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第8話 小扉の前で

マイラは麻袋を握りしめ、ルフトに目配せした。  ルフトの瞳が、かすかに金色を帯びる。  胸の奥の鼓動が、もう一段速くなる。  ——外の足音が、小扉のすぐ前で止まった。


「……来た」

(息、殺して。今は音ひとつで詰む)


取っ手がわずかに揺れ、金具がかちゃ、と鳴る。

続けて、外から木板を押す鈍い圧——どん、どん——。


「中にいるのは分かってる」


低い声が複数。壁越しでも近い。

ルフトが肩口で小さく身じろぎし、尾を巻き付けた。きゅ、と短く鳴き、すぐに口を閉じる。


(開けられたら終わり。逃げ道は……)


小部屋は古い倉庫の一角。

棚と麻縄の匂い。

奥の壁に、古びた通気口——錆びた格子。人ひとり、通れるかどうか。


「鍵を壊すぞ」


外で金属が擦れた。

こする音。楔を打つ音。

最初の一撃が来るまでの間が、やけに長い。


マイラは麻袋を抱き締めた。

(カイ……無事でいて)


視界の端でルフトの瞳がまた光る。

金色の光は細く揺れ、扉の下端、床との隙間へと視線を促す。


(……床下? 何かあるの?)


「一度で落とせ。——せーの!」


外の号令。

次の瞬間、閂が悲鳴をあげる。

どがん、と板が歪み、埃がふわりと舞った。


マイラは床に片膝をつき、足元の板を探る。

指が、わずかな継ぎ目に触れた。

細い隙。爪が入る。


(お願い、動いて——!)


決心と同時に、短剣の柄尻を差し込み、ぐっとこじる。

板が一枚、かすかな抵抗ののち「ギ」と持ち上がった。


地下へ落ちる黒い穴。

冷たい空気が頬を撫でる。


「二撃目、入れる!」


(今しかない)


「ルフト、先に」


ルフトはためらわず穴へ滑り込み、尻尾が闇に吸い込まれる。

マイラも麻袋を胸に抱え、肩をすぼめて身を落とした。


直後、扉が裂ける音が頭上に走る。

木片が散る。埃が降る。

足が石段に触れた瞬間、マイラは身を翻し、板を元の位置へ戻す。

ぴたりと蓋が降り、闇が濃くなった。


(見つからないで……!)


地上。

倒れ込む気配、靴の音、低い声。

「いない?」「床、調べろ」「隙間は——」


マイラは息を細く吐き、石段をそろりと降りる。

前を行くルフトの金色が、薄闇でさざめくように瞬く。

指先に冷たい石の感触。湿った匂い。

階段は短く、すぐに狭い通路へ。


(古い……廃教会の地下道に似てる。でも、ここは——)


壁に、すすけた印。

半分欠けた円と、その内側の小さな矢。

あの紙片と同じ印——(いや、紙片はカイが持っている……どうしてここに?)


「……やっぱり、繋がってる」


自分でも驚くほど小さな声だった。

ルフトがこちらを振り返り、こくんと頷く。

(分かってる。急ごう)


背後。

床板を叩く鈍い音が一度、二度。

誰かが同じ抜け道に手をかけたのだ。


(追いつかれる)


マイラは通路を駆け出す。

足音は石に吸われ、落ち葉を踏むように軽い。

遠くで水が滴る音。

曲がり角が二つ。

三つ目を曲がった瞬間——


「止まって」


闇の中から、静かな女の声。

ぱち、と灯がひとつ灯る。

油皿の揺れる火。

光に縁取られた細い影。


(罠? でも、この場所を知ってる人……)


女は唇に指を当てた。

「静かに。上はもう割られた。あなたたちがここに降りたこと、外の人たちに気づかれかけてる」

「あなたは——」


「名乗るのは後。道を選ぶ時間も後」


女は火をかざし、通路の左右を示す。

右は濃い闇。

左は冷たい風。


「右は近道。でも音が響く。左は遠回り。安全」

「なら——」


(左。息を整える時間がいる。カイは……無事でいて)


マイラは左を選んだ。

振り返ると、女は僅かに顎を引き、無言で従う。

ルフトが肩に飛び移り、耳元で小さく鳴く。きゅ。


(大丈夫。行く)


通路は徐々に上りになる。

天井が低く、肩が石に擦れ、衣が音を立てる。

やがて、上方に四角い影——蓋板。

女が鉄の棒で押し上げる。

ぎ……と湿った音。

冷たい夜気が流れ込んだ。


「ここから外。裏路地。——まだ人影はない」


「ありがとう。あなたは?」

「私はここまで」


女は火を消し、闇に溶けた。

名前も足音も残さずに。


(……助けられた。けど、何者?)


地上。

夜の空気は薄く湿り、遠くで鐘が一度鳴った。

路地の先。

市場のテントの影が、風で揺れている。


マイラは麻袋を抱え直す。

(カイ……無事でいて)


そのとき、路地の曲がり角から気配。

足音は軽く、急いでいる。

影が伸び、壁に縁どられた。


「マイラ!」


カイの声だ。

胸の緊張が一瞬ほどけ、足が前に出る。


「無事だった? こっちは——」


言いかけた瞬間、屋根瓦がきしむ。

ぎし、と。

暗がりの縁に黒い影がひとつ、またひとつ。


(屋根にもいる——!)


「走れ、こっち!」


カイが反対側の細道を指す。

マイラは頷き、踏み出した——その足首を何かが掠めた。

石畳に鋭い金属片が刺さる。

ち、と音を立て、黒い手がそれを引き抜いた。


「紙片を渡せ」


屋根上から落ちる、乾いた声。

見上げた先、月のない空を背に仮面の輪郭。

仮面の額には、半分欠けた円と矢——紙片と同じ刻印。


(どうして、あなたたちがその印を……?)


マイラは麻袋を左腕に抱え直す。

喉が乾く。

それでも声は震えなかった。


「——嫌だと言ったら?」


静かな反発。

心の底では、別の声が叫んでいる。(渡さない。絶対に)


仮面は答えない。

代わりに屋根の影のひとつが滑るように降りてくる。

黒い布が夜気を切った。


ルフトの瞳が、強く金色に燃える。


(来る)


マイラは地を蹴った。

カイも同時に動く。

三つの影が交差し、路地に風が走った——。


——つづく——

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