あの十五の夏は・・・
それは、晩夏にさしかかった或る日のこと。
午後九時も過ぎた夜のことだった。
「ひろと。浩人」
屋敷の一番東に位置する俺の部屋の南のベランダの庭先で、声がした。
「玲美」
それは、俺の最愛の彼女、「玲美」の声だった。
「どうしたんだよ、今頃」
「うん」
玲美はいつものように笑んだ。
そして、言った。
「急に浩人のギターが聴きたくなって」
「俺のギター? 何でこんな時間に」
「いいじゃない。浩人の部屋、防音なんだし」
そう言って玲美は、俺の部屋に忍び込んで来た。
「しょうがないな」
俺は、フッと笑った。
玲美のこういう気紛れなワガママは嫌いじゃない。
俺は、十数本以上あるコレクションの中でも、ヤマハの黒いマホガニーのエレキギターSG1820を選んだ。
それは、悪魔を思わせるような左右の角が特徴的な形状のソリッド・ギターで、パワフル且つバランスの良いハムバッカーサウンドを醸し出す俺の愛器だ。
「で、何がいい?」
「アリアナ・グランデの「The Way」がいいな」
玲美は無邪気に言った。
「アリアナ・グランデ」は、言わずと知れたアメリカの人気女性シンガーソングライター。玲美はこの曲「The Way」の一節、「だから心配しないで、私はあなたのものよ」とでも訳せるフレーズを最近好んでよく口ずさんでいる。
「わかった」
頷くと俺は、おもむろに爪引き始めた。
R&Bのグルーヴィーで、緩やかなサウンドが部屋一杯に広がる。
それは、四分足らずの甘い流れる時間だった。
「有難う。浩人の音は最高!」
演奏が終わると玲美はそう言って、無邪気に笑った。
「私達「CHAINA」、絶対ロックフェス目指そうね」
「ああ。お前の書く曲と俺達なら大丈夫!」
玲美は、十歳の頃から作詞・作曲をしているという。
俺達は、中一時代から気の合う仲間五人でロック・バンド「CHAINA・CLAB」を組んでいて、ひいきめなしに見ても玲美の書く曲の世界観は独特だ。
何よりヴォーカルの玲美の声は、その幼い顔に似合わず、あの世界の歌姫「マドンナ」のようにセクシーで、誰しもを惹きつけてやまない艶と魅力に溢れている。
そして、歌う時のその存在感は、普段のおとなしやかな佇まいを微塵も見せない、大物ぶりを感じさせる「オーラ」があった。
俺のギターだけではなく、ドラムの鷹司、ベースの由弘、キィーボードの冴枝……それぞれ皆が年齢離れした華麗な技術を持つ。
何より俺達は、バンドに命を賭け、「青春」を完全燃焼している。
俺達はきっと将来、超人気ロックバンドになると本気で信じていた。
そうやって俺と玲美は、どちらからともなく顔を寄せ合い、笑いあった。
「ね、浩人。私を抱き締めて」
その時。
玲美は、耳にお気に入りの「CROSS・HEART」の丸い銀のイヤリングを揺らしながら、そう言った。
そう言えば、玲美のトレードマークであるくせのないストレートのボブカットの黒髪が、昨日よりほんの少しだけ短いことに気がつく。
シャープに尖った顎のライン。
きゅっと引き締めた紅い口唇。
その小さな躰に細く柔らかな線を持つ玲美。
明るい玲美。
無邪気な玲美。
優しく微笑むあどけない玲美。
しなやかで、たおやかで、しかしその儚げな性格の中に一本芯の通った、揺れることも出来る強さを兼ね備えている玲美。
そして、何より。
夏の陽の光に向かってのみ咲き誇る向日葵のような眩しい笑顔を湛えている俺の可愛い玲美……!
二年前のあの十三の初夏に出逢い。
すぐ恋に落ち。
やがて、結ばれて……。
俺の初恋の女。
この世の誰よりも惹かれあっている俺達。
資産家に生まれながら、両親の真の愛情を知らない孤独で不幸な俺を、ただ黙って抱き締めてくれる聖母のような存在。
俺はそんな玲美を心底愛していた。
「玲美」
俺は、小さな玲美の顔に寄り添うように背をかがめると、いつものようにそっと玲美を抱き寄せ、けれど力一杯、あいつを抱き締めた。
「愛してる……」
頬を寄せ、玲美の耳元で囁いた。
「浩人……私も」
玲美は、吐息を吐く。
それは、永遠の一瞬だった。
しかし。
「じゃあね、浩人」
玲美は言った。
「あ、玲美……」
その時──────
俺はあいつを何故だか帰したくないような気がした。
あいつが夏の夜更けに吹く一陣の風になるような気がして……。
でも。
きっと、明日もまたいつものように、玲美は俺の前に明るく現れるに決まっている。
玲美は、
「またね」
と、華のように微笑んで。
その一言だけを残して……。
俺の部屋から姿を消した。
それが最期になるなんて……!
どうして。
あの時の俺に想像が出来ただろう。
俺はあいつを帰してはいけなかった。
俺はあいつを離してはいけなかった。
俺は……。
何故。
あの時、何も気付いてやれなかったのか。
玲美が、自ら「死」を選ぶ苦悩をどうして理解できなかったのか。
そして。
どうして、俺は玲美が自ら「死」を選んだ理由がわからないんだ……!!
俺は自分を責め続ける。
己の呵責に苛まされる。
俺の十五の夏──────
それは悪夢の夏に塗り替えられた。
玲美が突然、俺の前から消えた夏の朝。
眩しかった陽射し。
鳥の囀り。
しかし、世界は無音で、灰色の様相を呈していた。
もう、誰一人として愛さない。
玲美以外の女なんか愛せない。
どうやって俺はこれから独り、生きてゆけばよいのだろう。
玲美……。
玲美……!!
愛していた。
愛している。
俺の悪夢のあの十五の夏。
そこから、どうやって俺は目醒めることができるのだろうか……。
それは、俺の暗く果てしない時代の幕開けだった。
本作は、銘尾友朗さま主催「夏の光企画」参加作品でした。
参加させて下さった銘尾さま、お読み頂いた方、どうもありがとうございました!