中等部一年・文化祭当日の出来事
私達がやる事になった劇は『異聞・かぐや姫』となった。
基本的には良く知られた竹取物語、つまりかぐや姫のお話。本来はただ月に帰るだけのかぐや姫に身分違いの恋人が居たら……という話だ。舞台を(主に衣装の問題で)平安時代から大正時代に変更。前半はラブコメ混じりで、求婚してくる五人の旧華族や財閥の息子らをバラエティ的な無茶ぶりで撃退するなど明るく楽しい作風。後半は前半の明るさがどこに行ったのか聞きたくなるほどシリアスな悲恋の物語。私はA組とC組のバイタリティを甘く見ていたかもしれない。元々、悠星学院に入ってくるのは優秀な人ばかりだが、まさかエンターテイメント的な才覚に溢れた人間まで多く集まっているとは。
個人的には裏方を担当したかったが、人数の関係で私も出演する事になったのは少し戸惑ったが、委員長の仕事もあるので脇役なら……という条件で承諾した。結果、私はかぐや姫に月へと帰る日が決まった事を知らせに来る使者役だ。台詞量も少なく、出番も短い丁度いい役柄を得られたと思う。なお、この決定に不服を唱えたのが四名ほど居たが「今更変更なんて出来ないから、ごめんね?」と謝っておいた。
ちなみにその異議申し立て者は我が弟の棗、間逗くん、リビちゃん、土師さんである。各々の言い分は以下の通りだ。
「姉ちゃん黒髪ロングなんだから、かぐや姫ぴったりじゃん!」
そんな安直な理由で主役を務めたら劇が台無しになるわよ。
「真面目な委員長が主役で別の一面を見せるとか定番っしょ!」
熱弁するのは結構だが、その場合私が見せる別の一面は『台詞が飛んでアタフタするところ』になると思う。
「それでいいの!私達はアタフタする楓ちゃんが見たいの!」
リビちゃん、あとで説ky……じゃなくて、お話があるわ。
「私も楓さんが追い詰められる姿に興味がある……」
土師さんも説教ね……あ、説教って言っちゃった。
ともかく、大道具小道具、演出、脚本、そして出演者。それぞれが一丸となり、時に励まし合い、時に罵り合いながら準備期間はあっという間に過ぎ去り、本番初日を迎える事になった。文化祭は三日間。そして初日と二日目が公演日だ。頑張らなくては。
※
「姫、これは月の女王による決定事項なのです。貴女にそれを覆す権限はありません」
「そんな……勝手な事を言わないでよ!私を地上に落したのは、他でもない母上じゃない!!人の事を捨てておいて、都合が悪くなったら月に戻ってこいだなんて……私はお母様の操り人形じゃない!!」
「……月へ繋がる道が開く次の満月の夜、お迎えにあがります。姫が地上で過ごせるのはあと数日……せめて、心残りの無きよう、残りの日々をお過ごしください」
……緊張した。台本一ページにたった五回の台詞。二日目なのにこんなに緊張するとは思わなかった。初日に至っては最早覚えていないレベルで緊張していたので、流石になれると思ったが、しっかりと緊張してしまった。舞台袖で大きく深呼吸をする。舞台上では今のやり取りの一部始終を見てしまった翁の孫でかぐや姫の思い人である青年役が現れるシーンだ。ちなみにこの青年役はリビちゃんである。流石に中一男子に女子と手を取り合っての告白シーンはハードルが高すぎた為、女の子に男役をやらせる宝塚方式が採用された。なお、第一部でかぐや姫に求婚した結果無茶ぶりを喰らい体を張りまくった男子達は死屍累々だ。明日も公演はあるのに、大丈夫だろうか。特に口に咥えたゴムを伸ばして離す伝統芸『ゴムパッチン』をやりきった間逗くんに至っては、未だに鼻を抑えて悶絶している。舞台から客席降りて、入口まで行ったからなぁ……。「鼻も痛いけどずっと力入れてたから歯と顎も痛ぇんだよ……」とも語っていた。ある意味その芸人根性には頭が下がる。絶対真似したくないけど。
そんな光景が繰り広げられていた午前中と打って変わって、まさに悲恋のシーンだ。かぐや姫役のA組女子、澤北さんは児童劇団上がりの演劇部員の名に恥じない堂々たる演技を見せている。それに上手く乗せられてリビちゃんも演技未経験者と思えないくらい入りこんだ演技をしている。引き込まれるような演技、なんて形容詞があるが、澤北さんの場合は共演者を引っ張って行く演技だと思う。彼女を主役に、そして演技班のリーダーにしたのは本当に良い判断だったようだ。
クライマックスでかぐや姫が月へと帰り、青年と再開を約束すると同時に暗転、舞台は一気に現代へ。二人の生まれ変わりの男女が学校で出会うという結末。……転生オチは正直素直な気持ちで見られなかったけど、それを誰かに言う訳にもいかない。ただ、お客さんの盛大な拍手を聞いていると、私の心の中の小さな引っかかりなんて大したものじゃないように思える。
……きっとそう思うのが正しい。
「姉ちゃん、お疲れ様」
舞台を終えて、ようやく訪れた自由時間。ホールから出てくると弟と滝沢くん、土師さんが出迎えてくれていた。一緒に回ろうと待っていてくれたらしい。持つべきものは可愛い弟と良き友人だ。そのまま四人で食堂へと向かう。普段はお手頃な値段で食べれる食堂だが、文化祭の今日は一般の方にも開放され、メニューもカフェメニューが中心の喫茶店となっている。高等部の二年の先輩方が有志で行っているとか。幸い丁度四人の席があった。それぞれに飲み物を頼み、ようやくホッと一息付けた感じだ。
取り止めの無い会話の中でも、話題の中心はA組C組による劇だ。
「なんつーか、凄いよなぁ。特に主役やってた人、流石演劇部っつーか」
「元々児童劇団に居た子だから、年季が違うって感じたわね。一緒にやってて、凄くやりやすかったもの」
しきりに感心する滝沢くん。「役者もいいなぁ……」と呟いていたが、彼は割と色々と影響されやすいタイプらしい。ちょっと前も「野球選手って良いよなぁ」とか言っていたらしい。情報源は弟だ。改めて滝沢くんをじっくりと観察する。まだ成長期真っ只中なせいか、あどけなさの方が目立つが後数年すればクール系のイケメンに育つ事を知っている。そうなれば、きっと役者と自称しても違和感皆無になるだろう。
「ん?どうかした?」
「ううん、なんでもないの。滝沢くんが舞台に立っている所、結構似合うかもって」
「お、それなら来年の文化祭で劇やろうかな」
「いいじゃん、やんなよ!なんせ姉ちゃんが三文判押したんだからな」
「……太鼓判。三文判じゃ認印」
出会って半年ちょっとでここまでフリとボケとツッコミが成立した会話が出来るようになるものなんだろうか。そんな疑問を浮かべていると、今度は私が観察されているようだった。視線の出所は土師さん。
「楓さん、凄く自然体の演技だった」
真っ直ぐこちらを見て、静かに、しかしはっきりとそう告げる。彼女は感情の起伏が少ないが、基本的には素直で正直だ。ボブカットの可愛らしい髪型と、お人形さんのような愛らしい表情と裏腹に背が高くてスタイルも良い。なんとも不思議なバランスで成り立っている彼女の言葉は、こちらが勝手に裏を読んでしまう事もある。しかし、私は彼女を知っているので、これが本当の褒め言葉だと理解出来る。
知っているだけで、何かが変わる訳ではないけれど。むしろ、何かを変えたくないからこうしている。
「だよなぁ。いつもの楓ちゃんぽかったもんなぁ」
「台本が合わせてくれただけよ。多かれ少なかれ、そういう部分はあったでしょ?」
「リビちゃんも割と男っぽいとこあるしねぇ。でも姉ちゃんのは本当にいつも通り、って感じだったよ」
「……だとしたら」
不意に土師さんがこちらを見る。漠然と眺めるのではなく、しっかりと目を合わせてこちらをジッと見つめている。
「私達が知ってる“いつもの楓さん”の態度も演技に見えなくもない」
ここで取り乱さなかったのは、私の人生最大のファインプレーだったと思う。実際、何を言われたのか理解できなかったのもあるが、私はぽかんとした表情を浮かべていた事だろう。
「いやいや、土師ちゃん何言ってんだよ。楓ちゃんのいつもの態度が演技なワケねーじゃん。一緒に暮らしてる弟が俺らの横に居るんだぜ?」
「そうだよ。姉ちゃん一日中こんな感じだから、これが素だよ。時々油断してるけど、基本的にはこの感じが姉ちゃんのデフォルトだよ。なぁ、姉ちゃん?」
「……油断してるつもりもあんまりないけど。でも土師さん……なんで急にそんな事を?」
男子二人が速攻でフォローしてくれて助かった。棗の言葉は若干フォローになっていない気もするが。戸惑いが隠し切れていないが、実際にあんなことを言われたら誰だって戸惑うだろう。
私のように「本当にいつもの態度も演技だ」という状態に無くても、だ。
「……ん、楓さんって。いつも隙が無いから。常日頃から気を張ってるのも、自然体じゃないという意味では演技と言えるから。……というのが半分」
「もう半分は?」
内心では少しホッとした。演技だと確信を持って言って来た訳では無かったようだ。しかし、残りの半分は一体なんなのか。恐る恐る聞いてみる。
「突拍子もない事を言ったら楓さんの驚く顔が見れるかな、と思った。大成功」
無表情のままVサインをする土師さんを見て、なんとも言えない精神的疲労に襲われた。二回目の公演を終えたばかりで疲れきっているのもあるが、それ以上に疲れきっている自分に気付いた。しかしその理由を探そうとしても、疲労が邪魔をしてとても頭を動かせそうになかった。とにかく、文化祭が終わってから落ち着いてからゆっくり考える事にしよう。私自身の問題を今持ち込んでもクラスメートに迷惑がかかるし、今一緒にいる三人にも余計な心配をさせるだけだ。そう考えて、私は学園祭の二日目を楽しんだ。公演の無い三日目を色んなクラスへ行って遊び倒し、翌日の振り替え休日に、ゆっくりと二日目に土師さんから言われた事を考える事にした。
考えなければよかった。