中等部一年・文化祭前後の出来事
夏休みはあっという間に過ぎて行き、九月の中間試験ではついにBランクに落ちたりもしたが、ここ最近では随分と心穏やかに過ごせている気がする。夏休み中は友人達とカラオケに行ったり、プリクラを撮ったり、服を買いに行ったりとなんとも中学一年生らしい過ごし方だった。弟もクラスの友人達と隣の市にある大型プールではしゃいできたようだ。小学生の頃の「男子は男子と、女子は女子と遊ぶのが普通」という不文律を引き摺っているのか、少なくともC組とD組の間で彼氏彼女の関係になったという話は全く聞こえてこなかった。
さて、想像以上に何も起こらなかった夏を過ぎて九月の下旬、季節はすっかり秋である。私立悠星学院の文化祭・体育祭は中等部と高等部が合同で行われる。先輩後輩同士の交流を深めるという意味でもあるらしい。特に体育祭は中等部一年から高等部三年がクラスを縦割りにした連合チームを組む形式を採用している為、非常に盛り上がるらしい。あまり運動が得意ではない私としては、チームの人数が多いのは助かる話だ。各クラス対抗だと、どうしても一人頭の力量が勝敗に影響を及ぼす事が少なからずある。だが、合わせて六クラスの連合ならば、私のような運動音痴は玉入れ・綱引きといった大人数競技に回れる可能性も高い。なので私が目立つ事はほぼ無い。
問題は文化祭の方である。こちらは同学年で二クラスずつでチームを組む形式だ。私達C組はA組と、弟の居るD組はB組と合同で出し物を出展する事になる。そして、現在合同HRでその内容を決めている真っ最中なのだが、議論は紛糾を通り越して混沌のどん底に落ちていた。黒板の前で会議の進行などを務めていたA組・C組の各委員長、そして文化祭実行委員が完全にその仕事を放棄して、死んだ魚のような目で喧々諤々の大騒ぎを眺めている。
この日決めなければいけないのは、大まかな出し物の内容と方向性。屋台や喫茶店、あるいは展示会のような模擬店系か演劇・合唱・ダンスといったパフォーマンス系かに分けられる。この二種で多数決を取ったところ、パフォーマンス系が大勢を占めていたのでここまではあっさりと決まった。問題はそこからだった。
「文化祭なんだから楽しい劇にした方がいいって!バラエティ番組のスタジオコントみたいなのを教室でやる感じでさぁ!」
「劇やるなら体育館みたいなちゃんとした舞台の方がやりやすいでしょ!演劇やるならオーソドックスなのが一番いいです!」
「っていうか、バラエティ番組っぽくって何やらせる気なんだよ!」「そりゃお前、タライ落としたり熱々おでんを顔にぶつけたり」「駄目に決まってるでしょ!」
「でもあまり堅い劇をやるのもなぁ……」「ぼ、僕は裏方出来ればそれで……」「おい、司会がぐったりしてるぞ」
そう、この喧々諤々の大激論を前に学級委員長各四名、文化祭実行委員各二名の合計六名の司会進行役は完全に疲れ切っていた。というか、私自身が疲れ切っていた。色々意見が出たが、演劇をやるという所までまとまったところで、その内容をどうするかで大いに揉めた。片方は演劇部の女子メンバーを中心とした「まともな舞台をやりたい」という勢力。私もどちらかと言えばこっち寄りだ。もう一方が「折角の文化祭だからはっちゃけた事しようぜ!」という勢力だった。
「なんで分かってくれねぇかなぁ!楽しいを付き詰めたら感動するって知らねぇの!?」
そしてたった今、名言だかなんだかわからない台詞を吐いたはっちゃけ軍団の大将格こそ、プラネット・デイズの登場人物の一人。
間逗誠一郎だ。
原作での彼は学校内におけるイベント事各種に悉く首を突っ込み、主人公どころかメインの登場人物すら巻き込んでいく生粋のトラブルメーカーである。見た目は端正な正統派のイケメンで体格も男性キャラでは身長が最も高く、サッカー部では不動のセンターバックを務めている。学校外にもファンが居る為、一部では「悠星サッカー部の貴公子」なんて言われていたりする。私が知る限り、センターバックのポジションで“貴公子”という二つ名を付けられた事がある選手は、現実・創作をひっくるめても彼しか知らない。
一方で面白いもの、楽しい事に対する欲求が人一倍強く、やることなす事ハチャメチャな一面を持つ。私がかつて間逗ルートを通った時の感想は「台風の目の中は風が吹いてないって本当だな……」というものだった。学校外で貴公子と呼ばれているが、学校内での彼の二つ名は「奇行師」である。あと、彼の立ち絵の八割が何か妙な物を持っているイラストだったりする。ハリセン・ピコハン・百トンハンマー(の風船)・メガホン・来客用スリッパ……等々。早い話が人の頭をひっぱたくのに丁度いいものである。完全なボケキャラがツッコミ道具を持って何がしたいのか、私には未だに理解できていない。今後彼がそれらのアイテムを持つようになったとしても、きっと理解できないままだろう。
「……とりあえず、みんな一度落ち着きましょう」
数度手を叩いてそう言うが私の声が届いていないのか、それとも聞く気が無いのか騒ぎが収まる気配はない。どうしようか迷っているとC組の男子学級委員長である坂原くんがプリントで何かを折って私に差し出した。それが何か理解すると私は無言で頷く。坂原くんも無言で頷き、親指を立てた。彼も真面目そうな顔して結構イイ性格だ。私はそれを受け取った手を高く上げて、一気に振り下ろす!
パンッ!!!
乾いた音が響くと同時にさっきまでの騒動が一瞬で静まり返り、こちらを向いている。私は紙鉄砲を教卓の上に置き、にっこりと微笑む。
「落ち着いた?」
全員が無言で首を縦に振った。よしよし。
「この状態で片方に決めると、絶対に後で揉めるから私から提案ね。一つの劇を二部構成にして、午前中の前半は間逗くん達の提案する楽しいものを、午後からの後半は本格的なしっかりしたものをやるっていうのはどうかしら?ただ、脚本や演出も大変だし、みんなには相当頑張って貰う事になっちゃうけど……反対なら、ちゃんと話し合って別のアイディアを出してね?」
「……どうする?」「確かにそれなら揉めないで済むけど……」「うーん……」
流石にすぐには決まらないか、と思った矢先。
「それいいじゃん!ギャップあるし、見てる人も続き気になるし!それで行こうぜ!」
物凄くキラキラした目で間逗くんが賛成の意を表明していた。こうなると消極的賛成だった面々も一気に賛成へと転んでいく。結局、A組C組の出し物は『二部構成の演劇』に全会一致で決定し、第一回合同HRは幕を閉じた。文化祭は十一月半ば。色々と心配ではあるが、無駄にバイタリティ溢れる面子が揃っているこの二クラスなら大丈夫なんじゃないだろうか、と根拠のない安心感があったりもした。
※
「二部構成か。確かに面白い提案だな」
その日の放課後。職員室に文化祭の企画書を提出した帰りに、私は保健室へと立ち寄っていた。特に体がおかしい訳ではない。海川先生と話す為だ。同じ転生者として、他の人に言えない相談事も出来るし、何より普通に雑談していても楽しい。海川先生のトークスキルは思った以上に高い。前世はどんな人だったのか少し気になる。
「ええ、決まるまで大騒ぎでしたけど……」
「どうせ間逗だろ?」
「……間逗くん“も”ですね」
「ああ、篝火も居るし、他にも騒がしい連中が沢山いたな、A組とC組は。今学園に居る“キャラ”の中では割と大人しいのがBとDに行ったからなぁ」
「私と土屋くんも大人しいですよ?」
「土屋の大人しさとお前の大人しさは別種だからなぁ……」
それは一体どういう意味なのか。少なくとも、褒め言葉として受け取るには無理のある物言いだと思う。憮然とした表情の私の頭を撫でて、海川先生は笑う。
「なんにしても濃い連中ばっかりだからな。お前がしっかり手綱を握ってやれ」
「頭撫でて誤魔化すのはズルいです」
「大人はズルいもんさ。悔しかったら私より身長伸ばして撫で返してみろ。そうだな、もう少ししたら職員会議だからそれが終わるまでに背を伸ばせ」
なんて無茶な事を言うんだ、この人は……会議後どころか、高校卒業まで掛けても先生の身長を追い越すどころか追いつく事すら難しそうだ。私がますます憮然とした表情を浮かべると、海川先生は更に楽しそうにニヤニヤ笑う。そんないつも通りの光景の中、保健室の扉が勢いよく開いた。
「海ちゃん先生ちーっす!部活でコケて膝擦り剥いたんで絆創膏三枚くらい頂だグァ!?」
「海川先生だ、バカ者。中坊の一年に渾名呼びを許すほど私は寛大じゃない」
殴った。怪我人を、躊躇なく殴った。しかもバインダーの角で。
「いってぇ~……!ちょっと海ちゃ……海川先生!俺、怪我人だぞ!」
「膝を擦り剥いた割に元気よくダッシュしてくる怪我人に気を使うほど私は優しくない。あと廊下を走るな大バカ者」
「大が付いた!?」
「次は超が付くぞ」
「マジで!?超バカ者まで行くと逆にカッコいいかもしんねぇ……!先生、俺ちょっと廊下全力で走ってくるわ!!」
「えー、生徒指導室の内線番号はっと……」
「すいません、調子コイてました」
間逗くんが九十度の最敬礼をした事でこの生産性皆無なやり取りは終わったようだった。ちなみに生徒指導担当の先生はサッカー部の顧問でもある。海川先生は私なんかよりよっぽど手綱の扱いが上手い。私の中で海川先生が「理解者の先生」から「尊敬する師匠」にランクアップしつつある。
「って、あれ?天谷ちゃん、どうしたの?」
「職員室の帰りに寄ったの」
「え?体調悪いの?……まさか、月一のあn」
「それ以上言ったら、天谷に代わって私がお前を制裁する」
「ごめんなさい」
私は苦笑いを浮かべるしかない。間逗くんって無茶苦茶な人というか、色々とノーブレーキなんだと実際に話してみるとよくわかる。同じ火星のリビちゃんとそういう意味では似たり寄ったりなんだろう。リビちゃんに言ったら本当に凹むだろうから、心の中に秘めておこう。ちなみに、間逗=マーズで火星だ。たぶん、“火”の付く名字があまり無いからこういうネーミングになったのだろうなぁ、と推測出来る。
「……とりあえず、手当しようよ。血、まだ出てるよ?」
「あ、ホントだ。先生ー、ガーゼかティッシュくれー」
「天谷、任せた。先生はマジでこれから職員会議だ」
「え」
私が呆気に取られている内に、先生はさっさと保健室から出て行ってしまった。さっき持っていたバインダーは会議で使う資料を挟んであったらしい。何もわざわざ登場人物を二人きりで残していくなんて、先生は意地悪だ……!!
しかし、間逗くんが怪我をしているのは確かなのだ。意を決して立ち上がり、怪我用と書いた付箋の張ってある戸棚を開けてガーゼと脱脂綿、オキシドール、絆創膏を取り出して間逗くんを椅子に座らせる。
「ちょっとの間、じっとしててね?」
「天谷ちゃん……優しくしてね……?」
適量より多めのオキシドールをしみ込ませた脱脂綿で無慈悲に傷口を消毒した。余計な事を言わなければ優しくしていたのにね。間逗くんがビャーだかミャーだかわからない奇声を発しているが無視。その後、脱脂綿で血を拭って絆創膏を貼っておしまい。
「はい、これでよし」
「……天谷ちゃん酷ぇよ……!超染みたよ……!」
「間逗くんはウチの弟と同じで、調子に乗りやすいタイプだからこうしたの」
「弟って、D組の天谷棗だっけ。いいなぁ、こんな姉ちゃん居てさ」
ドキリとした。さっきまでのアホの子丸出しだった間逗くんはどこに行ったのだろう。オキシドールで消毒し過ぎた結果……いや、落ち着け、思考がおかしい。
「天谷ちゃん、厳しいけど優しいよな。ちゃんと話すの初めてだけど、これからもっと仲良くなりてぇなって思う」
「……ま、間逗くん?急にどうしたの?」
「え?あー、うん。友達になろうぜ!って話」
「それは、全然構わないけど……なんか、意外。真面目な顔も出来るのね、間逗くん」
「……天谷ちゃん、今まで俺の事どう思ってたの?」
「………」「………」
保健室の中は沈黙に包まれる。真剣な表情で答えを待つ間逗くんと、逡巡する私。見ようによってはロマンティックな光景かもしれないが、次の私の言葉でその空気は雲散霧消する事になる。
「…………バカ者?」
「酷ぇ!!海ちゃん先生に言われるより十倍ダメージあるわ!!」
私は彼がただのバカ者じゃない事を知っている。原作での素敵なシーンも覚えている。でも、今の時点で彼の印象を答えるなら、それが最適解だと思えて仕方が無かった。ごめんね、間逗くん。だから、少し落ち着いて素敵な男の子になろうね。原作を逸脱しない範囲で。