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 弾かれたようにリオネルが扉へ向かうのを、ベルトランが腕を掴んで引き止める。


「ひとりで行くのは危険だ、リオネル」

「離せ。邪魔をするなら、今度こそおまえを赦さない」


 刃のような視線を、リオネルは赤毛の若者へ向けた。


 ベルトランは眉間を寄せてリオネルを見返す。幼馴染みのディルクや老男爵も、慎重に口を開いた。


「気をつけたほうがいい、リオネル。これはやつらの罠かもしれない。おまえがひとりで行ったら、なにをされるかわからないぞ」

「リオネル様、その婦人がアベル殿であるかどうかは、まだわかりませぬ」


 だが、リオネルはもはや彼らへは視線も向けずに、ベルトランの手を振り払った。


「罠だってかまわない。アベルがここにいる可能性が万に一つでもあるなら、おれは行く」

「リオネル!」


 もうだれにも彼を止めることはできなかった。


「だれもついて来るな」


 リオネルは振り返らずにそう言いながら、足早に部屋を出ていく。

 たしかに、ひとりで現れるようにと賊は言っていた。だが、ベルトランは主人のあとを追う。リオネルをひとりで行かせるわけにはいかない。


 すぐさまディルクがマチアスに命じた。


「弓を用意しろ。前庭が見えるところに兵士を配備するんだ」

「かしこまりました。ですが、今朝から霧が深く、標的がよく見えないかと存じますが」

「うるさいな、少しでも見えたら役に立つかもしれないだろう」


 主人の言葉を確認すると、マチアスは一礼して素早く書斎を辞した。


「おれたちも行くぞ」


 ぼんやりしているレオンに、ディルクは声をかける。


「だが、賊はひとりで来いって言っていたのだろう? おれたちがいたらはなはだまずいのではないか」

「もちろん隠れているに決まっているじゃないか。どいつもこいつも、つべこべ言いやがって。置いてくぞ」


 二人の青年が前庭に向かうと、ラロシュ侯爵、シャレット男爵、そしてセドリックは、各々の兵士をいつでも動かせるよう準備を整えはじめた。





+++





 時間は少し遡る。


 スーラ山の麓にある森を出ても、ヴィートがアベルを降ろさなかったのは、彼女にとって想定していなかった出来事だった。


「ヴィート、放してください!」


 必死で懇願したが、ヴィートはそのままラロシュ邸へ向かう。


「わたしは、あなたのことを思って言っているのです。あなたの身が危険です」


 幾度説得してもヴィートは聞き入れない。想像以上に頑固である。自分のことは棚に上げて、この若者の頑固さにアベルは呆れ返った。


「聞いていますか? ラロシュ邸に行けばあなたは捕まるのですよ!」


 半ば焦りながら言うと、ヴィートは「聞いているよ」と先程のように、髭に覆われた口元をわずかにほころばせる。


「わたしの立場は、単なる従騎士です。あなたが捕らえられたら、とうてい守りきれません。山へ戻ってください。そしてどこか遠くへ逃げてください。あなたが傷つくのを見たくないのです」

「そうかい。そう言ってもられると嬉しいよ」

「ヴィート!」


 声を荒げると、山賊の若者は腕のなかの少女に向かって苦笑した。


「そんなに怖い声を出すなよ」


 声だけではない。アベルは心底怒っていた。

 ヴィートの腕が立つことは知っているが、単身で勇猛果敢な騎士らが集う館に現れて、対抗できるわけがない。

 捕らえられたら、ヴィートはどのような目に遭うか。


「あなたが無謀なことをしようとしているからです」

「きみがしたことに比べれば、たいしたことじゃない。女の子がひとりで山賊に捕まること以上に無謀なことがあるか?」

「それとこれとは――」

「きみのご主人様の心意気を見てみたいんだよ、おれは」

「なんですか、心意気って」


 重い眩暈を覚えてアベルは、その瞬間ぐったりと頭をヴィートの腕に預ける。


「きみが仕える価値のあるやつなのかどうかこの目で確かめたいんだ。もしそうじゃなかったらきみをもらおうと思ってね……いや、そうでなくても、いただいていくつもりだけど」


 最後のひと言は、アベルの耳には聞こえないほどの小声だった。

 そんな話をしているうちに、もうラロシュ邸の物々しい塀が見えてきている。塀の上部に連なる槍先のような尖端が、ヴィートを拒絶しているようにアベルには感じられてならない。


 アベルは最後の抵抗を試みた。

 左ひじでヴィートの胸を力のかぎり突いたのだ。


「――――っ」


 さすがにこたえたようで、ヴィートの腕の力がゆるむ。

 その隙にアベルは両手を突っ張り、彼の身体から離れようとするが、地面に落ちる直前に再びヴィートに身体を抱えなおされる。


「危ないな! 落ちたらどうするんだ!」

「あなたが山に戻らないからです!」

「おれはもう山には戻らない! おれは山賊をやめる!」

「――は?」


 アベルが呆気にとられていると、そんな彼女を抱えたままヴィートは駆けるようにしてラロシュ邸の門に近づいていった。

 霧のなかから突然現れた二人の姿に驚き、身構える門番へ向けて、ヴィートは告げた。


「おれは山賊だが、たった今、山賊をやめることにした」


 わけのわからぬことを言う山賊まがいに、四人の兵士は槍先と警戒心を向ける。


「何者だ!」


 しかし、ヴィートは平然と答えた。


「だから、山賊をやめた男だと言っているだろう? リオネルってやつに伝えろ――アベルを連れてきた。リオネルっていうやつがいるなら、ひとりで出てこい。この子はあんたを守るために命をかけたんだ。おまえに命懸けで守る気がないなら、即刻おれが連れて帰るぞ――とな」

「ヴィート!」


 アベルが声を高めて抗議するのを、ヴィートは無視した。


「ほら、どんくさそうなおまえが、リオネルっていう坊ちゃんに伝えにいけ」


 門番のひとりを指差して、山賊だった若者が指示する。


「あとのやつらは、ここでおとなしく門番でもしていろ。おれは坊ちゃんを、そこの庭で待っていてやる」

「馬鹿なことを言わないでください! それに、『坊ちゃん』ではなく、リオネル様です」


 このような状況でも、細かいことにこだわる少女にヴィートは笑った。


「はいはい、リオネル様ね」


 そう言ってアベルを抱えたまま門をくぐろうとする彼を、兵士は槍で制止しようとした。だが、ヴィートの動きは速かった。

 突き出だされた槍の柄部分を素手で掴むと、構えていた兵士の腹を槍の末端で突き気絶させ、そのまま奪った槍を振りまわして残りの三人の頭や肩を強打した。それを、アベルを片手で抱えたままやってのけたのである。


 打たれたところを押さえながら、兵士たちは痛みと屈辱に呻く。


「ほら早く行け」


 こうして、門番のなかで、ヴィートの言うところの最も「どんくさい」兵士が、リオネルに伝言しにいったのだった。


「なぜ、あんなことを言ったのですか?」


 中庭に着いたとき、ヴィートの腕のなかでアベルは咎めるように尋ねた。


「あんなこと?」

「……リオネル様に、ひとりで出てくるようになど」

「なにか、おかしかったか?」


 警戒するように、ヴィートは周囲を見渡している。少女との会話も、気もそぞろといった感じだ。けれど、それにかまわずアベルは続けた。


「家臣が主人を命懸けで守るのは当然のことですが、主人が家臣を命懸けで守るなんておかしな話です。そのような必要はないのです。リオネル様は優しい方なので、あなたの伝言を聞いて、お心を痛められるかもしれません」

「それは、そいつがひとりでは来ないということか?」

「もちろん……来るとか来ないとか選択するような話ではなく、来てはならないのです」

「なら、きみを連れて帰るだけさ」

「ですから、主人が命をかけて家臣を守らなければならない義務などないと言ったではありませんか。そんなことで再び山に連れていかれては困ります」


 会話の途中で、ヴィートはなにかに気がつき警戒心を強めた。

 高く軋んだ音を立てて、前庭に面している玄関の扉が開く。


「どうやら、簡単にきみを連れ帰らせてはくれないようだな」


 霧がかすかに動く。


「え……?」


 まさか、まさか本当にリオネルがひとりで現れたのか。アベルは信じられない思いで、玄関の方角を見やる。


 姿は見えないが、ふと懐かしい香り――とても透明感のある香りが、ほとんど風もないのに、アベルにはたしかに感じられた。

 ……自分でも理解しがたい感情が、身体の底から込み上げた。







 玄関を飛び出して前庭に出たリオネルは、白い霧の波のなかに黒い人影を見た。


 背が高い。

 おそらく門番が見たという山賊だろう。

 ――そこにアベルがいるのだろうか。

 それとも、ディルクが言ったとおり、山賊の罠か。


 青年の胸は、緊張と期待で高鳴る。罠かもしれぬからではない。アベルに再会できるかもしれないという思いからである。


 影との距離を詰めながら、リオネルは声を発した。


「私がリオネルだ。アベルは本当にそこにいるのか?」


 堅い声音だ。

 霧の向こうから、わずかに動揺した気配が伝わってきた。


「――リオネル様」


 鈴の鳴るような声。それはたしかに、愛する少女のものだった。

 どこかためらうような、もしくは戸惑うような声音だったが、それはリオネルの心を隅々まで歓喜で満たす。これほどまでの感情を、かつて覚えたことがあっただろうか。


 ――アベルが生きている。

 無事に、ここへ戻ってきたのだ。自分のもとへ。


「アベル――――!」


 駆け寄ろうとするリオネルが、霧を透かして見たのは。


 月光色の髪はまとまっておらず、化粧気もない、ドレス姿のアベル。

 愛しい少女のドレス姿は、リオネルにはどのように例えてよいかわからないほどだった。心臓を鷲掴みにされたような切なさを覚える。


 けれど、リオネルがアベルの姿に目を奪われていたのは一瞬のことで、すぐに視線を、彼女を横抱きにかかえる山賊らしき長身の若者へ移す。

 互いの姿をとらえた二人の若者は、無言で睨みあった。


 たったひとり、アベルを連れて討伐隊の拠点に現れた若い山賊の目的が、リオネルには見当もつかない。それとも、彼は単に自分たちの気を引くために現れただけで、他にも敵はどこかに潜んでいるのだろうか。

 それは、今の時点でいくら想像してみたところで答えが出るものではなかった。

 相手の真の目的がなんであれ、愛しい相手の無事な姿を己の目で確認することができたのだ。このうえは、彼女を取り返すために、どんなことでもしてのける覚悟である。


 リオネルは、ゆっくりと長剣の柄に手を伸ばし、


「その子を放せ」


 と低く告げる。

 その響きは、アベルがかつて聞いたこともないほど冷ややかだった。


「リ、リオネル様、違……っ」


 慌てて弁明しようとするアベルの口を、ヴィートは自分の胸元に押しつけて黙らせる。


「そうか、あんたがリオネルか。聞きたいことがある」


 気の弱い者であれば見返すことができないほどの、鋭い視線を向けてくる貴族の青年を、ヴィートは両眼を細めて、おもしろくなさそうに見返す。


「ひとりで現れるくらいの気概はあるようだが、アベルが囚われていたあいだ、あんたはいったいなにをしていたんだ? この子を犠牲にしてまで知りたかった、おれたちの居場所はつきとめたのか? つきとめたならなぜ助けにこない? 年端もいかない子供が囚われたらたらどんな目に遭うか、あんたは想像できたんじゃないのか。それなのに、ただここで呑気に過ごしていたのか」


 悔しいことではあったが、リオネルは言い返すことができなかった。事情はどうであれ、彼女をすぐに救いに行けなかったことは、変えようのない真実だ。


「あんたがこの子の存在を軽く考えているなら、おれがこのまま連れて帰るぜ」


 リオネルが反論するまえに声を発したのは、ようやくヴィートの胸から顔を外すことができたアベルだった。


「勝手なことを言わないでください!」


 二人の男はアベルへ視線を向けたが、意識のほとんどは目のまえの敵に向けたままである。


「リオネル様がいらっしゃらなかったのは当然のことです。あなたが言っていることは滅茶苦茶です! そんなことより、ヴィート、わたしを降ろして、あなたはここから逃げてください。早くしなければ、あなたは取り返しの……っ」


 懸命に説得しようとするアベルの口を再び封じたヴィートは、リオネルを見据える。

 リオネルもまた、この山賊を睨みすえていた。


 しかしリオネルは、アベルと山賊――二人の関係を完全に把握しきれず、戸惑いを感じていた。

 というのも、最初に門番から話を聞いたときは、アベルが人質になっているのかと思ったが、どうも二人の様子を見ていると必ずしもそうではなさそうだ。


 若い山賊の口ぶりは、アベルを助けに来なかったリオネルを責めているかのようである。しかも、彼はとても大事そうに――まるで宝物を抱くように、アベルをかかえている。

 一方アベルも抵抗せず山賊に身体を預け、さらには彼に逃げるように説得しているのだ。


 アベルがこの山賊を守ろうとしているのであれば、彼を殺傷することはできない。どのような態度をこの若者に対してとるべきか、リオネルにとっては、いささか判じかねるところだった。

 かといって、一刻も早く山賊の手からアベルを取り戻し、彼女の安全を確保したい。


 相手を傷つけられないとなると、さしあたり話しあう他に方法はなかった。


「どうしたら、その子を解放する?」

「どうしたら解放するかだって? 逆に聞くが、あんたはアベルを取り戻すために、なにを差し出せるんだ」

「今の私にできることなら、なんでも」


 リオネルの返答を聞いたアベルの瞳がわずかに見開く。


 ――この高貴な青年は、いったいなんてことを言うのだろう。

 たかが臣下のひとりである自分を救うために、できうることならなんでもするなどとは。


 返答が思いがけないものだったのはヴィートも同様だったようで、測るような目つきでリオネルを見やってから、今度は試すように言う。


「そうか、じゃあ、腰に下げたその短剣で、自分の手指を一本切り落としてみな。大事に育てられてきた身体だろうが、片手の指一本くらいなくたって生きていけるだろう? 切り落とせたら、アベルはいったんあんたのもとに返してやる」


 リオネルはわずかなあいだ、相手の双眸を見つめていた。

 山賊の褐色の瞳の奥に、リオネルはなにを見出だしのか、


「……わかった」


 と短く答えると、慣れた手つきで腰の短剣を引き抜き、己の左人差し指のつけ根に刃を押しあてる。


 ――この山賊は、約束を違えない。

 山賊の瞳に宿るなにかから、リオネルはそう判じたのだ。


 厚い霧のなかでも、短剣のその美しい銀色は艶やかな光を放っている。

 ……迷いなく短剣は横へ引かれた。








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