呪いの黒宮さん
うちの大学には少々変わった女生徒がいる。
黒宮咲。
それがその女生徒の名で、皆の噂では彼女はなんと“呪いが使える”ということになっている。しかも本人はそれを否定しているのにも拘わらず。彼女を実際に見てみると、その原因がなんとなく分かる。
綺麗な黒髪、鋭い印象の瞳を軽い材質のメガネが飾り、近寄り難い神秘的な雰囲気を演出している。そして、彼女から感じられるイメージカラーは“白”よりは“黒”に圧倒的に近い。
だからもし、オカルトな意味付けを彼女にするのなら、“呪い”というキーワードは自然に出て来る発想なのだと思う。
もっとも、ただそれだけで“呪いが使える”なんて噂が流れるはずはない。どんな切っ掛けかは知らないけど、彼女には高校時代からその噂があり、大学になった今も消えないで残ってしまっているらしい。
高校の頃、彼女と同級生だった鈴谷さんという女生徒によれば、彼女は“半分は自業自得で半分は被害者”なんだそうだ。
意味はよく分からないけど。
もしも、その“黒宮さんに呪いが使えるという噂”がただ奇妙な目で彼女が見られるというくらいしかわたし達に影響を及ぼさないというのであれば、それほど面白くはない。だけど……
……なんて事を言ったら、きっと黒宮さん本人は「面白くなくて結構よ!」と、怒るだろうけど…
……この噂は、ある種の人達を奇妙な行動に誘ってしまうのだ。
簡単に言ってしまえば、彼女のこの噂を信じて、実際に彼女に呪いの依頼をしてしまう人達がいるんだ。
噂話大好きのわたしにとっては、だから彼女はとっても気になる存在だった。
ただ、長い間、わたしには彼女と接する機会がなく、初めて直接話したのは彼女が関わるとある呪いの事件の時だった……。
――。
喧嘩の切っ掛けがほんの些細なことってのはよく聞く話だけど、空木さんと土井さんという女生徒同士の喧嘩の切っ掛けもその例に漏れず、実にくだらなかった。
アウトレットに買い物にいって、空木さんが目を付けていた可愛い服を、彼女がトイレに行っている隙に土井さんが横取りしてしまったという、ただそれだけ。
だから本来なら、多少気が悪くなったとしても、ちょっとじゃれ合うくらいで終わる他愛のない出来事だと思う。
ところが、怒った空木さんがツイッターやラインなどで土井さんの悪口を拡散してしまったのがいけない。それに土井さんが文句を返し、「元々悪いのはあんたじゃないか」と空木さんがやり返したことでエスカレート、大喧嘩になってしまったのだ。
まるで小さなタバコの火から、家全体が火事になってしまうみたいに。
その彼女達の喧嘩は大学内でそれなりに話題になっていて、噂話が好きなわたしは当然それを知っていた。だからそれである日の午後に、空木さんが大学の図書館に入ってくのを見て、わたしはピーンと来てしまったのだった。
だからもちろん、後を尾行けた。
すると案の定、彼女は図書館の奥の方にある、高い棚で囲まれていて、ブースのようになっているスペースに入っていったんだ。
こっそり近づいて覗いてみると、やっぱりわたしの予想通り、そこには黒宮咲がいた。そしてその前の席には空木さん。
彼女のことを、黒宮さんは不機嫌そうな様子で見つめていた。ノートパソコンが開いてあって、何かを打ちかけていたようだ。その近くにはノートが広げられてもあったし、ペンや消しゴムも転がっていたけれど、使われたような形跡はない。
多分、彼女はレポートを書いていたのだろう。それを中断させられたから、不機嫌なのかもしれない。
黒宮咲は、レポートの課題が出ると、そのあまり人が入って来ないスペースで一人黙々と作業をしていることがよくあるらしいんだ。だから彼女に会いたいのなら、まずここに来るべきなんだとか。
黒宮さんの目の前にいる空木さんは、口を一文字に結んで、眉をひん曲げていた。いかにも心外だと言わんばかりの表情。不機嫌そうな顔の黒宮さんは彼女が何も言わないでいるのを受けると、それを呆れたような表情に変えてこう言った。
「だから、呪ってくれも何も、そもそも私は呪いのやり方なんて知らないのよ」
「ウソ!」と、それに空木さんは返す。
「実際、あなたに呪いの依頼をして、ちゃんと効いたって言っている人がいるのよ?」
黒宮さんはそれを聞くと肩を竦めた。
「それは私が呪ったのじゃないのよ。その人達が勝手に呪って勝手に呪いを成就させただけ。
私を使ってね」
「黒宮さんを使って? 意味が分からない。分からないけど、じゃ、それで良いから土井を呪ってよ」
わたしはその時、思わず上げそうになった声を必死に抑えていた。空木さんと土井さんが喧嘩をしているのは知っていたけど、まさか黒宮さんに呪いの依頼をするほどまでになっているとは思っていなかったから。
「はぁ」と黒宮さんはため息。
「だから、私じゃなくてあなたが呪うんだって言っているでしょう? 私に何をどう頼んでも無駄よ…… 」
ところがそこで言葉を止めると、黒宮さんは何故かチラリとこちらを見たのだった。
まさか、わたしに気付いている?
「……と言いたいところだけど、もう既に呪いはかけられ始めているかもね」
「どーゆーこと?」
「ここに入って来た時点で、あなたは既に土井さんに呪いをかけているかもしれないって言っているのよ。もっとも、まだ分からないけど。
だけど、もし呪いが既にかけられているのなら、数日以内…… いえ、もしかしたら数時間以内に呪いの効果が出始めるかもしれないわね」
その黒宮さんの説明に、空木さんは目を白黒させた。
戸惑っているような表情。
黒宮さんの説明が理解不能なのもあるかもしれないけど、恐らくそれだけじゃなく“呪いがかけられている”と聞いて、不安を覚えているのだろう。
「よく分からないけど、どんな呪いをかけたの?」
「さぁ? だって呪いをかけたのは私じゃなくてあなただもの。分かるはずがないでしょう?」
空木さんは更に不安そうな表情を見せる。
あるいは、呪いを依頼したことを後悔しているのかもしれない。
少し痩せているくらいで、彼女の外見はどちらかといえば健康的だ。髪をポニーテールにしているその顔立ちは年齢よりも幼く見える。オカルト的な話には無縁な明るい色がよく似合うオシャレな女の子といった感じ。そんな彼女が怯えている様子は、女のわたしでも思わず守ってあげたくなる。
「とにかく、土井には呪いがかかっているのね? 黒宮さんの話はよく分からないけど、それなら別に良いわ」
そう言って空木さんは席を立つ。ほんの少しだけ笑うと黒宮さんはそれを止めた。
「ちょっと待って。本当に良いの? 土井さんに呪いをかけたままで。今ならまだ間に合うかもしれないわよ? あなたがたった一言だけ、“土井を呪うのはやっぱり止める”と言うだけで、きっとその言霊は機能して、呪いを打ち消す方向に動くはず」
それを聞くと、空木さんはその可愛い表情を歪めた。
「良いのよ! わたしはここに土井を呪う為にやって来たんだから」
まるで叱られた小さな子供が、意地になって親に歯向かっている態度のようにわたしには思えた。
黒宮さんは冷たく突き放すようにこう返す。
「そう? ならもう止めないわ。だけど、これだけは覚えておいてね。
“人を呪わば穴二つ”
誰かを呪うとそれは自分にも返ってくる。それ相応の覚悟はもっておくこと。何が起きても私は知らないから」
「脅しているの?」
「ただの忠告よ。多分あなたがこのまま、この棚で仕切られた結界の外に出るだけで、あなたが放ったあなたの呪詛は機能し始めると思う。そうなったら、もう私にも止められない」
無言のまま軽く首を傾げると、空木さんはその黒宮さんの言葉を無視して、その棚で囲まれたスペースから出て行った。
黒宮さんが言うところの“結界”から。
その時、少しだけ彼女の顔を見たけど、ほんのちょっとだけ目に涙を溜めていて、強がっているようにも思えた。もっとも、それはわたしの勘違いかもしれないけれど。
それから黒宮さんは何事もなかったかのようにレポートの続きを書き始めた。わたしは道理でいえば彼女は悪くないと分かっていながら、それでも彼女を責めたい気持ちになってしまっていた。
なんだか、黒宮さんが空木さんをいじめていたように思えてしまったんだ。
それで、
「――黒宮さん。ちょっと偶然空木さんとの会話を聞いちゃったのだけど、あれはないのじゃない?」
本棚の影から顔を出すと、ついわたしは黒宮さんにそう言ってしまったのだ。
空木さんが本心から土井さんを呪いたいと思っていたわけじゃないのは態度から明らかだったじゃないか。なら、“そんな事はするものじゃない”と、優しく諭してあげるべきだったのじゃないかと思う。
……もし仮に、空木さんが依頼していたのが、鈴谷さんだったなら、多分そうしていたはずだ。
いや、“優しく”かどうかは分からないけど。
――その時わたしは何故か、黒宮さんと高校が同じだったという鈴谷さんという女生徒を思い出していたんだ。彼女は民俗学やなんかが大好きで、呪いにも詳しそうだからかもしれない。
黒宮さんは、わたしの登場と非難の言葉とを受けると目を丸くして驚いた。クールな外見には似合わない。直ぐに余裕を取り戻すと彼女はこう言った。
「“ちょっと偶然空木さんとの会話を聞いちゃった”?」
それを聞いてわたしはこう思う。
……尾行してここに来たって見透かされているのかしら?
それでわたしはちょっとだけたじろいでしまった。それを見て取ったからか、黒宮さんは「まぁ、いいわ」と言うと続けて「あなたの名前は?」と尋ねて来た。
「小牧よ。小牧なみだ」
すると、黒宮さんは喜んでいるような驚ているような不思議な反応を見せた。
「小牧さんって。新聞サークルに入っているっていうあの小牧さん?」
「そうだけど? わたしを知っているの?」
「知っているわよ。名前だけだけどね。私ってよく噂話の被害を受けるから、あなたみたいに噂話が好きって人には敏感なのよ。あなた、それなりに目立っているしね。でも意外だったな」
「なにが?」
「私、噂話好きって、誰が傷つこうがお構いなしって人ばかりなのだと思っていた。ちゃんと人の心配もできるのね」
酷い偏見だとわたしは思った。
すると、わたしのその表情に敏感に反応して、彼女はこう言った。
「そんな顔をしないでよ。私はそれだけ嫌な目に遭っているのだから。噂話の所為で。想像つくでしょう?」
確かに“呪いが使える”なんて噂があったらあまり良い思いはしないかもしれない。それからわたしはこう言った。
「とにかく、さっきの空木さんからの依頼通りに土井さんに呪いなんてかけないで。きっと誰も得しないから。空木さん本人だって後悔するわ」
すると、黒宮さんはそれにあっさりと頷く。
「そうなんでしょうね」
わたしはそれに「なら、」と言いかける。だけど、それを遮って彼女はこう続けるのだった。
「でも無駄よ。話を聞いていたのだったらこれも聞いていると思うけど、私自身は別に誰も呪ったりしないもの。空木さんが勝手に呪っているだけ。私にはどうしようもないわ」
その説明にわたしは眉をひん曲げた。
「空木さんも同じ事を言っていたけど、わたしにもあなたのその説明の意味がよく分からないのよ」
黒宮さんは、面倒臭そうにそれに返す。
「私自身は単なる“呪いのアイテム・条件”に過ぎないって話。藁人形とか、丑の刻とかと一緒。私に依頼する事、それ自体が誰かを呪う行為なのね」
そう説明されてもまだ私には彼女の言っている意味がよく分からなかった。不可解そうな表情のわたしを見ると、彼女は軽くため息をついてから言う。
「私の所に呪いを依頼するでしょう? で、それを誰かに見られたとする。当然、噂が立つわよね? その人が誰かと喧嘩をしていたりしたら、人物の特定までされる。つまり、それが呪いってわけ」
その説明で、わたしはどうも彼女の言っている“呪い”は、わたしが想像しているようなものとは違うのじゃないかという気になって来た。
「まだよく分からないのだけど、その理屈だと、さっき黒宮さんが空木さんに“土井を呪うのはやっぱり止める”と言えと言っていたのはどうなるの?」
「簡単よ。棚の影で“ちょっと偶然空木さんとの会話を聞いちゃった”誰かさんが、その話を広めるだろうから、それで呪いは打ち消されるってだけの話」
その“誰かさん”とやらは、もちろんわたしの事だろう。
わたしは腕を組むと少し考える。
どうも黒宮さんは噂が広まるかどうかを気にしているようだ。噂が広まれば、呪いが効くのだろうか? なんだかよく分からない。
「噂が広まるかどうかで、呪いが効くとか効かないって理屈がわたしにはいまいちよく分からないのだけど……」
それでそう言ってみた。すると、黒宮さんは肩を竦める。
「後の詳しい理屈は、鈴谷さんにでも聞いてみてよ。この話、彼女からの受け売りなんだから。新聞サークルだったら、彼女とも仲が良いのでしょう?」
わたしは彼女から鈴谷さんの名前が出た事にちょっと驚いた。
「黒宮さんは、鈴谷さんと仲が良いの?」
だから同じ大学に進んだとか、少し想像してしまった。二人とも、そーいうのはあまり似合わないけど。
「良くないわよ。
ただ、彼女とは高校時代に図書室でよく会っていたの。それで極稀にだけど話す事があって、その時に聞いた話。ま、彼女には感謝しているわ。“呪術者”という私の立場がどんなものなのかを教えてくれたから」
「呪術者の立場?」
「彼女に言わせれば、呪術者っていうのは社会システムの一つなんだそうよ。それはちゃんと機能するし、だから有効利用もできれば悪用もできる。ま、私はどっちも御免だけどね」
それからややニヒルな笑みを浮かべると、黒宮さんはこう続けた。
「詳しい理屈はどうでも良いわ。とにかく、あなたみたいな人達が、呪いの噂を広めなければ呪いは成就しないのよ」
わたしはその言葉に数度頷いた。
「つまり、わたしがこの話を誰にも喋らなければ良いって事?」
それを聞くと黒宮さんは鼻で笑った。
「できるの?」
わたしは軽く動揺しつつそれに返す。
「で、できるわよ」
だけど、考えてみれば、噂話を我慢したことなんてわたしはほとんどない。わたしの心中を察したのかどうかは分からないけど、それに「冗談よ。無理でしょう?あなたには」なんて黒宮さんは言って来る。
“失敬な”って感じだけど、言い返せない。
「それに、あなたが黙っていれば、多少は噂が広まるのは遅くなるでしょうけど、結局は同じだと思うわよ」
「どうして?」
「彼女は私がいるって有名なこの場所を訪ねてしまっているからよ。あなたがここを覗きに来たってことは、土井さんって人と空木さんが喧嘩しているのはよく知られた話なのでしょう?」
「そうだけど」
「なら、多分もう手遅れ。噂が拡散する速度は速いわよぉ。昔からそうなんだろうけど、ネットのお陰で最近は特に酷いのでしょうね。私は何度も体験しているわ。
あっと、これは流石に“釈迦に説法”だったかしら?」
黒宮さんは意外に渋い言い回しをする。それからわたしはこう言った。
「でも、わたしが喋らなければ、少なくとも噂が広まる速度を遅くはできるわよね」
「そうでしょうけど、できるの? あなたみたいな人達の噂話好きは、はっきり言って病気みたいなものでしょう? 抑えようと思っても抑えられないのじゃないの?」
今更だけど、彼女はズバズバと辛辣な事を言う。
「できるわよ!」
と、今度はわたしは力強く答えた。
煙草やお酒じゃあるまいし、それくらい我慢できないはずがない。
「そーおー?」
なんて黒宮さんはそれに疑わしそうに応えていたけれど、わたしは自信満々だった。だったのだけれど……
「空木さん。黒宮さんに、土井さんを呪ってって頼んじゃったみたいなのよ……」
結論から言うのであれば、わたしにはやっぱり(‘やっぱり’とは書きたくなかったのだけど)、噂話を我慢する事はできなかった。皆で集まって話題がなくなりかけると、こりゃ何か話さないとという展開になり、気付いたら口を開いてしまっているんだ。
断っておくけど、悪い風には喋っていない。「空木さんが黒宮さんに呪いの依頼をしていたけれど、あれはどう見ても後悔しているようにしか思えなかった」とかそんな話し方をした。
ただ、その程度の配慮はまったく無意味で、やっぱり悪い噂としてそれは広まってしまったのだけれど。
……ま、“呪い”の噂だし、それは仕方ないのかもしれない。
わたしは、黒宮さんが言った通り噂が広まることで、土井さんへの呪いが効くのかどうかが非常に気になっていた。
だからなのか、無意識のうちに土井さんの姿を探すようになり、普段なら気付かないだろうに、ある日彼女が学生食堂で食事を取っている姿を見つけてしまったのだった。
気の所為か、土井さんはやつれているように思えた。
皆がその噂をしているから、当然、土井さん自身の耳にも“自分が呪われている”という噂話は届いているだろう。気持ちの良いものじゃないのは当り前の話だけど、それだけであそこまでやつれるものだろうか?
わたしは、もしかしたら、彼女がやつれているのは呪いの所為なのじゃないかと疑った。
土井さんは、こう言っちゃ悪いけど、空木さんに比べれば可愛くはない。いや、それよりも“自分が分かっていない”と言った方がより正しいのかもしれない。空木さんのようなファッションが似合うはずもないのに、無理にそういった服を着ようとするのだ。もっと自分に合ったシックな服を選択すれば、ずっと良くなると思う。
男の子にだってモテるはずだ。
ただでさえ似合わない服を着ているところに不健康そうな顔が加わっているものだから、その時の土井さんの姿は軽くホラーだった。
「あれ、まずいのじゃない?」
不意に一緒に食堂でご飯を食べている友達の一人がそう言った。わたしの視線の先を追って、土井さんに気が付いたのだと思う。
その友達も土井さんが呪われているという噂を知っている。だから、その言葉には“呪われている所為で、ああなっている”という意味が込められているはずだ。
その時、わたし達の視線に気が付いたのか土井さんが悲壮な顔つきでわたし達を見た。言葉までは届いているはずがない。でも、何を噂しているのかは察したのだと思う。それから彼女は俯いてしまった。その瞬間の表情は当に“怨嗟”という言葉がよく似合うものだった。
わたしの背筋に冷たいものが走る。
彼女は黙ったままだったけれど、彼女の心の慟哭が今にも聞こえてきそうだった。
そして、
「こりゃ、このままでは済みそうにもないなぁ」
と、それを見てわたしは思わずそう呟いてしまったのだった。そしてそれからちょっと経って、こんな噂を聞いたのだ。
「……今度は、土井さんが空木さんを呪ったらしいわよ」
土井さんが黒宮さんの所に行くのを誰かが見たのだそうだ。そしてそれに対抗するように、空木さんも黒宮さんの所に行ったのだとか。それが土井さんを呪う為だというのは容易に想像が付く。
要するに、彼女達の間で呪い合戦が始まってしまったようなのだ。はっきり言って、こんなのどう足掻いても泥仕合になると思う。しかも、やればやるほど憎しみが深くなっていくという、出口のない不毛な争いだ。どんな不幸な結末になるのか分からないし、誰一人得をしない。
「――で、なんとかならないかと思って来てみたのだけどね、鈴谷さん」
わたしがそう言うと、鈴谷さんはちょっと面倒臭そうな顔をした。
黒宮さんと同じ様に眼鏡をかけているけど、彼女のものは分厚くて存在感がある。その眼鏡越しでも衰えない瞳の強さが彼女の持ち味だ。彼女の雰囲気は黒宮さんと重なる気がしないでもない。ただ、黒宮さんがロングなのに対し、彼女の髪は肩口辺りまでしかない。だからって訳でもないけど、彼女のイメージカラーを言ってくれと言われれば、わたしは“グレー”と答える。
やっぱり、黒宮さんとは似ているようでいてちょっと違う。
民俗文化研究会のサークル室。
彼女はよくその部屋で一人で本を読んでいる。大体は社会科学系の本で、しかもかなり難しそうな内容。
ちょっとだけ機嫌が悪そうな彼女の様子を見て、わたしは“やっぱり、佐野君を連れて来るべきだったかな?”などと思った。
佐野君というのはわたしと同じ新聞サークルに所属している男生徒で、ほとんど鈴谷さんのファンだと言えるくらいの勢いで彼女に惚れまくっている(隠す気は、あまりないみたい)。
気付いている人は少ないようだけど、鈴谷さんは、彼を連れて来ると少しだけ機嫌が良くなるんだ。
「そんな事になっているなんて知らなかったわ。しかも黒宮さん絡みか…… 彼女、どんな感じだった?」
どうやら相談に乗ってくれる気でいるらしい。わたしは鈴谷さんが普通に口を開いてくれたことに安心するとこう答えた。
「わたしが話した時は、できるだけ関わりたくないって感じだったけど?」
「そう。なら良かった。悪戯でもする気なら厄介だったのよ。もっとも、まだ分からないけどね」
わたしはそれに首を傾げる。
「あの人、何かするの?」
「時々ね。呪術者扱いされることに嫌気がさして、相談しに来る人達に嫌がらせをする場合があるのよ。まぁ、気持ちは分からなくもないけど…… 困ったものよね」
わたしにはその彼女の言い回しが少しだけ気になった。
「鈴谷さんは黒宮さんと仲が良いの?」
「良くはないわ。ただ、ま、私にとって彼女みたいな立場の人は、少しばかり興味深くはあるけど」
そう言ってから、彼女はサークル室内にある本棚に目をやった。多分、“社会科学を好む者として”という意味のジェスチャーだろうと思う。
それから彼女はこう尋ねて来た。
「それで、その彼女達はまだその“呪い合戦”やっているってわけね?」
「うん。お互い、黒宮さんの所に通い続けているみたい」
「黒宮さんに悪戯する気がないのなら、きっと依頼を受けてはいないでしょうけど、彼女達が黒宮さんの所に行くだけで、噂が広まって呪いの効果が出るから同じ事ね」
その言葉にわたしは首を傾げた。
「黒宮さんも似たような事を言っていたけど、それってどういう意味なの? 噂が広まると呪いが効くとかあるの?」
鈴谷さんは即答する。
「あるのよ」
「あるの?」
「ええ。呪われていると知ったら、ただそれだけで気持ちが悪いってのは想像できるでしょう?」
「できるけど。でも、たったそれだけの事で…」
「“たった、それだけの事”じゃないから言っているの」
そう返すと、鈴谷さんは軽くため息のようなもの漏らしてから説明を続けた。
「周囲がその呪いを肯定する。周りの人達の影響を受け易い人なら、それで“本当に呪いがあるのかもしれない”と思ってしまう。すると、ほんの少しの悪い出来事が、呪いの所為であるような気がしてしまう。周囲がそれを肯定すれば、その疑念は徐々に確信に変わっていく……
そうなれば、“呪われている”と自覚する事で、健康被害を受ける。
しかも、呪いは正体がよく分からない。だから対処方法も分からない。それが更に不安を加速させ、精神的に被害者を追い込んでいく事になるのね。
“呪い”で人が捕まった事件があるそうなのだけど、その時の罪状は脅迫罪だったらしいわよ」
わたしは鈴谷さんの説明を受けて、自分が呪われているのを想像してみた。確かに、物凄く嫌かもしれない。病気になりそう。
そしてそれから思い出した。
わたし達が呪いの噂をしていた時の土井さんの表情を……
なるほど、と思う。
知らず知らずのうちに、わたしは空木さんの呪いに手を貸していたんだ。彼女の呪いの噂をする事によって。
黒宮さんが噂を気にしていたのがどうしてなのかも分かった気がする。
「つまり、呪いはマイナスのプラシーボ効果を社会や文化が生み出し、強化する事で成立するものなのよ。
地域信仰などと結びついた上で、呪いがその社会で信じられていたなら、それがもっと強くなるってのは分かるわよね?」
「うん。分かる」と、わたしは頷く。鈴谷さんは更に説明を続けた。
「地域社会の場合、大体はその呪いを解く、或いは防ぐ為の社会的装置もちゃんと用意されているものだけど、この大学にはそれがない。だから彼女達には頼るものがないのよ。それも問題ね……」
そう言い終えてから、彼女は止まる。
「いえ、あるわね。黒宮さん。彼女自身が恐らくその為の装置になっている。その馬鹿馬鹿しい呪い合戦を平和裏に終わらせられるのは唯一彼女だけかもしれないわ」
わたしはそれを聞いて喜んだ。
「なんだ。なら、簡単じゃない。黒宮さんに頼めば良いのでしょう?」
ところが、それを聞くと鈴谷さんは顎に手をやりつつこう言うのだった。
「そんなに簡単にいくかしら? 彼女は絶対に嫌がるわよ」
わたしはそれに首を傾げる。
「どうして?」
前に話した感じでは、黒宮さんは確かにひねてはいたけど、そこまで気難しい人のようには思えなかった。ちゃんと話せば、協力してくれるのじゃないだろうか。
「黒宮さんにとっての一番良い結末は、恐らくは呪いの噂の自然消滅だからよ。もちろん、空木さんと土井さんの仲は元には戻らないだろうけど、そんなことを気にするようなタイプではないしね、彼女」
「どうして、自然消滅じゃないけといけないの? 黒宮さんが“呪いを解く”でも良い気がするけど」
わたしがそう質問すると、鈴谷さんは少し悩んでからこう答えた。
「分かり難いかもしれないけど、呪術者による“呪いの無効化”は、呪いの再生産に結びつくからよ」
「呪いを無効化するのに、呪いが再生産されちゃうの?」
「そうよ。
‘呪術者が呪いを解いた’という噂は呪いの存在を裏付ける証拠と解釈されるかもしれないでしょう?
呪いが本当だったからこそ、呪術者である黒宮さんに呪いが解けた。そう捉えられてしまう可能性が高いから。
自分が呪術者であるという噂を嫌がっている彼女にしてみれば迷惑な話だわ」
それを聞くとわたしは腕組みをした。
「分かったような気もするけど、でも放っておいたら空木さんと土井さんはもっと悲惨な結末を迎えるかもしれないのでしょう? お互いに体調を崩したりとか…… 既に崩しているかも、だけど。
そうなったら、黒宮さんはもっとまずい立場になるのじゃないの?」
「どうかしら?
悪い噂の被害を受けているのは今までだって同じだから、彼女にとってみれば大して変わらないかもしれないわよ。
それよりも、呪いを解いてしまって、呪術者としての評価が上がって更に妙な依頼が来るような事態になる方が嫌だと思っているのかもしれないわ」
わたしはその鈴谷さんの反論に、眉をひん曲げた。
「でも、引き受けてくれるかもしれないのでしょ? なら、頼むだけ頼んでみた方が良いのじゃない?」
鈴谷さんちょっとだけ首を横に振ると「なにも頼みに行かないとは言ってないわ、小牧さん。私は“簡単にはいかない”と言っただけよ」とそう返す。
それを聞いて、わたしは顔を明るくする。
「じゃ、一緒に頼みに行ってくれるの?」
すると彼女はほんの少しだけ首を傾げ、「本当は“呪い”になんて関わりたくはないのだけど、仕方ないでしょうね」と、そう応えた。
わたしはそれに少し驚く。
「鈴谷さんでも“呪い”は嫌なんだ?」
「当り前よ。私はただでさえ“民俗学好きの変わった女生徒”って目で見られているのよ? 私まで黒宮さんにみたいに“呪いが使える”と思われてしまうかもしれないわ」
わたしはそれを聞くと、即座にこう言った。
「大丈夫だと思うわよ。例え、そんな噂が流れても、佐野君ならまったく気にしないで、今まで通りに鈴谷さんの所に通って来ると思うから」
呆れ顔で、鈴谷さんは返す。
「何の話をしているのよ……」
で、
――大学から離れている駅の近くにある、とある喫茶店。
そこに鈴谷さんは黒宮さんを呼び出してくれた。仲は良くないと言っていたのに、彼女は黒宮さんとの連絡手段を知っていたらしい。まぁ、それくらい仲が良くなくても知っているかもしれないけど。
大学の近くで約束しなかったのは、もちろん、わたし達が彼女に接触する事で、呪い関連の噂が広まらないようにという配慮からだ。
鈴谷さんによれば、普段ならここまでしないそうなのだけど、今は呪いの噂の所為で、黒宮さんは注目されているから特に気を遣った、ということらしい。
(……因みに、「こんな事まで気を付けなくちゃならないなんて」と、“呪いが使える”って噂は確かに厄介で迷惑だとわたしは実感して、黒宮さんに同情をしたのだった)
黒宮さんは約束よりも15分ほど遅れてやって来た。彼女はなんとなく不機嫌そうな、それでいて嬉しそうな不思議な表情だった。
「自分だけは安全地帯から意見しようなんて、随分と虫がいいのね」
席に着くなり、彼女は鈴谷さんに向けてそんな事を言った。鈴谷さんは、まったく動じた様子もなく、平然とした表情でこう返した。
「仕方ないでしょう? 平和裏に今の“呪い合戦騒動”を終わらせるのに邪魔なノイズになるかもしれないのだもの。あなたと私達が関わったという噂は。
できる限り、皆に知られないようにして進めないと」
「あら? もう私があなたの提案を飲むのが前提みたいな口振りね、鈴谷さん。まだ、私は何も返していないのに」
「あなたが引き受けてくれた時の事を考慮してよ、他意はないわ」
その言葉に「フフ」と黒宮さんは笑う。そして「どーだか」とそう続けた。
「私は、あなたが意外に狡い人だって知っているのよ?」
「拗ねないでよ。あなたが呪術者の立場なのは、半分は自業自得なんだし……」
わたしは彼女達のそんなやり取りを聞いて、随分と仲が良そうだと思った。……いや、わたしの気の所為かもしれないけど。
「少なくとも、今回の件は私は何も悪くないわよ。勝手に私の所にやって来て、勝手にお互いを呪い合った彼女達が悪いの。私が何かをしてあげる道理なんてないわ」
鈴谷さんは、それにこう返す。
「でも、彼女達の依頼を、もう少し上手く躱す方法くらいならあったのじゃないの?」
「だから、それだってしてあげる道理はないでしょう? そもそも私は彼女達にちゃんと忠告だってしたわよ。迷惑で堪らなかったのに」
そこでわたしは口を挟んだ。
「あのさ、ちょっといい?」
置いてけぼりは嫌だ、という事もあったけど、ずっと前から疑問だったから質問してみたかったんだ。
「なんでそもそも黒宮さんは、図書館のあの場所を自分の定位置にしているの? 黒宮さんがあそこにいつもいるお陰で、あそこは皆にとっての“呪いのスポット”になっちゃったのでしょう?」
それを聞くと、面倒臭そうにしながら黒宮さんはこう答えた。
「簡単よ。そーいう場所をつくっておかないと、誰かを呪いたいって連中が、私の自宅まで突き止めて押しかけて来るの。まったく、どうやって見つけるのやら…… 世の中は恐ろしいわ」
なるほど、とそれを聞いてわたしは思う。やっぱり“呪いが使える”って噂は厄介だ。その後で鈴谷さんが言った。
「とにかく、‘彼女達が悪い’というのは、確かにあなたの言う通りかもしれない。けれど、今のままじゃあなただってそれに巻き込まれて被害を受けるでしょう?
それを“なんとかしましょう”って、私は言っているのよ」
「自分は安全な位置から?」
「拘るわね」
「拘るわよ。そもそも、あなたの言う通りにして、もし呪いが解けたとしても、私が“呪術を使って解いた”って事になっちゃうのじゃないの?
そんなのご免よ。私はできる限り早くこんな“呪いが使える”なんて噂から解放されたいのだから」
やっぱり黒宮さんは、鈴谷さんが言った通りの事を心配していたようだった。どうも鈴谷さんは彼女をよく分かっているらしい。
鈴谷さんはそれを聞くと、腕を組んだ。
「安心して。それもちゃんと考えて来た。あなたにも動いてもらう事になるけど、できる限り呪術とは関係ない方向に話が向くように仕向けるつもり」
その鈴谷さんの提案に、黒宮さんは興味を覚えたようだった。それを鈴谷さんは見逃さない。
「あなただって本心では、無事に終わる方が良いと思っているのでしょう?」
そう言う。
すると黒宮さんは初めて少し折れた。
「そりゃね。自分が関わった事で、誰かが不幸になっていくなんてあまり気持ちの良いものじゃないわ。
でも、どうするの?」
鈴谷さんはゆっくりと言う。
「慌てないで。大枠はできているけど、それを具体的な計画に落とし込むのには、もっと情報が必要よ。
あなたは彼女達の相談を受けているのだから、当然、二人の事情を知っているのでしょう?」
「まぁ、そりゃね」
「良いわ。じゃ、それを教えてちょうだい。後はそれを聞いてから、計画を練っていきましょう」
そのやり取りを聞いてわたしは思った。
“なんだか、鈴谷さんの思惑通りに話が進む流れになってない?”
鈴谷さんが上手く黒宮さんを乗せたのか、それとも色々とごねる振りをしていただけで、そもそも最初から黒宮さんは、鈴谷さんの提案を飲むつもりだったのかは分からないけど、とにかく、それから“空木さんと土井さんの呪い合戦を止めさせる計画”の話し合いは順調に進んでいったのだった。
――。
まるで何かの議論の場みたいだった。
新聞サークルのそれほど広くもないサークル室に机が並べられてある。司会のような位置づけで佐野君がその傍らに立っていて、用意された机の席には近すぎず遠すぎずという絶妙の距離で向かい合わせになって空木さんと土井さんが座っている。そして、その中央には議長のような感じで黒宮さんが。
黒宮さんはやる気がない態度で出席するものだとばかりわたしは思っていたのだけど、意外にもそれなりにやる気があるように思えた。
挑戦的な眼差しで二人を見やって、口元には妖しい微笑みを湛えていたりして。
“そう言えば、鈴谷さんが彼女は悪戯をする時もあると言っていたっけ。案外、こーいうノリは好きなのかな?”
なんてわたしは思い出す。
空木さんと土井さんはすこしやつれていて、顔色も悪い。ここ最近の“呪いの噂”の心労で、すっかり不健康になってしまったようだ。可愛い系の服はその不健康な姿に似合わないと判断したのか、空木さんは少し大人っぽい白を基調としたファッションにしていた。ただ、土井さんは相変わらず可愛い系ファッションで、やっぱりホラーな趣がある。
頃合いを見計らってか、
「……それではこれから、黒宮さん立ち合いの下で、空木さんと土井さんのお二人に話し合いをしてもらいます。このまま誰も得をしない呪い合いをし続けるなんて無意味過ぎますから、それに決着をつける為のいわば“和解の為の話し合い”をするのですね」
と、佐野君が口を開いた。
彼がその司会のような役割をやっているのは、もちろん、鈴谷さんにお願いをされたからだ。鈴谷さんからお願いをされたなら、彼なら絶対に引き受ける。非常に単純だとは思うけど、わたし達のその予想通り、彼は二つ返事でそれを引き受けた。相変わらずの“鈴谷さんラブ!”っぷり。
「ちょっと待ってよ」
佐野君が言い終えると空木さんが口を開いた。
「どうして、新聞サークルが関わっているのよ!? まさかこれを記事にする気じゃないでしょうね?」
黒宮さんはやや蔑むような視線を、そう言った空木さんに投げかける。
「その“まさか”よ。新聞サークルは、今回の件に協力をしてくれるの」
「協力? 単に記事のネタに使いたいだけでしょ?」
「それもあるわね。でも、それで私達も助かるのよ。つまり“利害の一致”。文句を言わないで」
その黒木さんの言葉に、空木さんは憤慨した。
「新聞のネタにされてさらし者になって、それでどうしてわたし達が助かるのよ?!」
それを聞いた土井さんが淀んだ目でこう言った。
「それを言うなら、もう既に手遅れじゃない。さらし者になっているわよ、わたし達は、既に」
なんだか、吐き捨てるような感じだ。荒んでいる。身に付けている可愛い系ファッションとの落差が怖い。
早くも険悪な雰囲気。
少しも“和解の為の場”のようには思えない。それに空木さんが何かを返す前に黒宮さんが口を開いた。
「その通りよ。あなた達はさらし者になってしまっている。ついでに言うと、あなた達の所為でわたしもね。はっきり言っていい迷惑だわ」
それを聞くと空木さんは口をつぐんだ。一番初めに黒宮さんを巻き込んだのは彼女だから、負い目があるのだろう。
「だけど、安心して。それを何とかする為に新聞サークルに協力を頼んだのだから」
納得がいかなそうな表情で、空木さんが「どーいう事よ?」と尋ねた。黒宮さんは淡々とそれに答える。
「“人を呪わば穴二つ”って、私はあなた達に忠告したわよね? それが現実になっているのよ。だから二人ともそんなにやつれてしまった」
「それはこの女が……」
“……呪い返して来たから”
恐らくは空木さんはそう言いかけたのだろうけど、それを黒宮さんが止めた。
「違うわ」
と。
「お互いを呪った時点で、既にあなた達は自分達も呪っているのよ。
本来の呪いの作法では、呪っているのが誰なのか分からないようにするものだけど、あなた達はまったく隠さないで私の所へ来てしまった。その所為で、呪詛返しを受けているのね」
「分からない」
「単純な話よ。ネガティブキャンペーンは、自分にもダメージがあるってだけ。要するに呪っている事を周囲に知られると、“あいつは誰かを呪うような醜い女なんだ”って目で見られて、蔑まれてしまうのよ」
それを聞いて空木さんは黙り込む。渋々ながら納得したというような表情だ。黒宮さんは続ける。
「その悪い噂を消す為には、ちゃんと和解したって事を、皆に向ってアピールする必要があるってわけ。だから、新聞サークルに協力してもらうのよ。分かった?」
空木さんはそれに何も返さなかった。多少は口調に険があるけど、黒宮さんは意外に説得が上手いのかもしれない。だけど、今度は土井さんが口を開いて反論した。
「でも、それは仲直りが上手くいった場合の話でしょう? そっちがそれなりの態度を執らなければ、そんなの無理だと思うけど?」
黒宮さんは腕を組む。
「それはあなたも同じよ、土井さん。それなりの態度を執ってちょうだい。それともいつまでもこんな馬鹿馬鹿しい呪い合戦をし続ける気でいるの? どちらの方が得かは分かり切っているでしょう? このままじゃ、下手すればあなた達の就職にだって悪影響があるかもしれないわよ?」
そして、今度は淡々とした感じでそう正論を述べた。土井さんは何も返さなかった。その後で…… (黒宮さんはそんな“感じ”も出せるんだと、わたしは少し意外に思ったのだけど) 急に柔らかい表情と声になって彼女は続けた。
「それに、安心しなさいな。二人の言い分を聞いている私からしてみれば、充分に仲直りの可能性はあるから……。
だって、あなた達、本当はとっても仲良しでしょう?」
その言葉に、二人は驚いた顔を浮かべて黒宮さんを見た。
「それは昔の話!」
と、そしてそう二人は声を揃えて言う。“くだらない”といった感じで黒宮さんは返す。
「昔の話たって、それほど前じゃないじゃない。それに喧嘩の切っ掛けは、“買おうと思っていた服を横取りされた”って、ただそれだけよ? 仲直りできないって考える方がむしろ不思議だわ」
そうなんだ。
わたしは思う。
冷静に考えれば、ただそれだけ。小さな子供じゃあるまいし、いつまでも喧嘩し続けるような内容じゃない。
「でも、互いに呪いをかけ合っているのよ?」
と、土井さん。
黒宮さんはそれを受けて肩を竦める。
「馬鹿馬鹿しい。呪いなんて仰々しい言い方をするから大袈裟に思えているだけで、そんなのただ単に悪口を言い合っているようなもんじゃない。口喧嘩よ、口喧嘩。殴り合いをしている訳でもなければ、男を取られたとかそんな話でもない。
そもそも二人とも、相手を殺してくれとか、病気にさせてとか、一切、私に言って来なかったじゃない。本気で憎しみ合っているとは私には思えないのだけど?」
それを聞いて、今度は二人はお互いに顔を見合わせた。
そして俯く。
少しの間の後で、黒宮さんはゆっくりと口を開いた。
「ま、取り合えず、順を追って話を進めましょうよ。この喧嘩の切っ掛けから。土井さんはどうして空木さんの服を横取りしようなんて思ったの?」
その言葉に、土井さんは目を丸くした。
「それをここで言わなくちゃ駄目なの?」
黒宮さんはまるで彼女の保護者のような口調で諭すように言う。
「言わなくちゃ駄目よ。そうじゃないと、伝わらないじゃない。ここまで騒ぎが大きくなって様々な人に迷惑をかけているって事を踏まえてもさ。
それに、流石に初めのその件に関しては、あなたに非があると思うわよ?」
どうやら黒宮さんは、二人から色々と事情を聞いているらしい。
その黒宮さんの説得の言葉に、空木さんが怪訝そうな表情を見せた。
「何か特別な理由でもあるの?」
すると、黒宮さんはややおどけたような含みを持たせた声で「まぁね」とそう返した。それを受けて空木さんは土井さんを見る。その視線を受けて、土井さんは頬を少し赤くして目を背けた。
いったい、どんな事情があるのやら。
「土井さん」
と、そんな彼女に向けて黒宮さんが言う。
「分かっているわよ」と返すと土井さんは続けた。
「可愛い服が似合う空木が、羨ましかったからよ。だから、奪ってやろうって思っただけ」
それに空木さんは変な顔をした。
「あの服が欲しかったからじゃないの?」
「別に欲しくなかったわよ。どうせ、わたしには似合わないし……」
「そう思っているなら、買わなければ良かったじゃない!」
「そう思っているからこそよ!」
声を荒げてそう言い返すと、恨めしそうな表情で土井さんは空木さんを見た。
「どうせわたしは、あなたみたいに可愛い服は似合わないわよ。あなたには分からないでしょうね。一緒に買い物に行って、いつも嬉々として可愛い服を買っているあなたがどれだけ羨ましかったか……」
驚いた。どうやら彼女には可愛い系のファッションが似合わないという自覚があったらしい。
空木さんは相変わらず変な顔をしていたけれど、それでもその土井さんの訴えを聞いてわずかに表情を変化させた。
恐らく、何か思い当たる節があるのじゃないかと思う。
黒宮さんが緊迫した雰囲気の二人の空気を抜くような喋り方でこう言った。
「ま、あれよ。空木さんは意識していなかったかもしれないけど、土井さんにしてみれば、ただ単に誘われて一緒に買い物するってだけでプレッシャーだったってこと。コンプレックスを刺激されてね。
あなたは気楽に誘っていたのかもしれないけどさ」
それに空木さんは激しく反応する。
「そんな! わたしはそんなつもりで買い物に誘っていた訳じゃ……」
すると、“来たか”といったような表情を見せた後で黒宮さんは言った。
「そうね。違うわよね。じゃ、どんなつもりで誘っていたの?」
それを受けると、空木さんは言い難そうに顔をしかめる。そこに向けて黒宮さんは続けた。
「土井さんは、触れられたくないコンプレックスに関わる事を勇気を出して告白してくれたのよ?
あなただって、ちゃんと言ってあげるべきじゃないの?」
今度は土井さんが変な顔をする番だった。
「何か理由があるの?」
それを受けて、空木さんは表情を歪めた。そして迷うように口を結んだ。黒宮さんは今度は何も言わない。静観することにしたみたいだ。
彼女は二人の事情を知っている。だから二人の情動の変化が予想できるのかもしれない。そしてそんな彼女は、この状況を面白がっているようにも思えた。わたしの気の所為じゃなければ、だけど。
それから、意を決したような顔をすると、空木さんは土井さんに向けて言った。
「わたしは、あなたの服をコーディネートしてみたかったのよ……」
土井さんは怪訝そうな表情を浮かべる。
「どーいう事よ?」
「そのままの意味よ!
わたしとは違う服が似合いそうなあなたの服を選んでみたかったの!」
土井さんはまだ“分からない”といったような表情を浮かべている。ただそれは、言葉の意味が理解できない感じではなく、“予想外の発言に追いついていけていない”といった感じだった。黒宮さんが補足する。
「空木さんは、ファッション関係の方面に進むのが夢なんだってさ。それで色々と訓練がしてみたかった。ところが、自分に似合う服装は限定されている。彼女の外見を考えれば当然だけど、バリエーションとしては全然足らないってことね。
だから、ファッションを工夫しさえすれば、もっと色々な良い雰囲気や持ち味を引き出せそうな面白い“モデル”である土井さんに目を付けたのだそうよ。で、買い物に誘っていたってわけ」
今度は土井さんが激しく反応する番だった。
「そんなの言ってくれないと分からないじゃない!」
「言える訳ないでしょう?!」と、それに空木さん。
「どう言えば良いの? “あなたはセンスが悪いから、わたしが選んであげる”とでも言えば良かった? そんな失礼な事は言えないわよ。わたしには、あなたは楽しそうに服を選んでいるように見えたし……」
どうやら空木さんも土井さんのファッションセンスが悪いと思っていたらしい…… まぁ、この点に関しては無理もないけど。
そんな二人の様子を、黒宮さんはおかしそうに眺めていた。
「冗談じゃないわ」と、土井さんは返す。
「わたしは、あなたが折角誘ってくれたんだからと思って、なんとかあなたに合わせた可愛い服を選ぼうと努力していたのよ? ファッションに疎いこんなわたしを、服選びに誘ってくれたのが嬉しかったから……」
そこで言葉を切ると、泣き出しそうな顔を見せて彼女は続けた。
「本当に、馬鹿馬鹿しい。わたし、こんなの…… 何の為に苦しんでいたのか分からないじゃない」
そしてそれから、にっこりと笑ってこう言ったのだった。
「空木さん…… なら今度、服を選んでよ。わたし、自分には本当はどんな服が似合うのか知りたいの。お願い」
それに対し、空木さんは少しだけ居心地の悪そうな顔をしていたけれど、それでもそれにゆっくりと頷いた。
「分かった……」
って。
そして、その後で、黒宮さんはこう言ったのだった。
「ね? 二人とも、とっても仲が良いでしょう?」
――。
――それから程なくして、新聞サークルが発行した新聞によって、皆は彼女達の“呪い合戦の終了”とその経緯の詳細を知る事になり、文字通り彼女達の呪いは晴れたのだった。けど、あるいは、その前から既に彼女達にかけられていた呪いは解けていたのかもしれない。
何故なら、彼女達が二人並んで仲良く大学構内を歩く姿が何度もたくさんの人に目撃されていて、しかも、空木さんは土井さんからプレゼントされた事の切っ掛けとなった例のあの服を着ていて、その土井さんは空木さんがコーディネートした非常にセンスの良いシックなデザインの服に身を包んでいたからだ。
(……余談だけど、服を変えるだけで、本当に見違えるものだと思う)
「どうも、とっても上手くいったみたいよ。あの二人、すっかり仲直りして……、“雨降って地固まる”ってのでもないかもしれないけど、以前よりも上手くやれているみたい」
民俗文化研究会。
そのサークル室。
わたしがそう伝えると、鈴谷さんは「そう。良かったわ」と返してほんの少しだけ笑ったような気がした。
「でも、よくこんな方法を思い付いたね、鈴谷さんは。黒宮さんがあれだけ見事に役割を果たしてくれたのも意外だったし」
そのわたしの疑問を聞くと、黒宮さんは「別に不思議でもなんでもないわよ」と、そう言った。
「どうして?」
「呪術者…… 魔法使い、またはシャーマン。そういった立場にいる人達は、その地域社会において人間関係を調整する役割を担っていたからよ。人々の憎しみの声を聞き、それが大問題に発展する前に治める。
当然、呪術者として皆から扱われている黒宮さんにもその力があるわ。
……人間って、肩書きに影響を受けるものだしね」
「でも、それだけじゃ……」
「もちろん、それは黒宮さんの実力があっての事でもあるけれど。私は高校時代に既に彼女にはそれくらいの事ができるって知っていたから、予想通りだったわ」
鈴谷さんは当然の事のようにそう説明してくれたけど、わたしにはやっぱり不思議だった。
それはどんな仕組みで上手くいくものなんだろう? それに、人間社会に、どうしてそんな機能が作られているのかも気になる。多分、誰も意図していないのに。やっぱり、人間の生物としての特性から出て来るものなのだろうか?
それからこんな事を訊いてみた。
「でも、今回の件で、黒宮さんは二人を仲直りさせるのに、呪術も何も使わなかったよね? もちろん、そう狙ってやったのだけど。
なら、“呪いが使える”って彼女の噂も消えていくのじゃない?」
すると、頬杖をついて鈴谷さんはこう応えた。
「どうかしら?
そういうのは都合良く歪められて伝わっていくものだし、それに、一度根付いたそういう“レッテル”っていうのは頑固だから、ちょっとやそっとじゃ消えないわよ。
多分、“呪いの黒宮さん”の立場は変わらないと思うな」
「そうなの?」
「そうよ」
……それが本当だとするのなら、また彼女の元には、人々の恨みつらみ、醜い心を剥き出しにして押し付けて来るような呪いの依頼が舞い込んで来るかもしれないワケだ。
“呪いの黒宮さんも、なかなか大変だ”
それからわたしは、心の中でそう呟いて、彼女に同情をした。
この話、もう4年くらい前に考えたネタだったりします。
先延ばしにしていたら、いつの間にか月日が経っていました。
黒宮さんと鈴谷さんの高校生時代の話の方を先に書いちゃったりとか。
まぁ、書けて良かったです。