46話 『宴の終わり』
「よう二人ともお疲れさん」
「GRRR……化け物め」
「ザルバルドが言う事じゃないわよねえ?」
「化け物ってのはさ、あれのことじゃない」
少し離れた空中で、リューコメラス達と合流したプロセラとツキヨ。
地上では、大僧正デンドロンの百拳王と、神衛ヴィローサの破滅魔が戦っている。
だが、今までの化身戦と違いそれほど音が響かず、周囲に攻撃も飛ばない。
観客は逃げる必要などなかったのである。
試合会場は、デンドロンとヴィローサが協力して展開した追加の結界により完全に封鎖されていた。
別に慈善からわざわざ力を割いて結界を張っているわけではない。
張らなければいけない原因、それはヴィローサの化身にある。
その姿は、神官服を簡略化したような白い貫頭衣を着た細身の白銀巨人といったところ。
問題は、大気を凍らせるほどの冷気を常時纏っているということだ。
ただ化身するだけならともかく、戦闘体勢になるとその名の通り、辺り一帯を破滅させてしまう。
結界の中は極寒地獄だ。
それと向かい合うデンドロンも尋常の姿ではない。
緑の金属光沢に輝くその巨体は、センペールの地租に多少似ている。
だが幹めいた腕が六本並列に接続されているために、より樹木らしい。
そしてその周囲には百拳王の二つ名を表すように、無数の拳が浮遊していた。
この拳を自在に操り、周囲の力を吸い取りつつ破壊する。
「それにしてもこれ、生態系とか大丈夫なのかな」
「大丈夫なわけないよねご主人」
氷の糸のようなものが空を飛ぶ拳と交錯し、凶暴なオーラに覆われた六本の腕と、通常触れるだけで致死となる白銀の掌がぶつかり合う地上。
あまりの低温に結界自体も凍りつき、中の様子がだんだんと視認できなくなりつつある。
確実にわかるのは、互いに膨大な力の余裕を残していて当分勝負が付きそうにないということだけ。
「終わるのかなあ」
「ほっといたら数日はやってそう」
「日暮れには地神様が止める、問題なかろうよ」
「誰?」
横から聞き覚えのある、しかし今までここに居た誰でもない高い声が聞こえた。
浮遊しているそれはどうやら女性であるようだが、黒い霧に全身が覆われていて判然としない。
「うおわあ?!霧王様!」
「「イ、イミタトル!」」
「誰よこいつ」
突然の大物の襲来にリューコメラスが慌てふためく。
もっと焦っているのは本選で当たって、手も足も出ずノックアウトされたザルバルドとファロだ。
よくわかってないフェルジーネと、そもそも昨日普通に話していたプロセラとツキヨは平常通りだが。
「そんなに私を怖がらずともいいではないか」
「馬鹿な、この化け物が昔どれだけマーシュで暴れ、ちげえ?!どうされましたので霧王様」
「あれは少々マーシュを商業地に改革しようとしただけであって悪意は別にだな」
「あ、どうも昨晩ぶりです。イミタトルさん何か御用ですか」
何やら確執があるらしいリューコメラスを無視してプロセラが話しかける。
だが、イミタトルはそれには軽く頷いただけで、黒い霧の中から数個の目玉を生成し、それでツキヨをじっと見つめた。
嫌がったツキヨが数枚の板を生成し、プロセラも割り込むが、イミタトルのそれには妨害にならないようだ。
「……いや、失礼した。やはり違うか、うむむ」
「「?」」
「GRRR、あいつらは何をやってるんだ」
しばらく沈黙していたイミタトルが、何らかの通信魔法を使用。
二人に直接伝言を飛ばしてきた。
((私の部下が一人、何者かに殺されていた。
操られていたような跡があったのと、魂の雰囲気がそこの子に似ていたので探していたのだ。
どうやら私の勘違いだった))
「大したことではない、邪魔したな。さらば」
イミタトルが去っていく。
用件を聞いた二人は、難しい顔でそれを見送った。
外の四人は首をひねっている。
「何だったんだ、まあ妙な展開にならんで良かったがよ」
「どうでもいいけどよお、この試合どうにか見えねえのファロ?
遠見の達人じゃねえのかよ“死帽”は」
「あたしには無理ねえ、結界内にレンズ作ろうとしたんだけど失敗。
イミタトルなら貫通できたのかもしれないけど、帰っちゃったし」
試合場は遂に誰も見通せないほどに隔絶され、何かがぶつかり合う音のみが聞こえてくる。
様子が全くわからないまま、一刻、二刻と時間が経ち会場は静まり返っていた。
「決勝戦もあんなだったしよ、なんだかなあ」
「演出が足りないさねー、私を見習うといいのさ」
「俺はつっこまねえぞフェルジーネ」
「R-R-R-R-R」
「ふぁああ、帰ろうかねえ。地神様には第十祭殿で会ったし」
「……待って、何かおかしいぞ」
「え、これまずいんじゃないご主人」
「けけ結界にひび入ってるぜ」
「離れるわよ!急いで」
「GRORRRRRRRRRRRR!」
パキパキと乾いた音を立て、試合会場を覆っていた結界が割れていく。
冷気が漏れ出し、観客席は大騒ぎだ。
プロセラ達も慌てて更に上空へと逃げる、逃げる!
そして、完全に砕け散った。
氷の破片が周囲に降り注ぐ。
内部にあったのは。
「こりゃあ……」
「すげーわよリューコメラス!やっぱり演出ね!」
「「……」」
「誰が考えたんだろ?」
「師匠じゃないのは確実だよ」
試合会場に、六つの巨大な氷像が出現していた。
勇ましく脚を振り上げるグレゴリーの黒毛象。
白炎の代わりに白濁した氷で表されたヴェルナの融解士。
雲をつくようなセンペールの地租と、それに絡みつく禍々しきイミタトルの暗雲。
大要塞号のまさに守護者というべき威容。
夕日を受けて不吉に輝く、今にも咆哮を上げんばかりの制圧者。
そして氷像の手前に、百の拳と六本の腕でそれらを彫ったと思しき百拳王が腕を組み、得意そうに観客席を見据えている。
肩には、本来の姿より少しばかり小型化した破滅魔が優雅に座っていた。
会場が熱狂に包まれる。
それに遅れてやや困惑したアナウンスが閉会を宣言し、地神が降臨して安らぎを振りまいた。
「観客の皆様、全てのイベントが終了いたしましたが、一つだけ大僧正様より連絡事項がございます。
“しばらくの間は氷像に近づくと死ぬ”
……だそうです」
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「……そうですか、ディアは相変わらずでしたか、成る程成る程。
気が変わったわけではなかったのですね、安心しました」
「それはいいんですが総長」
「ガノーデさん?」
「いやわかってます、わかってますよ。
化身戦は大成功ですね、ボーナスを出しましょう。
バルゼア騎士団と当たったのが特に良い、私達の仕事は発言権がいくらあっても足りませんから」
「あの、そっちの件ではなく」
「うむ……困った……大変に、大変にです、それは繊細な問題で。
おそらくセルカリアの工作員、あるいは首謀者か。
イミタトルが手伝ってくれるなら早いんですが、どうせ無理だ」
らしくない溜め息をついているのはゼムラシア探索冒険研究連合体総長、ガノーデ・アプランその人。
統一武芸大会から戻ってきたプロセラとツキヨの報告を受け始めてから、ずっとこの調子だ。
彼は強力な心読みのため、本来は近づいて挨拶するだけで報告終了なのだが、今回は勝手が違っていた。
悩んでいるのは二人の精髄目撃情報が原因なのは間違いない。
どうやら、セルカリアで起こっているというある厄介な問題と関連していると推測しているようだ。
「精髄で、殺して操る達人なのは確実なんですよ。
オークから抜ける瞬間をツキヨが目撃してるんで。
あと、あまり隠密関連の能力は高くなさそうです」
「そりゃ、あの魂の魔法があればね、ご主人」
「ツキヨさん、運転の際には思考は取れても記憶は取れないんですよね?
む、それは難しい問題だ」
「藤林三号のメモリを認識できるみたいなんで、生きた相手でなければ記憶も取れるような」
「鹿と数種の魔物ぐらいしかやったことないから、わからないよ」
精髄の運転能力は、まだいくつか不明な点がある。
暴走状態のリミットや殺して操作する場合の挙動などだ。
二人は敵を殺すことにもはや何の躊躇もないが、ちょっとした疑問のために人体実験するほど人間性を失ってもいないのだ。
必要もないのに知らない人の体内になど入りたくないというツキヨの事情もある。
「さすがの私でも、そんな事は求めませんから安心してください、信用無いですね……」
二人の懸念を読み取ったガノーデがまた溜め息をついた。
総長なら、実験のため囚人を連れてくるぐらいのことをやりかねない。
そう思わせるほどの威圧感を持っているのだ。
「とりあえず、保留にしておきます。
近いうち直接依頼する可能性があるので、一応覚悟はしておいてください」
「はあ」
「むー……」
なお、総長のポケットマネーから出された臨時収入は、そのほとんどが藤林三号の調整装備補充のため消えた。
正確には、想定される費用を出されただけなのだろうが。
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「それで、どうだったの」
「確かに儲かったが、こいつのせいで予想よりだいぶ少ねえ」
「リューコメラスさんすげえ!」
「失礼な奴ねー、私が稼いでる間酒飲んでただけじゃない。
リューコメラスの代わりにアズレウスが座っててもさ、小貨一枚分すらも収入変わんなかったわよ。
むしろ酒の分プラスになるさプラス。
ほら、あいつらが来たじゃない。聞いてみれば一発よ」
「すごくなかった」
「おい?!」
風を操作したリューコメラスが、向かいの椅子に座っているアズレウスを浮き上がらせた。
彼は先ほどジオ教団本拠地から戻ってきて風呂を浴びたばかりだ。
打ち上げのため“トンプソン”でプロセラ達と合流する予定だったが、先にヴァラヌスの仕事が終わったために結局二人を待たずに飲んでいる。
ヴェルナや“入道”他も誘ったのだが、ヴェルナは神衛の仲間と共にヴィローサに引き摺られるように列車に乗り、
“入道”は水精霊クリスタリナムがフェルジーネに怯えて近づこうとしないため同席不可能という結論に達した。
ザルバルドと共に北に帰っていったファロは、方向が違いすぎて不可能。
それ以外の現地で会った探索ギルド所属者は、そもそもリューコメラス自体から逃げたために誘い自体が成立していない。
結局普段と変わらないメンバーとなったのである。
「すいません遅くなりましたリューさん、ヴァラヌスさん。
それより何でアズレウスは浮いてるの」
「わたし達ガノーデさんにだいぶ捕まってたんだよ、あと長門影さんに色々頼むものもあって」
「ひさしぶり、二人とも」
「ちょっと聞いてよプロセラ。
リューコメラスが私が遊んだせいで精霊契約者杯後半に出られなくなったとか今更言ってるわけ。
酷いと思わない、収入源自体私なのにさ?」
「フェルジーネが何したのか知らない僕達に振られても困る」
「リューさんは確かにお酒飲んでただけだったけどねー」
「ぬう……まあ、飲もうぜ」
二人が席についたところで、店主グローブが追加の酒と料理を持ってきた。
毎回文句を言いつつも、こういうところはきっちりしているのは流石だ。
「私には大会が成立しなくなるような勝ち方ってのが、全く理解できないんだけど」
「それはだなヴァラ、話せばわかる。
一日目の時点で、一回戦、二回戦共に攻撃を無視して素手で引き裂いて、決勝は敵契約者の魔力が空になるまで遊んでから刻んだ。
二日目は三戦ともラウンドコール直後瞬殺。
三日目は対戦相手棄権で不戦勝三回。
四日目は大会不成立、五日目以降選手としての参加拒否」
「「……」」
「すげえ!」
「強いのは知ってるけどそこまで強かったかしら?」
「そりゃーあんたの牙が、私らみたいな完全霊気体だと触れただけで終了だからそう思うだけさね。
あの時の帰還者だって噛まれた瞬間から無抵抗だったっしょ?
普通の契約精霊なら何十匹居ても私には勝てないさ、密度が違いすぎるもの。
ま、世界全部探せば元々グレビーぐらいの達人に憑いてて、食べる約束もしててさ。
尚且つ食った分が減り始める前に、同等かそれ以上の属性が合ってる相手に憑き直せた精霊も他に一人ぐらいはいるかもだけど」
「危険ね」
「今更だ」
「そんなことより、あれは大丈夫なんですかね」
プロセラの視線の先では、アズレウスが普通に酒を飲んでいた。
確か肉体的には七歳児相当とかいう話だったと記憶しているのだが、ヴァラヌスは気にしていないようである。
別に子供が酒を飲んではいけないなどという法はバルゼアには無い。
しかし普通は飲ませないのではなかろうか?
「問題ないわよ。
こないだ調べたからね、吸血鬼は酒の分解に体機能が影響受けたりはしないの。
体内に酒精が留まってる間は酔うんだけど、じきにそのまま排出されるみたい。
だから飲ませることに問題があるとすれば金銭面だけの話」
「なんだそりゃ初耳だぜ、俺も吸血鬼なのに」
「バルゼア魔導ギルド医学部が最近出した専門書からだし、信頼していいんじゃない?」
「はあ、そうなんですか」
空になったアズレウスのコップに、ヴァラヌスがおかわりを注いでいる。
法的、肉体的な問題はないのかもしれないが、絵面は極めて悪い。
「まあご主人、わたし達が育ててるわけじゃないし」
「それよりツキヨ姉ちゃん、化身戦ってどうなったの、出てたんだよな?」
「勝ったよ。ご主人がちょっと楽しくなりすぎて暴れてたけどね」
「身体を操作してたのはツキヨじゃないか……」
「勝敗以前にだ、俺はあの外見に問題があると思うぜ。
こうバルゼア騎士団みてえにかっこよさを追及するべきだ」
「機能性重視なんだよ、リューさん」
少人数の宴は、いつものように店主に追い出されるまで続いた。
二人が自宅こと“アベニー”二階に窓から入るはめになったのは言うまでもない。
氷像は五年前に引き分けた時点から考えていたらしいです。




