第36話 幼き日の決意(SIDEフランシスカ)
*****SIDE フランシスカ
数時間後――私の前世界の記憶はすべて戻った。
大量の情報処理が追い付かずオーバーヒートした私は、異世界転生をしたみたい。ロエラ侯爵令嬢フランシスカとして生まれ育った記憶の前に、追加で別の人間として生活した記憶が増えた形かしら。普通に学校に通う女学生で、週末に遊ぶゲームが大好きだった。
特に不幸な境遇ではなく、ごく普通の家庭のどこにでもいる少女でした。なんだか口調が混じってるわね、私、混乱してる?
メレンデス公爵家、竜の乙女エステファニア、攻略対象エミリオ、王太子クラウディオ……知っている単語が頭の中を駆け巡り、絶叫したい気分になる。
ここって『竜舞う空の下で』でしょ? それは普段購入する恋愛ゲームの棚に混じっていた、18禁ゲームの名前だったわ。
購入してパッケージを破いてから気づいたため返品もできず、もったいないからと遊んだ記憶が蘇ってくる。以前の自分がどうして死んだのか、いまひとつ曖昧だけど仕方ない。問題は私が攻略対象エミリオの婚約者で、悪役令嬢の役回りとなるフランシスカという現実だけ。
どのゲームでも同じだけど、悪役令嬢はスペックが高いの。容姿端麗で勉強や礼儀作法マナーも、完璧は当たり前。どこにこれほど完璧な女性がいるの? と首をかしげるくらい兼ね備えたご令嬢を振って、異世界から来たヒロインに傾倒する攻略対象に「男って馬鹿よね~」と呟きながら、ゲームを楽しんだ私にとって悪役令嬢ポジションはご褒美ね。
高位貴族や王族は常に美しい妻を娶るから、子供の容姿端麗は遺伝上確約される。幼い頃からマナーを叩き込まれ、専門の家庭教師を何人も付けているので、ダンスから勉強まで出来ないほうがおかしい。悪役令嬢ポジションは、最高の淑女の証なんだから。
断罪とやらが起きないように、婚約者をしっかり繋ぎとめる必要があるわ。じゃないと、数年後にヒロインに目移りされてポイ捨てされるだけじゃなく、下手すれば断罪騒動でお家取り潰しや凌辱バッドエンドもあったけど、冗談じゃない!
それに王太子と婚約しているエステファニア様だって、悪役令嬢ポジションじゃない!? 何とかしなくちゃ……焦って目を開いた。
目覚めた私は豪華な天蓋付きベッドに横たわり、腹のあたりに重さを感じます。頭痛に眉をひそめながら身じろぐと、ばっと腹の重さが消えました。
「目が覚めた?! どこか痛いところはある?」
「頭痛がすこし」
でも大丈夫ですわ……と続ける前に、エミリオ様が青ざめて医者を呼びます。彼は両手で優しく私の右手を掴みました。見ると包帯が巻かれ、手当ては終わっているようです。
「あの……エステファニア様のおケガは?」
手当てを終えただろうけれど、傷が残ったりしたら可哀想だわ。そう思って尋ねると、エミリオ様は握った手に優しく唇を押し当てました。手袋がないことに今更ながら気づいて、頭の中が真っ白になります。そんなはしたない、やだ……どうしましょう。
この世界の常識が一気に戻ってきて、恥ずかしさに頬を染めます。素肌を見せてはいけないと囁くフランシスカと、問題ないと笑い飛ばす女学生のカリンが同居していました。
「妹の心配をしてくれてありがとう。君のおかげで、傷は残らないそうだよ。けれど、この手の手当てが遅れてしまって……細い傷痕が残ってしまうかも」
「構いませんわ、普段は手袋で見えませんもの」
前世の知識が蘇ったこともあり、大した問題ではないと言い切れました。貴族令嬢としての私も、エステファニア様の為ならと納得します。あの天使に傷を残すなんて嫌ですもの。
平然と返した私の真意を確認するように覗き込む、緑と金の混じった瞳がとろりと感情を滲ませて和らいでいく。その美しさに見惚れる私は、フランシスカの意識がはっきり強くなりました。
「君はっ! ……ごめんね、嘘で試したんだ。この手に傷は残らないよ。僕は信頼できる愛らしくて優しい婚約者を手に入れたみたいだね」
にっこり笑うと、天使と見間違えたエステファニア様にそっくりでした。やはり兄妹だからでしょうか、本当に顔立ちがよく似ています。つまり、兄エミリオ様も美人枠確定でしたわ。さすがは攻略対象ね。
「あの……」
「リオ兄様! フランカは起きたの?! 私にもお礼を言わせて」
駆け込んだ少女によって、甘い雰囲気は霧散しました。だけど、どこか擽ったくて嬉しいのです。
フランシスカである私には、先日生まれたばかりの弟しかいません。彼が跡取りとして生まれたから、私は婿を取らずに嫁に出ることが出来るのです。弟が生まれた時は「今頃」と眉をひそめました。だってずっと次期当主として厳しい勉強をしてきたんですもの。
ですが、今になれば感謝しかありません。彼のおかげで、私は最高の婚約者と愛らしい妹を手に入れるのですから。
「エステファニア様」
「いやよっ、ティファと呼んで」
「ですが……」
公爵令嬢を愛称で呼び捨てるなんて、失礼です。礼儀作法の教師の言葉が、呼びたい本音にストップを掛けました。侯爵令嬢として生きる世界で、身分を無視した言動は出来ません。
「平気だよ。ティファが許したと僕が証言しよう。それに、僕もリオと呼んで欲しい。代わりにフランカと呼ばせて」
「は、はい」
嬉しくて、頬が緩みました。その頬に手が触れて「フランカは本当に可愛い」と囁かれます。
薔薇の棘に絡まった黒髪は綺麗に整えられ、左側でひとつに結われていました。エステファニア様……いえ、ティファの銀髪も元どおりで、蝶々の髪飾りが揺れています。
ふわりとカーテンが風を孕んで膨らむ。その影で、婚約者から右頬にファーストキスをもらいました。
あの日から私のもつ前世の知識を総動員して、リオと一緒に戦ってきたの。可愛くて優しい私の親友であり、妹になるティファを過酷な運命から助けるために。




