01話 『魔法の思い出』
「母さん、ちょっと遊んでくる」
「あまり遠くに行っても遅くなっても駄目ですよ、プロセラ」
「はーい」
茶色の髪に同じく茶色の瞳の少年が建物から出てくる。
彼の名はプロセラ・アルミラ、9歳。
人口150人ほどの村とはいえ一帯の顔役であるアルミラ家、
その家長オストロ・アルミラの息子だ。
……そして『元』日本人、傘作 健でもある。
「外、なんて素晴らしい。そしてこの元気な身体!」
どうにも子供らしくない独り言を呟きながらプロセラが歩く。
今でこそ彼は全開で楽しんで生きているが、最初は大変だった。
どうやら記憶が残ったまま転生したようなのだが、何せ言葉が判らない上、大人の記憶に赤子の身体。
前世で動けず寝続けるのが当たり前の生活をしていなかったら、恐らく精神がおかしくなっていただろう。
父オストロと母であるモリーユ、住み込みの使用人であるらしいマンネン一家がまあまあ真っ当な人物で知識豊富だったのは幸いだ。
健、もといプロセラが言葉を覚えて判ったのはこの場所、つまりジオニカと呼ばれる世界のアルテミア教国が、日本でないどころか地球ですらないということであった。
何せ魔法が存在する……いや、存在するどころか生活の根幹に近い状態となっているという有様。
まあ、そのおかげで一見中世のごとくに見えるのにもかかわらず、その生活レベルは昭和中期というところ。
なかなか快適で無理に何かを改善する必要も感じず、彼とジオニカ両方にとって嬉しいことに前世知識はお蔵入りとなった。
一つだけ問題があるとすれば、これだけ魔法がデフォルトなのに、どうやら自分は魔法が相当苦手ならしいことである。
5歳の時、属性適性と魔力性質を調べることができるという、魔法道具の一種らしい不思議な紙によるチェックを受けたのだが……
―――炎属性、適性無。風属性、適性無。水属性、適性無。地属性、適性小。魔力純度、やや良―――
当時の残念そうな母の顔を思い出し、プロセラは少々憂鬱になった。他に神聖魔法と生命魔法と念動魔法という技術体系があり、
そちらの適性は紙では調べられないようなのだが、念力が全く無いなら念動士ではありえないらしい。
神聖魔法を覚えるには神殿で修行が必要らしくなんかヤバそうだったので拒否した。
生命魔法は教えられる人が村にいないのと、色々面倒な魔法という話でとりあえず保留になっている。
「ごしゅじん!ご主人!」
歩きながら考え事をしていたプロセラの後頭部に、軽い音を立てて何かがぶつかる。皮袋に入ったナイフと縄だ。
それに少し遅れて甲高い子供の声と足音。
「うわっ!……なんだツキヨか、今日はちょっと1人でだらだらしたい気分なんだけど」
「えー、わたしをすてるのご主人」
「そんな話はしていないし、その変な言い回しどこで覚えた5歳児」
わけのわからないことを言いつつ横まで走ってくる黒髪の少女いや幼児、そしてその後ろを浮遊する食べかけのパン。
彼女はツキヨ。使用人一家の一人娘で、近所に子供がいないため唯一の遊び相手でもあるのだが……
「おばあちゃんが菜っ葉とってきてって。あとできれば肉も。だから手伝ってよ」
「はあ、マンネンさんが言うなら仕方ないか」
「うんうん仕方ない」
そんなやりとりの間にも皮袋と縄が浮き上がりプロセラの手に乗って、ナイフがベルトの間に押し込まれる。
そう、ツキヨは念動士なのだ。実に羨ましい。どう見ても魔法使いというより超能力者だが、この世界では魔法の一分野扱いのようだ。
「それにしてもその念力いいな、くれよ」
「ご主人でもだめ。それにわたし、まだほんとはどんな魔法なのかわかんないの」
宙に浮くパンをかじりつつ畑に向かいながら、ツキヨがちょっと困ったように呟く。マンネンさんの話によると念動魔法は扱いの難しい魔法で、使い手は念力とは別に固有の能力が魂に刻まれている。
そのせいで四属性魔法を一切使えないのだそうだ。
そして本来の能力がどういったものか、そもそも使えるようになるかどうかすらも不明ということである。
「でも、僕みたいに魔法自体まだ覚えてないよりいいと思うんだ」
「しんせー魔法はだめなのご主人?魔力はあるっておばあちゃんいってた」
「なんか嫌な予感がするんだ」
「そーかー」
難しい顔をするツキヨを放置して名前のよくわからない1フット、日本で言うところの30cmほどの葉野菜を適当に引き抜き、ナイフで根と枯れた葉を切り取って袋に収める。
「ありがとーご主人、じゃあ肉いこう」
「じゃあ裏山の麓で狙う?それとも河原?」
「山がいいー」
山に向かうと言ってもアルミラ邸から歩いて10分もかからない。とはいえほぼ目の前を流れている川よりは遠い。
近くに危険な動物はあまり居ないのだが、やはり多少緊張する。
まだプロセラ自身で本物と相対したことは無いが、魔物というモンスターみたいなものも存在するようで山に近づくのは少々構えてしまう。
最もツキヨは全く気にしていないようだったが。
「ご主人、今日はなにもいないね」
「鳥だって出かけたくない日はあるんじゃないか?」
「むー……あ、いた!」
ぼーっと座っていたツキヨが弾かれた様に立ち上がり、身構える。
それに合わせ、いつものようにプロセラが鳥の影に向かって走り出した。
そう、念力で飛んでいる鳥の動きを止め地に落とし、落下ダメージで瀕死の鳥を締めて持って帰るのだ。
この連携で鳥を狩るようになって1年あまり、今やアルミラ家の摂取するタンパク質の半分ほどが子供達の手によるものとなっている。
いつもの作業。しかし、その日はいつもではなかった。
「その鳥はお主が仕留めたのか」
「いや、やったのは……えっ」
「ご、ごしゅじんうしろ」
突然の声に身構える二人。そこにはぼろぼろのローブを着て編み笠らしきものを被った謎の人物が立っていた。
何しろ、背丈は10フット近くはあり、肌は木の皮のようなざらざらの茶色、長い髪はまるで松の葉のように緑色で刺々している。
不審と言わずして何と言おうか。そいつ……恐らくは彼は、凶悪な見た目にもかかわらず不思議な威厳を備えている。
プロセラはそれがどういう種族なのか知っていた。ただし本でのみ。
「木人の方……かな」
「だだいじょうぶなのにげる?にげよう?」
「うむ、わしは木人の旅人セコイア。驚かせてしまったか、そんな気はあまりなかったのだがすまぬ」
その怪しい木人はその場に座り込み、申し訳なさそうに自己紹介し、語り始めた。木が軋むようにやや耳障りな、しかし落ち着いた声。
気が抜けたプロセラとツキヨも鳥を袋に突っ込んで近くに座る。木人は個体数が少なく、特に僻地にやってくることは大変珍しい。
「その齢でこれほどに使えるのは珍しいと思ってなお主、それだけの生命力と長射程の念力を持つならば、きっとすぐに……」
「違う、木人の、ええと、セコイアさん」
「うぬ?」
「鳥を念力で落としているのは僕じゃない、ツキヨ……こっちの女の子だ。んで生命力はともかく僕は魔法を使えない」
「なんと、いやしかし……」
ぶつぶつと何か呟きながら考え込む木人。それを遮る様に若干怯えて静かにしていたツキヨが口を開いた。
「ねえ木のおじちゃん、念力が遠いのってめずらしい?」
「……ん、ああかなり珍しいぞ。嬢さんの様に射程が視界内ってのはなあ、魂の魔法ではなく、
念力専門に修行した念動士ぐらいのものなのだ普通は」
「じゃ、あたし魂の魔法ないの……」
「そいつは違うぞ嬢さん、最初から念力が強い者は、必ず相応以上の魂の魔法を秘めているのだ。
だがなあ、それがどんな物かはわからぬし、いつ開眼……使えるようになるかもわしにはわからぬ。ただし安心するがいい。
それほどの念力が溢れておって、魂の魔法が目覚めぬ等という事はまずなかろう」
「そっか、ありがとう木のおじちゃん」
表情を輝かせて聞き入るツキヨ。
しかし木人の意識は別のところに飛んでいるがごとく、何かを言おうとしては考え直しているようであった。
数分か、あるいは数十秒か、目つきがやや鋭くなった木人がプロセラの方を向いた。
「まあ嬢さんの方はとりあえず良い。それよりもお主よ、ええと」
「プロセラだ、プロセラ・アルミラ」
「おおすまぬプロセラ、お主は魔法が使えないと先ほど申したな?」
「そんな事言われてもセコイアさん、現に使えないんだから仕方ないでしょう」
「ぬう、馬鹿な、しかし隠しておるようにも、まさか知らぬのか?
ならばお主は大怪我をした、あるいは怪我をしそうになったことはあるか」
よくわからないことを言いながらさらに考え込むセコイア。
立ち上がり、首をひねりつつ足でぐるぐると円を画く。
そのせわしない動きにキイキイ、キイキイ、木質の身体が軋む。
さっきまで嬉しそうだったツキヨが不安そうにプロセラとセコイアを交互に見る。
「怪我……特別な怪我をしたことは無い」
「ふむ」
「3年ほど前、屋根から落ちたことがある、痛かったが特に怪我はしていない」
「それよ!そこじゃ!」
突然大声を上げたセコイアが肉薄する。
横に座っていたツキヨがあまりの剣幕に、飛びのこうとしてひっくり返った。
「屋根から落ちたのがどうかしたんですか?」
「それが大変重要なのだ、お主は生命魔法に開眼しておる。間違いない、わしには判るのだ。
だが何故その齢で開眼しておるのかが判らぬ、先ほどからずっと考えておった。
人間、つまりヒトと獣人の生命魔法は素質あるものが物理的に生命の危機に瀕した時開眼する、しかしヒトの肉体に生命魔法が開眼するほどの負荷がかかると命を落とす事が少なくない、それ故ヒトの生命魔導士は極めて少ない。
わしの言っておる意味が判るかお主」
「まさか」
「そうよ!お主は屋根から落ちたその時に、本当は死ぬような怪我をしておった。
だが生命魔法に開眼し、肉体は修復された。
生命魔法、特に生魔法は術者の治癒力を爆発的に高める。
お主程の純度ならば通常ヒトが即死するような損傷も全く問題なかろう。
魔法はお前のものだ!見えるぞ、その体を取り巻く強力な生魔法のオーラが!」
プロセラは困惑した。目の前の木人にこちらを騙そうとしているような様子は見受けられない。
そういえばここ数年、傷を負った覚えが無い。
それどころか風邪も腹痛も、毎日走り回っているのに擦り傷や筋肉痛すらも。
自分は木人の言う様に生魔導士になったのだろうか?
だけど、魔法が使えないではないか。
適合する魔法とは直感的に使えるものだと、そう父母も今は家にいない姉も、そしてマンネンさんも言っていた。
実際、ツキヨはまだ上手く喋れないような頃から念力を使っていた。
「でも、僕は使えないぞ。こうして手をかざしても、何か出来る気がしない」
「そんなはずはないのだがなあ……む、ああ成る程、そうか。それは生魔法だからだ」
「どういうことだ」
「生命魔法は魔力で扱うものではない。生魔法死魔法どちらもだ。
生命魔道士の魔力は肉体に吸い込まれるのだ。
わしら木人は大なり小なり生命魔法の使い手で、身体そのものが魔力により変質した生命力のオーラで動く。
魔法も当然にその生命力のオーラで扱う。
ヒトは肉体は肉体で別に動いているからのう、それで生魔法の、生命力のオーラを単独で操作する感覚が掴みにくいのであろうな。
だが心配するでない、お主の濃密なオーラなら半時も練習すれば慣れる筈」
「つまりどうすればいい?」
「よいか、生命魔法とは他の魔法のように定型があるわけではないのだ。
効果そのものは似通っていても個々の生の力でずれた挙動をする、言ってしまえば慣れるしかない。
だが基礎の基礎、オーラの動かし方だけは説明できる。
それは力だ、魔法ではない、意思でもない。
強くなる、弱くする、漠然とした効果を考え、力を込めろ。
込めた力を吐き出せば生命魔法となる。適当で良い、今やるのだ」
セコイアが実に簡単そうに言う。
感覚がつかめないどころではない、当たり前の話だがそもそもが木人基準なのだろう。プロセラも魔人……
つまり木人を含めた様々な亜人種が居るというのは知っていたが、生態的にもかなり人と違うようだ。
「教えてくれるのは嬉しいけど、ヒトの僕にはそもそも力を動かすと言うのが意味がわからない」
「うぬ……む……少々待っておれ、考える……」
静かになったセコイアを尻目にプロセラも考える。
ここジオニカの魔法というものは、かなりアバウトな概念である。
念力やらの特殊能力をはじめとして、火を吐くのも魔法、呪いも魔法、精霊の力を借りるのも死霊の力を借りるのも魔法、治癒も魔法、神の祝福も魔法だ。
それどころかいくつかの物理現象も魔法として扱われている節がある。
例えば、可燃性のガスを収集する風の魔法がある。それをどう使うかというと、
金属性の容器に注入し、小出しにして燃料にするのだ。便利なのでアルミラ家にもある。魔法的な要素は製作時にしか無いが、魔法道具として扱われる。
生命魔法というのもかなり操作が特殊なのだろう。どうやら自身で解決策を編み出すのは無理そうであった。
「おお、おお、どうやら人間風の表現を思いついたぞ。
人間には使い切る……消費の概念があったのであったな。生命魔法は力……違う、身体……違う、体力、そう体力だ。
魔力ではなく体力を消費して使用する、気合を入れて体を使うような考え方でやってみろ」
「気合?」
ならば多少理解できる。
とりあえず気合を入れて重いものを持つイメージを浮かべる。身体から何かが抜ける感覚。
が、特に何かが変わった様子は無い。
「何か出来たような出来ていないような」
「生魔法の使用には成功したようだが、どんな効果が出たかは判らぬな、何らかの強化だとは推測できるがの」
「ご主人の手からなんかちょっとでてる」
「ふむ、地面を殴ってみろ」
軽い音を立て、振り下ろした拳が踏み固められた地面にめり込む。
一発、二発、三発。地面がまるでプリンのように掘り取られる。
生魔法の強化はかなりの物のようだ。
「うおお!これは楽し……っつ、あ痛ええええええ!!」
突然手が止まったプロセラが、右手を押さえて転げ回った。
「……ご主人?」
「エンチャントが切れたようじゃの……」
土煙が立ち込め、地面がでこぼこになった山道に、先ほどまで暴れていた砂だらけの少年が座っている。
魔法が使えた嬉しさに、使うたびその辺を掘り返し、途中で効果が切れて痛がり、再起動してまた掘り返しまた効果切れを
繰り返していたプロセラだ。
「疲れた疲れた、しかしこんなすぐに効果が切れるものとは」
「それはお主がまだ魔法に慣れてないだけじゃ。
生命魔法は基本的に全てエンチャント、つまり効果が持続するタイプの魔法よ。
他人にかけるものであっても同様。練習すれば持続が長くなる。そして自身の力を使う魔法であるから、体力もつけんと。
さて、ずいぶんと邪魔をしてしまったのう、わしはそろそろ行かねばならん」
「色々教えて貰ってありがとうございます、ところで」
「何じゃ」
「何故、僕にそんなに注目したんですか、怪我のこととか」
「それはのう、お主が虐待を受けておるのではないかと推測したからじゃ、生命魔法の開眼条件のこともあるしの。
子供二人で狩りをしとったのも怪しかった。それならば才能もあるようだし連れて行こうかとな、だが杞憂であったようだ。
…………お詫びに、お主らに秘密のプレゼントじゃ。
ただし神殿が強いこの国では使えぬし、使わずに済めばその方が良い。
もしも旅に出て、そして本当に困った事が起きたら今から言うわしの姓名を使え。お主らが神殿員になっていようと構わぬ。
……セコイア・センペール。ジオ教団の戦僧正センペールだ。紹介を受けたと伝えれば
すぐに本部に届くであろう、それではさらばじゃ、地神の加護あらんことを」
そして、不思議な木人は現れた時と同じようにすっと去っていった。とんでもない速度だ。
歩いているようにしか見えないのに、あっという間に豆粒のように小さくなり、沈む夕日に隠れ、そして見えなくなった。
まるで存在自体が白昼夢のような人物。しかし、魔法はここにある。
「よかったねご主人、でも……」
「どうした」
「菜っ葉と肉があやしい……」
「ああ!ヤバい、ヤバいツキヨ!父さんとマンネンさんへの言い訳考えろ!」
「それご主人のしごとー」
「ともかく急いで帰るぞ!」
魔法を手に入れてめでたいはずのその日、二人は遅帰りと食材を駄目にした二重の罪で盛大に怒られた。