第1話 花市の町と、倒れた屋台
春──花と香りに包まれる交易町ブレストン。
見習い配達人マイラは、相棒の小さな翼獣ルフトとともに、今日も荷物を届けていた。
そんなある日、花市で倒れかけた屋台を救ったことで、ひとりの少年カイと出会う。
琥珀の瞳をもつ彼は、立入禁止の廃教会に関わる“ある秘密”を抱えていた。
小さな出来事から始まる、大きな旅の予感──
これは、季節を巡り、恋と冒険と日常が交差する、配達人と翼獣の物語。
「今日はいつもより人が多いね、ルフト」
肩に乗った小さな翼持つ獣が「キュッ」と短く鳴く。
(ほんと、こんなに賑やかなのは久しぶりかも)
マイラは思わず口元を緩め、斜めがけの配達かばんを軽く揺らして歩いた。
「ほら、あの花。あんたの毛並みにそっくりでしょ?」
ルフトは尻尾をぴくりと動かし、そっぽを向く。
(ふふ、こういう時は絶対認めないんだから)
春の陽射しが石畳をぽかぽかと温め、広場は色とりどりの花や苗木で埋め尽くされていた。
ふわりと甘い香りが鼻をくすぐり、土の匂いが混ざる。
(ああ、この匂い…春がちゃんとここにある)
「あと一件で終わり。帰ったら…甘いパンでも買って帰ろうかな」
小さくつぶやき、膝丈の生成り色チュニックと革ブーツを軽快に鳴らし、屋台の間を進む。
(今日はご褒美に、あの蜂蜜クリーム入りのやつにしよう)
その時──。
「きゃあっ!」
甲高い悲鳴と、ガタガタッと木枠が揺れる音。
視界の端で、花苗を山と積んだ屋台がぐらりと傾く。
(…まずい!)
その前に、小柄な少年が両腕をいっぱいに伸ばし、必死に柱を押さえていた。
「ダメだ…重いっ!」
少年の声が震える。
(間に合わない…!)
「危ない!」
マイラはタタタッと駆け出した。
「ルフト、上!」
「キュッ!」
ルフトは後ろ足で肩を蹴ると、ふわりと舞い上がり、現場上空へひゅうっと昇る。
「離れて!」
マイラは花束や木箱をひらりと飛び越え、少年の腕を掴む。
「うわっ!」
「こっち!」
二人は転がるように地面へ身を投げ出し、その直後、ドサッと屋台が崩れた。
(…間に合った…!)
「だ、大丈夫?」
「…うん。ありがとう」
少年の頬は土で汚れている。
(小さいのに、よく支えたな…)
「助けてくれてありがとう、お嬢ちゃん!」と周囲の人が声を上げた。
マイラは首を振る。
「いや、この子のおかげだよ。倒れる前に声を上げてくれたから、間に合ったんだ」
「そんな…」少年が小さく呟く。
(素直な子だな…)
その手には、一通の封筒。
マイラは目を細めた。
「その印…廃教会の壁画のだよね?」
少年が驚いたように瞬きをする。
「知ってるの?」
「少しだけ」
「これ…廃教会のおじいさんに届けるんだ」
(廃教会…なぜ今、その名前が…)
マイラの胸に、ひやりとした感覚が走った。
夕暮れ、川沿いの小道。
ルフトが肩に戻り、前足でマイラの肩をとん、と踏む。
ふわふわの毛が首筋をかすめ、低く「クルル」と喉を鳴らす。
「…あんたも気になるの?」
(あれは偶然じゃない…)
マイラは遠くの丘に目をやる。
その空を、ひゅうっと風を切りながら、季節外れの光る鳥が横切っていった。
(…始まる、何かが)