35話 『迷子』
「おい、誰だそいつ?」
“トンプソン”のカウンター席でちびちびやっていたリューコメラスとフェルジーネが不審そうにプロセラ達を見た。
鞄を背負った青い瞳の少年が、ツキヨの仕事着の裾を掴んでいる。
「リューさん、フェルジーネ、こんばんは。
いや、誰だとか言われても僕にもよくわからないです。
明らかに浮浪者じゃない見た目だし、ここの客の子供かと思ったんだけど違うっぽくて」
「店の入り口で酔っ払いに絡まれてたから、回収したんだよ。
けど名前も教えてくれないし困ってるの。
わたし達自体はご飯食べにきただけ」
「待てツキヨ、酒だよ!」
「はいはい。
でね、探索ギルド本部も近くの警備兵詰所も閉まってる時間。
ご飯食べたら貴族街の方の詰所にでもつれていこうかなって」
心底めんどくさそうに少年を眺めるツキヨ。
仕事で日帰りギリギリの距離まで遠出していたので、体力はともかく精神的に疲れているのだ。
ゆっくり食事して自室で休みたい。
「昼間ならたぶん放置するんですけどね、さすがに今の時間じゃ」
「ふーん。飼うの?」
「飼わないよ?!何言ってんだフェルジーネ!」
「なるほどなあ、だが俺には、ありゃ?
おい坊主お前どこから来た、家この辺じゃねえだろ」
「!」
少年が目を見開き、ツキヨを引っ張ってリューコメラスから離れようとする。
「なんかすっごい怖がってるよリューさん。わたしの服が傷んじゃう」
「いや、近くで子供の吸血鬼なんぞ見た事がねえと思ってな」
「この子吸血鬼なのか、言われてみれば反応がヒトっぽくなかった。
っていうかバルゼア人じゃないなこの子。
髪の毛ぱさぱさ」
バルゼアの建物には九割以上の普及率で給湯器付き水道が通っているし、洗剤類も安い。
そのためまともな服を着ているようなバルゼア人は、基本的に風呂に入っているのだ。
「そ、そうだけど、悪いか」
「別に悪くはねえが」
「お客さんら、話すことがあるならボックス席に移ってくれますかね。
あと加減無しで呑まんでくださいよそこの二人は」
店主グローブのもっともな横槍が入る。
謎の少年もそれには大人しく従った。
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食事を済ませた後、プロセラ達はリューコメラスの家に少年を連れてやってきていた。
プロセラの家でないのは“アベニー”が既に閉まっていて、窓からしか入れないのをリューコメラスが嫌がったからである。
「それでリューさん、どうすりゃいいんですかね」
「ぬう、どうすっかなあ」
「服引っ張るのやめてくれないかな、えっと、アズレウス」
少年は吸血鬼で、マーシュという街からドラド経由で列車に乗ってバルゼアにやってきたらしい。
しかしその他の応答がどうにも要領を得ないのだ。
「ねーリューコメラスさ、こいつ家出じゃないの?」
「家出する必要があるようにゃ見えねえけどなあ。
金も持ってたし、別に虐待されてるようにも見えん。
そもそもだ、ドラドの身分証持って列車で来てるんだから不法入国じゃねえ。
マーシュから来たってのも嘘じゃなかろ、ゼムラシアで一番大きな吸血鬼の里だしな。
俺の故郷でもあるぜ」
「吸血鬼で十一歳って、ヒトでいうといくつぐらいなんですか?
コップ一杯のミルクで一日過ごせるとか言ってますけど」
「少しばかり成長遅いからよ、ヒトなら七歳はいかんぐれえかな。
坊主、本当に親はいねえのか」
わずかに打ち解けたアズレウスに、リューコメラスが何度したかわからない質問を投げる。
「いないって言ってるだろ!」
「私いい事考えたんだけど」
フェルジーネが腕を組んでにやりと笑った。
この風精霊が思いつくことは大抵ろくでもないので、プロセラなどはあからさまに警戒している。
「ほう」
「アズレウスさ、リューコメラスの実家に預けたら?
いくら不良でもこの悪漢に比べたら聖人みたいなもんだし、きっと可愛がってくれるよ」
「おい俺はよくできた息子だし善人だ、風評被害だぜ。
第一、元はあのグレビーとかいう悪魔に憑いてたてめえが、俺に悪漢とか言う権利はねえぞ」
「「「……」」」
「何とか言えよ?!」
「リューさんは頼りにはなるし割とお人よしだとは思うけど、絶対に善人じゃないでしょう」
「善人は普通、店から追い出されそうになるぐらいお酒飲んだりしないよね」
「そこでなんで僕を見るのさツキヨ!」
「どんな家?」
ぽつりと呟いたアズレウスがリューコメラスを見る。
その目は真剣だ。
「どんなってよアズレウス、てめえの家とあんまり変わらんのじゃないか。
そもそも連れて行くとはまだ言ってねえぞ、別にいいけどよ」
「俺の家……」
「実際にリューさんの実家に預けるかはともかく、マーシュに戻すのは間違ってない気が。
この子バルゼアに居ても何もできないし。
虐められたような跡もないんでしょ?
戻して悪くなるとは思えないけど」
服の裾を掴んで弄り回されるのにいい加減耐えられなくなったツキヨが、念力でアズレウスを引き剥がしながら提案した。
リューコメラスが言うには六から七歳児同等ということで、さすがに普通の仕事ができる歳ではない。
かといって孤児院やらに送ってもあまりいい事にならなさそうなのも確かだ。
「一つ問題があってよ、こいつを届けるには俺が行かなきゃいけねえんだよなあ」
「どしたのさ?私は行きたいね。
吸血鬼の里マーシュっての見てみたいもの。
リューコメラス最近新しいところ連れてってくれないし」
「いやな、俺も十年位家にゃ戻ってねえし、連れて行くのは別にかまわねえ。
だが明日から五日ほど仕事が入っとる。
行き先はドラドなんで合流は向こうの支部で可能だが、それまで誰かに、いやお前らに預かってもらう必要があるってことでよ」
「五日、かあ」
「どうせ本部であっちの通行証取るのに二、三日待つし、この子連れてたら多分移動も二日かもう少しかかるから問題無いでしょ、ご主人。
正直めんどくさいなーとは思うんだけどね、ほっといたら化けて出そうで寝覚めが悪いよ」
「化けないよ俺」
「預かりたくないとかではなくてだ、ミルク以外何食うのかなって。
僕は吸血鬼の子供の食事なんて知らないぞ」
神妙な顔でお茶を飲んでいるアズレウスを眺めるプロセラ。
この小柄な少年が将来リューコメラスのようになると思うと、不思議な感覚だ。
「液体なら大体なんでもいいと思うが、俺に子育ての経験はねえ。
昔何食ってたかなんざ忘れたぞ」
「ご主人が血をあげればいいんじゃないの。
すぐ回復するから減らないでしょ」
「その手があったか」
「俺、そんな小さい子に見えるかな。
あとヒトの血なんか食べたことないから嫌」
「でもアズレウス、ご主人の血なら無料なんだよ」
「待てツキヨその言い方は語弊が」
「漫才は勝手にしやがれ、俺は明日早いしそろそろ寝るぞ。
何にしろ、五日後より後にドラド支部まで連れてきてくれ、礼はするからよ」
「わかりました。
ならその方向でお願いしますねリューさん」
プロセラ達が出て行くのを見送るリューコメラスとフェルジーネ。
意外な事にアズレウスも素直についていっている。
「それにしても、さっきの子さ、何で一人でバルゼアまで出てきたんだろ?」
「わからん、お手上げだぜ。
マーシュに住んでりゃ誰かに狙われるなんて事は無いはずだが」
「結局行かなきゃわかんないわね。
ところでさ、珍しく優しかったよ今日のリューコメラス、ちょっとびっくりしたのさ」
「……同属同郷だしな」
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一方、“アベニー”二階ではアズレウスが大騒ぎしていた。
理由はだいたい部屋のレイアウトにある。
住み始めて二年以上経ち色々物も増えたが、巨大なベッドとクローゼットがドンと置いてあり、様々な素材が吊られているのは初期と同じだ。
「なにここ、怖い」
「何って、ここが僕達の家だ。
んでアズレウスが三日の間寝る場所」
「なんで窓から入ってるの?」
「夜遅いから。昼は普通に下から来れるよ」
「そ、そう。大変だね?」
挙動不審のアズレウスを適当にあしらいながらいつものように着替え、お茶を淹れてリラックスするプロセラとツキヨ。
ちゃんとしたコップが二つしかないため、アズレウスの飲むお茶はボウルに入っている。
数日泊めることも、ドラドへと送っていく事も、面倒とは思っているが特に異論は無い。
もっとも、歓迎しているわけでもないのだが。
「アズレウス、風呂の入り方はわかるよね」
プロセラが何やら考え事をしつつアズレウスを見つめた。
どこまで手を出すべきか彼なりに悩んではいるのである。
「当たり前だ、十一歳だぞ」
「それもそうか、いっておいで」
「でもご主人、ヒトに直すと七歳行ってないぐらいだってリューさんが言ってたよ」
「だから姉ちゃん、それは体の大きさだけだつってるだろ!
俺はお金の計算だってできる」
「本当かな?」
「どうだろ」
上着を脱いで鞄から着替えと手拭いを出し、風呂場に走っていくアズレウスを見送る。
しばらく後、風呂場から絶叫が響き渡った。
板による防音がなされてなければ、階下のケリー達を起こしてしまいかねない程の声。
慌てて二人が向かうと、熱湯が広がる床でアズレウスが飛び回っていた。
「たた、助けて!俺が悪かった!生意気言った!」
「やっぱりついていくべきだった」
「そりゃお風呂はともかく給湯器の操作方法なんてわかんないよね、うん」
結局二人で入浴を手伝う羽目になったのである。
そしてアズレウスの服に浄化球を使ったり、本日の収支を記録したりしているといつの間にやら夜半になっていた。
……しかし。
「寝なさい」
「もうちょっと遅くならないと眠くならないんだ」
退屈そうなアズレウスが机の上にある何かの牙を弄り回している。
どうやら落ち着かない等ではなく、本当に眠くないらしい。
「眠くなくてもいいから寝てね。
わたし達が寝られない」
「だって起きとかないと大きくなれないって……」
「ねえツキヨ、やっぱり吸血鬼って夜行性なのでは」
「リューさんは普通に夜寝てるし違うんじゃない?」
「夜行性ってなに?
けど、父ちゃんがいた時は日が昇る前ぐらいに寝て昼起きるのが普通だった」
「情報が少なすぎる」
「じゃあ、起きててもいいけどこっちには入れないようにするからね。
水道とお手洗いは勝手に使って」
溜め息をついたツキヨが、断り無しに触れて欲しくないものを次々と隔離していく。
ついでに一人用のマットレスを作成して床に置き毛布をかける。
アズレウスは多少魔力が視えるようで、興味深そうにその様子を眺めていた。
「いつ見てもその魂の魔法は生き物の管理に最適だ」
「子供って言って欲しいな」
「今のところ性格とかが向いてないと思う」
「むー、まあ、寝ようご主人?アズレウスもおやすみ」
最後に二人の乗ったベッドが板で覆われた。
幸いな事にアズレウスは吸血鬼であり暗視ができるため、灯りも消せる。
こうして二人の睡眠環境はどうにか守られたのだった。
そして翌日。
「困った」
「困ったね」
いつものように食事して、いつものように狩りに出ようとしたプロセラとツキヨが固まっている。
原因はもちろん昨日拾った少年だ。
“アベニー”で昼食を摂るまでは大人しくしていたのだが、出かけようとしても離れてくれない。
なおアズレウスの食事は、彼自身の財布から出した金でミルクを注文するという事で落ち着いた。
最初はボウルにプロセラの血を注いで渡したのだが、普通に泣きそうな顔をされたので廃棄したのだ。
二人の吸血鬼に対するロマンがまた一つ崩れた事を彼は知らない。
「危ないからさ、家で待っててくれないかな」
「貴重品とかは触れないようにしてるし、勝手に使っていいよ?」
アズレウスを置いていっても問題が起こらないよう、部屋は昨晩以上に丁寧に板により処理済みだ。
なお、操られていたり見た目相応の年齢でなかったりする可能性は無い。
悪いとは思いつつ、彼を風呂に入らせた時にオーラや簒奪管を通して綿密に調査したからだ。
「頼むから連れてってよ、俺大人しくしてるし。
少しは魔法も使える」
「だめだよ。監禁するしかないね、ご主人」
「や、嫌だ、やだぞそれ、すっげー嫌な予感する」
「監禁は最終手段だ、何かないかなあいい方法」
「要するに、アズレウスは家に居たくないんだよね。
んー……そうだご主人、あれ本人しか使えないんだっけ?
ほら特務員のさ、申請すればいつでも本部二階の小部屋が使えるってやつ。
布団とか机とか洗面台とかあったよね」
「指定した一人とかいう表記だったし、可能だと思う。
けど託児に使うのはどうか」
「何それ、それがいい、面白そう」
「アズレウスもいいって言ってるし、そうしよ。
ついでに総長が暇そうなら見せれば謎も解けちゃう」
「ツキヨ、預けるのはいいけど総長に直接借りを作るのは却下。
第一、これ以上怯えさせてどうするのさ」
「それもそうねー」
「わかった。で、本部って何、姉ちゃんたちの仕事とは関係ないの?」
「絶対わかってないだろアズレウス」
「行く途中に説明すればいいよ」
無邪気にはしゃぐアズレウスを引きずり、自宅を後にする二人。
それを遠目で見ていた“アベニー”店主ケリーが不思議そうに首をひねった。
平和です。




