ルークとバン──2
それから。俺達はアンレスタ国に急行した。
バンの話から一時間──とにかく、マニが今どうしているかを知る必要があるのは、師匠が言っていた通りだ。
俺は走る。
走りながら、思い出す。
バンの話。
「……それは、つまり、あの日……」
聞き終えてから。
まず、師匠が口を開いた。
「──五年前。そこがポイントだろうな。それに嵐の日ってんだ、間違いねぇ。あたしの折衷現象の日と同じ日だろうな」
「…………」
師匠の言葉を聞いて。
次はユメルが反応する。
「……リュークさんも、そう思いますか。あまりにも、符号が一致しすぎています。それに、黒い人というのは──」
「四ツ目だろう。特徴的な話し方だ。これも間違いねぇ」
バンの話を聞いて。
俺達は、思考する。
「その老人ってのは、十中八九、あたしの祖父だろうな。ここまで話がかみ合ってくりゃ、そうだろう……バンも、あの四ツ目と会ったことがあるんだ──そう考えるしかない。おそらく、嵐で飛ばされたあたしの祖父は、アンレスタ国で生きていたんだろう」
「……それで、バンさんと出会ったと」
ようやく、俺も、思考が追い付いてきた。
五年前。
嵐の日──師匠は折衷現象に遭った。それはあまりにも理不尽であまりにも不合理で、あまりにも救いがなかった。
けれど。
師匠の祖父は死んでいなかった。
嵐に飛ばされ、風に吹かれ、雨にその身を侵食された末──アンレスタ国へ。
そこで、バンと出会ったんだ。
それが五年前の話。
師匠の折衷現象でいなくなった三人──祖父、弟、婚約者──のうち、師匠の祖父は、異世界には行ってはいなかったということ。
「……それに、《合身》の効果──触れたもの同士を合体させる。それはつまり──」
バンがその時触れていたもの。
師匠の祖父の体と。
一匹の鷲。
そこで《合身》が発動した──四ツ目の言っていた通りに。
それが。
「……儂の正体、ってことかの?」
ルークが、訝しそうに言う。
やっぱり、人語を話す鷲なんて、どこかおかしいとは思っていた。魔物でもないのに。
これなら、辻褄が合う。
「ルークは、師匠の祖父と、鷲の融合体ってこと──か」
だから、ルークは人語を話せるのだ。
確か、人語を話せるのはいつからか覚えていないと言っていたけれど、それは五年前からだ。五年前の嵐の日。その日から、ルークは話せるようになったのだ、おそらく。死にかけのところを、《合身》の効果で鷲と融合することで、生き返った。
それが、ルークの正体。人語を話す純粋な魔物ではなく、そういう裏事情がある生き物。ここまでルークが巨大になったのも、それからなのだろう。普通の鷲ではないからだと。
そんなことが──あっていいのか。
ルークはなにか、思うところがあるようだった。
「……はっ。なるほどな。どおりで、この鷲野郎が人間に好意的だと思ったぜ。大抵の魔物は人間に対して敵対している──だが、こいつは初対面から友好的だった。脳のどっかに刻まれてるんだろうな、元は人間だってよ。それに、右目が潰れてたんだろ? なら、こいつのサンメ鷲っつうのも──そういうことだろうよ」
残ったほうの左目と、鷲の二つの目で、三目ってな──と。納得したように、師匠は言う。ルークが自身の祖父であることが分かってからも語調を変えない師匠にも、それはそれで、なにか事情がありそうな感じはあるけれど──それにしたって。
《有能》の効果で、動物と人間が合体するなんて、そんなこと、納得できるか。どおりでというのなら、ルークにやたら人間味を感じたのもそれが理由なんだろうけれど、それでも得心しにくい。
「……ルークがこの森を故郷と言っていたり、長く住んでいると言っていたのは?」胃から湧き出てくる吐き気のような気持ち悪さに、反発するようにキツイ語調になる。ここで仲間に当たっても仕方ないけれど、否定せざるを得なかった。「ルークの正体が師匠の祖父であるというなら、そこの矛盾はどうなるんです?」
「そりゃ、こいつが何も覚えてないのが回答になるだろ。簡単な疑問さ」ルークは自身の人生を思い出そうとしているかのように何も言わずにいる。師匠が答えてくれた。「多分、あたしの祖父が死にかけだったってのが災いしたんだ──《合身》が完全な形では効力を発揮しなかったんだろう。つまりは、記憶の混濁さ。こいつが今まで人間時代のことを何も覚えてなかったのは、鷲時代の記憶が流れ込んで混ざり合ったんだ……多分。で、ルークは人間時代のことを忘れ、鷲として人生を再スタートさせた」
「……そんな」
「何も、疑問に思うことも無く──自身が鷲であることに、何の疑問を持つことも無く」
「…………」なんだ、その話は。意味が分からない。実際にルークと過ごしてきた俺ですら、理解が及ばない。追いつかない。
ただ、納得できなくとも──《有能》は実際にある。そして、《合身》の効果で、ルークは今も生きていた。
それはどうしようもない、事実だった。
ならば──納得するしか、ない。のだろう。
なんだ、それは。
「それが《合身》の効果だっていうなら、あたし達は従うしかないんだよ。《有能》なんていうものに触れんのも初めてじゃねぇんだから。早いうちに飲み込んどけよ、お前ら」
やはり師匠の演算能力は俺達の中でも随一のようで、既に師匠は、バンの《合身》のことを事実として考えているようだった。いや、事実として考えるしかないとしても。
《有能》。
それに内包する可能性は──本当に予想できないっていうのか。
ルークは、今も、口を開かずにいた。
「……え、で、でも、オイラがレン左大臣にアンレスタ国のことを言っちゃったから、リュークさんが怪我しちゃったって、こと、だよね?」バンが怯えるような目で、師匠を見る。「だったら、オイラ、払いきれない量の負物を、リュークさんに作っちゃったってことに……」
「ああ、ああ。いいんだよ、そんなことは。アーロンと繋がってたんだから、どうせレンもアンレスタ国のことは知ってただろうし」師匠はバンの視線から逃げるように、鬱陶しそうに手を振った。「それならバンがいなくても、いつか、敵は同じようなことをしたはずだ。結果は変わらん──お前が責任を感じることじゃねぇよ」
「でも…………」
それでもバンは言い引っ掛けようとしたけれど、言葉が出てこないようだ。師匠が切り替えるように、大声を出す。
「……だから、次だ。それがバンの隠していたことだとして──次。あたし達は考えるべきことがあるだろう」
「……マニのこと、でしたか」ユメルがバンの代わりに答えた。
そうだ。バンの隠し事が開示されたところで、それは確かに、少しの謎を解明したけれど、それで現状が変わったわけではない。
アーロンに四ツ目に、《有能》に。
考えるべきことが山ほどある。
「切り替えろ。そして、考えろ。あたし達は今、やられっぱなしの状況だ。四ツ目の思惑通りのハッピーセット。だが、動かないわけにもいかねぇ。今、この場に留まろうが、幻の《有能》が襲い掛かってくる可能性は変わらねぇしな──折衷現象の解決に向けてできることをしなきゃならねぇ。それがあたし達の目的だ」と、師匠がまとめた。それで、バンの過去の話は終わりのようだった。「うし。動くぞ」
師匠がアンレスタ国の方を見ながら、怪しい目つきをした。これからの動向を考え、策を練り、未来を描いているようだった。頼もしい。こんな痛手を負っても、この人は師匠なのだ、止まらない。
ただ。一つだけ。
「いや、ちょっと待ってください……一つ、いいですか?」師匠の行く先を遮るように、俺は手を上げる。「一つだけ……いいですか?」
「あん?」師匠は俺を見て、顎をくいと動かした。話があるなら早くしろという合図だった。それを受けて、俺も手を下ろす。
師匠が話をまとめようとしていたところに、一つだけ、挟みたい疑問があった。
ルークが、折衷現象でいなくなったと思われていた師匠の祖父だった。《合身》で、ギリギリのところで生き返った。
それは。
ならば。
「……ルークの、人間時代の名前って」
なんだったんですか、と。
俺は、聞いた。
で。
それから。
俺達は、アンレスタ国に向かっているのだった。
もちろん、マニのところへ向かうために。
既にもう、アンレスタ国の国土の中に入っている。
夜の闇の中、アンレスタ兵の視界に入らないような道を選び続けながら。
走る。
「…………」
俺達。
俺、ユメル、師匠、ルーク。
計四人。
四人、だった。
そう、バンがいない。
「……本当に、バンさんをつれてこなくてよかったんですか?」
と。
例によって、俺の背中に背負われているユメルが、わざとだろう、不満を隠そうともせずに言った。
「ああ?」
師匠はというと、左腕を失くしたというのに、少しバランスのとりづらそうにするだけで、難なく俺達の前を走っていた。本当に平気そうに、なんということもなく。
「……なんだよ、まだ納得してなかったのか? バンは置いていったほうがいいだろ、どう考えても」
「……そうかもしれませんけど」
納得してなさそうなユメルの声が背中越しに聞こえる。
ユメルの言っていることは、バンのことについて、だ。
バンは今、魔物達の森に待機してもらっているのだ。
理由は明白、状況についてこれていないから。
《有能》に折衷現象に折衷世界に──バンは今日だけで、俺達の周りに存在する超常現象について知った。一つ一つですら理解の苦しい問題だというのに、それを一度に複数。それは、バンのような人間にとっては苦痛の伴う思考作業だっただろう。想像に難くない。
最後に、本人の一言だ。
『……ごめん、ちょっと、考えさせてくれないかな? オイラ、あんまり頭良くない……』
そんなことを言われたら、従うしかないだろう。
それにバンは《合身》の持ち主だということも忘れてはならない。アンレスタ国がどういう状態になっているかわからない以上は、理解が及んでいないバンを連れてくることは、リスクのほうが大きいと判断せざるを得ないだろう。
「だから、そこなんですよね」
ユメルはやはり、不満そうに呟く。師匠にもぎりぎり伝わるくらいの声量で、走る俺達が受ける風の抵抗にも負けないように。
「《合身》を持っている以上、雑な扱いが出来ないのはわかりますよ……でも、《合身》をもっているからこそ、戦場に来るべきじゃないんですか? 《有能》一つで戦況が変わることだっていくらでも可能性として有りうるでしょう?」
ユメルはそこが気になるようだった。
でも正論でもある。《有能》というものがどれだけ凄まじい力を秘めているか、俺達は知っている。理解は出来ていないのかもしれないけれど、それでも嫌というほどに知っている。だからこそ、《有能》持ちのバンがここにいないのは、ユメルにとっては不満のようだった。
けれど、師匠は。
「それ込みでも、バンを置いていくほうがあたし達にとってイイだろうよ。確かに《合身》は強大だが──それ故に使い方を間違えると最悪、あたし達にも牙を剝くぞ」
「…………」
「しかも、所有者がバンだからな。言っとくけど、バンが完璧に状況を把握したとしても、バンを戦場につれていくのはあたしは反対だね。それぐらいにはあいつは戦闘に向いてない──戦場には向いてない。《合身》だとか《有能》だとかも含めて、あいつは戦えないだろうよ。それに限っちゃ、出来ないより出来た方がいいとは限らん──あたしの人間観を舐めんなよ」
「……別に、侮ってはいませんけど……」
ユメルがすねた子供のように小さな声で呟く。
そこで、遅まきながら気づいた。
そうか、師匠には読心があるから、バンの考えていることが分かるのか。だからここまで、バンが戦闘に向いていないことを断言するのだろう。理解が及んでいないことも丸わかりだし──ならば、師匠の言う通り、バンは魔物達の森に置いていくのが正解なの、だろう。師匠のことを気に病んでいたようだったし、優しい性格の持ち主ではある──が、戦場でそれがマイナスに働くことは、師匠でなくても容易に想像できる。
ユメルもそこまで言って、ひとまず落ち着いたようだった。
ユメルがここまでバンという戦力──《有能》という戦力に固執するのは、わかりやすく、これからマニのもとへ行くからだ。マニの安全を確認しにいくのだ、戦力が多いに越したことはない。師匠に否定されなければ、引っ張ってでも連れ出しただろう。とはいえ、リスクを考えれば──ユメルも納得せざるを得ないようだった。
ちなみにルークが会話に参加しないのは、前回アンレスタ国に侵入したときと同じように、アンレスタ兵に見つからないよう上空を飛んでいるからである。これも前回同様、夜の闇に紛れるしか、ルークの巨体を隠せないのだ。それに加えて、もう一度幻を見せる《有能》の効果を確かめるために、かなり上空を飛んでくれているから、会話が届かない。
ちなみについでに、もう一つ。
師匠とルークのことについて。
師匠はルークが自分の祖父だと発覚してなお、呼び方も、態度も、どちらも変えないようだった。今更変えるのも違和感があるのかもしれない──多分、そんな単純な理由ではないだろうけれど。
「つうかよぉ、それを言うなら」
師匠が走りながら、こちらを振り返る。
「ユメ、お前のほうが危険なんじゃねぇの? これからアンレスタ城に行くんだぞ? その意味、分かってんのか?」
「…………」
ユメルは無言のままだった。
それはつまり──カモがネギ背負って、というやつだ。
ユメルは元々、アンレスタ城の牢獄に魔女として囚われていた。そんなユメルがこちらからアンレスタ城に行こうというのだから。もしユメルがアンレスタ兵に見つかるようなことがあれば、また牢に逆戻りになるかもしれない。
「……それを言うなら、お兄さんのほうもそうでしょう。確か、私を助けるためにここに来た時に、アンレスタ兵に追われたはずです」
「あ」
そうか、そうだった。
魔女ユメルの救出の時、俺はアンレスタ兵に追われ捕まりかけた。その時はルークの助けがあってどうにか出来た。
「今回もルークさんはいますけれど……それでも、顔を見られたんです。前と同じというわけにはいかないでしょう」
「……うーん。そっか」
ん? いや、待てよ。
そういえば、マニに、その辺りのことを聞かなかったか?
マニがユメルを追って、魔物達の森に来た日のこと。
アンレスタ兵の俺への対応。あの時いた十人のアンレスタ兵──そいつらの対応。それを、マニに聞いたはずだ。
で。
たしか──なにもない、だったはず。困惑したのを覚えている。魔女を牢から出して連れ去り、顔まで見られておきながら──アンレスタ兵、それにアンレスタ国は、俺に対してなんの対応も取らなかった、らしい。マニの耳にすら何も情報がはいってない。
今までスルーしていたけれど──これは。
「…………」
「……なぁんか、考えてるな? ソラよぉ」
と、そこで師匠が足を止めてこちらを覗き込んだ。半ば遅れて、俺も足を止める。
「……ちっ。左腕失くしてからなぁんか調子わりいな。血も無くしすぎたか、読心が今まで以上にうまく働かねぇ。着てるもんも、いつもと違うし。ソラよぉ、なに考えてんだ?」
師匠に言われ、簡潔に答える。
読心が効かないのは、ユメルの近くにいるよいうのもあるんだろうけれど、それ以上に感覚が鈍っているらしい。やはり腕の欠損が大きいらしかった。
当たり前だけれど。
「……師匠がいないとき、マニに聞いたんですよ。アンレスタ国の俺への対応を。そうしたら、なにもなかったらしいんです。本当に、なにも。王女のマニがそう言うんですから、多分間違いないです」
「……ふぅん? それは……なんだろうな。不思議な事──つうか、気持ち悪い事だな。放っとくと後々、変なところで響いてきそうだ」
「ですよね……」
なんでそうなったのか。アンレスタ兵が俺のことを上に報告したならば、確実になにか対策が取られるだろうに。
もちろん、対策がないほうが今の俺にとっては好都合だけれど。
考えられる理由としては──魔女がいなくなったことがアンレスタ国にとってそれほど重大なことだったということ、ぐらいか。俺のことなど無に帰すほどに、魔女誘拐のほうが話題性が良くも悪くもあったということ。
いや、それならなおさら、魔女を連れ去った俺のことが話に出てきてくるんじゃないのか?俺のことさえどうにかすれば、魔女は再び、アンレスタ国の牢に戻ってくるかもしれないのに。
と、悩みながらふと周りを見渡すと、そこはもう、アンレスタ城の門の前だった。師匠が足を止めたのは、門が近かったかららしい。
ここまで来たら、もう迷っている暇はない。
深呼吸して、頭を整理する。
確かに腑に落ちない部分は多数あるけれど──もうタイムリミットだ。思考は間に合わない。
ここからは行き当たりばったりのステージだ。何が起きても即座に対応しなければならない。
いいだろう、やってやる。結局俺がやるべきことをやるだけだ。
と、そこで、ルークの翼の音が聞こえた。
「……ふむ」ルークがいつの間にか、近くに降りてきていた。「……儂が空から見た感じ、今は幻はなさそうじゃ。幻じゃない、本物のアンレスタ兵もいなかった」
今は、幻の《有能》はアンレスタ国にかかっていないようだ。ルークの報告から、それが分かる。それと同時に、師匠が危惧していた、本物のアンレスタ兵の挙兵もないらしい。
「……へぇ。それは、エリザベスも喜ぶだろうな」師匠がアンレスタ城の方を見て、目を尖らせる。「じゃ、あたしとソラとユメが潜入、ルークはここで待機な。あたし達の方はマニとの接触が終わり次第、脱出だ」
「……うぅん、そうじゃの。儂は待機か……」不服そうな顔でルークは言う。「……なにか、出来ること……」
「ねぇよ、そんなもん」そんなルークにも、いつもの口調で師匠は応えるのだった。「お前の図体が城の中飛んでたら、大騒ぎになるだろうが。おとなしくここで待機してろ」
「……そうか、そうじゃが…………そうじゃの。前みたいに儂の出番は、万が一なにか起こった時だけじゃの。そうじゃの、それで……」
言って、ルークは斜め上を見るようにする。歯がゆい顔をしていた。何か言いたそうな表情な気もするけれど──言わないのならば、優先度は低いのだろうか。
そこで、師匠は、再度。
「……ユメ、よぉ。質問に答えてもらってないぜ。アンレスタ城に行くっつうことの意味。わかってんのか?」
師匠は再度、ユメルに問う。
アンレスタ城の門を前に、最後の確認といったところなのだろう。
「やっぱり、それを言うなら、リュークさん、あなたもでしょう」
俺の背中から降りながら。
ユメルも強気に、答えた。
「片腕がないんですよ? そんな体で戦えるんですか?」
「はっ。愚問だね。片腕を無くした程度で、あたしが尾羽を打ち枯らすと? それはあたしに聞いてんのか?」
「……そうでしょうね」
ユメルは呆れたように、言う。
「そしてそれは私も同じですよ──マニのところへ行くんです。自分の身が危険だからって、躊躇する気は私にはありません」