失踪──1
城の人間の、緊急事態でしか出さないような、掠れた怒号混じりの状況報告を盗み聞いて。大方、状況を把握した。
この、いうなれば──『リゲル兵虐殺』ともいうべき事件。
被害を、結論から言うと。
まずリゲル兵。
その半分が、死亡した。
数にして、およそ五千人。
この人数の中には、《死隊》にされていたリゲル兵も含まれている。事後故に正確な人数は特定出来なかったけれど、《死隊》にされていた、味方を襲った兵はおよそ千人くらいらしい。
つまり、千人の《死隊》が、四千人のリゲル兵を殺した。
四倍である。
それだけで、《死隊》の威力を推し測れようものだった。
なんとか生存した五千人のリゲル兵は、現在城に帰還している。
次。
リゲル国王女、リューク=アラカルト。
全身に咬み傷、切り傷、アザが残り。
左腕を失う。
命に別状はなかったが、だからなんだと言いたくなるほどの惨状だった。
幸い、一般の国民はその場に居合わせなかったらしく、国の噂なんかにはなっていないらしい。魔物達の森の近くに来る人間がいないことが功を奏した形だ。
現在は、リゲル城の医務室──というより王族に何かがあった時の特別治療室に運ばれて、治療を受けている。アンレスタ国に対しての防衛として兵を出していたのだ、リゲル城の門は夜中だというのに開け放たれていた。エリザベスさんの言っていた通りに。
次。
ユメル、バン。
この二人については、情報はなかった。いや、勿論、死んだという意味ではない。あの二人はリゲル国とは無関係の人間だから、おそらくリゲル城の現場報告係の目には留まらなかったのだ。だから、情報はない──ただ、《死隊》の残党が他にいたりしない限りは、無事だと思われる。アーロンの目的を考えれば、あの場から離れるように動いた二人が死ぬ道理はないからだ。おそらく、ユメルの機転でそこらに隠れていることだろう。ユメルに期待するしかなかった。
で。
俺はというと。
「何があったか説明してください」
エリザベスさんに詰め寄られていた。
「……あの。一応、俺も病人なんですけれど」
「五月蝿いです。早く説明してください」
現在、夜の九時あたり。昼に何度か訪れたエリザベスさんの部屋に、俺はいた。
俺の格好も、昼とは比べ物にならないほどに変わり、腕と足と頭に包帯を巻いていた。包帯で済んでよかったと思ったけれど、その包帯にはところどころ俺の血が滲んでいるというのだから、背筋が凍る思いだった。
あの後。なんとか、近くのリゲル兵のところまで師匠を背負っていき、リゲル兵に師匠を託したところで、俺は気を失った。で、気付いたらリゲル城の医務室にいたというわけだ。そこからエリザベスさんに見つかり、師匠の惨状と、リゲル兵の《死隊》による奮起を報告されていたエリザベスさんに、ここに連れてこられた。
尋問するために。俺は、ここに連れてこられた。
「あなた。ねぇ、あなた。ソラ君。君は、何か、知っているんでしょう? アンレスタ国の挙兵についてリュークさんの手紙を届けたあなた。リゲル兵がなぜか同士討ちを始めた場に居合わせたあなた──何も知らないとは、言わせませんよ」
「…………」
こんな調子で、俺が目を覚ましてからずっと。
俺はエリザベスさんに尋問を受けているのだった。
いや、仕方のないところだろう。エリザベスさんにとっては何が起こったか、報告だけでは何もわからないだろうから。《有能》のことも《死隊》のことも、折衷現象のことも知らないエリザベスさんにとっては、ただリゲル兵が仲間割れを起こし、その結果リューク=アラカルト王女が死にかけたということしかわからない。それだけの情報で何かを判断するのなんて無理というものだった。
かといって。
「あなたは何を知っているんです?」
「…………」
ここで、俺はどう答えるべきなんだろうか。
折衷現象のこと、俺のこと、ユメルのこと、師匠のこと──《有能》のこと、四ツ目のこと、アーロンのこと、回帰教のこと。
正直に全て話す? 嘘をつく?
そのどちらも、俺は選べるのだ。結局、アンレスタ国の挙兵には回帰教が絡んでいる可能性が高いとことも判明したし、エリザベスさんが集めているという回帰教の情報を照らし合わせることができれば、何か、手が思いつくかもしれないのだし──正直に話すという選択肢はアリではある。
ただ、嘘をつくのも、メリットはあるから──どちらかが正解かはわからなかった。
「……そもそも、ですよね。昼も言いましたけれど、あなた方は一体全体、何をしているんですか? リュークさんと組んで何を企んでいるんです?」
「……企むって」
それに、あなた方、ときたか。
つまり、ユメルのことも含めてということ。
師匠、俺、ユメル。
この三人。
「私から見れば、今回の騒動の発端はあなた方なんですけれど──私から見れば、あなた方が原因としか考えられないんですけれど」
「いや、それは……」
それはないだろう。確かにエリザベスさんから見れば、俺とユメルが届けた師匠の手紙から始まった出来事である。そこと繋がっていると考えるのもわからなくもない──が、事実はそうではないのだ。そもそも、師匠があれだけの重傷を負うような何かを計画なんて、俺にできるはずがない。師匠は恩人なのだから。
「……まぁ。リュークさんの仲間であるのならば、あなた方が原因ではないんでしょうがね」と、エリザベスさんは引いた。筋を通さない論理を押し通すほど、冷静さを欠いてはいないらしい。ここでも、地位の証明が見え隠れする右大臣だった。「あのリュークさんが任せたのですから。あなた方は、原因ではないんでしょう」
「……そうですね」
「ただ」
エリザベスさんがジロリと、見たこともないような目でこちらを射抜いた。
「これは流石に──洒落では済まされませんよ」
「…………!」
ジィ、と。
四つ目の《読心》の世界にすら引けを取らない、威圧感。
それがこの場を支配していた。
「原因ではないとしても。あなたたちが何かを知っているというのは予想できますから──それを故意に黙秘するのであれば、それは国家への反逆とも取れます」
「……反逆」
「ですから、最も重い罪として、また死刑の可能性もありますが──いかがでしょう?」
「それは……」
これは、脅しか。
再度、死刑にするという、極めて冷酷で、エリザベスさんだからこそ出来る唯一の脅し。何が怖いかって、実際に一度、死刑間近までエリザベスさんは手続きを済ましたことがあることだ。そんなエリザベスさんならば、何の躊躇もなく、俺の死刑を執行するだろう。死刑になれば俺から情報を得られなくなるけれど、ユメルを探して拘束すればいい。そうすればまた、同じように尋問できるのだから──俺を生かしておく必要はない。
「……どうします?」エリザベスさんの視線が刺さる。容赦のない鋭さ、ナイフのような切れ味を持っていた。「……決断は、お早めに」
「…………」
話すか、否か。
くそ、師匠がいれば、どうとでもなるのだ。王族パワーで黙らせることも出来るはず。師匠はまだ治療中なのだろうか。
「……俺の死刑、ですか。師匠の一声で、中止になりませんでした?」無言のままは流石にマズいだろうと意識を変えて、俺は吹かれる葉っぱのように、脅しを受け流すことにした。エリザベスさんだって忘れちゃいないだろうし、その時から俺は師匠と関わるようになったんだから、また同じように、死刑にならない可能性もあると思っての返答だった。「王族の力は強いでしょう」
「そうですね。それはその通りです」と、意外と素直に、エリザベスさんは俺の言葉を認めた。威圧的な雰囲気は少しも崩れず俺を捉え続けているけれど、話の趨勢は一瞬、俺に傾いた気がした。「でも、リュークさんは今、治療中ですよ? であるならば、あなたを助けてくれる存在はいないも同義だと思いますが……いかがでしょう?」
「…………」
すぐさま、エリザベスさんが優位になる。戦況の傾きが変わった気がしたのは、俺の気のせいのようだった。俺はなお、反論の手掛かりすら掴めていない。
交渉。
(……エリザベスさん、ね)
一つ。
この状況。この、右大臣であるエリザベスに詰められている状況。考えてみると──俺には他に、考えるべき点が一つあった。
《死隊》のことだ。
今回は、前回のマニ救出の時と違って、《死隊》のことを、大勢の人間が見ているのだった。五千人近いリゲル兵が、仲間だった《死隊》をその目で目撃しているのだ。そうして、何が起こっているか理解できないまま、《死隊》のせいで多くの人間が死んだ。
考えるべき点は、ここだった。
なぜ、こうなったのか。この出兵を命令したのは、誰か。
「……まぁ。そうだよな」
エリザベスさんだ。エリザベスさんがリゲル城の防衛に兵を動員すると、そう決めたのだ。考えるべき点は、ここである。
だから、リゲル兵が半数に減らされた今回の出兵の責任は、もしかしたら──エリザベスさんにあるということになるんじゃないだろうか。それに対する責任は、もしかすると、エリザベスさんにあるんじゃないだろうか。
だから、だろう。
エリザベスさんが今回ばかりは、俺の口から情報を聞き出そうとしているのは──あんな惨状を生み出しておいて、何も収穫がなかったという言葉なんて、国の要人として、口が裂けても言えないのだ。あんなことが起こったというのになにも得られるものがないなんて、あまりにも割に合わないだろう。
だから、前例がないほど、エリザベスさんは情報を抜き出そうとしているのだ。俺から。
「…………」
別に、エリザベスさんに対して情が湧いた訳ではないけれど。でも、こんな優秀な人が、責任に追われて、右大臣の席を辞任なんてことになったら──それこそ、リゲル兵五千人の死亡に匹敵するくらいの損失なんじゃないだろうか。師匠も言っていただろう、エリザベスさんがいないとリゲル城は回らないと。エリザベスさんは、そういう立場の人なのだ。
なら、エリザベスさんが責任を追及されて、罷免でもされたら。
もしそうなれば、リゲル国の平和も崩れるかもしれない。そうなれば、師匠をはじめとした王族の統治もなくなるかもしれない。
「……そうなれば」
もし、そうなれば。
異世界への攻略だって、出来なくなるかもしれない。
だってそうだろう、師匠の折衷現象も俺の折衷現象も、この国で起こったことなのだ。ならこの国が平和な今こそ、折衷現象の調査に最適と言っていいだろう。戦争が活発だった時代もどうやらあったようだけれど、知ったことじゃない。今が平和で、あいつを取り戻すために動きやすい時代なのだから、それがなくなるのは何としても避けたい。
だったら。
エリザベスさんだけには、言ってもいいんじゃないだろうか。
エリザベスさんが異世界、それに折衷現象のことをどう取り扱うかは未知数だけれど、師匠の折衷現象のこともある、下手な扱いはしないはずだ。ならば、エリザベスさんのためにも、なにより俺達のためにも、ここで情報の開示はしたほうがいいんじゃないだろうか。
と。
「……答えは、出ませんか」
悩んで答えずにいた俺を見かねて、エリザベスさんがため息をついた。それから、静かに──
「ならば情報交換と行きましょう」
エリザベスさんは提案した。
なんて──言った?
「情報……交換?」
「はい。あなたが知っていることを話す代わりに、私しか知らないことを話しましょう。そうすればお互いに利のある会話になりませんか?」
「…………」
「勿論、あなた方に利のある情報だと約束しましょう。それに私から話し始めるという順番でいいです」
「……それは」
それは──願ったり叶ったり、じゃないか?
元々、エリザベスさんに全てを打ち明ける直前だったことだし──それに加えて新たな情報を得られるならば、乗ってもいいだろう。断る理由が一つもない。
「…………」
「…………」
「……分かりました。話し、ます」
「そうですか。いい返事をもらえてとても嬉しいです」
「…………」
「では、まず私から」
──これでエリザベスさんも異世界というものを知ることになるわけか。
これで十人目。
世界中の人間の数に比べれば雀の涙ほどの人数だけれど、機密にしては、多くの人間が知っていることになる。まぁ、流れ的には仕方のないところだけれど──いや、バンはまだ異世界のことは知らないのか。バンは《有能》のことは知っているけれど、異世界のことはまだ説明してなかったはずだ。
ならば、バンもいつか、異世界のことを知る時が来るんだろう。
「レン左大臣が見つかっていません」
と。
エリザベスさんへの説明も終わっていないというのに、そんな呑気なことを考えていた俺の心を──エリザベスさんのその言葉は重く抉った。
「……な、は、え?」
「聞こえませんでしたか?レン左大臣が見つかっていません」
「…………」
レン左大臣が見つかっていない。
それが何を意味するか。
あの、惨状と言ってなお足りない惨劇が起こった場所に、レン左大臣はいた。アンレスタ国への防御としてのリゲル兵を指揮していた。ということはもちろん、《死隊》が動き出した瞬間にも、レン左大臣がいたということだ。
多数のリゲル兵と同じように、《死隊》に巻き込まれたということ。
エリザベスさんと同じ立場である、レン左大臣が。
だというのに──レン左大臣の姿がないだと?
「……死体でも、ですか?」
「ええ。真っ先に部下に探させましたが、死体もありません」
「確かなんですか?」
「はい。あなたの傷の手当てをしている間、何時間と探しましたから──間違いなくでしょう。まるで元からその姿がなかったかのように、レン左大臣の遺体──いえ、死んでいるとは確定していませんから、体ですか。レン左大臣の体が見つかっていません」
「……それは、つまり」
何を意味するか。
「レン左大臣はどこにいったんですか?」
エリザベスさんが俺の目を見る。
少しの隙も逃さないように。
「…………」
考えられるのは、何があるだろうか。
あの場にいたのは確実だ。大声で指揮をとっていたし、目視でも確認している。だから、その後《死隊》に巻き込まれたのも確実。
レン左大臣を守るための兵もいただろうが、その中にも《死隊》がいたであろうことを思うと──レン左大臣が生きている可能性は低い。ならば順当に、どこかに死体があると考えるのが自然だけれど。
「ちなみに。被害の五千人の八割は、レン左大臣直属の兵で──私の直属の兵は、行政執行機関の長も含めてほとんど無事でした。それでも、千人ほど死にましたが」
「…………」
「レン左大臣直属の兵の残党は、当面、私の兵に併呑されるでしょうね」
と、エリザベスさんは横を向いて言う。
どうやら、あの時いたリゲル兵の内、エリザベスさんから五千人、レン左大臣から五千人出兵されたようだった。その内の半分が、死んだ。エリザベスさんの兵が千人。レン左大臣の兵が四千人。計、五千人。
ん、とそこで。
少し、思い至る。
味方を襲ったリゲル兵はおよそ、千人だったらしい。
それから、今のエリザベスさんの言い方から察するに、エリザベスさん直属の兵は、応戦して死んだみたいだ。
なら──《死隊》にされ、味方を襲った千人のリゲル兵は、全て。
レン左大臣直属の兵ということにならないか?
と。
「それは、あたしが答えたほうがいいな」
「!」
そこで、そんな声が聞こえた。
俺は咄嗟に声のした方向に振り向く。この部屋の入り口、そこに、その人は立っていた。
「言ったとおり、あたしは死にはしなかったし。ソラ、それにエリザベス。あたしの知ってることを話してやる」
そこにいたのは、包帯やなんかを身体中に──特に上半身、特に特に左腕に巻き付けた、病衣の師匠だった。