第19話 闇夜の密談
ウェストパレスは、王宮魔術師の職場である部署が集まっている城だ。
王宮魔術師の主な内容は魔物討伐や治安維持、さらに魔法具の制作など多岐に渡る。
【白磁】は各部署で研修を行った後、自分に適正のある部署へ配属される。そして各部署には【黄金】が長としているが、もちろん王宮魔術師の中には貴族出身者もいれば平民出身者もいる。
配属当初は己の身分をひけらかす新人がいるが、元より実力主義であるがために、あらゆる手段で根元から自尊心を砕けさせれば、まるで今までが嘘のように大人しくなる。
むしろ自分より身分の低い先輩に噛みつく新人の姿は、王宮魔術師の間では恒例となっている。
ガルムは各部署で出た書類を時系列にまとめ管理する、いわゆる雑務を担当する部署に配属されており、祖父であるパルネス前男爵もこの部署に在籍していた。
時刻は深夜を回ろうとしているが、ジャクソンは右手に紙袋を持ちながら蝋燭の灯りがついた廊下を歩いていた。
ティータイムを堪能した後、マナは新たな魔法の練習をしようと意気込んでいたが、長年虐待を受けた彼女の体は見た目以上に弱っており、王宮医師の診断の結果、複数の栄養失調が発見された。
魔術師にとって、心身の健康を保つことは重要だ。
今のマナではその状態で魔法を使うことは命の危険性があるため、しばらくは静養と教養に集中するよう提言した。
当の本人は医師の診断やジャクソンの言葉に素直に従い、今頃部屋で休んでいるはずだ。
(今は静養を理由にパーティーの参加を控えさせてもらっているが……元気になったらなったで色々と問題が起きそうだ)
国中に流れている噂のおかげなのか、当代天恵姫はまだ万全の状態ではないことが伝わっており、王宮は公の場に出られるまで静養をすると御布令を出している。
パーティーの招待状を出した家々も、この御布令には従わざるを得なくなり、せめてお近づきの印として贈り物を送りつけている。
ジャクソンもこの目で見た贈り物の内容を思い出して苦笑いしながら、とある部屋の前で立ち止まり扉をノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
部屋の主に許可をもらい、入室する。
そこは【黄金】にしか与えられない執務室で、主は自身の上司であるエレンだ。
エレンは魔物討伐を主にする部署に配属されているが、もう一人の【黄金】が部署の長として勤めている。
そもそも、エレンは予言によって選ばれた天恵姫の伴侶だ。
天恵姫の伴侶は未来の夫であると同時に、彼女を守る騎士でもある。
各領地や諸外国の招待で天恵姫が指名されると、決まって伴侶も同伴する。そのためエレンは【黄金】を賜っているが、長の命令なしで独断行動できる権限を持っている。
「講義はどうでした?」
「順調でした。マナ様はとても意欲的な方でして、熱心に勉学に励んでおりました。試しに初歩の魔法を実践させてもらいましたが、問題なく発動しましたよ」
「そうですか……彼女は根が真面目な女性です。今まで学ぶ機会がなかったので、余計張り切っているのでしょう。それに、今まで使えなかったと思っていた魔法を使えたという事実は、今後の彼女の自信をつけるための材料となってくれるはずです」
エレンは執務机に向き合いながら、書き終えた便箋を折り畳んで封筒に入れていた。
これらは天恵姫の拝顔を申し出た領主や国王の手紙の返事で、クリストファーの出した御布令と派遣まで時間を要するお詫びの言葉が書かれている。
こういった裏方の作業も伴侶の仕事なのだ。
「それと……エレン様の考えたあの理想の紳士的な男性像は、マナ様からは不評でしたよ」
ボタボタッ。
ジャクソンの報告を聞いた直後、エレンは溶かした蝋を入れた専用スプーンを勢いよく傾ける。
おかげで予想より多く封筒の上に落ちてしまったせいで、半分以上も蝋で覆われた。
「……………………不評、でしたか」
「ええ、それはもう。作り物感が凄すぎてエレン様からの好意を疑われているくらいには」
「…………そう、ですか………………」
ジャクソンからの報告に耳を傾けながらも、表情にあまり出さずいそいそと封筒を入れ替えるエレン。
だけど、長年彼との付き合いが長いジャクソンには、彼がひどく落ち込んでいると分かった。
「僕なりに頑張ったんですがね……」
「心中お察しします。それと……」
「まだ何かあるんですか?」
「エレン様のことを、少々お話ししました」
瞬間、エレンの体から膨大な魔力が放出され、ジャクソンを襲う。
魔力の余波を受け、本棚や窓ガラスが揺れ、執務机の上に置かれた羊皮紙はそのまま床に舞い落ちた。
魔力量の高い魔術師の魔力は、一般人や魔力量の低い魔術師にとっては威圧に近い圧迫感を与える。
エレンの魔力量は180。これはクリストファーの200より下だが、【黄金】の中ではトップクラス。
しかし、ジャクソンはその魔力を平然と受け止めた。これは魔力量の問題ではなく、慣れによるものだ。
「…………どこまで話したんですか?」
「あなたが伴侶に選ばれて、お父君に憎まれたところを簡単に。それ以外は話していません」
「そうですか……もし余計なことまで言っていたら、僕はこの手であなたを半殺しにするつもりでした」
ジャクソンの言葉に嘘はないと判断され、エレンは放出した魔力を体内へ戻す。
周りから見れば過剰な反応だと思うが、彼にとってマナに己の過去を知られることは死活問題なのだ。
「ですが、マナ様にはどんなことでも答えると豪語したのでしょう? でしたら、早く話したほうがすっきりするのでは?」
「それができたら苦労しませんよ……少なくとも、フォーリアス辺境伯領とパルネス家の問題が片付くまでは」
「……ああ、なるほど」
フォーリアス辺境伯領とパルネス家。
マナの生家であるこの二つの問題を、今エレンが水面下で解決しようと躍起になっている。
フォーリアス辺境伯領は、マナの母・クレアがパルネス家に輿入れするきっかけになった大飢饉と流行り病の原因解明。
パルネス家は、天恵姫の予言の入手先の足取りと、黒幕の正体判明。
フォーリアス辺境伯領にはガイルを派遣させているが、パルネス家は王都にあるためエレンが解決しなくていけない。
「そもそもフォーリアス辺境伯領で大飢饉と流行り病、というのが信じられません。あそこは魔法素材の宝庫であるために、精霊の加護が王都の次に強い土地。そう簡単に起こるはずがないのに……」
「加護が強い分、何者かが領地内で呪いをかければ、たちまち浸透してしまう。いくらフォーリアス辺境伯領でも、さすがに内ゲバには弱いんです。それは王都も同じですが」
「なるほど……だからガイルを派遣させたのですね」
「ええ。彼はまだまだ未熟ですが、過去にかけられた魔法の痕跡の探知や解呪関連は他より上ですから。それに……非常に不本意ですが、彼は僕や国王陛下を上回る馬鹿魔力持ち。これを使わない手はないでしょう」
ガイルは実家が肉屋の平民出身者だが、魔力が250という予想外の数値を叩き出した異端児でもある。
しかも契約した鷹の精霊・トールの属性は、【風】と【光】のダブルエレメンツ。
【風】の中で一番難しい飛行魔法を難なくこなすため、実力は【白磁】でもその特異性によって【銀】に昇格したという稀有な経歴を持っている。
だからこそエレンは、宝の持ち腐れ状態のガイルの腕を磨かせるため、下働きから魔物討伐まで様々な経験を積ませている。
最初は魔法に触れる機会の少ない平民をいじめているかと思ったが、なんやかんやで上手くいっているらしいので、ジャクソンもそれ以上何も言わなかった。
「……話を戻しましょう。僕はしばらく貴族達の面倒で忙しくなるので、ジャクソンはそのまま魔法講義を、エドワードには移動の間の護衛を任せます」
「かしこまりました。それと……これを」
ジャクソンが持っていた紙袋を執務机に置くと、エレンは怪訝な顔で見つめる。
「? なんです、それ」
「先ほど王城前の広場の屋台で買ったバケットサンドです。どうせ食事を取らないまま、仕事を続けようとしていたでしょう?」
「…………お見通しでしたか」
「当然です。あなたのことを、誰よりも近くで見守り続けたんですから」
エレンは父の死後、しばらく王都の貴族街にあるトルクニス侯爵邸で預かっていた。
それは一時的な保護だったが、それでも一〇歳になるまでエレンの面倒を見ていたジャクソンにとって、彼の悪癖は全て熟知している。
それを知っているからこそ、エレンは断らずそのまま紙袋を受け取った。
「ちゃんと食べるんですよ?」
「…………分かってます」
ジャクソンの言葉に、エレンは若干うんざりしながら紙袋からバケットサンドを取り出す。
スライスされたチーズと赤茄子、それと萵苣とカリカリに焼いた豚脂が挟まれたバケットをもぐもぐと食べる姿が昔と一切変わらず、ジャクソンは懐かしみながら執務室を後にした。