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花の下にて春  作者: 江戸川ばた散歩


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3/10

3 過去2――隣国との微妙な事情

「隣の国の国主どのから同盟の申し入れがございました」


 ある日、櫂山が嘉勝に言った。いつものように、南里もその横についている。そしてさらにその周りには他の家臣が。


「同盟。さてそれは何故に」


 無論嘉勝とて全く判らない訳ではない。信頼する臣の一人の意見を聞いてもみたかったからである。


「つまり」


 南里が手にしていた地図をさらさらと広げた。


「殿。わが国は一方を海、一方を***方、もう一方をかの国と接しております」


 南里は最近名が知れ渡りだした戦国大名の名を出した。


「それで」

「この海、が問題でございます。わが国はさほどにここを重視しておりませんでしたが、向こうには重視する理由がございます。つまりは」

「他の国との海路の確保という点でございます」


 櫂山は続きを受け取った。


「***方にとって同盟を組む大名の国の海路と、ちょうどこの国はよい連絡地となりうるのです」

「それはあまり面白いことではないな」


 嘉勝は考え込む。


「今のところどちらにつくのが良いとも言えません」


 慎重な部下はそう結ぶ。

 正直言って、有名な戦国大名の***と結ぶのも、隣国と結ぶのも、どちらも嫌、というのがこの場にいる者の一致した意見だった。

 無論それが感情に過ぎないことも誰もが判っていた。この国の頭脳達はその程度の分別がつかない程馬鹿ではなかった。

 だがどちらにつくか、となると彼らは非常に困った。どちらもしたくない。だがどちらかしなくては下手するとどちらも敵に回すことになる。

 それだけは防がなければならない。この国が戦に巻き込まれるのだけは、何としても防ぎたかった。


「…ひとまず隣の親父をかつぎだしてみるか…」


 部下は一斉にうなづいた。れると寺の本堂の縁に腰を下ろした。暑くなったからと汗をかいた着物の上をはだけ、



「大変なことになっているのですね」


 ほえんは嘉勝に言った。

 その頃ほえんは城の一角に小さな庵をもらって暮らしていた。城の中に来ればいいのに、という嘉勝の言い分を丁重に断った結果である。

 その時にもほえんはくすくすと笑いながら、でも駄目ですよ、と確固とした口調で言ったのだ。

 この強情な奴め。それに対して嘉勝は苦笑いを返した。

 ほえんの名目は、「お抱え歌師」だった。無論そんな役まわりなど当時のこの国にはなかった。だからそれが名目であるとは誰でも予想がついた。

 だがその「名目」がほえんに関しては当てはまることも、誰もが知っていた。一度ほえんの歌を耳にした者なら、それはそれで事実であることも知っていた。

 ほえんはそんな「名目」のことなど全く気にしていないようだった。

 ただでさえあまり裕福ではない寺のことを考えると、自分が城の方へ召し抱えられることは悪いことではない。それに彼女はこの「殿様」が好きだった。名目など別に何だってよかったのだろう。

 だが城の中、というのはどうも気にいらなかったらしい。

 それだけは、とほえんは固辞した。そして城内の桜園の近くに、ちょうど空いていた庵があったので、それを簡単に整えたところにさっさと自分で移り住んでしまった。

 嘉勝はそこへ時々歌を聞きにやってくる。

 それ以外に何をしているか、は腹心の二人にも明かしはしなかった。聡い二人のことであるから、そんなことは見通しだったろう。その程度のことは微笑ましく見守れる程度のことだった。


「それで」


 ほえんは立てた茶を進めながら、嘉勝に訊ねる。


「一体どうなさるおつもりですか」

「その用で来たのだが」

「その用でですか」


 くす、とほえんは笑う。


「お前、歌を歌ってくれまいか。使者を迎えての宴が開かれるのだ」


 ほえんは驚きもしなかった。


「いつでございますか。どのような方がおいでになるのでしょう」

「それは未だはっきりしてはおらぬ。だがその前にお前の返事が聞きたい。お前が嫌だというなら別の宴を考える。どうだ?」

「私に何の断る道理がございましょう? 私はこの国の、この城の、殿のお抱え歌師でございます。それが仕事でございましょう?」

「まあそれはそうだが」


 嘉勝は呑んだ茶の渋さに対してなのか、ひどく顔をしかめた。


「何でしたら殿も太鼓を御披露なさっては如何ですか?」

「お前面白がってるな?」

「あら、以前から私は申し上げておりますよ。私は殿の太鼓はとても好きですから、と」

「あいにく俺はお前程物わかりのいい人間じゃあねえんだよ」


 物わかりが良くないから、自分以外に… ましてや隣国の使者なんぞにほえんの歌を聞かせるのが嫌なのだ。その程度は嘉勝は自覚している。


「ほら地が出ました」


 くすくすくす。ほえんはそういう時そういう笑い方をする。


「だいたい」


 嘉勝はぐっと飲み干した茶器をいささか乱暴に置く。


「お前は俺の太鼓のどの辺が好きだというんだよ」

「全部でしょう」


 あっさりとほえんは言う。


「全部ですよ」


 嘉勝は目をぱちぱちと瞬かせる。


「からかっているのではないだろうな」

「いいえ私はいつもとても真面目ですよ」


 ほえんは真顔でそう言う。


「殿の叩かれる音には、殿そのものがうつるのです。ずいぶんと剛毅大胆で、時にはとんでもなく理屈屋で、それでいて妙に細かいところに気を回していらっしゃる。…ああ誤解なさらないでください、誉めているのですよ」


 そうは聞こえないが、と嘉勝は黙った。


「だから、そういうところが好きなのですよ」


 くすくすくす、とほえんはまた笑った。



 使者はそれから二十日後にやってきた。

 隣国とはいえ、その城がある地にはなかなか遠かった。そこへ返事をする時間、それに対する返事が戻る時間、さらにその準備等々、嘉勝にしてみれば「ひどく面倒な」日々がしばらく続いた。

 宴は城の桜園の中で行われることになっていた。

 桜はこの国の印のような花だった。

 この城の至るところに桜は植えられ、春には満開となった花がまるで雲のように広がる。桜園は城の中だけではないが、城のものが特に規模も大きく素晴らしいものとされていた。

 代々の城主はこの桜園を春の、花の咲く時期、国の民に開放する。もともと明るい気風のこの国の民は、秋の祭とともに、春の花見も大切にする。国中からこの時とばかりにぞろぞろと集まってきては、花を愛で、酒を酌み交わし、ここ一番の御馳走を食べ、貴重な日を過ごすのだ。

 だがこの年はそれができなくなってしまった。嘉勝は村の代表を呼ぶと、事情を説明した。


「そういった事情だ。すまぬが今年は我慢してはもらえぬか」


 代表の一人はとんでもない、と平伏した。


「もちろん我々も年一度の花見はとても楽しみにしておりました。ですが場合が場合です。よろしゅうございます。村の者は私ども、よく言い聞かせましょう」

「うむ」


 嘉勝は腕組をして満足そうにうなづく。


「代わりと言ってはなんだが、向こうの桜園を開放しようと思う。どうだ?」


 向こうの桜園、とは城からやや離れた所にある所だった。そこは城の桜園よりはやや規模は小さいが、手入れはよくされており、風雅という点では城のものより優れていたかもしれなかった。それゆえそこは城の者の専用の花見に利用されていた所である。代々の国主は、そこだけは一般に開放しなかった。


「よろしいのでございますか!」


 代表の一人は驚いた。


「無論だ。俺も花見や祭は好きだ。ましてやお前達には年に一度二度しか巡ってこない大切な時ではないか。それをこちらの都合で反故にするなら、ある程度の見返りは必要であろう?」

「ありがとうございます」


 代表の者数名は、揃って平伏した。だがその一人の表情はやや曇っていた。


「何だ」


 嘉勝は訊ねた。


「言いたいことがあるなら言ってみろ」


 恐れながら、といつもその集団の中では静かな一人が口を開いた。


「殿のお達し、我々はいつも感謝せずにはいられませぬ。ですが我々…いえ私は心配になるのです」

「何がだ」

「殿はいつも我々民のことを気にかけて下さる。それで私達はこの地にて何代も平和に暮らしてきました。あなた様だけではございません。先代の殿も先々代の方も…ですが、時が時です。私は、その民に向ける優しさ、というものが殿の危険を招きはしないか、とても心配になってしまうのです…」


 櫂山は、眉をひそめた。だがそれは一瞬のことだった。すぐに真顔に戻り、代表の一人に向かって言った。


「心配するな。そのために我々がついているのだ」

「そうだ」


 南里も続けた。


「だからお前達はお前達のことだけ考えていればよい」

「ありがとうございます」


 代表はまた揃って平伏した。

 だがその言葉は腹心の二人の中にしばらく残った。


 

 その日の夜、ほえんの庵の戸を叩く者があった。

 どうぞ、と答えると、そこには滅多に見ない顔の者が居た。だが滅多に見ないからと言って知らない、という訳ではない。


「あなた様は」

「邪魔させてもらってよろしいか」


 やや低い声で櫂山は律儀に戸口で訊ねる。どうぞ、とほえんは戸を開いた。

 茶を立てる彼女の鮮やかな手つきを眺めながら、彼は極力感情を消そうと試みた。これから自分の言うこと、言わなくてはならないことを、正直言って、自分でも納得していない部分もある。


「どうぞ」

「は」


 そして顔から表情が消える。

 立てた茶の碗をゆっくり手の中で転がしながら、櫂山は訊ねた。


「…ほえん殿。あなたはもし殿に何かあったらどうなさるおつもりか」


 ほえんはすぐには答えなかった。櫂山は続ける。


「あなたは現在この国がどういう状況にあるかお分かりか?」

「少しは」


 さらりと答える。嘘ではない。


「それではもしこの国とあの方お一人とを比べたらあなたはどちらを取られるか?」


 ほえんは黙った。櫂山はその間を気にしないかのように茶をすすった。


「なかなかのお手前ですね。どなたかに教わったのですか」

「いいえ特には」


 そう答えるとほえんは、嘉勝には一度も見せたことのないような人の悪い笑みを浮かべた。そういう表情も作ることはできる。だがその必要が、今まではなかったのだ。


「つまりこうおっしゃりたいのですか? 何がこれからあったとしても私は全て従えと」

「何もそうは言ってはおりませぬが」


 すました顔をして櫂山は再び茶をすする。


「それに何かある、かどうかも判らぬことゆえ」

「だがあるかもしれない、そうおっしゃりたい訳で」

「さあどうでしょうか」


 二人の間に、細い糸が張ったような緊張が走った。

 ほえんには予想がついていた。確かに、何かあるのだ。絶対に、でなくともいい。何であるのか詳しくは判らない。でもかなり確実に、それは。


「言っておくが、今ここに私がいるのは私の一存。殿には何の関係もござらぬ」

「そのようなこと、とうの昔に承知でございます」

「ならよろしい。では…」

「お茶のお代わりは如何でございますか」


 櫂山が次の言葉を言う前に。間髪入れずに彼女は口をはさむ。彼は、ほえんが話を打ち切るつもりであることに気付いた。


「いや、結構な手前、敬服致しました」


 深々と頭を下げる。


「またおいで下さいまし」


 同様に頭を下げる。

 二度と来るな、という言葉が、櫂山にはその背後に聞こえた。

 背中を寒気が走った。

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