中等部一年・入学式の夜と健康診断の日の出来事
彼女の素顔の話
「申し開きがあるなら、言ってみなさい」
弟の部屋で私は彼の勉強机の椅子に腰を掛け、弟はフローリングの上でクッションも敷かずに正座している。誤解を招きそうなので弁明させてもらうが、クッションを敷かなかったのは弟の判断である。
「……昼も言った通り、姉ちゃんの事を知ってもらおうと思って……」
「だからと言って、なんでも言っていい訳じゃないでしょう?」
「いや、でも……キラキラした目でウットリしてる姉ちゃんが可愛かったから……」
「だったら私も、棗が雑誌のグラビアに出てくる巨乳の女の子を舐めまわすように見つめる姿が可愛いと思ったんだけど、それをみんなに言っても」
「本当に申し訳ありませんでした!!」
若干喰い気味ではあったが、お手本のような土下座でこれ以上ないほど誠意の籠った謝罪を受けたのでこの件については良しとしよう。正直に言えば、彼の言動が私の知っている彼と所々違う点が気に掛かるが、私が知っているのはゲームの舞台となった『高校一年生の時の天谷棗』なのだ。そして、私自身も『高校一年生の時の天谷楓』しか知らない。もしかしたら、ゲーム内の彼も中学生時代はこんな感じの子だったのかもしれない。自然と落ち着いて、私の知っている天谷棗になったのだと思えば充分に修正できる誤差の範囲内に収まっている、と思う。
正直ゲームに縛られ過ぎるのは良くないかもしれないが、役割のある登場人物として生まれ変わってしまった以上、その役割を簡単に放棄するのは間違っている気がするのだ。少なくとも、ゲームのシナリオが待ち構えている悠星学院高等部一年時を突破するまで私は“天谷楓”であり続けなければならない。必要以上に“隠れオタクのパッとしない女”の要素を出してはいけないのだ。
だからこそ、テレビに映った格闘家の体に見惚れているのを弟に察知されたのは完全に私のミスだった。
三つ子の魂百までというが、転生と前世記憶の認識が三歳だったのがやはり問題だったのだろうか。前世の私はゲームや漫画、アニメだけに飽き足らず、ありとあらゆるジャンルに浅く広く……時に急傾斜の海のように突然深くなる私の趣味はスポーツ・格闘技・プロレスにも手を広げていた。
時には地元のプロサッカーチームのレプリカユニフォームを着込んでゴール裏で歌い踊り、下部リーグに降格してしまった年にはサポーターミーティングで球団社長に「今期の監督決定と選手補強の迷走ぶりはどういう事なのか。明確なビジョンを持って選手や監督の決定をしていたのか」とフロント陣を糾弾した事もあった。(当時十七歳)
時には総合格闘技で外国人選手が見せた動きに魅せられ、録画しておいた映像を何度も巻き戻しては再生し、大きめのぬいぐるみ相手に極める練習をしていた結果ぬいぐるみの首がねじ切れるという悲惨な末路を迎えてしまった事もあった。(当時十五歳)
時には体育の跳び箱の時に男子と一緒になってふざけて、跳び箱八段目からの雪崩式フランケンシュタイナーを仕掛けたが足がすっぽ抜けて雪崩式パイルドライバーで頭部と背中を強打して悶絶という恥を晒した事もあった。(当時十歳)
このような前世の情けない姿を楓ちゃんにフィードバックさせてはならないと強く強く心に決めていたにもかかわらず、細身で筋肉質な男性……それも、ただ鍛えているのではなく戦う者独特の空気を纏っている姿に惹かれてしまうという癖は、もう魂に染みついているレベルだったようだ。出来る限り表に出さないように注意しよう。好きなものは好きなのだから仕方がないのだ。NAOYAカッコいいし。
「とにかく。あなたが普通だと思う事や褒めてるつもりの事でも、相手によっては嫌な気持ちになるの。覚えた?」
「……覚えた」
「うん、素直でよろしい。もう行って良いわ」
溜息交じりに笑みを浮かべて、正座したまま項垂れる弟の頭をぐしぐしと撫でてやる。照れくさそうに笑って自分の部屋に戻って行く弟の後ろ姿を見て、私は思う。
「可愛い弟だわ、本当に」
皮肉でもなんでもない、私の本心だ。
※
学院生活も二週間が過ぎれば通常の授業も始まって、入学直後の緊張感も徐々にではあるが薄れてくる。もうあと一カ月もすれば最初の中間学力考査、早い話が中間テストだ。気の早い先生は授業中に「ここは試験に出るぞ」とさり気なくアピールしていたりする。しかし、女子の一部はそれどころではない。
何故なら、今日は健康診断である。
体重の増減に一喜一憂し、胸囲の大小で格差が生まれる健康診断である。しかし悠星学院では胸囲の測定は行われないらしい。それを聞いてホッとしている女子が少数居たが、夏になり水着を着る機会が来た時に、結局は格差が生まれる。巨乳女子が「肩が凝る」と言えば貧乳女子は怨嗟の炎を燃やし、「持つ者は持たざる者に等しく与えよ」と共産主義紛いの事を主張し始める。そんな終わる事の無い怨念の連鎖を、私は前世で嫌という程見てきた。
現時点での結論としては「十二~三歳が気にしても仕方ない」である。私が“持たざる者”であるが故の開き直りでは無い。断じて無い。
「楓ちゃんスレンダーで綺麗だよ!なんか凄くバランスが良い感じ!」
「そうかしら……香澄ちゃんも、健康美って言葉が凄く似合うと思うわ」
「え?!そ、そんなこと無い無い!恥ずかしいからやめてよもう!」
閑話休題。健康診断は体育着姿で行われ、男子は男性の医師が、女子には女医さんが担当する。流石は名門私立、気遣いも完璧だ。体操着姿で私の体を褒めてくれて、こちらから褒めたら照れまくるという可愛らしい反応を見せてくれているのは、同じクラスの篝火香澄ちゃんだ。明朗快活な彼女はあっという間に男女問わずクラスの人気者になり、私とは特に仲良くなった。気が付けば「C組のアクセルとブレーキ」と呼ばれるようになった。もちろん私がブレーキで、香澄ちゃんがアクセル。名付け親は担任の大崎先生(三十七歳既婚女性、現代国語担当)だったりする。
「大体、ウチに“美”なんて似合わないよ」
「そう?私は香澄ちゃんは凄く可愛いと思ってるのだけど」
「あう……楓ちゃん、せめて冗談っぽく言ってよぅ……」
「……二つの意味で冗談じゃないわ?」
「むあー……」
顔を真っ赤にしながら健康診断用の書類が入ったクリアファイルで顔を隠す香澄ちゃんの可愛さは犯罪級だった。この場に女子しか居なくて良かったと思う。こんな香澄ちゃんを男子が見たら、その八割が惚れると思う。尤も、前世の記憶を含めても男性だった記憶は無いので、本当にそうなるかどうかはわからないが。
彼女をこのまま褒め倒してより可愛いところが見たい気持ちはあるが、この時点で周囲に(特に男子に)彼女の可愛らしさがバレてしまうのはよろしくない。だからといって話の流れ上褒め合う流れになった事を否定するのは不自然だ。
「それにしても、脚が長くて羨ましい……やっぱり、バスケとかやってるから?」
「え?どうなんだろう……身長はバスケやり始めてから急に伸びた気がする」
「いいなぁ。私もバスケやってみたいんだけどバスケ部の練習に付いていけなくて、背が伸びる前に違う意味でノビちゃうかも」
「あ、でもさ、遊びのバスケなら大丈夫なんじゃない?ウチの近所の公園にバスケットゴールがあるから、そこで一緒にやろうよ!」
「遊び程度なら……うん、やってみる。でも、下手でも笑ったら嫌よ?」
「笑わない笑わない!じゃあ、今度のお休みに予定が空いてたら一緒にやろう!約束ね!」
なので私はバスケの話題にすり替える事で修正を試みたところ、香澄ちゃんは見るからに喜色満面という表情で誘ってくる。うん、可愛い。
言い訳のようになってしまうが、話題の変えるタイミングなどは図っているのは事実ではあるが、会話の無い様に嘘は吐かないようにしている。それが私の決めたルールだ。バスケに興味を持ったのも、彼女の脚の長さが羨ましいのも全て本音だ。原作となったゲームに明確な前日譚が無く、それぞれの人物との会話の中からエピソードが断片的に語られているに過ぎない以上、私自身が不自然にシナリオを修正しようとする事で余計な齟齬が起きる危険性は極めて高い。したがって私にできる事は、出来る限り自然体で過ごすこと、そして登場人物の未来に影響を与える可能性を感知したらそれとなく別の話題を振ることだ。
正直に言えば、このような生き方を少なくともあと二年と十一カ月続けると思うと気が滅入りそうになる。こんな気分は香澄ちゃんと一緒にバスケをして発散する事にしよう。
ついでに微増した体重と余剰カロリーも発散する事にしよう。クリアファイルを握る手に力を込めながら、そう誓った。