第1話 危ない人には気を付けて
雨の音で目が覚めてリビングに下りると、母が玄関先で誰かと話す声が聞こえた。
「はじめまして。近所に越してきた刃渡玲奈です」
「変わった苗字ねぇ。銃刀法違反に引っかからないといいけど」
引っかからないだろ……。
「まだ引っかかったことはないです。職務質問はよくされますけど」
「今からお仕事?」
「はい。印刷会社に勤務してます」
リビングから顔を出し、玄関を覗く。
知らないお姉さんが玄関に立っていた。一瞬、目が合ったような気がする。
お姉さんは社会人らしい。だからなのか、疲れた顔をしていた。
「それにしてもびしょ濡れじゃないの」
「……傘がなかったから、そのまま歩いてきたんです」
「会社にはすぐ行かないといけないの?」
「いえ、まだ少し時間が」
「風邪引いちゃうといけないし、よかったら、うちでシャワー浴びていって。着替えは後日返してくれたらいいから」
お姉さんがこくんと頷いた。
そういうわけで、お姉さんが靴を脱いで、家の中にあがってきた。廊下から覗いていた俺とすれ違う。一礼すると、向こうも軽く頭を下げた。髪やシャツから雨粒が垂れていた。
お姉さんはバスルームへ消えていき、母が俺のもとに寄ってきた。
「玲奈ちゃんの着替え、私の部屋から持っていってあげて」
「うん」
「私は買い物に出かけてくるけど、あんたも早く着替えて登校しなさい」
「わかってる」
「危ない人には気を付けて行くのよ」
妹はすでに登校しているし、色々と困るシチュエーションになってしまった。まぁ、気にしすぎもよくないから平常心でいよう。
着替えを調達し、お姉さんのもとに向かう。
「これ、着替えです」
「ありがとう」
バスルームに着替えを置き、その場を去ろうとした。
「じゃあ失礼します」
が、いつのまにか、お姉さんが扉側に立っている。ゆらっとした虚ろな表情で、お姉さんが俺を見る。それから微笑みを浮かべた。
「どいてください、通れないです……」
「君と二人きりになりたかったの」
「は……!?」
閉じ込められたような感じになってる。
「さっき廊下を覗く君を見て、かわいいなって」
「だからって、どうして扉を塞ぐんですか……」
「それは大したことじゃない」
「大したことだろ!」
話が通じない。というか、軟禁されてる。
危ない人に気を付けるように、と母が言っていたが、どうやら本当に危ない人間はここにいたらしい。
「私ね、生きることに疲れてるの。だから君に癒されたいなって」
「だからってバスルームに軟禁しないでください」
「私も色々と限界なの!」
こわっ……。
「本当はもっと明るく楽しく過ごしたいのに」
「知りません……。早く解放してください。これから学校なんです」
「私の頼みを聞いてくれたら解放してあげる」
「頼みって?」
「どこか遠いところに行きたい」
軟禁から誘拐にスライドしてるだけだろうが。
「もう働きたくないの!」
「落ち着いてください。遠くには行けないですけど、近くのコンビニまで一緒に行きましょう。傘とか買って、それからお互いに仕事と学校に行きましょう。それでどうですか?」
こういうときは相手をむやみに刺激せず、一部条件を受け入れて妥協点を探すのだ。
「……隣駅のコンビニがいい」
「じゃあ隣駅まで一緒に行きましょう」
「うん。シャワー浴びてくるから待ってて」
「はい」
ニコニコとして答える。
お姉さんがシャワーを浴びてる隙に逃げ出そう。
「私がシャワー浴びてる隙に逃げ出そうって考えてるよね? 扉開けっぱなしでシャワー浴びるから」
「……!?」