第5話 春のブレストン──影と紙片の印
石畳を蹴る足音が、
途切れそうで途切れない。
廃教会を飛び出してから、
もう何度振り返っただろう。
人の影、人の声——
すべてが追手に思える。
「はぁ……はぁ……」
マイラは肩で息をしながら、
後ろをちらりと見る。
市場帰りの人々の間を、
黒いフードの人物が
すっと横切った気がした。
「カイ……まだついてきてる」
「……わかってる」
短く、硬い声。
息を切らしながらも、
カイは歩幅を緩めない。
ルフトがマイラの肩から飛び降り、
低く「ピィ……」と鳴く。
そのままマイラのかばんの紐をくわえ、
裏路地へと引っ張った。
「そっち!?」
「ついて!」
カイが先に路地へ滑り込み、
マイラもすぐに続く。
湿った空気が流れる細い路地の奥、
古い井戸がぽつんと残っていた。
「……ここなら、少しは隠れられる」
カイは息を整えながら、
上着の内ポケットから紙片を取り出した。
その瞬間、紙の表面に淡い光が走り、
古びた文字と印が浮かび上がる。
「……なにこれ」
マイラは思わず身を乗り出す。
「俺の知ってる……あいつの手口だ」
「あいつって……」
問いかけると、カイは唇をきつく結び、
首を横に振った。
「まだ……話せない」
言葉を飲み込んだマイラの脳裏を、
一瞬、見知らぬ景色がかすめた。
灰色の空、歪んだ鐘楼、
そして石畳に広がる黒い染み——。
不意に、路地の出口から影が差した。
振り向くと、フードを深くかぶった
長身の男が立っている。
「……返せ」
低く響く声。
カイの指が、紙片を握る音が聞こえた。
その時、奥の路地から
別の足音が近づく。
「走れ!」
カイの声と同時に、
二人は逆方向へ飛び出した。
背後で何かが石畳を削る音が響く。
影が壁に長く伸び、
その形が紙片の印と重なった——。