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花の下にて春  作者: 江戸川ばた散歩


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4/10

4 過去3――心を鷲掴みにする歌、宙に浮く約束

 満開の桜が庭を埋め尽くす。隣国の使者は、噂には聞いていたこの桜園の見事さにため息をついた。


「さすがに見事なものですな」


 夜になり、あかりが所どころに灯され、花を下から照らす。夜空の闇の色に比して、花はあまりにも白く、光を発しているようにも思われた。

 城の庭にあつらえられた席に酒が運ばれ、次第に宴は形をなしていく。


「そちらのお国にも花はございましょうに」

「いえいえ」


 嘉勝の言葉に、使者はやや表情を暗くし、手をひらひらと振った。


「我々の国には今は花など」

「さてそれは何故に。この国と大して気候も変わらぬ筈」

「それは…」


 使者が不安げな顔で言いかけた時だった。

 ぽん、と鼓の音が響いた。使者の耳には珍しい速さだった。

 合わせて笛と琵琶の音が聞こえてきた。琵琶は一人ではなく、多人数だった。下手するとうるさいのではないか、とその筋の専門は眉をひそめた。

 それでいいのか、と嘉勝はほえんに聞いていた。

 ええいいのです、とほえんは嘉勝に答えていた。

 だが何となく奇妙な組み合わせにも嘉勝ですら思えた。あまり聞いたことのない組み合わせだな、と。

 だいたい琵琶と歌、というのは。

 人の声とただ組み合わせるというなら、琵琶法師の語りというのもある。だがそこへ旋律をつけた歌を入れるというのは。

 するとほえんは付け加えた。


 本当は、別に何だっていいんです。ただ殿がそう思われるのでしたら、隣国の方も驚かれるのではないでしょうか? 


 そう言って首を傾げてみせた。

 嘉勝は目を瞬かせた。


 いい性格だな全く。


 みんなそうおっしゃいます。


 ほえんは動じなかった。

 最初からそんな気はしていたし、おそらくはそういう部分があるからこそ、彼は彼女を気に入ったのだろうが、実に彼女は度胸があった。

 そしてそのほえんが舞台の真ん中に出てきた。腕をゆっくりと上げると、歌が始まった。

白い着物。

 その上に山伏が上に羽織る鈴懸けのようなものをつけ、袴はひきずりはしないが、ずいぶんとほえんには大きなものをつけているように見える。

 それでいて髪は髪で長いまま、上で一つにまとめているだけ。そこに幾つかの珠をつけた飾り紐を掛けている。


「ずいぶんと変わった御衣装で」


 使者は目をむいている。

 嘉勝も実の所かなり驚いていた。だがほえんがどうしてそういう恰好をしたかはすぐに判った。

 その細い腕を上げると白い大きな袂がひるがえる。くるりと回ると羽織ものと飾り紐と、そして髪が揺れる。飾り紐につけられた珠が跳ね上がり、灯にきらりと光る。

 そしてそこに声が入った。その時初めて嘉勝は目をずっと奪われていたことに気付いた。

 笛の音はとうの昔に消えていた。そこには琵琶の音も鼓の音も残されてはいたし、音の大きさも変わらない筈なのだが、気がつくとそれは耳の裏側、遠い向こうに行ってしまったかのようだった。

 そして正面には、ただほえんの声が、歌があるだけだった。

 まずい、と嘉勝は思った。慣れた筈なのに、ずいぶん慣れたはずなのに、また不覚にも涙腺が緩みそうだった。

 それは最初にほえんの歌を聞いた時と似通っていた。

 だが明らかに状況は違っていた。

 険しい視線を嘉勝は感じた。

 足どりは軽く手は宙を舞い、くるくるくるくる。

 だが視線は常に一つの方向を。目が向いていなくとも必ずそれは。

 嘉勝は気付いた。彼女の険しい視線を。それは今まで一度たりとして見たことがなかったものだった。

 琵琶の音が消えていく。

 鼓の音だけが耳の後ろで響いていた。

 花が消えていく。

 灯が消えていく。

 全てが消えていく。

 残ったのは… 舞台の上のほえんと、鼓の音と、自分の身体だけだった。

 くらりと頭の芯が揺らぐ。


 俺はいったい何処にいるのだ?


 そしてそれは頭の芯に直接飛び込んできた。


 約束して下さい。


 ほえんの声だった。耳に飛び込んできた訳ではない。耳には鼓の音が未だに響いていた。


 もしもあなたの身に危険になることが起きるなら私を見捨てると。


 そんなことができるか!


 いいえ、して下さい。約束してください。あなたはそうしなくてはならないのです。


 嘉勝は手を伸ばそうとする。ほえんはすぐ目の前に立っているような気がする。だが手が動かない。


 約束してください。


 ほえんは険しい目のまま繰り返す。


 できない。


 約束して下さい…


「…どう致しましたか?」


 隣に座っていた使者が、赤い目をして嘉勝に訊ねた。彼は何でもない、と答える。


「聞いてはおりましたが、いや素晴らしい… ご自慢の歌師と聞きましたが」


 嘉勝はうなづく。まだ頭が半分元に戻っていない。あれはいったい何だったのだろう。琵琶の音は止んではいなかった。鼓の音はちゃんと前から聞こえてくる。


「何でございましょう。ひどく胸が締め付けられるような思いを致しますな。そうは思われませぬか?」

「そうですな」


 嘉勝はひとまず目を伏せる。


「もしかしたらこれなら」


 使者は自分の考えに感じいったようにうなづく。


「どうなさいました」


 訊ねてみる。すると使者はいきなり嘉勝の方を向くと、平身低頭した。嘉勝は驚き、どうか顔をお上げ下さい、と慌てて言った。

 使者はそれでも頭を低く下げたまま強く振った。


「いいえ、これから私が申し上げることを聞けばあなた様にはそのようなことを私には決して言えなくなりましょう」


 嘉勝はひどく嫌な予感がした。ちらりと舞台を降りていくほえんを見た。ほえんは至って冷静だった。何ごともなかったように。


「あの歌師をわが国へ頂けないだろうか」


 嘉勝は耳に入った音を疑った。


「無論無理な相談とは判っております。ですが現在わが国を襲っている未曾有の困難にはあのような者が必要なのです」


 未曾有の困難?


 使者の話は次のようなものだった。

 つまりは現在国が飢えている理由がそこにあるのだ、と。

 国の奥には森があるのだという。

 その森には古くから鬼が住んでいるという。

 古くから鬼は人間と共存してきた。最も、それは共に暮らすという意味ではない。

 鬼は森を自由にし、森の生気を国の地全体に与えてきたという。そのおかげで国の地は豊かになる。田も畑も毎年豊かな実りをあげてきた。

 その代わり、国はその鬼に対し、時々贄を与えなくてはならなかった。

 それはただの人間ではいけなかった。ただの人間では鬼は満足しなかったのだ。

 それはどんな、とひとくくりできるようなものではなかった。

 要は何でもいいのだ。どんな方向でもいい。

 別に歌でなくともいい。踊りでもいい。笛でもいい。音楽でなくてもいい。

 高名な僧であった時もあった。

 国一番の秀才であることもあった。

 また時には、そんな才能など全くなかったが、強烈な美しさを持つ少女が選ばれたことがあった。

 つまりは、どんなことであれ、飛び抜けていることが大切だった。

 だがそれがここ近年は見つからなかった。

 約束の年は既に過ぎていた。だから時々それでも、と思う者を森に送り込んでみる。だが無駄だった。そんな時にはその贄にされた人間は殺されて返ってくる。森の出口に、血の臭いを振りまいて。

 何処かに、鬼を満足させるような者はいないのか。国主は嘆いた。国は年々荒れていく。田にも畑にも実りはない。人は飢え、その心も次第に荒れていく。

 広いからいいというものではない。広いからそこ収拾がつかなくなっていくことが多いのだ。

 食い扶持を少しでも減らしたい農民は、志願して国の兵になろうとする。だが国にしたところで、兵士をそうそう養っておく余裕もない。

 では豊かな隣国を取り上げてしまえば。

 そう思った所でおかしくはないのだ。

 

「つまりは」


と使者はつなげた。


「これは取引だと思っていただければ」


 話し合いの場は城の中に移っていた。嘉勝と、腹心の二名と、そして使者だけがその部屋には居た。

 ヂヂヂ、と灯の燃える音が静かな室内にほんのわずかだが響いた。


「あの歌師を渡していただければ、わが国は、決してそちらには手出し致しませぬ。いえ、私が決してそうはさせませぬ。わが殿が何を申されても、私がこの命をもってお引き留め致します」


 嘉勝は黙っていた。


「その鬼というのは、贄をどうするのだろう?」


 櫂山が低い声で訊ねた。


「実際にどうするのか、などは誰も知りませぬ。それを知る程に森の中に入ることができる者など居りませぬゆえ。ただ、戻ってはこない。失敗した贄が全身を引き裂かれた死体になって戻ってくるのに対し、そうでない贄は、決して姿を現さないのです」

「不思議なことだな」


 南里もいぶかしげにうなづく。


「いずれにせよ、生きて戻ってくるということはないのです」


 二人は同時に自分達の主君を見た。嘉勝はじっと目をつぶって腕組をしている。


 約束して下さい。


 できるか!


 嘉勝は生まれて初めて一つのものに執着している自分に気付いいていた。

 それまで彼の人生に執着というものはなかった。それは一国の主となる身には当然のことだ、と嘉勝は思っていた。

 嘉勝の行動はいくら自由奔放に見えても、その実、国の進む方向からは決してはみ出していないのだ。

 自分の一見「違う」行動こそが逆に周囲から求められていることを知っていた。無意識に知っていた。だからこそ、その行動を自分自身で抑えることがなかった… だけに過ぎない。

 そこには迷いは存在しなかった。嘉勝は周囲も自分も正しいと思っていたことを幸運にも無意識に選択できたのだ。

 だが彼この時、初めて迷っていた。

 ほえんを、手放したくなかった。どうしても。


「…どうなさいましたか?」


 低い声が訊ねる。


「ご決断を」


 その声はひどく冷静だった。いつもの櫂山とは何か少し違っているように彼には聞こえた。


「…少し待ってはもらえぬか」


 嘉勝にはそんな曖昧な返事しか返せなかった。


「何を迷っておられます」


 使者を用意した部屋へと送り込んでから、低い声で櫂山は訊ねた。


「殿には迷う余地など無いことなど判っておられる筈です」


 櫂山は真っ直ぐ嘉勝を見据える。無論嘉勝には判っている。判ってはいるのだ。だがそれを指摘されたくはなかった。

 自分で気付いているからこそ、言われたくはなかったのだ。

 嘉勝は立ち上がった。そして部屋を出ていこうとする。


「何処へ行かれます」

「何処だってよかろう」


 嘉勝は答える。そして障子を閉める。外へと出る。櫂山はそれまで殺していた表情を生き返らせた。



 城の本館からやや離れた所にほえんの庵はある。桜園の近く。

 先頃訊ねて判ったことだが、ほえんは自由気ままに歌っても城には届かない距離というのが欲しかったらしい。

 ほえんの歌声は特殊だった。それは本人も知っていると言う。

 その歌に、周りの者の心を渦のように巻き込んでしまうのだという。だからよほどその気で聞く人が相手でないと、大変なことになるのだ、と。

 それは生まれつきのものなのか、とある日嘉勝が訊ねたら、ほえんはそうだと答えた。

 生まれた時の泣き声が既にそういうものだったから、母親は自分を手放したらしい、と。母親は自分に恐怖したのだ、と。

 赤子は強烈に母親を求める。

 それを全部そのままぶつけられたら、例え子供を愛している母親であったとしてもたまったものではない。ある程度は流さなくては自分の他の仕事もできない。

 なのに、その声で泣くものだから、その強烈に求める心が、そのまま母親を巻き込んで混乱させてしまうのだ、と。


 でもこうやって話している声はそうではないではないか。


 無論それは後で何とかしたのです。


 彼女は続けた。


 声に感情を込めたら、それが過剰に広がってしまうのです。だから普段はそれを空に散らしているのです。


 それは確かに尋常な歌師ではない。

 戸を叩くと、ほえんは待っていたかのように出てきた。

 まだ衣装のままだった。嘉勝は小さく笑う。あの舞台の上では風景にはまりすぎる程はまっていた衣装が、この小さな庵の中では奇妙だった。


「まだ着替えなかったのか」

「さっき帰ってきたばかりですから。代えた方がよろしいですか?」


 別にいい、と嘉勝は答えた。そしてその場に座り込む。


「お前、俺にあの時何かしたのか?」

「何を、と言われますと」


 ほえんは顔色一つ変えず問い返す。嘉勝は床に転がっていた珠付きの飾り紐を手に取った。そしてそれを手の上で転がす。どうやらほえんはその件について言う気はないらしい。


「綺麗でしょう? 適当に飾り物を使っても良いと、櫂山様がおっしゃいましたから、適当に選ばせてもらいました」


 そしてほえんもまた座り込むと、嘉勝の手にある紐に掛かったその珠を一つつまみ上げた。つやつやとした紅い珠だった。

 嘉勝は反射的に紐を引いた。ほえんはやや安定を崩した。それを彼は慌てて支えた。

 すっぽりと、細い肩が嘉勝の手の中にあった。そしてその時、急に強い衝動にかられた。嘉勝は手に力を込めた。

 それまで決してしたことのない程の強さで嘉勝はほえんを抱きしめた。


 …痛い。


 そんな声が耳に届いて、嘉勝はやっと力を込めすぎていることに気付いた。慌てて力を少し緩める。確かに力が強すぎたようだ。息ができなかったらしい。はあはあと荒い息の音がする。微かに汗の香が微かに漂う。


「どうしました?」


 ようやく呼吸を整えるとほえんは訊ねた。


「殿は今日は何処か妙です」

「別にどうもせん」

「嘘でしょう」

「どうしてそう思う」

「では私の方を真っ直ぐ向いて下さい」


 力を緩めたからと言って、嘉勝は手を解いた訳ではない。ほんの至近距離に二人の位置はあった。


「見られないのですか?」

「そんなことはない」

「嘘です。ほら、こんなにむこう向いてる」


 ほえんは急に両手を嘉勝の頬に当て、ぐい、と自分の方を向かせた。


「何が不安なのですか?」


 嘉勝はその時初めて、ほえんの瞳がずいぶん深いものであることに気付いた。

 大きい目であることは知っていた。時には何処とも知れぬものを見ているようでもあると思っていた。だがそれだけではない。人を引き込む何か。


「お前は本当にここに居るんだな?」

「何をいきなりおっしゃいます」

「言ってくれ。お前はずっとここにいると」


 嘉勝は手に再び力を込め、ほえんの首筋に顔を埋める。


「ずっとここにいます」


 ほえんは下手な役者のように棒読みする。


「ずっとここにいますよ」

「本当か?」

「あなたがそれを望むなら」

「俺はそれを望む。望むぞ!」

「ではそう致しましょう」


 言葉は高くもなく、低くもない。ただ宙に浮いている。

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