第8話 現実にて
【Location:現実 19:50】
電車の通過する音や車のクラクションの音、帰路に着くサラリーマン達の賑やかな声が途端に飛び込んでくる。
その無秩序な音の氾濫は、長時間GIOに没頭した後はいつも脳を掻き乱す騒音に聞こえて仕方ない。
苛立ちと、少しの倦怠感。
窓を開けて道行く奴らに向かって叫んでやろうか、と何度思ったか分からない。
GIOの世界は、普通のゲームに比べればBGMと呼べるものはほとんどない。
だが荒野を吹き抜ける風の音、たまに空を横切る鳥の鳴き声は心に染み渡るようだし、街の賑わいだってどこか統制が取れていて、市場にいる人間はみんな市場が目的で来ているし、サボテンのプランテーションの人間はみんな、のどかな農場にいることを忘れていない。
みんな、その場の雰囲気を壊すような真似はしないのだ。
だから現実の音の氾濫が嫌いだ。
とは言え、現実を無視しては生きれない。
今日もやがて慣れるさ――
そう言い聞かせながら、ヘッドギアやグローブ式コントローラーを外したついでに冷蔵庫に向かい、冷えた缶コーヒーを取ってくる。
腰の計測器から伸びるモーションキャプチャ装置はつけたままだが、感覚を現実に戻しているので問題ない。
一人暮らしの部屋は本当に汚かった。
机の上はキーボードの向こう側に飲みかけのコーヒーの缶がいくつも並び、端の方にはペンやらお菓子やら公共料金の請求書やらゲームソフトやらが乱雑に散らばっている。
自分が座っている椅子の周りは、雑誌や漫画の単行本がそこかしこに積まれ、衣類も一箇所に積み上げられている。足の踏み場は、真後ろの布団の上を除いてほとんどない。
別に誰も訪れやしないから、片付けなどどうでもよかった。
プルタブを起こして口をつけながら、椅子に戻る。
パソコンのモニターにはヘッドギアやグローブ式コントローラーの接続状況や、GIOのネットワーク環境設定、アカウント情報が映し出されていた。
ざっと目を通すが、接続状況は正常だった。
ならば、と机の端に放ってあった携帯電話を取る。
ゲーム内でフレンド登録してある友人で、高校の同級生に携帯でメールを送ってみる。
そのクランという少女とは長い付き合いで、現実のメアドも交換している。
ただ、彼女から『携帯のメアドも交換しよう』と言われてしてみたが、ゲームで会えるし、何より現実の彼女に興味はなかったから、こちらからは一度もメールをしたことはなかった。
それがこんな形で頼ることになるとは思わなかったが、今は少しでも情報が欲しい。
これは自分だけの不具合なのか、それとも新エリアにいる全員が同じなのか。
携帯電話のモニターを見ると、新規メールが一件届いていた。
見ると、クランからだった。
この件について話したいことがあるので電話番号を教えて欲しい、とのことだった。
電話で会話をするのは嫌だった。
声はゲーム内と同じ声に決まっているが、現実を感じるような接触は避けたかった。
昔は思い出したくない。
それにクランはあくまでGIOのクランであってほしい。
だからメールにはGIOでの現在地を知らせて、そこに来てくれと返した。
コーヒーをもう一口含むほどの短い時間で、すぐに『分かった』と短いメールが返ってきた。
それを確認するや否や、再びヘッドギアをかぶってGIOに戻る。
現実にいた時間は十分にも満たなかった。