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花の下にて春  作者: 江戸川ばた散歩


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2/10

2 過去――嘉勝とほえんの幸せな出会い

「…何故だそれは!」


 その時嘉勝は叫んでいたのだ。


「仕方のないことでございます」


 幼なじみの腹心の部下、南里と櫂山が並んで、なるべく無表情を装って自分に答えていた。

 彼らはいつもそうだった。言いにくいことがある時には、なるべく表情を隠した。それは彼ら自身にも辛いことであることが多かった。


「ほえんがそれを選んだのでございます」

「ほえんは殿のことを考えてそれを選んだのでございます」


 高さの違う二つの声が、同じことを繰り返し繰り返し語る。だがそれは嘉勝の耳に素通りしていった。


「何故だそれは!」


 嘉勝は再び同じ問いを二人にぶつける。


「それは」


 櫂山がまず顔を上げた。

 彼はこの桜野に昔から住む武家の息子で、嘉勝より一つ年上である。

 優しげなその風体は、その柔らかな物腰と相まって、初対面の人間の気を解かすには十分である。

 だがその外見に騙されると手ひどい火傷をすることになる人物でもあった。

 彼はそれこそ幼少の頃から、将来の主君とともに武芸を身につけてきた。結果的には主君の方が腕が立ってしまったが、いつでも一歩先を目指してきた彼もまた、腕は立つ武士となっていた。

 その彼が、言う。


「お分かりでございましょう?」


 無表情では、もはやなかった。

 下手をすると泣くのではなかろうか、と嘉勝が思う程に困り果てた顔をしていた。櫂山の、いつもは優しい瞳はすぐさま潤み、涙滴るのではなかろうか、と思われる程だった。

 だが幼なじみの部下は泣くことはない。少なくとも自分の前では。

 おそれながら、と声と背が高い南里が続きを受け取った。

 彼は幼なじみと言っても、やや櫂山よりは新しい。

 彼らが師について学問を学ぶ時になって得た友人であった。

 彼は師の孫息子である。それまでは毎日毎日野山を駆け回って、その手足をすくすくと伸ばしていたのに、急に部屋の中に閉じこめられて学問をさせられることになったのだ。

 だが同じ年頃の友を得たのは彼にとって良かったようで、彼は彼で、学問と武術とともに、落ちつきというものを次第に身につけていった。

 不思議なもので、彼は声変わりをしても、大して低い声にはならなかった。しかもそれはひどく大きいので、城の中でも彼はすぐに有名になった。


「わが国は決して力のある国ではないのです」


 無論ここで国というのは、後に藩となる程度の単位の、各地の武家が治める地域のことと思っていただければよい。

 世は戦国だった。

 名のある武将、名の無い武将、積極的に戦国に参加する国、そうでない国、それは様々だった。

 だが一つだけ共通していたことがある。いずれにせよ、目をつぶり耳を塞ぎ無関係ではいられなかったということだ。


 この国、桜野は小さいが、穏やかな気候と豊かな土地を持ち、平和だった。

 太郎嘉勝はその国をつい最近引き継いだばかりだった。彼は若かった。二十四、五というのは、国一つ統治するには実に若すぎる年齢だったと言えよう。

 だが彼は、そしてこの国は恵まれていた。先代国主の頃から仕えていた家来は誠実かつ有能、そして幼なじみの腹心の部下もまた然りだった。

 そしてまた、嘉勝自身も国の民に人気があった。

 国主というものは自身が有能であるかどうか、はさほど問われはしない。無論それに越したことはないが、それ以上に必要なものがあるのである。

 すなわち、人を引きつける力である。

 嘉勝はその点に置いては充分以上だった。何しろ鍛え抜かれた身体、武芸を一通りこなし、それが人並外れている。

 だがその中身は実に気さくである。下手すると常識外れに自由奔放であった。

 嘉勝はたびたび城を抜け出しては国のあちこちをぶらついている。

 馬の時もある。徒歩の時もある。国の民は彼が誰だか知っていたし、彼も民が自分の正体に気付いていることも知っていたが、そんなことは双方に大した問題ではなかった。

 彼は誰にでも陽気に話しかける。

 豊作の翌年だったら、田のあぜ道で弁当を食べる農民ににぎり飯の一つも貰っては世間話をする。

 町の学者のところへ出かけていっては、判らない者にとっては何をそんなことぐたぐだ並べ立てているんだと言いたくなるような実に理屈臭い話を一晩中することもある。

 祭囃子が出るころになると、その音の衝動に耐えかねて、とうとう自分で太鼓のばちを握るようなこともあった。そしてめっぼう酒に強かった。

 国の民はこの若い国主を呆れながらも実に敬愛していた。どんな行動をしようと、その彼が選んだ家臣は実によく国を治める。

 そして家臣達は嘉勝のそういう行動も判っているが、必要以上に大げさな警護はしなかったし、実際必要はなかった。彼自身がとんでもない使い手ということは国中に知れ渡っていたのである。

 その国は平和だったのである。

 だがそれは長くは続かなかった。



 ほえんに出会ったのは、偶然だった。

 

 その年は豊作だった。そして秋の祭もそのせいあってか、いつになく盛大だった。

 何日も前から、のぼりがあちこちに立ち並び、提灯がずらりと道という道に灯され、笛や太鼓の練習が盛んになっていった。陽気な音。嘉勝もよく暇を見つけてはそんな練習を見に行った。

 彼は太鼓が好きだった。大きなものも小さなものも、それは区別がなかった。


 …殿さまはすじがおよろしい。


 その年の太鼓打ちの名人はそう嘉勝にあっさりと言った。まわりも彼の正体を知っていたし、かと言って下手な時は下手とあっさりとこれもけなしたのだ。


 違う違う、こうですってば!

 こうか?

 違いますっこうだってば!

 だかだかだか。

 だからこうじゃねえのか?

 だかだがだだかか。

 だからですねえ!


 とうとうその太鼓打ちは、後ろから彼の手をむんずと掴んで叩かせてしまった。


 乱暴な奴だなあ全く。あーそうか、こうか?

 だかだかだか。

 そうですよ、やっとお分かりになったようで!


 周囲はげらげらげらげら。

 実際嘉勝の太鼓のすじは良かった。もともと聞くのも好きなものだったし、嘉勝は実に力が強かった。いい音を響かせる、と長年の名人も喜び、笑ったものだった。

 そして嘉勝もつられてげらげらと笑った。

 祭の舞台が作られていたのは城にも近い寺の境内だった。

 嘉勝は疲袖から腕を引き抜いた。身体中から湯気が立っているようだった。夏も終わり、秋だというのに。

 だがやはり秋だった。ふっと流れていく風がすっと汗を引かせていく。

 天気の良い日の空は綺麗だった。青く高い空に雲が薄く広がり、ゆっかりとそれは流れていく。そのまま嘉勝は伸びをしながら縁に身体を倒す。

 と、ふと風が止まった。


…そのままでは風邪を引きます。


 嘉勝はそれが自分に掛けられた声であることに気付くまでやや時間がかかった。目の前に白い手巾が差し出されていた。


 どうぞ。


 聞いたことのない声だった。見たことの無い顔だった。



 ほえんは、寺で使われている少女だと言った。赤ん坊の頃、寺の境内に捨てられていたのだという。

 それではいつかは何処かへ奉公に出すのか、と嘉勝は住職に訊ねた。すると住職は答を渋った。そして言った。


「実は、迷っているのです」


 何を迷っているのか、と嘉勝は訊ねた。するならする、しないならしない、ではっきりさせなくてはならない歳はとうに過ぎていそうだった。

 歳の頃は十七、八に見える。村中ではその歳にはもう嫁いでいる娘も多かった。もう少し越えると「嫁き遅れ」だなんだと呼ばれるだろう。

ではずっと寺に置いて仏門に入れるのか、と聞くと、そうでもないという。

 一体どっちなんだ、はっきりせい、と気の短い彼は怒鳴りそうになった。

 だがその時住職は答えなかった。

 ただこう言った。


 あの子が今年の歌うたいをします。


 嘉勝が「今年の歌うたい」の歌を初めて聞いたのは祭の当日だった。

 ほえんがそうやつて皆の前で歌うのは今年が初めてだ、と彼は太鼓打ちから聞いていた。つまりは太鼓打ちもほえんの歌を本格的に聞いたことなかったということだ。

 そして太鼓打ちももちろんだが、嘉勝もまた、たまげた。

 初めて「歌」として放たれたその声を聞いた瞬間、彼は全身に震えが走った。総毛立った。

 不覚にも、涙さえ出そうになってしまったのである。

 もちろん嘉勝はそれに気付くがはや、顔を隠した。武士たるもの、そんなみっともない真似はできない。

 だがそんな必要は本当の所、なかった。何故ならその場にいた殆どの者が同じ反応をしていたからである。

 何がどうという訳ではないのだ。技巧的にどうというのではないと、嘉勝は思う。

 彼は一度だけ、都から来たという歌の名手の舞台を見たことがある。まだ前国主… 父が生きていた頃だ。もちろんそれは非常に素晴らしいものであったことを嘉勝は覚えている。

 だがそれはそれ、これはこれだ。

 目の前で歌うほえんの声は、自分の中の何かを揺さぶるのだ。

 ゆらり、と視界がくらんだ気がした。胸の芯が痛んだ。

 そして気がつくと、揺さぶられた心は幾つかの記憶を呼び覚ましていた。忘れていたはずの記憶である。

 例えば、優しかった母親が亡くなった時。例えば、生まれなかった妹の話を聞いた時。

 なるべくは忘れようと封じ込めた記憶。しかし現在に致命傷を与えない程度の、切ない記憶である。

 嘉勝は自分の頬をひっきりなしに流れる涙の理由が判らなかった。だが、それは決して悪いものではなかった。


「…畜生、やけに今日は目から汗が出ますな」


 太鼓打ちは下手なごまかしを言うと、ぐいっと目を肩にかけた手ぬぐいでこすった。

 舞台から軽い身のこなしで飛び降りたほえんは、あつらえられた席に居るはずの「殿様」にお目にかかるべく参上した。

 もちろん、既にほえんは嘉勝が「殿様」であることなど知っている。これは単なる形の上のことである。


「…素晴らしい歌だった」


 彼はほえんに言葉を与える。


「ありがとうございます」


 ほえんもまた「殿様」のお誉めに対して礼を返す。にこやかだった。だが目は笑っていない。


「歌の礼に、何か褒美を与えたい。俺の出来ることなら何でもいいぞ。言ってみろ」


 言ってから、腹心の部下達がため息をついた。額を押さえた。ああ殿のまたお戯れが…


「何でもよろしいのでございますか?」


 住職がその時ぴく、と顔を上げた。滅多なことは言うものではない、とでも言いたいのだろうが、口をぱくぱくさせるだけでそれ以上のことを言うこともできない。

 不思議なものだ、と嘉勝は思う。本堂でひっくり返っていた俺も俺なのに、ここに座っただけでどうしてそうも別人の態度になってしまうのだろうな。


「何でもよろしいのでございますか?」


 ほえんは重ねて問う。彼女は変わらない。ああ構わない、と彼は答えた。


「では」


 辺りの空気がやや緊張する。


「殿様の太鼓を」


 は? と辺りの全ての人間が目をむいた。それは誰もが思いもかけぬ申し出だったのである。


「おそれおおいことですが、わたくしは殿様の太鼓が大好きでございます。何でもとおっしゃられるのでしたら是非それをお願いいたしたく…」


 嘉勝はきょとんとした。


「如何でございましょう?」


 ほえんはにっこりと笑う。今度は目も笑っている。嘉勝はその表情を確かめるようにじっと見ると、小僧のようににやりと笑い返した。


「よかろう」


 嘉勝は御あつらえの席から勢いよく飛び降りた。そして来い、とそれまで自分の正面に立っていたほえんの手を取った。


「聞かせてやる」


 ほえんは大きな目をさらに大きくした。そしてうなづいた。



 その時、居てほしい、と願ったのは嘉勝の方だった。

 その時、私でよろしければ、とほえんは答えた。



 最初は幸せだった、と嘉勝は思う。

 幸せであり続けることもできただろう、とも思う。だがそれは平和な時代の話だ。

 もっとも彼らは平和な時代というものを知らない。生まれた時から戦国の世だった。それが普通だという感覚なら、平和な時代こそ異常なのだが。

 だから二人とも、何処かに覚悟はあったのだろう。

 だからこそ、自分達に与えられた時間は精いっぱい使うしかなかった。それ以外のことを選択することはできなかったのだ。

 とはいえ、それはいつもこれだからこう、と口にできるようことではない。その時点では何も気付いていないことのが普通であり、下手すると、全て終わってからも気付けない類のことである。

 とりあえず彼らは幸せだった。


 住職がほえんを奉公に出したがらない、仏門にも入れない理由は嘉勝にも理解できた。

 何はともあれ、彼女は綺麗な娘だった。そして聡明だった。

 奉公に出てもおそらくはそつなく勤め上げるだろう。それはたやすく想像がついた。

 だがもう一つたやすく想像ができることがあった。

 つまりは綺麗過ぎるということである。奉公先でその主人の手がつくことはあり得すぎることだった。

 だから、奉公に出したくない気持ちは理解できた。

 それに、それ以上に、髪を剃ったほえんの姿など嘉勝は想像できなかったのである。

 ほえんの髪は長かった。そして綺麗だった。

 顔もまた綺麗だったし、身体つきも華奢で、鍛えぬかれた嘉勝の腕で力を込めて抱きすくめれば骨が折れてしまうのではなかろうかと思われるくらいだった。

 実際そこまで強く抱きしめることはさすがに嘉勝にもためらわれた。


 ―――そこまで行き着くにはやや時間が必要だったが。


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