37話 『ある一日』
「よおプロセラ兄ちゃん、ツキヨ姉ちゃん!」
「……アズレウス、何でギルド本部にいるの?」
「マーシュの街に住むんじゃなかったっけ」
吸血鬼少年、アズレウスをドラド方面へ送り届けてからしばらく経っていた。
今でもプロセラとツキヨは相変わらず狩りをメインに暮らしている。
もちろん、ヴァラヌスやら総長ガノーデやらから怠慢を怒られない程度には依頼もこなすのだが。
……ということで、数日振りに依頼掲示板を見に来た結果がこれである。
二人が顔を見合わせ、首をひねった。
「それは私が説明するわよ」
いつの間にやら後にヴァラヌスが立っていた。
ここ数ヶ月の間彼女はずっと隠密迷彩に凝っていて、二人が運転状態ですら注意しないと感知から漏れるほどの隠蔽力だ。
このままのペースで精度が上がっていくと、数年後にはガノーデ並みの超隠密になってしまいそうである。
「はあ」
「ヴァラヌスさん、なんか最近ガノーデさんに似てきたよ。
隠れて背後を取るの怖いからやめてほしいな」
「意外と楽しくてねえ。
んでアズレウスだけど、まあ大体リューコメラスのせいね。
元を辿ればもちろんアズレウスの両親が原因なんだけどさ。
あれよ、十年も実家ほっといて戻ってきたかと思えば開口一番“子供預かって”とかさ、そりゃ切れるわよねリューコメラスの親も」
「それはまた」
「けどリューさんあんなにあちこち移動しながら仕事してて、アズレウスを育てられるの?」
「無理に決まってるでしょ」
「「え」」
「ヴァラヌス姉ちゃんの家に住んでるんだ俺。
んで昼はここの二階。忙しい時は留守番してるけどな。
もうちょっとしたら、手続き終わってドラド人からバルゼア人になるんだって。
そっちはよくわかんないけど」
「珍しくリューコメラスが泣いて頼んできたからね、行き倒れを生きたまま埋葬するようなあいつが。
ガノーデや他の職員たちもなんだかノリノリで手続きして、そういうことになっちゃったわけ。
あいつの稼ぎの一部が養育費として天引きされて、アズレウス名義で貯金されてる。
その金で、来年には学校に行けるわね」
苦笑いしつつも嬉しそうに話すヴァラヌスをぽかんと見つめる二人。
「わたし、ヴァラヌスさんの家ってすっごい教育に悪いと思う」
「うっさいわ。酒部屋には鍵かけたし、この子のために机と筆記用具と子供向けの本も買ったのよ。
それに、吸血鬼は野菜食べないから料理はしなくていいの」
「いいのかなあ」
「いいのよ。ねえアズレウス?」
「おう!」
どう考えても不安なのだが、元の状態と比べれば確実にましということに思い当たる。
正直なところ他人事であるし気にしないのが最上だろう。
「ほらね、本人も言っているでしょう。
っと忘れてたわ、ガノーデから指令が出てるわよ」
ヴァラヌスが数冊の本と、正体不明の魔法道具が入った袋をプロセラに手渡した。
うち一冊はえらく分厚い。
「うええ、なんですか」
「嫌な予感するよご主人」
「プロセラさんに学習していただくオーク語の教材です。
ガノーデ曰くイングリッシュと九分九厘同一なので、あなたなら半年もリハビリすればある程度理解できるだろうと。
中身はゼムラシア共通語とオーク語の辞書とガノーデ作の教本、それに発音と簡単な会話が記録してある音声再生機。
そしてもう一つ、ツキヨさんにはこちらを」
ツキヨの手に小さく黒いカートリッジ状の物体が乗せられた。
ごくわずかに魔力が出ているが、魔法道具という雰囲気でもない。
「なにこれ」
「ええと、それは私にもよくわからないのだけど、長門影が藤林三号を運転して食わせてくれと。
飲み込めば自動であっぷでーと?
とかなんだかそういうのがされて藤林三号がオーク語を自動翻訳可能になるそうです」
「それ、僕の頭にも使えないんですかね」
「無理でしょう。
まあオーク語が喋れるようになる必要は無いそうです。簡単な文章の解読と聞き取りができれば十分とのこと。
学習時間ですが、日付を跨ぐ任務中を除き、一日半刻もしくは二日に一刻は触れてください」
「あ、はい、わかりました……ちくしょう」
「がんばってね」
「ツキヨも付き合ってくれ、頼む」
「たまにはね」
仕事モードのヴァラヌスの声が流れる中、プロセラががっくりと肩を落とす。
英語など元々うろ覚えである。
確かに前世の記憶は魂に刻まれでもしているのか、それほど薄れていない。
アルミラ家における幼少の記憶よりも濃いぐらいだ。
だが、それをすぐに使えるようになるかどうかとは全く別問題である。
「ふふ、頑張ってください。ああもう一つあったわ。
手紙が届いてるわよ、はいこれ。
私はまだ仕事が残ってるからまたね、アズレウスも上がりなさい」
「はい!」
階段を登っていくヴァラヌスとアズレウスを見送りつつ、溜め息をつくプロセラ。
既に依頼を探して請ける気力はなくなっていた。
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「インストール完了しました。再起動します」
ツキヨの運転する藤林三号がシステム音声を発し、藤色に輝く瞳が瞬く。
これでオーク語、つまり英語の会話・翻訳機能がつくのだ。
しばらく待ち、教材を見てもらうとまるでネイティブであるかのように流暢に喋り始める。
ちゃんと機能している事を確認したツキヨが、ずるずると藤林三号から這い出して元の姿に戻り一息ついた。
「すごいねー」
「すごいというか、ずるいな」
一方のプロセラは机に向かって総長のオリジナル教材とやらと格闘していた。
確かにわかりやすい。わかりやすいのだが辛いものは辛い。
ともかくメモされている通りにノルマをこなしていく。
「まだかかるのご主人?」
「今日の分はそろそろ終わり。いや終わらせたい。
それにしてもオーク語が必要な任務か、何やらされるんだろう」
「考えない方がよさそ。ところで、手紙って何だったの」
「手紙とは?」
「昼にヴァラヌスさんから受け取ったでしょ」
「ええ……ああ、あったあった。
忘れてたわけじゃないぞ、本当に。
なんだこりゃ、どこかで見たことがある印のような」
ここにきて英語を勉強させられる衝撃により、存在を忘れかけていた封書を取り出すプロセラ。
宛名は“ゼムラシア探索冒険研究連合体本部”となっており、下の方にプロセラが名指しされている。
手紙の形式にはそれほど詳しくないが、細かい送り先がわからない場合にやるような書き方だ。
かなり分厚く、小さな模様が十個刻まれた印で封がされていた。
「たぶんジオ教団の印かな。
本拠地の入山許可証に似てるよ、銀貨一枚のあれ」
「なるほど、けどセンペールさんかメタセか知らないけど名前ぐらい外側に書いておいてくれても、んんん?」
プロセラが眉を顰め、脱力する。
印をよく見ると、十個の模様のうち一つにとんでもなく小さな字で“センペール”と書かれていた。
「どうしたの」
「米粒アーティストかよ」
「久々の何を言ってるのかわからないご主人だ。で何?」
封書の中身は、ジオ教団本殿への招待状を含む十数枚の紙であるようだ。
期間は誕生祭の半月前から終了までを予定し、またこの用件ならば探索ギルドは確実に許可を出すだろう、と締めくくられていた。
誕生祭は、ゼムラシア大陸全土のさまざまな地域で二人の神のうちどちらか、あるいは両方を奉り行われる。
開催日や期間は場所により多少異なるが基本的に早春だ。
なかでも大神殿とジオ教団の山で行われるものは規模が大きい。
「やっぱしセンペールさんからのだ。
誕生祭への招待状もあるな、でもえらく期間が長い。
ジオ教団本拠地の誕生祭は十日ぐらいあるから、この手紙の通りなら三十日近く空けなきゃならないぞ。
あとこの異様にびっしり文字が印刷された書類は何なんだ」
「もしかしなくても、統一武芸大会に出ろっていうんじゃないのこれ」
「そういえば、前回は大神殿開催だった」
ゼムラシア統一武芸大会は、五年に一度ジオ教団と大神殿が交互に主催するシングルイリミネーション形式の大会だ。
誕生祭に合わせて行われるそれは、元を辿れば天神や地神への生け贄の儀式であった。
二人の神の“生け贄を貰っても嬉しくない”という身も蓋もない意見により、祭りの一環としてのものに変化したと言われている。
もっともルールや結界による客席の防衛こそあれど、様々な種族や組織の精鋭達が魔法や体質そして武術をフルに使って戦うため多少は死人が出るのだが。
数千年にわたり続けられているそれは、今や単なる娯楽ではない。
無名の強者が名を上げる夢を見て集ってくるのはもちろん、各国、各組織が武力の一端を見せ付ける場にすらなっている大規模なものだ。
いくつかの種目に分かれており、それぞれの上位者や優勝者にはジオ教団や大神殿を含む協賛者達により、さまざまな報酬や権利が与えられる。
もちろんゼムラシア探索冒険研究連合体も協賛組織の一つ。
「出たいとか出たくないとかより、いいのかなー」
「申請書類を見る限り、偽名も正体隠しも問題ない。
前回は竜が出場してたらしいし、オークが上位に残ったこともあるみたい。
もちろん僕達が出るかどうかは別問題だ」
「でも出る場合、探索ギルドとしての出場になるんじゃない?」
「その辺はわからないな、総長に会ってみないと。
ってか出たいのかツキヨは」
「うーん、わたし自体は人前なんか出たくないけど、藤林三号で出場したら面白そうで。
色々できるんだよあれ」
藤林三号は、プロセラとツキヨが長門影から受け取った機甲者だ。
本来はこれに魂か人工知能を入れて起動させるのだが、ツキヨは精髄の能力で直接乗り込み操作できる。
いわゆる古代兵器の一種であり強いことは強い。
しかしわざわざ使うほどでもないため、二人の部屋を狭くしているだけの存在だったりする。
「装備品の定義の話が絡んできそうだ」
「精霊契約者は精霊と一緒に戦ってもいいみたいだよ。
あとゴーレムや魔物を操るのも大丈夫」
ツキヨが書類を眺めながら呟く。
思ったより規則は緩いというか無いに等しい。
「精霊が認められるなら藤林三号もいける気がするぞ。
それにしてもサブ種目が面白い。
参加者八人限定だし賞金もそんなでもないけど、精霊契約者の精霊単独のトーナメントとかある」
「その条件だとフェルジーネ最強じゃ?優勝できそう」
「かもしれない」
「どっちにしても休みは取ろうよご主人。
出場はともかく遊びに行きたいと思わない?」
「うん。
幸い誕生祭は三ヶ月以上先だし、今から申請しとけば特務で変な仕事入れられることもないだろ。
明日にでもやっちゃおう」
「今から行けばいいと思う。まだ開いてるよ本部」
至極もっともなツキヨの意見により、二人は早速本部に向かい、総長ガノーデに誕生祭前後の長期不在を申請した。
休暇を取ること自体は依頼を請けないだけで勝手にできる職場のため、できればこの期間は呼び出しをしないでくださいといった程度のものであるが。
ゼムラシア統一武芸大会の個人的出場も特に問題はないらしい。
組織として云々よりも、出場人数中の探索ギルド所属者を増やす事に意味があるとのことだった。
「久々に会ったけど総長は相変わらずだな、寿命が縮まるよ」
「わたし達にもう寿命の概念は無いけどね」
「そういう気分がするってことだから。
それよりツキヨ、大会期間中会場内での制圧者使用許可が出たんだけど何故」
「さっぱりわかんない。
あれが使えるような種目あるのかなー」
「まさか……」
ベッドにもたれかかりながら、センペールの手紙に同封されていた書類をめくるプロセラ。
薄い紙に裏表びっしりと字が印刷されているそれを再度読み進めていく。
そろそろ前世と今の人生の期間があまり変わらなくなりつつあるプロセラだが、毎度ながら印刷技術と紙の質には感心する。
進んだ科学は魔法と区別がつかないとかなんとかいう言葉は誰のものだったか、どうやら逆もまた真なりのようだ。
「どう?」
「まさかだった。本当にあったぞ。
ジオ教団側で開催される時のみの種目で、特別会場で行われる化身状態前提のエキシビジョンマッチが。
客は山一つあけて遠見で観戦するんだってさ。
化身の許可出したってことはこれに出ろってのか、出場条件すら書いてないんだけど」
「なんか危なそう」
「絶対危険だよ。というかいくつかの種目は観客の命の保障がないみたいだしな」
「でもアルテミアやドラドの闘技場だって無保証だもの。
本選だけでも保障があるほうがすごいと思うよ」
「みんな命賭けるの大好きだよなあ、本も賭け事も酒も薬も春も劇も祭りも大体自由なのにさ」
「わたし達も結構命かかってる仕事だけど毎日楽しいよ?」
「言われてみれば何もかかってないオーク語の勉強は楽しくない……」
「がんばって」
「そりゃ、やるけどさ。仕事だし」
「がんばって」
「……」
ツキヨの応援は明らかに棒読みだ。
彼女の英語学習は長門影製作の翻訳ソフトを藤林三号にインストールするだけであり、とっくに完了している。
プロセラと藤林三号のどちらにでも運転できる以上、本人が勉強する意味が全く無いため完全に他人事なのである。
とはいえ運転した藤林三号に翻訳と会話を手伝わせれば、学習効率が段違いになる。
一ヶ月ほど後、ふとそのことに思い当たったプロセラは消費した無駄な時間を思って泣いた。
次から学園編
……なんてことは決して無いのでご安心ください。




