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 早朝のベルリオーズ邸は、靄に包まれている。

 雲は厚くないが、朝の陽光はまだ弱く、空気は冷えていた。


 シャルム式庭園の東に延びる池の畔に、かつてひとりの男が愛する娘に贈った離宮が、ひっそりと佇んでいる。

 その離宮のまえに、男が立っていた。

 上質で、落ちついた色合いの服をまとっているのは、この館の主ベルリオーズ公爵クレティアンである。


 先程、使者が到着し、リオネルらがラロシュ邸に到着したことを告げた。

 それを聞いて、クレティアンはふとここへ来てみたくなったのだ。


 妻のアンリエットが、こよなく愛していた場所。

 リオネルが生まれる前も、そして生まれてからも、よく共に過ごした場所。

 そして、彼女が他界してからは、ほとんど足を運ぶことがなくなった場所だった。


 時間が哀しみを癒すというが、愛する者を失った彼の哀しみは癒えることはなかった。

 周囲からは再婚の勧めもあったが、まったくそのような気持ちにはなれず、今に至る。

 時間が哀しみを癒すということの意味は、その出来事と、それに伴う感情を徐々に忘れていくということだ。


 ――忘れるくらいなら、哀しみなど癒されないほうがましだ。


 彼女の面影を濃く受け継ぐリオネルの成長だけが、クレティアンにとって唯一の生甲斐だった。

 そのリオネルが今、山賊討伐のためにラ・セルネ山脈の麓へ遠征している。クレティアンの不安は言葉にならないほどだった。


 ――命をかけて戦い、負ければ死ぬ。

 騎士とは本来そういうものである。


 けれど、もしアンリエットに続いてリオネルをも失くしたなら、クレティアンに、もはや生きる意味などないも同然だった。


 どうにも落ちつかなかったので、庭に出てみたら、気づけばここにいた。

 ……いや違う。

 そんなふうに思ったのは、自分をごまかすためである。本当は、己の意思でここへ来たのだ。

 ずっと避けていたのに。


 避けていたのは、彼女のことを思い出したくなかったからではない。

 ――ここに来ると彼女の姿が「見える」のだ。


 それは鮮やかに、記憶にある彼女の姿がここに現れる。

 その姿は、クレティアンにひとときの幸福を与えたが、同時に死への憧憬をも抱かせた。

 まるで甘美な毒薬のようだった。


 幸せにひたっていると、一歩間違えば、池のなかに身を投じてしまいそうになる。

 幸福と狂気は、いつだって隣り合わせにある。


 けれどこの日、クレティアンは幸福も狂気もひとたび己の服の胸元に押しこめていた。自らの幸不幸などに埋没している場合ではなかったからだ。


 クレティアンは、自分にしか見えぬアンリエットの幻影に向かって語りかける。


「リオネルが、危険な使命を負ってここを発った。アンリエット、どうかあの子を守ってほしい」


 消えかかる虹のような、深い紫色の瞳の幻影はうなずき、優しく笑った。まるでクレティアンを安心させるように。


 この笑顔――まるでリオネルと同じ。

 それは、息子がたびたび、あの年端のいかぬ従騎士の少年に向ける笑顔だ。


 クレティアンは、双眸を閉じて顔を歪めるように笑った。

 そして、柔らかな風にさえかき消されそうな小声で言う。


「――リオネルが大切にしているあの少年のことも、守ってやってほしい」


 アンリエットは一瞬驚いたような顔をしたが、今度は心から嬉しそうに破顔し、クレティアンの背中に両腕をまわす。

 それから、二人はそっと唇を重ねた。


 そのとき吹きぬけた、まだ冷ややかな春の風は、狂気よりもわずかに幸福の匂いを多くはらんでいたように、クレティアンには感じられた。





+++





 ラ・セルネ山脈の山嶺の合間から、太陽の輝きがこぼれる。


 アベルがいない、二度目の朝だった。

 アベルがいない――。


 言葉にならぬ喪失感が、両親に深く愛されているこの青年の胸を、冷たく吹きぬける。


 つい先日までは、手を伸ばせば届くところにいたのに……自分は、手を伸ばすことはおろか、声さえ充分にかけてやらなかった。今はどれだけ手を伸ばしても、どれほど会いたいと願っても、そばに彼女はいない。


 なぜ、アベルとたくさん話さなかったのだろう。

 彼女を傷つけまいとして、傷つけていたのは自分。

 彼女を守ろうとして、結果としてこのような目に遭わせたのは自分。


 アベルが望むものを与えることは、彼女を危険にさらすことである。だから、彼女の気持ちから逃げた。

 けれど最も危険なことは、そうやって逃げることだったのではないか。もっと正面からアベルと向き合えばよかった。

 ……そう思っても、今となってはもう遅い。

 あらゆる後悔と自責の念が押しよせる。


 朝食の時間だったが、リオネルは広間の前にある廊下の窓枠に寄りかかっていた。傍らには、むろんベルトランがいる。

 とてもではないが、諸侯らとのんびり食事などとっている気分にはならなかったのだ。


 けれど、家を背負い、領民と家臣を守るもの者として、己の健康や命を軽んじることはできない。まったく空腹感は感じなかったが、生きるためだけにリオネルは最低限の食事を自室でとっていた。


 そして、皆が食堂に集まっているこの時間は、ラロシュ邸の館内でだれとも会わずに済む、束の間の落ちつける時間でもあった。


「リ……リオネル様」


 そのとき思いもかけず、リオネルに近づき、声をかけてきた者がいた。

 リオネルと同年齢ほどと思しき女中メイドである。その声は震えていた。


 ベルトランは壁に寄りかかっていた身体を起こし、いつでも主人を守れる体勢をとる。

 この娘が襲いかかってくるようにはとうてい見えないが、アベルのように女性でも優れた戦士はいる。油断はできない。


 しかし女中は緊張のあまり、赤毛の男の警戒心になどまったく気がついていないようだった。


「ご……ご休憩中、し……失礼いたします!」


 眩暈がするほどの緊張を覚えていたが、この機会を逃したらいつまでも目的を達成できなくなると思ったので、女中は勇気をふりしぼる。

 相手は王族であり、ベルリオーズ家の跡取りだ。これまで気後れして、ずっと話しかけることができなかった。


 けれど多くの諸侯らが周囲におらず、この青年が特段なにもしていないように見える、今このときこそが好機である。

 若い女中はリオネルの前で一礼した。


「きみは?」


 リオネルは穏やかな声音で問う。

 その声の優しさに、女中は内心でほっとするやら、ドキドキするやら。


「わ、わたくしは、この館の女中でエヴァと申します。あの……二日前の夜、ベルリオーズ家の従騎士様の、お着替えと身支度を整えさせていただいた者です」

「アベルの?」


 青年の顔色が変わった。

 この年若い貴族にとって、あの従騎士は大切な人だったのだろうと、エヴァは青年の表情から察した。


「アベルは、あの夜どんな様子だったか教えてくれないか」


 己の用件を告げる前に、逆に問いかけられて、エヴァは戸惑いながら答える。


「様子……は、と、とても落ちついていらっしゃったと思います」


 実は従騎士の少年の様子をじっくり観察する余裕がなかったので、記憶は曖昧だった。

 ただ、ドレスをまとった姿もさることながら、自分に向けた彼の笑顔が花もほころぶようだったことは、はっきりと覚えている。


「わたくしのような者にも、気さくに接してくださいました」


 質問の回答に対して、とりあえずリオネルがうなずいたのでエヴァは安堵し、本来の任務を達成するために、干上がった喉から声をしぼりだす。


「その際に、従騎士様からお預かりしたものがございます」


 そう言ってエヴァは、震える手でなにかを差しだした。

 手に乗っていたのは水宝玉アクアマリンの首飾りだった。


「これは――」


 リオネルの長い指が首飾りに伸びて、ゆっくりとそれをつかむ。

 淡い水色の石は、鎖の末尾まで滑り落ちると小さく跳ね、首飾り全体が宙に揺れた。


「なぜ……」


 青年の問いは、まるで独り言のようだった。


「わたくしはあの夜、従騎士様の髪を結い、化粧をいたしました。そのあと首飾りをつけるために、あの方がもともと身につけていらした首飾りを外してよいかお尋ねしたところ、従騎士様はご自身でこれを外され、そしておっしゃいました」


 ――これを預かっていてもらえないか、と。


 ベルリオーズ家の青年が、己の話を真剣に聞いていることに緊張を覚えながら、エヴァは話を続ける。


「もしも自分の身になにかあれば、これをリオネル様に渡してほしいとおっしゃられました。わたしのような者が恐れ多いとは承知のうえで、お役にたてるならばと考えお引き受けした次第です。その夜以降、この館にて従騎士様のお姿を拝見することがなくなり……もしかしたらあの方になにかあったのでは――だとすれば、これを貴方様にお渡ししなければと思いました。ですが、いつどのようにお渡しすればよいのか判断がつかず、このように遅くなってしまいました。申しわけございません」


 最後にエヴァは泣きそうな声になりながら、深々と頭を下げた。


 青年は、手のなかの首飾りを見つめる。

 これは自分がアベルに贈ったものだ。

 ……あの夜まで、彼女はずっと身につけていてくれた。その事実が、リオネルの胸を熱くする。


 そして、アベルは囮になるまえに、首飾りをこの女中に預けた。もしも己の身になにかあれば、主人に渡すように言い置いて。


 透きとおった淡い水色の宝石は、アベルの瞳を思い起こさせる。

 それを見つめ、やがて、あふれる感情に耐えるように、首飾りを握りしめた。

 狂おしい想いが、拳を額にあててうつむいた青年の口から、声となってこぼれる。


「アベル――――」


 心のなかで幾度もつぶやくのは、本人にはけっして伝えられない思いだった。


 感情が鎮まるのを待ち、リオネルは若い女中へ目を向けた。

 そして、頭を下げたままだった彼女の肩に軽く手を添えて、顔を上げさせる。褐色の瞳をまっすぐに見つめ、リオネルはほほえんだ。


「アベルから首飾りを預かってくれて、そして、あの夜のことを私に話してくれてありがとう。感謝する」


 エヴァを見る青年の深い紫色の瞳は、優しくも哀しげだった。


 一瞬その瞳に見入ったが、ふと我に返り、ベルリオーズの領主であり、眉目秀麗なリオネルに笑いかけられたことに気がつき、エヴァは動転して顔を赤くする。


「と……とんでもございません!」


 そこへ、食事を終えた諸侯のひとりが廊下を歩んでくる。アベラール家の嫡男ディルクである。


「リオネル、こんな朝っぱらから女中を口説いているのかい?」


 ディルクは従者を連れており、その隣にはこの国の第二王子の姿もあった。

 そうそうたる顔触れに、エヴァは重い眩暈を覚える。


「で、ではわたしはこれで失礼いたします!」


 エヴァは一礼してから、逃げるように、廊下を去っていった。


「あんな純朴そうな子を口説くとは、リオネルも隅に置けないな」


 からかうディルクの口ぶりは、しかし普段の明るさに欠けている。今回のことで心を痛めているのは、彼もリオネルと同様だった。

 けれど親友のまえで落ちこむわけにはいかなかった。だれよりも心を痛めているのは、この青年なのだから。


「口説くわけないだろう」


 視線を合わせずに否定したリオネルの表情は、憂いに満ちている。それを目にして、ディルクは小さく溜息をつく。

 親友に、若い女中を口説くくらいの元気があれば、とディルクは本気で思ったりする。

 アベルがいなくなってからのリオネルは、こちらが心配になるほどの塞ぎこみようで、そばで見ているのが辛いほどだった。

 だからこそ、ディルクはあえて明るく振る舞う。


「口説いてないなら、口説かれたのかい?」

「……口説かれていない」

「じゃあ、なんで彼女から首飾りをもらったんだ?」


 今は皆の目から隠すようにして握りしめているそれを、ディルクは目ざとく見つけていた。

 やや気まずそうに、リオネルは答える。


「これは、返してもらっただけだ」

「……よく意味がわからないんだけど。つまり、彼女を口説こうとして宝石を贈ったけど、結局ふられて、つき返されたところなのか?」

「彼女は、これを預かっていただけだ」

「だれから?」

「……だれだっていいだろう」


 はぐらかす親友に、ディルクは興味深そうな視線を向ける。


 返してもらったということは、もともと首飾りをリオネルが持っていて、それをどこかで落としたか、盗まれたか、貸したか、もしくは贈ったということである。

 その可能性のなかで、落としたものや盗まれたものを「預かる」と表現するのはおかしいし、首飾りをだれかに貸すという状況も不自然である。けれど、リオネルが宝石をだれかに贈るということも想像しにくい。


 仮に、贈ったのだとだとすれば、フェリシエにさえも関心を示していないようにみえる彼が、いったいだれに宝石など贈るというのか。

 けれど、これ以上なにも白状しそうにないので、ひとまずディルクは口をつぐむ。

 今、これほどふさぎこみ、機嫌の悪いリオネルを怒らせるほど、無益なことはない。


「おまえならまだしも、リオネルがだれかれかまわず声をかけるわけないだろう」


 かつてディルクが浮名を流したのは、シャンティを想うゆえだったということを知っていながら、レオンはあえて嫌味を言った。

 しかし、ディルクはこたえた様子もなく、


「おれは、女中とは噂にならなかった」


 と、堂々と言い張る。


「威張れたことか」


 呆れ顔のレオンからリオネルに視線を移して、ディルクは真面目な顔つきになった。


「おまえ、ここのところ食事もろくにとってないだろう? しっかり食べなければ、山賊討伐どころじゃないぞ」

「……倒れない程度には食べているよ。それに、アベルがどんな境遇におかれているのかわからないのに、おれだけが悠長に食事する気にはならない」


 それは自分に対する嫌味かと一瞬思ったが、張りつめた表情のリオネルには、とても嫌味を言うような余裕があるふうには思えなかった。

 ディルクは気遣うように言葉を選ぶ。


「アベルはまだ子供だから、今頃お腹が空いているだろうと猪肉でも食べさせてもらっているかもしれない。もしくは、将来有望な山賊としてかわいがられて、斧や狩りの稽古をつけてもらっているかもしれないぞ」

「…………」


 ディルクの慰めはありがたかったが、それはほとんどリオネルの気持ちを軽くしなかった。リオネルの表情はむしろ沈痛なものになる。

 そこへ、足早に近づいてくる若者がいた。


 栗色の髪の若者が、リオネルの前まで来てうやうやしくひさまずく。


「リオネル様、おはようございます」

「クロード、なにかあったのか」


 ベルリオーズ家の騎士隊長である彼は、アベラール家と共同で行っている村々の警備に関することを一任されている。

 その彼が急ぎの様子で現れたのだから、皆は表情を硬くする。


「エラムクールの村に山賊が現れました」

「本当か」


 リオネルの表情に希望の色が広がる。

 もし山賊を捕らえることができたのなら、彼らの拠点がわかるかもしれない。

 そうすればアベルを助けにいける。


 だが――。


「現れたのは十人ほど。生かして捕らえるように命じておいたのですが、賊の抵抗はすさまじく、今回は斬り捨てるほかなかったとのことです。目的を果たすことができず、不甲斐ありません。誠に申しわけございません」


 膝をついたまま、クロードはさらに深く頭を下げた。

 心のなかでリオネルは深く落胆したが、それを表情には出さなかった。


「村人や騎士に怪我はなかったか」

「村人は無事です。騎士のなかで怪我を負った者が数名おりますが軽傷です」

「そうか、大きな被害がなくてよかった。……負傷した騎士には、治療に専念するように伝えてくれ。クロードもご苦労だった。引き続き頼む」


 賊を捕らえることができなかったことに対して、一切の咎を受けなかったので、クロードはリオネルの寛大さに恐縮する。

 再びリオネルに深々と頭を下げ、最後にレオンやディルクにも一礼して去っていく。


 去り際にすれ違ったベルトランに軽く肩を小突かれると、クロードはやや情けない顔で苦笑して、無言で歩き去っていった。

 賊を捕らえることができなかったことを主人が赦しても、それが己の監督不行き届きであることを充分に承知しているクロードは忸怩じくじたる思いだった。せっかくの好機に、主人から命じられた仕事を、成し遂げることができなかったのだ。

 ベルトランの無言の励ましは、クロードの胸にわずかな痛みを伴って、ちくりと染みた。


 そして、騎士隊長であるクロードにはあのように言ったが、リオネルが内心では気落ちしていることを知るディルクは、静かに言う。


「おれたちは今あの子のためにできることをやろう」


 リオネルの思いつめた表情を、ディルク、ベルトラン、マチアス、そしてレオンさえもが、気遣わしげに見守っていた。







「リオネル殿は、お食事にも現れませぬ。あの方になにかあったら、どのように責任を取るおつもりですか」


 ほぼ食事が終わった卓を、食後酒を片手に諸侯らが囲んでいる。


 高齢のシャレット男爵は、香辛料の入った甘めの葡萄酒を口に運びながら、フォール家のセドリックやシャルルらに小言を言った。

 むろんウスターシュやグヴィド子爵もいるが、聞こえぬふりである。


「あのリオネル殿のことです、体調には気を使い、倒れることなどないよう、どこかでお食事はきちんととっていらっしゃることでしょう」


 淡々と答えたのはセドリックだった。


「そんなことを申しておるのではありません。ここにおいでにならぬほど、リオネル様は、お心を痛めておいでだということです」

「わかっています」


 老男爵に叱責されてもなおセドリックは冷静である。


「なにをおわかりだというのですか」

「リオネル殿には、大変に申しわけないことをしたと思っています」

「そのとおりですな」

「ですが、私がこの計画に賛同したのは、これが最も少ない危険と犠牲で、最大限の結果を得られると考えたからこそです。領主たるもの、私情を捨てて、兵士と領民を守ることを第一に考えるべきではありませんか」

「リオネル様が、囮の案に反対したのは、私情を差し挟んでのこととおっしゃられるのですか。年端もいかぬ家臣を守ろうとすることが私情であると、貴方はおっしゃるのか」


 声を荒げて立ち上がった男爵を、シャルルが腰を浮かせて、


「落ちつかれてください」


 と、なだめる。

 しかし男爵は言葉を止めなかった。


「もし貴方がそのようなお考えであるなら、私の頭はもはや耄碌もうろくし、両眼も曇っていたということですな。フォール家のお若い跡取り殿は、いま少し賢明な方であらせられると思っておりました」

「男爵殿、お言葉が過ぎますぞ」


 声を発したのは、セドリックの背後に控えていた従者の男だ。だがセドリックはそれを手で制した。


「男爵殿に不快な思いをさせてしまったこと、お詫び申し上げます。私は、リオネル殿が今回の件で私情を差し挟んだとは考えておりません。領主が家臣を守ろうとするのはもっともなことです」


 男爵はなおも憤慨した顔でセドリックを見下ろしている。

 それを静かに見返して、フォール家の若者は続けた。


「私情を差し挟みそうになったのは、私のほうです。ウスターシュ殿の案を聞いたとき、名案だと思いましたが、リオネル殿のお気持ち、そして従騎士殿のことを考えれば、それを実行に移すことが正しいのかわかりませんでした。ですが、早く討伐を完了させることは、被害を被っている民にとっても、またリオネル殿のお立場にも必ず有利になると判断し、その迷いを捨て去りました。私は、リオネル殿に心から謝罪いたしておりますが、己の判断が間違っていたとは今でも思っておりません」


 説明を聞き終わったシャレット男爵は、小さくうなった。

 納得したかどうかはわからなかったが、彼がそれ以上言葉を発することもなかった。






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