02話 『姉』
秋も深まり、肌寒い風が吹く河原に二人の男が向かい合っている。
一方はフルフェイスの兜を被り、木剣を構えた隻腕の大男。
そしてもう一方は少年……14か、あるいは15歳ほどだろうか?こちらも木剣を構えている。
よく見れば、彼らは通常の状態ではない。
大男の方は全身が岩に覆われ、対する少年の身体からは曇り空なのにもかかわらず、陽炎が立ち昇っていた。
緊迫した空気。しばしの静寂の後、雲間から太陽が覗いた瞬間に合わせて岩に覆われた男が仕掛ける。
大きく踏みしめた地面から土煙が上がり、轟音と共に周囲の石が浮き上がる!
「石滝!!」
男が叫んだ直後、無数の石片が少年に降り注いだ。
しかし少年は微かに顔をしかめただけで怯む様子も無く木剣を振り回して、石片を弾き飛ばしつつ、文句を言いながらゆっくりと迫る。
「いくら訓練でも、息子に不意討ちで攻撃魔法ぶち込むのは酷いだろ!」
「バカを言うな!お前相手に手加減などしたら命がいくつあっても足らんぞ!」
兜の奥で男が吠え、そのまま至近距離で競り合いが始まる。
リーチでは男が勝るものの、少年の剣は速い。
左!右!左!上!右!右!速度に任せた連打が襲う。
それを右腕一本で器用に受け流す男。だが、じわじわと押されつつある。
やはり隻腕のペナルティが体格の優位を上回るのか。
もはやこれまでか?その時、岩に覆われた身体が爆ぜ、砂を撒き散らした!
事前動作無しの目潰しに少年の動きが一瞬だけ鈍る。男が左肩を前に出す。
しかし、そこには当然……いや、腕が……生えた!岩石で形成された腕が少年に向かって勢いよく伸びる。
二重のフェイントを仕込んだ必殺の一撃。しかし、その腕が少年を捕らえることは無い。
かん、と軽い音が響き、岩腕を高く飛んで回避した少年が男の頭を打った。一本!
軽く溜め息をついた男が兜を脱ぎ、腰を下ろす。その身体から岩と砂が滑り落ち、厚手の服が現れる。
少年も一礼した後、その場に座り込んだ。もう陽炎は見えない。
「ううむ……ずいぶん強くなってきたなプロセラ。生命魔法を覚えた!などと言ってきた時は、
あれを人間が使って役に立つものかと心配していたが。今や俺では魔法を使ってもなかなか勝てんとは」
「そりゃ身体の分昔より強くなってるし、生魔道士としても慣れてきているとは思うんだけどね」
「何ぞ気になることでもあるのか?」
「だって、この村には父さん1人しか軍人……と言うか戦士自体が居ないし。
父さんも退役してだいぶ経つし、強さの基準が無い。
いくらなんでも馬で一刻半もかかる父さんの職場まで行って、手合わせお願いするのはねえ」
父、つまりオストロ・アルミラは息子の言葉にしばし考える。
成長したものだ、という単純な感想。
そして、自分が今どの程度強いかを。
「俺の強さ、か。それほどは衰えてないと言いたいが、昔と比べるとな。これでも50が近いんだぞ。
と言っても並みの軍人や低級冒険者よりは少しだけ強いはずだ、多分な。過信はするなよ?
後、この村に俺しか戦士が居ないというのは間違いだ。」
「そんなもんか……あれ、このあたりで他に軍属の人とかギルド冒険者とかいたっけ?」
そう……ここらはとんでもなく平和なのだ。はっきり言って何もないといっていい。
のどかな、そして寂れた農村。
強者や要領のいい人は大抵首都のほうに出て行ってしまう。その分事件などもないのだが。
「何を言っているプロセラ、ヴィローサがいるだろう。ある程度自由時間が取れるようになったらしい。
来期には定期的に家に顔を出すようにすると言っていたから、戻った時相手してもらえ」
「姉さんが?僕が小さいころに文字教えてくれたり本読んでくれたりしたあの?大神殿に就職して修行してるあの?」
ヴィローサ・アルミラ。年の離れた姉で、プロセラはもう8年ほど会ってない。
確かに厳しく、というか乱暴で押しが強くはあったが、あまり肉体派のイメージではない。
というよりも、神官の修行をしていたのではなかったのだろうか?
「そうだ、他に姉はいないだろう」
「いや、戦士?なんで?」
「おや、お前には言っておらんかったか?モリーユ母さんからも聞いてないと?あのな、ヴィローサは神官ではないぞ。
あいつは神殿騎士だ、それも大神殿直属特殊部隊、神衛。その気になれば、俺など一呼吸の間に10回は殺されるだろう」
「えっ……」
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田舎道をぶらぶら歩く黒髪の少女。彼女は極めて機嫌が良かった。
祖母に頼まれたお使いが終わり、しばらく自由だ。
その時、近くの藪が動いて丸い塊が覗いた。
この辺りで豆猪と呼ばれている動物で、子供の膝丈程の大きさしかないのだが、鋭い牙と蹄で土を掘り返し畑を荒らす害獣だ。
更に魔力に敏感で、多少の魔法ならかわしてしまうため駆除が難しい。
だが彼女にとって、そいつが害獣であることは今さほど重要ではない。
「肉!」
そう、豆猪は害獣であるが、美味な肉が取れる動物でもあるのだ。
少女は念力で豆猪を上空に跳ね飛ばし、そのまま地面に叩き付けて仕留めた。
豆猪の反応速度を越える一瞬の早業だ!少女の、念力は、威力こそ大したことはない。
しかし射程の長さと高い操作性により、中型・小型動物の狩猟には圧倒的な能力を発揮する。優秀な狩人なのだ。
「今夜はご馳走ねー……あれ、どちら様ですか?」
先ほどの藪が再びガサガサと音を立て、今度は人が現れた。騎乗用猛禽に乗っている。
馬よりも素早くタフだが、代わりに気難しく値段も高い猛禽。
それに乗っているということは相応の人物と言うことだ。
よく見ると、乗り手は女性だ。つばの広い金属製の帽子から短いが美しい銀髪がこぼれ、鈍く輝く武器らしき棒を背負っている。
女性がじっと少女を見た。
「こんな田舎に念動士とは珍しいわね、っとそうじゃないわ」
「あ、お姉さんが狙ってた獲物だった?ごめんなさい」
女性が噴き出す。ひとしきり笑うと、猛禽から降りて少女の前にやってきた。かなりの長身だ。
「いやそれはないわ、同じところから出てきたのは偶然ね。で、あなたってこの辺の人?ちょっと聞きたいことがあるのだけれど」
「あっはい」
「ええとね、アルミラの家への道を知らないかな?久々に来たら迷っちゃってさあ」
「アルミラ!?」
「そう」
「えと、知ってる……いや、住んでる!ちがう働いてる……ので案内しますね。ところで、何の御用です?」
「……もしかしてツキヨちゃん?」
「はい。どちらさまですか?」
「私ヴィローサよ。長女のさ、アルミラ・ヴィローサ。覚えてる?さすがに覚えてないか。
そうよね最後に見たときまだあなた喋ってなかったものね、でさ、親父とか母上とかマンネンさんとかカワラおじちゃんとかエノキさんとかあとプロセラちゃんとか元気かな、家とか壁とか古くなりすぎて壊れてない?あとツキヨちゃん細くない?
11歳かそのぐらいよねあなた、ちゃんと食べてる?それと親父はまともに仕事できてる?あのオッサン子供の頃の私より
本読むの遅かったし。それとね…………ええと……でさ…………あら?」
猛烈な勢いで喋り続けるヴィローサ。どう反応すべきかわからないツキヨはとりあえず肯き続けた。
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アルミラ家、玄関前。
「……ってことがあったのですよオストロ様。あとご主……じゃないプロセラ様。あれ?モリーユ様はどちらに」
「モリーユは書類を届けに出かけとる。しかしまさかツキヨちゃんがヴィローサを連れて来るとは思わんかったぞ」
「ね、姉さんおひさしぶりです。あとツキヨはその豆猪を調理場へ持っていったほうがいいと思う」
「あいあいご主人。じゃ、あとでー」
ツキヨはぺこりとお辞儀をし、裏口へと去っていった。
ついでに念力で無理やりお辞儀させられた豆猪の死体も。
その様子を見て、ヴィローサがくすくす笑う。どうやらブラックユーモアめいたものは彼女の笑いのツボのようだ。
このままでは話が始まらないと、オストロが口を開く。
「というかヴィローサよ、こっちに来るのは来期以降って話ではなかったか」
「何言ってるのよ親父、その連絡入れたのいつだと思ってるわけ……あれから半年は経ってるわよ」
「おや?」
「おや?じゃないわ全く、相変わらずそういう管理ダメね、母上も大変だわ、どうせまだ家の帳簿も近所の管理も、
全部丸投げしてるんでしょ……ねえ?」
容赦無いヴィローサの突っ込みにじわじわ後ずさるオストロ。会えば色々言われるとは思っていた。
だが、突然の帰還からの身構える間もない口撃と威圧で、既に彼の精神は限界だ。
「いや、まあお疲れ様、久々の実家だ。ゆっくりしていくといい。そうだ、プロセラがお前に稽古をつけてほしいと言っておった。
こいつは生魔道士だから少々荒っぽくしても平気だぞ。それじゃあ俺はちょっとやることがあるからな、また夕食の時に」
言うが速いか、オストロはドアの中に滑り込み、あっという間に自室へと去っていった。残された姉弟。
「ちょっと父さん何言ってんの?!……あーあ」
「親父は全く変わってないわねえ。いいけどね、変わってないって事は悪人にもなってないって事でしょうし。
ところでプロセラ、あなた生魔道士ってほんと?珍しいわね。
生命魔法は切り株野郎共の専門技能だと思ってたわ、一応獣人がそれっぽいの使ってるのを見たことはあったけども」
「切り株野郎?」
「木人。知らない?この辺には多分いないけどね、敵に回すと厄介なの。
すごい怪力だし、バラバラにして火をつけてもほっとくと復活するし、こっちの生命力を吸い取ってきたりも。それが生命魔法の効果なんですって」
「あー……近いかも、大体そんな感じ。確かに骨折とかぐらいならすぐ治る。ただヴィローサ姉さん、
僕は生魔法専門だから死魔法の生命吸収とか衰弱エンチャントかそのへんはできないよ」
適当に返しつつ、プロセラは半日だけ生魔法の師となってくれた木人のことを思い出す。
姉にこの話は絶対しない方がいいだろう。戦僧正セコイアは、神殿と仲が悪いようなことを言っていたし。
「ふうん、面白いわねえ。よし、ちょっと姉ちゃんと遊ぼうか」
「……」
「大丈夫、ちゃんと加減するわよ」
「……」
「さあ行くわよ。さっさと準備しなさい。あと私の得物もとってきて、木剣より6フット棒がいいわ」
「今から?!」
「今からに決まってるじゃない。今からならおやつの時間にも間に合うわよ」
「あの……あ、はい……」
駄目だ、神殿で修行を積もうとも姉は姉のままだ。圧倒的な押しの強さ。しかも戦闘狂の気まである。
もう戦うしかない。そしてプロセラの、生魔道士としての勘が告げている。ヴィローサは本当にヤバいと。
父や自分など比較にもならぬ。
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いつも身体を動かす時に使う近所の河原。今朝もプロセラはここで父と模擬戦を行った。しかし今回は違う。
ヴィローサは遊ぶと気軽に言ったが、彼にとっては明らかに違う。絶対的な戦力差だ。
だから、ヴィローサが遊んでいても、それは遊びではない。死ぬ気でやらなければ、死ぬ。
「じゃあ、稽古つけてあげましょうかね」
「くそ、わかった、わかったよ!勝負だヴィローサ姉さん、全身強化!」
プロセラは大きく息を吸い込み、全身に力を、生命のオーラを纏わせる。輪郭がエンチャントされた力で歪む。
一方のヴィローサは自然体で軽く棒をかざして嬉しそうに笑い、そして挑発するように呟いた。帽子すら被ったままで。
「さあかかってきなさい、動かないの?」
「……」
打ち込む隙なんてあるものか!とはいえそのまま動かないわけにもいかない。懐から投げやすい形の石を一つ取り出す。
生魔法で強化された肉体で投げれば、そこら辺の動物を一撃で仕留める程度の威力にはなるのだ。
放たれた石は、ヴィローサを狙って高速で飛ぶ。しかし……
「え」
プロセラの瞳が驚きに見開かれる。ヴィローサが、無造作に前に伸ばした棒の、その先端で石を止め、粉々に砕く。
その身体が消えた。消えたとしか言いようが無い、動きがまるで見えない。
「え」
直後、プロセラは斜め後方より猛烈な勢いで振られた何かに吹き飛ばされた。死角!
鼻歌を歌いながら棒を振り戻し、残心するヴィローサ。
「ちくしょう、速すぎる!無茶苦茶だ!」
土ぼこりにまみれ、プロセラが振り向きつつ立ち上がる。額から流血し、左腕が曲がった無残な有様だ。
が、苦しむ様子は無い。姿勢を整え、剣を構えなおした頃には血は止まり、腕も正常に戻っている。
生魔法の高適応者が誇る猛烈な再生!
「あら、半月ぐらいは寝込ませるつもりで一撃入れたのに頑丈なこと。姉ちゃん嬉しいわ」
満面の笑みを浮かべるヴィローサ。ああ、姉は、姉は恐ろしい、強い、悔しい。
「まあどうにか!」
「そう、その意気よ、うんうん」
再び飛び掛り、即座に打たれる。しかし今度は踏み止まった!再生しながらの強引な追撃。さらに打たれる。
再生!棒を掴み取り、押さえに行く。三度目の正直か?
「ほほう頑張るわね?」
ヴィローサは笑みを崩さない。ドン!胸部に鈍い音、そして仰け反り崩れ落ちるプロセラ。重い、重い一撃。
棒から手を離したヴィローサが懐に滑り込み、掌底を叩き込んだのだ。ゆっくりと棒を拾い上げる。
「く……そ……」
「見た感じまだまだ平気そうじゃない?」
「体力的な余裕と精神的な余裕は違うよ姉さん……」
溜め息を吐きつつ立ち上がるプロセラ。実際のところ、大したダメージではない。しかし、疲労自体は溜まるのだ。
それに姉はまだ魔法を使っていない、いや体術の引き出しすら殆ど開けてないのではないか?何という強さか。
「なら、もうちょっと遊びましょ」
「確かにちょっとは姉さんに稽古つけてもらおうとは思ってた!でもこんなの聞いてない!」
「ふふふ」
打たれる、再生、打たれる、再生。かわされる、打たれる、再生、打たれる、再生、かわされる、打たれる、再生………………
親父はそれほど強くないです。能力より人格の人。
姉は……