中等部一年・中間試験前後の出来事
私立悠星学院中等部の募集人数は毎年百二十名で固定されている。その中で高等部への内部進学者数は年毎に多少の上下はあるが、約七十名らしい。つまり毎年約五十名が内部進学という進路を選ばない事を意味している。その五十名の内、およそ半分が自らの意思でよりレベルの高い進学校を受験したりスポーツ推薦での強豪校への編入、あるいは海外への留学という進路を選ぶ生徒だ。
悠星学院高等部も県内では充分レベルの高い私立高校ではあるが、消して県内トップではない。公立、私立でも悠星学院より偏差値・大学進学率で上回る高校はいくつも存在している。スポーツの場合はもっと幅が広く、スカウトを経て越境入学をするパターンも多々ある。海外留学は本人の強い希望で行われるパターンが多い様だ。
さて、問題は残りの二十五名の進路だが、その答えは単純にして無慈悲だ。内部進学試験に失敗、もしくは中等部卒業を待たずしての転校である。一言で“転校”といっても家庭の都合による物も含めているので、これを除外しても毎年二十名以上が己の意思とは無関係に悠星学院を離れていることになる。素行不良・問題行動による退学は数年に一度程度のレアケースであるため、基本的には学力に於いて学内基準を大幅に下回った生徒が淘汰される。
故に、例え中等部一年時最初の中間試験とはいえ気を抜いてる生徒は殆ど居ない。むしろ、最初だからこそ誰も彼も必要以上に力を入れている気がする。無論、私もそんな力の入った生徒の一人だ。名門私立中学校であるとはいえ、中一の主要五科目の試験に対して一度は義務教育課程を修了し、高校・大学へと進学出来た経験が私にはある。故に無様な点数は取れないのである。尤も、黙っていればそんな事は気付かれないのだが、黒髪ロングの眼鏡委員長が成績悪いというのはなんというか、非常に座りが悪い気がするのだ。「本来の楓ちゃん」も成績優秀な優等生だったのだ。私が前世の知識を根拠に慢心なんか出来ない。天谷楓をアホの子にする訳にはいかないのだ。
「それにしても……自習の日にこの人数が集まるという辺り、この学校で試験がどれくらい大事かわかるわね……」
「ねぇ、楓ちゃん。これさ、D組の半分以上が居るよね……ウチらのクラスは六人くらいなのに……」
本来ならば学校は休みの土曜日だが午前中のみ試験勉強用として、一学年に付き二部屋未使用の教室が開放される。
そこで一番前の席に陣取った私と香澄ちゃんが後ろを振り返ると机を固めて賑やかに勉強するD組の面々が揃っていた。賑やかといっても雑談ではなく、お互いに分からないところを教え合ったり質問を飛ばしたりしている。その中には弟である棗の姿もあった。
「うーん……算数は得意だったのになぁ」
「無理もない。算数と数学は別物」
「っつーか、この問題集難し過ぎるだろ……中一がやる内容じゃねぇって」
棗と土師さん、そして滝沢くんが三人横並びになって数学の問題集を解いている姿はまるで昔馴染みの友人の様だ。それだけでなく他のクラスメート達とも打ち解けているようで、入学して一月半と思えないくらいに距離感が縮まっているように思える。一方で私のクラスは各々仲のいい友人同士で固まっている感じだ。この調子で行くと、二学期が始まる頃にはD組は一枚岩になっているのではないだろうか。クラスの結束が高いのは決して悪い事じゃない。
それを素直に喜べないのは、私だけなのだろう。仲がいいのは悪い事じゃない。しかし現状が未来にどう影響を与えるのか予想できない以上、私は決して安心する事など出来ないのだ。少なくとも、高等部の二年に上がるまでは。ゲームのシナリオが終了してしまえば、私が恋をしたっていいし、もっと趣味を大っぴらにも出来る。そのためにも、シナリオから逸脱しないように注意しなければいけない。
でも、それでどうにか出来るのは私自身だけだ。ゲームの設定に沿った世界であろうと、こうして生きている以上は現実なのだから。他者の人生に影響を及ぼす事なんて出来やしない。会話の中で、それとなく公式設定に近付けようとする事は出来るかもしれない。だが、私がやっている事は結局のところ無駄な努力に過ぎないのではないだろうか?
国語の問題集にふと目を落とす。聞き慣れない諺が載っている。意味を見れば、私への助言とも警告とも取れる内容で、しばらくその諺をじっと眺めていた。
「楓ちゃん、どうしたの?なんかボーっとしてるよ?」
気付けば、香澄ちゃんがこちらを心配そうに見ていた。確かにぼんやりとしてしまっていたようだ。数度瞬きをして、軽く目を擦ってから彼女へと笑みを浮かべる。
「え?……ああ、何でもないの。そろそろ休憩しようかな、って思ってただけだから」
「そうだねー。私もちょっと疲れちゃったよ」
「ここだと他の人の邪魔になるから、中庭のベンチあたりに行く?」
「うん。今日はいい天気だし、外に出ようよ」
教室から出る前に、その諺を蛍光ペンでマークしておく。試験には出ないだろうけど、私自身に必要な言葉だと思ったから。
『有為転変は世の習い』
変わってしまうのは、避けられない事と諦めるしかないのだろうか。私が知っている「高等部一年時の香澄ちゃん」と変わらない笑顔を見せる今の香澄ちゃんと共に中庭へと向かいながら、そんな事ばかり考えていた。
※
「……よし」
試験が終わったのが金曜日、土日を挟んで月曜日には試験の結果が発表されていた。流石に全生徒の成績や順位を張り出す、などという事はされなかった。まぁ、個人情報というかプライバシーへの配慮という意味合いもあるのだろう。個人で渡される試験結果表にも個人順位は載っていない。その代わり、上位から二十人ごとに分けてのランクが記されている。
学年一位から二十位までがA、二十一位から四十位がB、という風に二十人区切りのランクで自分がおおよそどれくらいの順位だったか推測できるようになっている。一年生は全部で百二十人居るので、ランクとしてはAからFになる。
当の私はなんとかAランクに入る事が出来た。総合計点が、446点。結果こそ良かったものの、正直もっと低い点数でもおかしくなかった。私が知っている公立中学の試験とは比べ物にならないくらい難しい問題が連続していたが、それでも中学一年一学期の問題という事もありなんとか高得点を取れた。ちなみにクラスにFランクを取ってしまった生徒が落ち込んでいたが、そんな彼の点数は322点。五科目の平均点が六十点台で百位台になってしまうあたり、悠星学院の恐ろしいまでのレベルの高さを物語っている。
尤も、Fランク=落ちこぼれ、という訳ではない。例え五科目合計で400点を取ろうと、401点以上を取った人間が百人居ればFランクになってしまうのだから。
問題は学年全体の平均点の更に半分以下の点数、即ち赤点を取った生徒である。これがあると、普段は黒の文字で印刷されている点数表示とランク表示が赤で表示される。これは即ち、補修&追試への招待状となっている。これに関しては、例えランクがBやCだろうと赤点を取った時点でアウトだ。当然Aランクも例外ではないが、赤点を一つでも抱えた時点で、上位二十名に入るのは至難の業だ。赤文字Aランクなんて取れたら普通にAランク入り、あるいは学年首位を獲得するより難しいかもしれない。
で、肝心の補修と追試の内容がまたエグい。毎日一時間は必須。部活動は禁止されはしないが、一時間遅れて向かう事が義務付けられている。追試は基本的に一発合格が絶対条件。目標点数は学年平均点から一桁目を四捨五入した点数となっている。失敗した場合は、次の長期休暇に問答無用の補修参加が待っている。
この充実し過ぎなほど充実した補修と追試が故に、先輩方はこの赤い文字がある成績表の事を『赤紙』と呼んで恐れられているらしい。例えとして不謹慎だけども、確かにその通りだと納得したのは秘密だ。
「すげぇ!土屋っちAランクじゃん!つーか、合計472って何なの!?」
「ちょ、山ちゃん声が……!」
クラスの男子の声に、一斉にそちらへと視線が向けられる。もちろん私もそちらを向いた。当の土屋君は成績表を机に伏せてきょろきょろしながらうろたえていた。可愛いな、おい。
「な、なんで言うの……!」
「あ、いや、ごめん。びっくりしちゃって……」
どうやら試験結果の見せ合いをしていたところ、土屋くんの好成績に驚いて思わず大声になってしまったようだ。山ちゃんこと山口くん、これは痛恨のミス。
そうこうしている内に土屋くんの周りは男女を問わず黒山の人だかりだ。その中には早くもクラスの人気者になった香澄ちゃんも居た。何やってんの、香澄ちゃん。
「ねぇねぇ、土屋くん。私にも見せて貰って良い?ほら、私の見せるから!」「え、いや……あの……」
「ズルいぞ土屋っち!俺だってリビちゃんの見る!」「駄目ー。私が見せるのは土屋くんと楓ちゃんを筆頭に女の子だけにですー。っていうかリビちゃんって何?!」
「いや、カガリビだからリビちゃん」「そこを取るの!?」「みんなー!今日から香澄の事リビちゃんって呼ぶよー!」「やめて!」
リビちゃんか。うん、採用。香澄、君は悪くない。クラスのお調子者男子筆頭の竹村くんに名付けられ、クラスの広報担当系女子の宮森さんがすぐ広められる位置にいたのが悪いのだよ。
「でもさー、確かに天谷のも見たいかもな」「でも天谷はあんまり見せてくれそうになくね?」「私も天谷さんの成績気になるかな……あとで聞きに行ってみる?」
「土屋先生、次回の期末考査の際はなにとぞお力添えを……!」「昨日のドラマで聞いたぞ、その台詞。お前、ツッチーに賄賂渡す気なのかよ」
「ちょ、ちょっとみんな……あの……」
「しかしアレだな!リビちゃんが見せるとか、天谷さんのも見たいとか、そういうのだけ聞いてると、なんつーかエロいな!」
「「「何言ってんだお前」」」
話題の中心で声の海に溺れていた土屋くんをいつ助けようかと見守っていたところ、綺麗なユニゾンツッコミでオチが付いたようだった。このタイミングを見計らって、私はその群れへと近付いていった。
「はいはい、そこまで。土屋くん困ってるでしょ」
「お、天谷だ。なぁなぁ天谷の成績表、後で見せてくれよー」「お願い、楓ちゃん!ウチら親友だから隠し事は無しだよね!」「天谷さん、私も見せてくれると嬉しい……」
「……昼休みか放課後に見せるから、いいから解散解散」
やれやれと首を振りながら数度手を叩いて皆を元の席に戻させる。まだ顔が赤く、目が泳ぎまくっている土屋くんと視線を合わせるようにしゃがんで。
「土屋くん、大丈夫だった?」
「う、うん……あ、あの、ありがとう……天谷さん……」
「いえいえ、どういたしまして。あ、私もあとで試験結果表見せてね?」
「あ、あはは……うん、いいよ」
困ったように笑う土屋くんはやっぱり可愛い系男子だった。この後、放課後になって私もAランクだった事を深く納得されたり、香澄にリビちゃんと呼び掛けたら凄く複雑な表情をされたりした。そして、ウチのクラスの特色は個性派ぞろいでテンションが高い事だと判明した。
そして、翌日。下駄箱の所で土屋くんと一緒になった。ぽん、と彼の肩を叩く。
「おはよう、土屋くん」
「え、あ、あの……」
男子より女子の方が成長期の訪れが早い為か、頭半分ほど私の方が土屋くんより背が高い。こちらを見上げ、そのあときょろきょろと視線を動かして、その後もう一度見上げて、
「お、おはよ、天谷さん」
緊張しているのが丸わかりな、引き攣った表情で挨拶を返してくれた。今回の中間考査最大の収穫は、土屋くんと仲良くなれた事と、彼が私に対してほんの少しだけ心を開いてくれた事だろうか。でも、これからあと十カ月以上も一緒のクラスで過ごすのだから、早く慣れようね?