」


 嘉勝は自分のくくり付けられている馬を引く兵に訊ねる。


「何でしょう」


 兵は相手が敵とはいえ、国主であると聞いていたから、割合口の聞き方は丁寧だった。


「森はここから近いのか?」

「…ご存知で?」

「この国がこのようにやせた土地、干涸らびた土地になるのは森の鬼が理由だと聞いた」

「…まあそうですがね」


 含みのある言い方だった。


「そうではないのか?」

「あのですな、殿さん。確かに鬼は居るんですわ。だけどそれが全部の原因って訳はございませんや」

「と言うと?」

「田が干涸らびるにも何か原因がありますでしょう? 雨の量とてうちも、そちらの国と大して変わる訳でもなし。確かに土の質は違いますがね、それはそこに合ったものを植えるように言えばいい訳であって… ああいったい俺は何を言っているんでしょうねえ」


 彼はそう言って首をぐるりと回す。


「つまりは雨水を貯める努力をしてないということか」

「そうです。だけどそんなため池だのその水を行き渡らせる水の道だの作るのは俺達のようなただの民じゃ駄目なんですわ」

「そういうことは国がするべきと思うがね」

「そうです。だけどうちの国主どのはしない。そしてその責任をあんお方は鬼になすりつけるんですわ。それじゃああんまりだとは思いますが…」


 嘉勝は次の言葉を待った。待ちたくなった。


「いったいただの俺達に何ができます?」

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