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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

冥道巡

作者: 山川四季

「あなたには霊がとりついている」

 開口一番、そう言われた兵藤ひょうどう典子のりこは、だがしかし平然とその言葉を受け止めた。

 近頃の自分の身に起きている不可解な出来事を考えてみれば、意外なことでは無かった。

 そもそも、その可能性を考えたからこそ、友人に紹介されたこの寺にやって来たのだ。

 典子が黙って座っているのを、ショックを受けたと勘違いしたらしい住職は、しきりに頷きながら同情の眼差しで言葉をつむぐ。

「残念ながら私には、霊が居るかどうかの気配しか感じることが出来ません。

 けれども除霊士の知り合いがおりますから、その方を紹介してあげましょう」

 そう言って住職は、書き物机の文箱ふばこの中から1枚の名刺を取り出した。

 名前と住所と電話番号があるだけの、何の飾り気も無い名刺だった。


導冥どうみょう あかり


 住所はと見ると……どうやら四国のようだが。

 正確なところは分からない。

「すぐにそちらに向かいなさい。除霊士には私から連絡しておきますから」

 急かすように典子を立たせようとする住職。

「すぐにって……四国へ……ですか!?」

「お困りなんでしょう?」

「いや、それはまぁ、そうなんですが……」

 そう。困っていた。

 不可解な現象に悩まされ始めたのは1週間ほど前からだったが。

 いわゆるラップ音だとか、誰かの視線を感じるとか、そこに居るはずのない人間の顔を見かけて慌ててそちらを見直すと消えているとか。

 「なんだか薄気味悪いな」というぐらいのものだった。

 昨日までは。

 オフィスで仕事をしていると、いきなり窓が割れ、破片が危ういところで首筋をかすめていったのだ。

 典子の部署はビルの5階にある。強風が吹いたわけでも、窓の清掃を行なっていたわけでもないのに突然ありえない事態が起こり、社員たちはパニックを起こした。

 しかし典子はそれを、自分が原因だと直感で理解した。何かが私にとりついている。

 そして命を脅かされている恐怖感に震えた。

 会社には「精神的ショックを受けたため療養が必要」と、たまっていた有休の全てを申請した。

 そして友人や知人のツテを使い、この寺に駆け込んだのだ。

 まだ休みは残っているし、四国に行こうと思えば行けるのだが……。

 あまりの展開の早さに、すぐには身体が反応しない。

「あの、でも、除霊のお金とか……その……」

 なんとか話をしなければ、と混乱した頭で口を開けば、文章にならない単語が出てくる。

「大丈夫です。無償で除霊してらっしゃる方ですから」

 しかし住職は典子の言葉をさえぎるように説明すると、せかせかと背中を押し出すようにして彼女を送り出したのだった。

「ちょっ……あの……」

 気づくと典子は寺の門の外に居た。

 しばらく呆然としたまま立ち尽くす典子。

「なんなのよ……」

 門を振り返ったが、入り口の扉は既に閉ざされていた。

 腑に落ちないものを抱えながら、とりあえず典子は自分のアパートに帰ることにした。

 いつ霊に襲われるかもしれないという不安で食欲もなく、何もする気力も起きず。

 夕日が差し込む部屋にたどり着くと、床に座り込み、力なく貰った名刺を眺めていた。

「どうしようかな……」

 正直、迷っていた。

 けれども、他に手は思いつかない。

 ずっと働き続けてきたおかげで有休も貯金もたっぷりあるし、霊に殺されて死ぬには未練があり過ぎる。

 首に巻いた包帯を触って考えていた典子は、腹を決めて荷造りにとりかかった。


***


 自分にとりついている霊が、旅の邪魔をするのではないか。

 一抹の不安はあったものの典子は無事に空港に降り立った。

 そこから更に車と船を乗り継いで、到着したのは小さな離れ小島だった。

 海に浮かぶ船着場から、その島に向かって橋がかかっている。

 そして橋の終わり、つまり島の入り口にかかっているのは鳥居だった。

 所々、赤い色が剥げていて年代物であることを感じさせる。

 その向こうには、鬱蒼うっそうとした森が広がっていた。

 本当に小さな島なので、こうして橋の入り口から眺めるだけで全体像を収めることができる。

 ちょうど小さな半円形の森が、ぽっかりと海に浮いているかのように見えるのだ。

 けれど……その雰囲気は、どこがどうとは説明できないのだが、不気味さを感じさせる。

 島の上に広がる空でさえ、そこだけ空気が暗くよどんでいるかのようだ。

 そう言えばここに来る前に会った地元の人々は、行き先がこの島であると聞くと急にそわそわした妙な反応を見せたものだ。

 待ち受けている雰囲気を前に、思わず尻込みしてしまう。

 橋を渡ろうか渡るまいか躊躇していた典子だったが。

 鳥居の影から、ぴょこんと人が出てくると彼女に向かって手招きをした。

 その人物の異様さに、驚きを感じるよりも先に、いぶかしげに眉を潜めてしまった典子。

 どう見ても……セーラー服を着た女子高生だ。

 思わず船着場を振り返る典子。だが、船の操縦士はそ知らぬ顔でタバコをふかしていて、決して彼女と目を合わせようとしない。

「ちょっとー。アンタ兵藤さんでしょー?早く来てくんなぁい?」

 けだるげな声で、女子高生が橋の向こうから叫んでいる。

 初対面でアンタ呼ばわりかよ、と、ちょっとムッとした典子だったが。

 少なくともそのおかげで、先ほどまでの恐怖や不安が和らいだようだ。

 一息つくと、橋を渡り始めた。


***


「やっと来たね。アタシ、導冥明」

 近くで見ると、ますます場違いだという感が強くなる娘だった。

 金に近い明るい髪は、ウィッグもつけられ、その存在感を声高に主張している。

 付けまつ毛と濃いアイライナーに縁取られた目。

 日常生活を送るには、邪魔な存在でしか無さそうな付け爪。

 セーラー服は渋谷を歩くのにはピッタリでも、この海の真ん中では文字通り浮いてしまっている。

 切りそろえられた前髪が、まだ幼さとあどけなさの残る顔立ちを引き立てていた。

「あの……導冥さん……」

「ストーップ。アタシィ、自分の名字嫌いなの。だから明って呼んでくれなぁぃ?」

 ようやく口を開いた典子の言葉を、途中でさえぎる明。

 ギャル特有の、不自然につりあがる間延びした話し方に典子は頭がクラクラしてきた。

(あの住職とこの少女は、どこで出会ったんだろう……)

 ふと頭によぎった疑問に、意識のどこかで「援助交際」なんて返事が浮かび上がり。

 慌ててそれを打ち消した。

 見た目はともかく、この女子高生が除霊士だと言うなら、その関係で知り合ったのだろう。

 典子は「霊能力者ネットワーク」というものが存在するに違いない、と結論づけた。

 気を取り直し、先ほどの質問を続けることに。

「……それで、明さんは何歳なの?」

「聞いてどうすんのー?除霊に関係なくね?つか女性に年齢を聞くのってあり得なーい」

 キャハハハ、と甲高い声で笑う明。

 言われてみればそうなのだが、あまりにも相手が若いものだから聞いてみたくなったのだ。

 だが、正論で返されてバツが悪い思いで立ち尽くす典子。

 歳下にやり込められたことが少し腹立たしい。

 ひとしきり笑った後、明はコチラに向き直った。

「まぁいいけどね。15歳。それで、兵藤さんはいくつなの?人に聞いといて自分は答えない、ってのは無くね?」

 典子は少しホッとしながら「32歳よ」と答えた。

「へー。OLって奴?」

「そうね」

 少し胸をはって答えた。

 典子は社内でもやり手と評判で、課長補佐の役職に就いている。

 この年齢で、しかも女性でこの地位にいるのは珍しいことだ。

 そんな自分を誇りに思っていた。

「会社サボッて来たの?」

「有休よ、有休。失礼ね。あなたこそ学校は?」

「そうりつきねんびぃー」

 みえみえの嘘をついて、明はまた笑った。

 呆れた顔でそれを見ていた典子だったが、彼女の笑いが納まってきたところで声を潜めて聞いた。

「それで、あなたには……見えるの?私に憑いてる悪霊が」

「見えるよ」

 拍子抜けするほどアッサリと、明は言い放った。

「じゃあ、行こ」

 そう言うなり典子の手をとり、ズンズンと歩き出す明。

「ど、どこへ?」とうろたえる典子に、「除霊じゃーん」と笑って返してきた。


 彼女に手を引かれるままに、森の中にある細い道を歩く。

 枝や草が容赦なくハイヒールとストッキングに絡み付いてきた。

 だが前を行く明はお構いなしに、鼻唄なんて歌いながら進んでいく。彼女の足はローファーとルーズソックスに守られているのだから。

 典子は心の中で恨み言を唱えた。


 明と共に歩いた道は、ちょうど島を反時計回りに1周するようになっていた。

 小さな島なので、ほどなくして鳥居の前に戻ってくる。

「はい、除霊終了」

「えっ?!」

 驚きで目を丸くする典子の顔が、よほど面白かったのか、明が吹き出した。

「超ウケるー!

 まあ、信じらんないだろうけど本気マジで除霊できてるから。もう安全だよー」

 そう言われても、自分では先ほどと何が変わったのか分からない。

 除霊に対して自分が抱いていたイメージ。

 なにやら物々しい白装束を着た女性が、さかきを左右に振りながら護摩をたき、念仏を唱える。

 そして除霊が済んだ後で、「お守り」とか何とか称される怪しげな数珠とかを高額で売りつけられる。

 自分もそんな目に合うんじゃないかと、典子は少なからず警戒していた。

 もちろん霊にとりつかれているのは困るし、除霊して欲しいのは確かだ。けれど、だからと言って怪しげな霊感商法に引っかかる気は無い。

 それはキャリアウーマンとしてバリバリ働いてきた自分のプライドが許さない。

 しかし、こんな簡単なことで除霊が済んでしまうなんて。

 警戒で身構えていた身体が、肩透かしをくらったような、拍子抜けしたような感じでうろたえていた。

 これでは、ただ派手な女子高生と手をつないで散歩しただけでは無いか。

 戸惑う典子の顔を覗きこみながら、ニヤリ、と明が笑った。

「ね、どうして除霊できたか知りたくなぁい?」

「え、ええ。そうね」

 このままでは本当に除霊できているのか納得できないし、典子にも好奇心はある。

 明は鳥居に向かって振り返ると、目を細めてその奥の森を見た。

 つられたように典子も森を見る。

「今、兵藤さんがやったのは『冥道巡みょうどうめぐり』」

「冥道巡……」

「霊の通る道。それが冥道。日本のアチコチにあるんだよ。人がそこに足を踏み入れることは好ましくないの。その土地を開発したりすることもね」

 典子はハッと明を見た。

 先ほどまでのギャル口調とは打って変わって、物静かで落ち着いた話し方だ。

 どこか威厳すら感じられる。

「霊たちは、この島の中をグルグル歩き続けてるの。この世への未練が無くなり、成仏できるようになるまで。

 兵藤さんに憑いてた霊は、他の霊たちと一緒に冥道に入って行ったよ。あそこの方が、人にとりつくよりも居心地良いからね。霊にとっては。

 だから自然と離れていったの」

 こちらに向き直った明は、「こんなに簡単なことだから、除霊のお金なんて貰えないでしょ?」と言葉を続けた。

「ただし、私と一緒に冥道に入らないと効果は無いんだけどね。」

 典子は曖昧に頷いてみせると、再び森の方へと向き直った。

 この薄暗い森の中では、何千、何万もの霊たちがひたすら歩き続けているのだ。

 その光景を思い描き、典子は身震いした。

「もう一人、兵藤さんの会社で霊に憑かれてる人が居るでしょ?その人も連れてきてよ」

 物思いにふけっていた典子は、明の声でハッと現実に引き戻された。

「うちの会社に……?」

「そぅ。男の人でぇ、兵藤さんと仲のイイ人っぽい。てか、いけない関係?」

 典子は目に見えて動揺した。

 確かに上司の里中課長が、数日前から体調不良で会社を休んでいる。

 そして彼は、典子の不倫相手でもある。

 しかし、なぜそれを明が知っているのか。

「明さん……あなたは一体……?」

「アタシは導冥明。霊が成仏するのを助ける役目を担う者」

 そう言ってニッと笑う明の顔を、傾きかけた日の光が照らす。

 本来ならばそれは、夕暮れの何気ない光景の1つであるはずだった。

 けれど彼女の笑顔はどこか寒々しい恐怖を感じさせるもので、典子は声を失った。

「じゃあ兵藤さん。またね」


***


 自宅に戻った翌日から、典子は出社した。

 除霊の効果には半信半疑だったが、とりあえず冥道巡をして以来、おかしなことは何も起こっていない。

 オフィスの割れた窓は新しいものに交換されていたが、念のために近くには寄らないようにした。

 霊のことを考えすぎると、びくびくして仕事の能率が下がってしまう。

 典子は頭を振って自分に喝を入れると、有休の間にたまった仕事を精力的に片付けていった。

「やっと終わった……」

 椅子の上で背中を反らすと、メガネを外して目頭をつまんだ。

 人よりも仕事の処理スピードが早いのが典子の自慢であったが、さすがに残業しないと追いつかないほどの仕事がたまっていたのだ。

 上半身のストレッチをし、凝り固まった筋肉をほぐす。

 首を回して窓の外のネオンを見たとき、ふと課長の机に目が留まった。

 彼は今日も休んでおり、机の上の書類の山は、今日また何枚か追加されたようだ。

 典子は携帯電話を取り出すと、ためらいながら里中の電話番号を呼び出した。

 彼の携帯に電話をかけることは滅多に無い。

 どんなに小さなことであっても、彼の妻に不倫を疑わせるような行動はしない。痕跡は残さない。

 2人は細心の注意を払ってコミュニケーションをとっていた。

 けれど、もし里中が出社してこない理由が、自分と同じように霊にとりつかれているせいであるなら……

 携帯のディスプレイをじっと見つめたまま、5分も考えていた典子だったが。

 きゅっと唇を結んで決心すると、「発信」ボタンを押した。


『------典子君か?』


 久しぶりに聞く里中の声。

 愛しさと切なさに胸が高鳴ったが、同時に彼の声に隠しようがないほど強い不安と動揺が混ざっているのに気づいていた。

「課長。お話しがあるのですが--」


***


 再び、典子は「あの島」へと戻ってきた。

 ただし今度は里中と一緒に。

 電話で彼を呼び出し、ホテルで落ち合った典子は里中の変わりように目を見張った。

 目は落ち窪み、頬はげっそりとこけ、生気の無い顔色。

 かつては身体中からエネルギーを発散させ、典子のみならず他の女性たちをも惹きつけていたオーラが、すっかり消え失せていた。

 代わりに今の彼の身体から滲み出しているのは恐怖、不安、焦り。

 里中のことを何も知らない、通りすがりの人間でさえ振り向かせてしまうほどの強い「負」のオーラが彼を取り巻いていた。

 この変わりようは尋常ではない。やはり里中にも霊がとりついているのだ。

 そう典子は確信した。

 典子は自分が悪霊にとりつかれていたこと、冥道巡のこと、明のことを里中に話した。

 現実主義者である里中は最初、彼女の話を「馬鹿馬鹿しい」と一蹴した。

 けれども、否定しきれない何かがあったのだろう。

 その声色が、いつもよりも弱弱しく自信なさげであることを見抜いた典子は粘り強く彼を説得した。

 そしてついに自分と一緒に明の元へ行くことを承諾させたのである。

 その夜、里中と典子は久方ぶりに一夜を共にした。

 彼の妻は子供を連れて実家に帰省しているので、外泊も典子との旅行も心配する必要は無いと里中に言われた。

 しかし、誰も居ない家に一人きりで篭り。

 自分の身に起きている怪奇現象について、誰かに相談することも出来ず怯えて過ごしていたせいか。

 その日の里中は、いつもより激しく典子を抱いた。

 嫌なことを全て忘れるかのように。

 幼子が、やっと見つけた庇護者にすがりつくかのように。

 男らしく、エネルギッシュで、いつも自信に溢れた里中しか知らない典子は、そんな彼に驚いた。

 けれど幻滅することは無く、「自分が守らなくては」という母性本能のようなものが沸いてきた。

 ますます彼のことを愛しいと思った。

 彼を支えられるのは自分しか居ないのだ。その満足感に酔いしれていた。

 次の日、明に連絡をとった典子は。

 再び会社に有休を申請すると、里中と一緒に新幹線へと飛び乗った。

 こう頻繁に休暇をとると、同僚たちから顰蹙ひんしゅくを買うだろう。最悪の場合はクビにされる恐れもあったが、今はそれすらどうでも良いような気になっていた。

 自分が苦労して培ってきたキャリアなど、取るに足りないことのように思えた。

 彼を守ることの方が大事だと、そう信じていたのだ。


 打ち合わせ通り、真夜中に明と典子たちは落ち合った。

 明がその時間を希望したからだ。

「単位が危なくて学校がっこー休めないんだよねぇー。

 その後バイト行かないとかね無くて本気マジヤバイしさー」

 そんなやり取りを聞いて里中は、胡散臭そうに眉を潜めた。

 明に会ってその容姿を目にすると、彼の疑わしそうな態度は更に強められた。

 それに気づいているのか、いないのか。

 明は相変わらずの調子で典子と里中を案内すると、自ら小型船を操作して島へと2人を連れてきたのである。

「すごいわね。船舶免許もってるんだ」

 目を丸くする典子に、明は

「まぁねー。この島にしょっちゅう来なきゃいけないから、持ってた方が便利だし」

 と、肩をすくめて島を仰ぎ見た。

 静まり返った闇の中で、波の音だけが控え目に響いてくる。

 黒く、深く、暗い闇に沈んだ夜の海がこれほど恐いものだとは思わなかった。

 星も見えない夜空の下で、松明の火に照らされた鳥居の姿に、典子は身震いをする。

 隣に居る里中も、闇と静寂と森の不気味さに気圧されているようだ。

「じゃあ、行こうか。兵藤さんも里中さんと手をつないで、3人で」

「え、私も、なの?」

「そー。その方が里中さんも安心するでしょ?」

 明に言われて里中の方を見れば、彼の目に怯えが浮かんでいた。

 確かに、この不気味な森に入っていくのは恐ろしいことだろう。

 いくら明と一緒とは言え、気後れするのも無理はない。

「わかったわ」

 自分が彼の支えになるのだ。 

 典子は力強く頷くと、里中の手をとった。

 明、里中、典子の順番に並ぶ。

「じゃ、行くよー」

 そう言って歩き出す明。

「あら。時計回りなの?」

 前回と違い、逆方向に歩き出そうとする明に典子が声をかけた。

「そー。今回はコッチなの」

 振り返りもせずに陽気に答える明。

 まあ、この前も説明は後からだったし、これが彼女のやり方なのかもねと典子は考えた。

 そして3人は森の中へと入っていったのである。


***


「はい、終わりー」

 数分後、一行は島の入り口へと戻ってきた。

 何となく張り詰めていた息をふう、と吐き典子は里中へと視線を送る。

 しかし彼の顔は依然として青白く、何やら緊張しているかのように見えた。

「課長……?」

 どうしたのかと、心配して声をかける典子。

 里中はそんな彼女の声が聞こえないかのように、手頃な石に腰かけて休んでいる明を凝視したままだ。

「本当に、これで除霊できたのか……?」

「うん。もう里中さんにとりついては居ないよー」

 猜疑心いっぱいの里中の問いかけに、ネイルをチェックしながら明が答える。

「それで君は、俺にとりついていたのが、どういう霊か知ってるのか?」

「まあねー」

「……そうか」





「--課長っ?!」





 突然、目の前で里中がナイフを手に明へと襲い掛かり、典子は声を上げた。

 けれど彼の身体は、明に届く寸前でピタッと静止する。

 里中の顔に驚愕の表情が浮かび、次に苦悶の表情が浮かんだ。

 必死で身体を動かそうとするのに、何かに押さえつけられてビクともしない--そんな様子が手に取るように伝わってきた。

「一体……」

 彼の元に駆け寄ろうとした典子はその時、自分の身体にも異変が起きていることに気づいた。

 足を踏み出そうとしても動くことが出来ない。

 指一本、動かすことが出来ない。

 目に見えない無数の何かが、背後から自分の身体をつかんで引っ張っている。

 典子の目が恐怖に見開かれた。


「--やっぱりアタシを殺そうとしたね」


 予想通りでつまらなすぎる、とでも言いたげな口調で明が里中を見た。

 その目と声の冷ややかさに息が詰まりそうになる典子。

「アンタに憑いてた霊のことを知ってる、ってことはつまり、アンタがやったことを知ってるってことだもんね。

 絶対に除霊が済んだ後、口封じされると思った」

 明を睨みつける里中。

 そんな彼をあからさまに見下している明。

 典子はわけが分からず二人をオロオロと見つめていた。

「心当たりがあったんでしょ? 自分に憑いてる霊に。

 --想像通り、アンタが殺した奥さんがとりついてたよ」

 里中がグッと奥歯を噛み締めた。

 見開いた目で彼を見つめる典子。

「--でね。普通、冥道巡って、この島を反時計回りに歩くの。霊が歩いてるのと同じ方向に向かって。

 でも今アンタは逆方向に向かって歩いたよね。どういうことか分かる?」

 明の問いかけに、困惑したような表情を浮かべる里中。

「霊の歩く流れを邪魔したって言うこと。成仏するのを邪魔されて霊たちは怒り狂ってる。

 一度アンタから離れた奥さんは、その霊たちを引き連れてアンタに襲い掛かってるんだよ。

 恨みを晴らすために」

 ニコヤカな笑みを浮かべた明とは対照的に、里中の顔にはどんどん恐怖が広がっていく。

 彼の身体中に、充分恐怖が行き渡ったことを確認すると、明は笑顔で最終宣告を下した。

「じゃあ、サヨナラ」

「待っ……!!」

 命乞いのためか、口を開きかけた里中だったが。

 突然、足が地面から離れ勢い良く倒れこんだ。

「ぎゃああああああああああっ!!!」

 恐ろしいスピードで森の奥へと引きずられて行き、あっという間に姿が見えなくなり。

 やがて悲鳴も余韻を残して消えてしまった。

 島は元通り、不気味な静けさに包まれる。

 あまりの出来事に典子は、声を上げることも出来ずガタガタと震えていた。

 見開いた目から涙がこぼれ落ちる。

「--次は兵藤さんね」

 背後から聞こえた不気味な声に、ビクリと身体を震わせる。

 恐る恐る振り返ってみると、先ほどの笑顔を貼り付けたままの明が立っていた。


***


「どう……して」

 嗚咽まじりに問いかけると、明は面倒くさそうな様子で髪をかきあげた。

「ああいう、恨みを抱いて死んだ霊ってね。なかなか成仏できないんだよ。

 何十年も何百年も冥道を歩いても。時々、恨みが強すぎて冥道から出てっちゃう霊も居るんだ。

 そういうのを成仏させる、一番簡単な方法が恨みを晴らさせてやることなの」

「そんな……っ!!」

 典子は非難の声を上げた。

 明は里中の除霊をすると言って、自分を騙したのだ。

 結果、愛する人を失ってしまった。

 絶対に許せない。

 怒りと憎悪が典子の身体の中で渦巻いていた。

「許さない……!」

 憎しみを込めて睨みつける典子に、明はヒラヒラと手を振りながら

「ああ。アンタも里中さんと同じところに行くから。大丈夫」

 と答えた。

 その言葉に、再び恐怖が蘇る典子。

「な、なんで……」

「兵藤さんもしたでしょ? 逆・冥道巡。今も霊たちが後ろから来てるはずだけど?」

 ヒヤリ、と背筋に冷たいものが走った。

 身体は依然として身動きが取れない。だが、背後の圧迫感が強くなったような気がするのは単なる錯覚だろうか?

「自分が殺したわけじゃないから大丈夫、とでも思ってた?」

 明が石に座り、頬杖をついた姿勢で尋ねてきた。

 口を開こうとした典子だったが、背後から冷気のもやのようなものが口の中に侵入してきて、口を閉じることも声を出すことも出来なくなってしまった。

「アンタに憑いてたのは、里中さんの子供の霊。まだ小さい子だったんだね」

 典子の恐怖に怯えた目が、きょろきょろと辺りを探る。

 開いたままの口の端から、よだれが一筋垂れ、地面にゆっくりと落ちていった。

「確かに殺したのは里中さんだけど。アンタが見殺しにしなければ、あの子は生きてたんだよ」

 あの夜。

 典子は深夜、里中の家に出かけて行った。

 そうしたことは、実は以前から度々あったのだ。

 時々、どうしても一人で居ることの寂しさが身に染みる夜があった。

 人肌恋しく、里中の胸にすがりつきたい夜があった。

 そんな時典子は里中の自宅に出かけ、外から眺めたり、こっそり敷地内に入ったりして家の中に居る彼に思いを馳せ、しばらくしてから帰宅するのが習慣となっていた。

 その日は、いつもより更に孤独と不安を感じる夜だった。

 中途採用で入社してきた後輩--典子よりも7歳ほど年下で可愛らしい顔立ちの女性社員に、しばらく前から里中が関心を寄せているような気がしていた。

 後輩の方もまんざらでは無いらしく、二人が交わす会話の中にある種の親しさと危険な兆候が見え始めたことが明らかだった。

 嫉妬と焦りでモヤモヤする気持ちを抱えたまま、典子はいつもの散歩に出たのである。

 辺りを伺いながら庭に足を踏み入れた典子は、家の裏手から音がしているのを耳にした。

 足音を忍ばせてそっと歩いて行き、家の角から顔だけ出して様子を伺ってみると、里中がスコップで穴を掘っている最中さなかだった。

 そして彼の背後には、頭から血を流し、目を見開いたままの彼の妻子が倒れていた。

 仰向けになった夫人の頭が典子の足元にあり、死体と目があってしまった典子は慌てて悲鳴を押し殺した。

 すでに絶命していることは明らかだ。

 口元を両手で抑えながら再び里中へと目をやると、彼は額の汗をぬぐい、スコップを脇に置いた所だった。

 里中は辺りを見渡すと、少し離れた位置に置いてあったビニールシートを取りに歩いていった。

 血がベッタリとついた大きな灰皿が、その上に置いてある。

 その時、典子は里中の娘の身体が少し動いたのに気がついた。

 うつぶせになっていた頭がゆっくりと持ち上がり、うつろな瞳が典子を捉えた。

 その唇が動く。声こそ出ないものの、その形はハッキリと「助けて」と典子に読み取れた。

 典子は後ずさりすると、くるりと身体をひるがえし足早にそこを立ち去った。

 自分の部屋へ戻る道すがら、彼女の身体は恐怖と興奮に震えていた。

 これでもう、里中は自分だけのものだ。

 妻や子供に気を使う必要は無い。

 自分は彼の秘密を知ってしまった。

 この秘密が自分と彼の絆を更に強めてくれるだろう。

 いつしか典子は狂喜の笑みを浮かべていた。


***


「兵藤さんを初めて見た時ね。その子が全部、教えてくれた。

 子供って好きか嫌いか、だけで生きてるようなもんでしょ? だからアンタへの憎悪が半端なかった。

 これじゃあ成仏なんか出来ない。そう思ったから里中さんも連れてきてもらったんだ」

 そこまで話した明は、ふと口をつぐんで哀れみの表情で典子を見た。

「……バカな女だね」

 典子の顔が悔しさに歪む。

 明の目からスッと哀れみの色が消え、無表情に戻った。

「まあ、霊が成仏することだけが私にとっては重要なことだから。

 --私は導冥明。霊が成仏するのを助ける者。そのためには人を欺くこともいとわない」

 まるで自分に言い聞かせるかのように明は呟くと、「じゃあね。兵藤さん」と右手を振った。

 途端に典子の身体は地面に引き倒され、里中と同じように森の中へ引きずりこまれていった。

 最後まで、恐怖に怯えた目で明を見つめたまま。

 典子の姿が消え、霊たちのざわめきも消え。

 森が落ち着きを取り戻し、島が再び静寂に包まれても。

 明はじっと、典子の消えた場所を見つめ続けた。

「アンタ、まだ自分が悪かったとか、自分がバカだったとか思ってないでしょ。

 自分は悪くない。色んな理屈をつけてそう思い込もうとしてる。

 悪いのは、自分と里中以外の他の人間だって。

 ……言っとくけど、そう思ってる限り『そこ』から抜け出せないよ」

 ふっ、と溜め息をついた明は、闇の中から聞こえた声にピクリと片眉を上げた。

「なぁにー……アタシ、眠いんだけどぉ。えぇ?……あぁ、そう。また『送った』よ。二人。

 いいじゃん別にぃ。これで成仏できんだし。私だってノルマあるしぃ。

 いちいちそんなこと気にしてたら、やってらんねーっつーの」

 虚空に向かって声を張り上げる明。

 文句あるか、というように挑戦的な目つきで睨みつけていた明だったが、闇の中から返ってきた返事に狼狽ろうばいした。

「べ、別にそれは……アタシの記憶力が良いから覚えちゃってるだけで、『送った』人間のことなんて何とも思ってないし……ってか、ありえない!」

 絶叫するように叫んだ明は、ぷうと頬を膨らませると、船着場に向かって歩き出した。

「とにかく、アタシ帰るからね!明日はテストだって言うから。超ありえなーい!

 アンタになんか付き合ってらんないのよ。まったく……」

 ぶつぶつ言いながら船に乗り込み、エンジンをかける。

 一瞬だけ目を細めて森を見つめた明だったが、すぐにハンドルを切ると船の操縦に専念した。

 流行の歌謡曲のメロディーに乗せて「人間ってバカだね」と口ずさみながら。


 エンジン音もやがて消え、海は再び静寂と闇に包まれた。

 その海に抱かれ、亡者たちで溢れる島もひっそりと静まり返る。

 ほんの少し前までの騒動も、そんなことがあったとは微塵も感じられない。

 まるで遠い過去の出来事のようだ。

 暗い海は全てを包み込み、飲み込み、何ごとも無かったかのように片付けてしまう。


 どこかで誰かの泣き声が聞こえたような気がした。

自分が夢で見た内容を小説におこしてみました。

本来、自分が苦手とするジャンル・文調なので、読みにくい上にまとまりの無い文章だと思います。

最後まで読んで下さった貴方に感謝します。

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