滅びゆく世界
「ねぇお兄ちゃん!! 何で無視すんの? お兄ちゃんの分際で燃え尽き症候群なのぉ?」
煽るように言う妹をよそに、兄は今まで酷使していた脳をただ休める。そして、先程とは裏腹にそんな兄を心配する様に妹は言う。
「ねぇ、お兄ちゃん? そんな大変な仕事なら辞めてもらうよぉ?」
「んー、まぁそれはそれでお前に養ってもらうだけだし、それにそれだけの経済力がお前にはあるからー、それも視野に入れて無視するわー」
兄は軽口を叩き、テーブルの上のグラスを口元に持っていく。
しかし、それは口に届く事はなく、そのグラスは兄の手を離れテーブルの上で砕ける。
「お兄ちゃん!!」
落ちたグラスに続き、兄の体から力が抜ける。
そして兄はグラスの破片の上に突っ伏した。
遠のく意識のなか兄が思った事は、散らばったグラスを妹に片付けさせる事の申し訳なさだけであった。
――――
「やぁ! お目覚めだね! 意識はちゃんとしてる? 僕が見える?」
捲し立てるように喋るソレは妹の姿をしていた。
見渡す限り白い空間である事を確認して、兄は妹の姿をした者に視線を戻す。
「ん? あー、ちゃんとしてるし見えてるけど……お前誰?」
「えー! 妹ちゃんでしょ? 完璧に妹ちゃんに見えてるでしょー?」
「……語るに落ちてるぞ。どうせお前はまぁ、人外の何かなんだろ?」
心底面倒くさそうな顔で兄はそう言った。
そしてそれを聞いた妹の姿をした者は表情を固くした。
「君は……なんなんだい?」
「俺の質問が先だろう」
妹の姿をした者は表情を戻す。
「人外ね……まぁ天使なんだけど、それで君はなんなの?」
「どうも初めまして人間です」
天使は目を細める。
「なに? 妹の姿で睨まれると凄く怖いんだけど!」
「君は……人間じゃないんだろう?」
天使は訝しむような目で兄を見る。
兄は天使の視線を鬱陶しいと言わんばかりに目を逸らし、想像し得る全てを想像し尽くし口を開く。
「いや人間だよ? 見当違いな事を言ってる所を見るに、お前は人の思考は読めないんだよな?」
その言葉を聞き、天使は難しい顔をする。
「読めるんだよ……なのに君の思考は読めない。それに君にはおかしな事が多すぎるんだよ」
「と言うと?」
「まず君を発見した時から君の事を観測し続ける事は出来た。しかし君の未来は視えないし、君に纏わる過去だって君が高校に上がったくらいから視えない! こんな事ありえないんだ……今まではありえなかったんだ! もし君が人類の敵ではなく、この状況に心当たりがあるなら教えてくれないかな!?」
天使はひどく狼狽した様子で兄に語りかける。
「聞いても無駄、俺は絶対に何も話さないよ? そんな事より俺は自分の行末を心配してるんだけど」
話す気は無い。と確固たる意志を感じさせる兄。
それを見て天使もまた、これ以上の質問を止める事にした。
兄には兄の、天使には、天使の事情があるのだ。
藪をつついて蛇を出す訳にはいかないのだ。
「それで、恐らくだけどまさか俺は死んだのか? 万が一そうなら、俺の存在事消し去ってくれないか? 俺が死ぬ以上存在も自我も塵も残さないでほしい」
「何か勘違いしてるようだけど君は死ねないよ?」
そう言う天使に向かって兄は、続きをどうぞと言わんばかりに右の手の平を天使の方にやる。
「……端的に言うと君の魂を他の世界に送る。君というイレギュラーを地球に置いておく訳にはいかないんだ。すまないがこれは決まりなんだ」
「あーそうかそうか、んじゃそれでいいよ。ところで俺が悪人に見える?」
「なんだい? 君の意図は分からないけど、ある理由で君を発見し、僕が観察していた限り悪人には見えなかった」
その言葉を聞いて兄は、それなら……と口を開く。
「じゃあさ、まぁ今回の件に関して俺は悪くないし、お前の都合で他の世界に送られる訳だ。ちなみに魔法とかがある世界?」
「うん、君達日本人には馴染みの深い、異世界ファンタジーと呼ばれる世界と似たような所だね」
それを聞いた兄は笑みを浮かべ、
「恩恵ちょーだい」
「へ?」
「加護ちょーだい」
「なっなんだい!?」
「だからさ、そっちの都合で送られる訳だから何か特典があってもいいでしょって!」
「うう……例えばなんだい?」
天使は困った顔をして、そして兄が何を言い出すのかと兄の顔を覗き込み返答を待つ。
「じゃあさ――」
「え? そんな事で良いのかい?」
天使は目を丸くして兄の目をじっと見つめる。
「はい? 良くなきゃ言わないだろう! んじゃ、そっちもそれで良いって事でいいね?」
「まぁ……僕の方もその程度なら別に構わないけど」
「ありがとう。じゃあもう送ってくれていいよ!」
天使が目を瞑り、両手を兄の方に向けると、兄の周りの空間が歪み、そして兄の意識はそこで途切れた。
兄を異世界に送った後、天使は呟く。
「一体彼は何なんだ? まぁ何にしても保険はかけておくとしよう……どうせ滅びゆく世界だけどね」




