街の女その1になった瞬間
「………あれ?」
暗い森の中、先を歩く女が声を上げた。その後ろを、半分寝ながら歩く男は、その声に気付かず舟を漕ぐ。
「ねえ、アレじゃな……て、ちょっと!」
「んぁ?……って、ちょ、ま、やめ、っ!」
「寝てる場合じゃないのよ!」
「分かっ、た、キモ、死…」
男の事実に気付いた女は、苛立ち、肩に手を掛け前後に強く揺すって怒りをぶつけた。ガクガクと揺れる頭に合わせて言葉を発する男の顔は、徐々に生気を失って行く。
「もう!帰るまでが野次馬なんだからちゃんとしなさいよ!」
「っうぷ!うえぇぇ…」
揺さぶるのに飽きた女が手を止めると、男はその場に蹲り胃液を吐いた。ちゃんとする理由が謎でしかないが、そんな事に構っている余裕すらないようだ。
「…ほら、見て、あそこよ!」
「ううぅ…ゲホッ、ゔうっ…ん、んん!?」
女が指す方には、藪から足が覗いている。普通の女性であればゾッとする様なシチュエーションなのだろうが、彼女の野次馬根性は違った様で。逆に恨めしそうに視線を追った男の方が、ギョッとした様子で声を上げた。
「此処って特に凶暴な動物も居ないし、人通りだって少なくない森だわ。死体を捨てるにしたって、こんなに適当な場所になんて置かないと思うし、何より雑よ。第一、あの光の後なんだもの、その原因がアレだと思うのは、私の頭がイカレてるわけじゃないと思うんだけど、どう?」
「どう?って…まぁ、そうだと思うよ、俺も」
「そうよね?よし、じゃあ見てきて頂戴」
「はぁ!?」
「生きてたらこんな所に寝かせておくわけにいかないし、怪我してたら手当てしないと。死んでたら役人を呼ばなきゃならないじゃないの」
「で、俺!?」
「そうよ、何のために貴方を連れて来たと思ってるの。最後まで面倒ごとを楽しんでこそ、野次馬というものよ」
えっへん、と効果音が付きそうな態度で、自己流の野次馬感を語る女と、ゲンナリしつつ嫌々ながらそれに従う男。二人がそもそも何故こんな野次馬をする羽目になったのか、それは数時間前に遡る事になる。
〇
何だかいつもと匂いが違う気がする。そんな気がして、それと同時に何かの気配を感じて、目を覚ました。微睡みながら見上げる視線の先には、組み木天井。…組み木?あれ?私の家は一階だし、そんな天井ではなかった筈。
「…ぅあ…ん?」
声を出して少しだけ頭を活発にさせようとした。けれど、そんな事より先に、一番最初に感じた匂いと、気配の正体を知ってしまった。ベッドの横に誰か突っ伏している。そして、この部屋は私の部屋ではない。間違いなく。見知らぬ誰かと見知らぬ場所、何だこの状況。私は…どうやら春夏秋冬関係無く着て寝てるカップ付きのタンクトップに、ハーフパンツのままであるようだ。そして、今迄気付かなかったが、部屋の中にはもう一人居た。その人は出入り口の扉横に在る椅子に座って、腕組みしながら此方を見ていた。…そう、見ていたのである。今、現在進行形で目と目が合っております。
「………おはよう」
「……おはよう」
先に声を発したのは相手だった。お互いに取り敢えずのジャブで挨拶をする。初対面だ、先ずは挨拶からするのが、万国共通だと思う。例え、その人が赤い髪で、腰に漫画やゲームで見るような剣らしき物があったとしても。
「……取り敢えず、そこの奴、起こすから」
「はあ」
お互い探り探りでの会話でぎこちないのは、もうしょうがないと思う。私の間の抜けた返事も許して欲しい。
赤い髪の人は私の側まで来ると、寝てる人を揺すり始めた。
「おい、おい、起きろ」
「…………んー」
「んーじゃない。起きろ、朝だぞ。話を聞くんだろ?」
「うー…」
「起きてるって、お前が連れ帰った人」
「…ゔぅん」
………連れ帰った?え?私だよね?どういう事?ていうか、寝起き悪くないか、この人。
「…起きろ」
ペシ、と優しく起こすのに痺れを切らした赤い髪の人が、寝ている人の後頭部を叩いた。物凄くいい音がした。小気味がイイね。…じゃなくて。
「…っ、痛い!」
「はぁ、やっと起きた。ほら、お目当ての光の人が起きてるぞ」
「…え、あ!本当!」
光の人って何だ。そしてどうしてそんなに目をキラキラさせているんだ、この銀髪美人さんは。と言うか、聞きたい事が多過ぎて、取り敢えず挨拶からでいいのか?赤い髪の人の様に。
「おはようございます。貴女森に倒れていたんだけれど、どこか痛む所あるかしら?見える所は一応確認したつもりだけれど」
「お、おはようございます。えっと、痛む所…は無いと思います」
挨拶は大事。そして取り敢えず、聞かれた事に答えることにする。多分、主導権は目の前の銀髪の人なのだろう。赤い髪の人も勢いに押され気味だ。
「そう、なら良かった。でも何かあったら教えて頂戴ね、内でも外でも、薬はあるから」
「ありがとうございます…」
「じゃあ身体問題は良しとして、本題に入るわね。単刀直入に聞くけれど、貴女、何で森なんかに倒れていたの?」
結構マシンガンだな、この人。美人な顔しているからか、中々の迫力だ。…て、森?
「…森?そう言えばさっきも言ってましたね」
「ええそうよ。私達は昨日の夜中に、森に光が灯ったのを見たの。それが何なのか気になって見に行ったら貴女が居たの」
「帰り道だけどな」
「探してた場所が違っただけよ、そんな些細な事は関係無いわ。それで、何で居たの?光と何か関係あるの?」
「え、ちょ、ちょっと待って。私はただ、自分の家で寝てただけで、森なんて知らない。光なんかもっと分からない…です」
一瞬取り乱しそうになった。何だそのトンデモ展開は。私は本当にただ普通に寝て居ただけだ。起きたらこの状況なんだから、私の方が色々聞きたいのだけど。我慢してるんだぞ!
「…そう、なら貴女は知らない内にあの場に居たことになるわね。誰かに連れてこられたか、あの光が何か関係あるのか…」
「記憶喪失って事は無いか?」
「そうね、なら自分の名前は分かる?住んでた場所とか」
「それは、勿論。ただ…」
「ただ?」
「私の記憶に、普段そんな武器のような物を持ち歩く人は居なかった…です」
私の言葉に、二人は顔を見合わせた。
〇
「ちょっと!ちょっと起きて!」
「…んあぁ?」
「今森で光ったの!火ではなさそうな光り方だったのよ!見に行きたいから付いて来て頂戴!」
「俺が!?」
「そう!野次馬は多いに越した事は無いのだけれど、誰かに先を越されるのは嫌なのよ。だから付いて来て何かあったら助けて頂戴」
「マジかよ…」
「お金半分で泊まる代わりに、日々手伝いをするって事で手を打ったのはどなた?付き合うのは当然でしょう」
「分かった、分かったよ…って、行くから引っ張るな!」
三人が出会う前、とある宿屋でのキッカケ。