中等部一年・夏休み前の保健室での出来事(前編)
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六月末の期末考査もなんとかAランクを維持して切り抜けて、季節は夏休みも目前に迫った七月の半ば頃になっていた。“原作とのズレ”という私が抱える心配事は、今のところ目に見える形になって現れてはいないが、それでも気付けば四六時中気を張ってしまっている。心配症と言われればその通りだし、気にし過ぎと指摘されれば御尤もとしか返せないが、元々原作の楓ちゃんの性格と私の性格はかけ離れている以上、素の自分を出してしまったら楓ちゃんが楓ちゃんで無い別物の存在になってしまう。それを許容できる程の寛容さを私は持ち合わせていなかった。
当たり前の話だが弟とは同じ家に住んでいるので毎日顔を合わせるし、学校が終わってからも取るに足らない雑談をしたりして仲良くやっている。不思議なもので“ゲームの登場人物だった天谷棗”には恋愛感情とまでは行かずとも「実際にこんな人と付き合えたら幸せだろうなぁ」と思う程度には意識していたにも関わらず、いざ自分が天谷楓として彼に接していると、彼の事を“時々手に余る事もあるが、可愛い弟”としてしか見られなくなっている。意識こそ赤の他人だとしても、この体に流れている血は彼と分け合った物だと感じているのだろう。
この先、弟はもっとカッコよく、もっと素敵になっていくだろう。だが、私が彼と結ばれる可能性はゼロだと断言出来る。姉と弟なのだから当然だ。願わくば、彼が本当に好きになった相手と幸せな恋愛をしてほしいと思う。
じゃあ私はどうなるのだろう。私が誰かを好きになったり、あるいは誰かが私を好きになってくれたりするのだろうか。
陳腐な話だが、“運命の人”と言ってしまえる程の相手が私の前に現れたりするのだろうか。
だがそんな人が仮に居たとして、
高等部の一年、原作が始まる前に私の前に現れてしまったら、私はその手を振り払わなければいけない。
当然だ。私は女性向け恋愛ゲーム“プラネット・デイズ”の主人公の親友であり、男性向け恋愛ゲーム“プラネット・メモリーズ”の主人公と結ばれる可能性のある女子生徒の一人なのだから。
私の人生設計の大前提にある立場を忘れるなんて、そんな身勝手な事は出来ない。絶対にだ。そりゃあ、他の女子たちが恋愛談議・男子談義で盛り上がってるのを羨ましく思う時があるけど、ストーリーが終わる高等部一年時の三月までは私の意思を介在させるのは駄目だ。回避しきれない誤差やズレが発生するのは、これがゲームでは無い現実である以上、私自身が誤差を生んでしまったら後で苦しむのは私だ。そんなこと、わかってる、わかってるんだ。
それにしても、校長の話、いつ終わるんだろう。あと、体育館の空調、壊れてないかな、これ。考え事し過ぎたから、知恵熱かな。なんか、あつ、い……。
「あ、天谷さん……!?せ、先生……!!」
「ちょ、姉ちゃん!?」
あー、ごめんね伊藤さん、いきなりしゃがみこんでびっくりさせちゃったよね……棗は自分のクラスに、戻りなさい……
※
「……あー、おでこつめたい……」
目が覚めて最初に思ったのはそんな事だった。力が入らない手を無理矢理に額まで持っていくと、ペタッと張るタイプの冷却シートが張り付けられていた。
「ん、起きたか」
ベッドの周りを囲む薄いカーテンが少々乱暴に開かれ、養護教諭が顔をこちらへと向ける。身長は女性としては高い。170くらいはありそうだ。ポニーテールという可愛らしい髪型なのに、妙に鋭いというか、切れ長な目だ。片手を白衣のポケットに突っこんだまま、こちらの様子をじっくりと観察している。それと、飴の棒……とは違う何かを口に咥えている。
ああ、知っている。私はこの人を知っている。イラストと実際の人物として見るのとでは印象が全然違うけど、間違いなく私はこの人を知っている。
「海川、先生……?」
海川玲、女性の養護教諭でプラネットシリーズでは攻略対象ではなく攻略情報をくれるサポートキャラとして登場する人物だ。性格はシニカルでぶっきらぼう。バッドエンド後の“反省会”と呼ばれる「何故バッドエンドになったかを海川先生が解説し、プレイヤーを懇切丁寧に小馬鹿にするコーナー」で大活躍している。なお、この解説は本当に原作のHPに載っていた。いいのかそれで。
「ああ、海川先生だぞ。大丈夫か、天谷?お前の弟がとんでもない形相でお前を背負ってきた時には面喰ったがな」
「……はい、なんとか。すいません、弟がご迷惑を……」
「気にするな。いい弟じゃないか。……ああ、お前のクラスの担任がさっき御両親に電話するって言ってたからな。ちなみに、体温は私が計った。三十八度ジャスト、咳が出たり鼻水が垂れてる様子は無いし、恐らくは疲労と睡眠不足で体調を崩したんだろうが、念のために病院に行っておけ。所詮私は養護教諭であって、医者じゃないんだからな」
「はい……」
受け答えは出来るが、やはりまだ体がだるい。失礼を承知で、再び体をベッドに預けて天井を見上げる。何をやってるんだろう、私は。空回ってばかりだ。また棗に心配を掛けた。棗だけじゃない、クラスメートや先生にも、そして連絡を受けた両親にも、だ。何一つ、出来てないじゃないか、私は。
「辛そうだな」
不意にそんな言葉を掛けられて、驚いてベッドの横を見ると海川先生がパイプ椅子に腰かけてこちらに私のメガネケースを差しだしていた。それを受け取る私の手は僅かに震えている。体調の悪さだけではなく、僅かな恐怖心から来る震えだと直感した。まるで心を見透かされたような海川先生の言葉に、私は何も答える事ができない。無言で、ケースから取り出したメガネを掛ける。「そのケースと通学カバンな、お前のクラスの伊藤が持ってきてくれたぞ」との事だ。後でお礼を言わなければ。
「Aランクを連続でキープした優秀な委員長さんだからな、天谷は。多少辛くても表に出す訳にはいかないか?」
「…………」
「それとも、何か別の悩みがあるけども言う相手が居ない……そんなところか」
「……っ」
思わず反応してしまった私を見て、海川先生はニヤリと笑う。何も言わなかったけれど、その表情が「それみた事か」と言わんばかりだ。
「どんな悩みか言ってみたらどうだ……なんて言われても、お前は話さないだろうな。お前が話せる悩みなら、とっくに話してくれているし解決のために動くことだって出来るだろう。天谷は本当にしっかりした子だからな」
心臓の鼓動が速くなる。この人は何を知っている?事実上初対面の筈の海川先生に、何故ここまで“天谷楓は優秀だ”と認識されている?担任が、大崎先生が話した?いや、大崎先生は一人の生徒を極端に褒める事は少ないし、優秀だというなら「うちのクラスの子は良い子たちばかりですよ」という言い方をする人だ。実際に言われたからわかる。
だとしたら、何故海川先生は私をここまで高く評価している。彼女は何を知っているんだ?彼女は何故、天谷楓を―――
「!!」
そして、一つの可能性に気が付き、今度こそ私は言葉を失った。血の気が一気に引いたような感覚が襲う。焦点が合っているのかも自分ではわからないまま、海川先生を見つめる。
「これから、酷く的外れな事を言うかもしれない。間違ってた時は、三十路前の残念な女の世迷い事だと思ってくれ。それじゃあ、質問だ」
海川先生の表情からは、さっきまでのシニカルな笑みは消えていた。ただ真っ直ぐに私を見つめる。やめて、見透かさないで。私の“中身”を見透かさないで――!!
「なぁ、お前はどうしてそんなに
“天谷楓”であろうとするんだ?」
やっぱり、そうだった。まさかと思った可能性が的中してしまった。
この人は、“私”と“同じ”だ。
この人は転生者だ……。
後篇に続きます。