2話
初めこそ混乱したが、落ち着きを取り戻したのは割と早かった。なぜなら、小さな子たちも混ざって頬擦りをしてきたからだ。君たちはどんなことがあってもオレに甘えてくるんですね……。マイペースさには呆れ返るしかない。後はされるがままだよ。
頬擦りを終えた奥方様に勇気を振り絞って『あ、あのっ、オレ――じゃなかったわ! わっ、私を化粧台まで運んでくれませんか?』と問うたのは、自分の容姿が知りたかったからだ。なんの心の準備もないまま高貴な人が来てしまったことで、一人称を間違えそうになり少し声が震えてしまったけれども、早いところ確認をしないと対策がとれない。容姿の確認は大事よ。人はまず見た目から判断するものだからね。
奥方様は嬉々としてオレをそのまま抱き上げようとしたがしかし、「奥様、止まってください」とメイドさんの手に阻まれてしまい、オレはメイドさんに運ばれることとなった。まあ、ふたりからしてみれば、オレは得体の知れない人物なわけだし、奥方様を守るのがメイドさんの――従者としての役割であろう。だから奥方様はそんなに落ち込まないでください。
しょぼん顔の奥方様はそれでも後を着いてきてくれて、化粧台をささっと整えてくれる。「これで大丈夫よ」と微笑む姿はまさに聖女。たとえ聖女と呼ばれていたとしても、なりたてのオレとは全然違うことが解る。滲み出る経験の差は大きいようだ。「ありがとうございます」とお礼をすると、そっと頭を撫でられた。抱きしめて頬擦りをしてきた先程とは大違いだ。
メイドさんの膝の上、肌触りが良さそうな生成りの布が外された鏡に映るは小さな子ども。――幼女だ、幼女。鏡といっても正面ひとつではなく、折りたたみ式の三面鏡なのはやっぱり化粧台だからだろうか。座る際に一瞬見ただけだが、左右の鏡の向こうには棚の扉っぽいものがあったので、職人の技が見て取れた。いい仕事してますね! お高そうなのが見るからに解ってしまいますしね! ――うん、まあ、化粧台のことは置いておいて、やるべきことをやろうか。
目の前の小さな子を判断すると、この子は男ではない。つまりは、男としての面影などは一切なかったのだった。いやいや、よく見ると輪郭に名残が――ないな。目元はなんとなーくオレかなーぐらいだから、希望はここで潰えてしまったようだった。まあ、ね。元から母親譲りの顔ではあったんだが、男として生きてきたからか違和感が凄いんだよな。いや、声からして女の子だとは解っていたけれども、夢を見るくらいいいじゃないですかー!
いくら鏡を見てみても、映るのはどうあってもやっぱり女の子にしか見えない。しかも愛らしすぎる子だよぉ! 凡人が進化しすぎだろ!?
髪は白に近い色だが、どうやら白髪ではないらしい。なんというか、白髪とは違うんだよ。肩を越した髪は腰まであり長めだ。白髪でなければ銀髪だろうかね? 少し弄ってしまえば、手入れ知らずのさらさら具合が知れるというものよ!
んん? なんか光の当たり方によって見え方が違うようだ。少しずつ頭を動かしながら見ているからね。青味が強く見えることもあれば、赤味が強いこともある。この髪は不思議すぎだわな。どういうことなんだよ、これは……。こんな髪質があってもいいのか?
えぇ……、と戸惑いの色を見せる瞳はといえば、左は金色、右は深い青色のオッドアイだ。青は青でも夜空ではなく深海の色に近いのかな……? 髪から覗く耳の端は尖っているし、容姿から察するにエルフだろう。奥方様もお付きのメイドさんも、ファンタジー世界における金髪碧眼エルフそのままの見た目をしているわけだし、エルフの存在は確実だよな。エルフと呼ばれているのかは解らないが。でも、エルフはエルフ以外の言葉が見つからないと思います。
小さな輪郭にはそれぞれのパーツがすっきりと収まっている。頬が柔かそうですね。唇は健康そうな薄ピンクですかー。
いま現在着ているものは、制服のようなものだな。制服とは言い切れない【ようなもの】なのには理由がある。元祖セーラー服かな? 水兵の着ているものをモチーフにしているコスプレ服と言えば解りやすいか。帽子はないな。と思えば、水兵帽子がちょこんと頭に生えてきたぞ! カチューシャなんかの飾りのように斜めに置かれているんですが。なんで!? おかしいだろ!?
なにが起きたのかと狼狽えているのはオレだけで、周りはにこにこ顔である。あ、はい。冷静になりますね。
あー、えー、どうやらオレは凡人からお姫様(見た目)に転生したらしい。ここまででも盛っているというのに、聖女だ女神だと言われているんだから盛りすぎだろ。何度も言うが、オレは凡人だぞ!
鏡の中の幼女は高貴な人に見えるが、オレの心は庶民も庶民。金持ちの世界などこの目で見ていないので知らんのですよ。
「聖女様はどこから見てもかわいいのですー! クーは聖女様とずっと一緒にいるのですよー!」
「ケットもずっと一緒にいるのですー!」
「クーがずっといるのですー!」
「違うのですー! ケットがずっと一緒にいるのですー!」
子犬と子猫が頬擦りをしながら言い合いをしているが器用だな。片足でぺしぺし殴り合いも始まった。
あ、そうだ! 人前だし、丁寧な話し方を心がけないとなー。いまの話し方ではすぐに怪しまれそうだから。魔法に頼るか? エルフもいるんだし、剣と魔法のファンタジー世界だというのなら魔法ありきだろ?
こうか? お? できた? こう、なにかに包まれた感じがしたので行使されたはずである。
いまだにどちらが一緒にいるかでにゃうわう言い合う小さな子を宥めるように、「まあまあケンカはこれで終わりにしてください。ふたりともに一緒にいればいいんですよ」と背中を撫でてやる。普段なら「こらこらケンカしないの。ふたりともに一緒にいればいいだろ?」だが、魔法のお蔭で柔らかな言葉遣いとなっていた。よしよし! これで怪しまれる確率は減ったな!
「聖女様のような小さな子では、一体契約するのが限界なのですー」
「そうなんですか? ですが、聖女は特別な存在なんですから、限界なんてないはずですよ」
しょんぼりしていた2体の頭をそれぞれ撫でながら言うが、実態は知らんぞ? 聖女様と言われてもよく解らないんだから。それでも子犬と子猫には衝撃だったようで、驚いたまま固まっている。
「く、クーとケットと両方契約できるですかー!?」
「たぶん……? いや、契約したことがないので、確実な事は言えないんですが、なんとなくできそうな気がするんですよねー」
「ではでは契約するで――あっ、ダメだったですー! 世界樹様の前に契約するのはダメなことなんですー!」
「決まりがあるんですね。気を落とさなくていいですよ」
興奮気味に言い放つ子猫だったが、最後の最後で「あ゛ー!」と嘆いた。ネコミミもぺしゃんと垂れましたね。
「クーたちは世界樹様と契約した後で契約するのですー!」
子犬が元気よく言えば、ちょいちょいミミを触ったお蔭で気を取り直したらしい子猫が頬擦りを再開する。
やっぱり序列があるのかね。兄や姉が先に彼女や彼氏を作ってくれないまたは結婚してくれないと自分もできないとかのやつな。いや、この子たちは単純なんだろうな。ただ単に『世界樹様』が一番なだけだろう。
オレが解る世界樹は神話の伝説や創作に出てくる世界樹だけだから、この世界の世界樹がオレの知る世界樹と同じようなものなのかは解らないが。まあ、大木なんだろうけど。
「契約に関してはそうして、改めて現状確認しましょうか」
メイドさんを振り返り、「自分の姿は確認できました。ありがとうございます」と膝から降りようとすると、「お待ちください」と抱き上げられる。もちろんひしと抱きつく小さな子たちと一緒にだ。
「あ、あの……?」
なんでしょうか? と見上げるメイドさんは「なぜあなたがここにいるのかという話がありますから、行きましょう」とそのまま歩き始めた。化粧台は奥方様の手で片づけられる。なんだか主従が逆転しておりますが!?
ちらりとメイドさんが少々乱れたままのベッドを一瞥したが、最終的な整理整頓はお任せしたいです!
抱きつく小さな子たち以外はオレの周りをふわふわ浮いて着いてきているが、途中で頭や肩に乗ってきた。抱きつくままの子はずっとそのままだったよ。意地でも譲りたくないらしい。
運ばれた先は客室だろう場所であり、ドアが開かれると同時に、中にいる人たちの視線が突き刺さる。すっごい見られているぞ。――なんだこれ。オレは客寄せパンダか!