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 ちょうどそのころ、首飾りを求めて、マイエの街を歩いている者がいた。


 ラ・セルネ山脈の南西、シャルムとローブルグの国境沿いにあるデュノア領では、山賊に囚われている少女の弟であるカミーユが、トゥーサンと共に領内の中心都市であるマイエを歩いていた。


 昼前の繁華街は、多くの人でにぎわっている。

 市場へ材料を求めに来る者、食堂へ向かう者、仕事場からいったん家へ戻る者……。先日訪れたベルリオーズ領のシャサーヌにはとうてい及ばないが、それでも通りにはそれなりの活気があった。


 木組みの商店の間の道を歩む二人は、町人風の格好をしている。

 領主家の者と知れたら騒ぐ者もいるだろうし、危険がないとは言い切れぬからだ。


「あそこの店はどうだろう」


 カミーユは、宝石商の看板が出ている間口の広い店を指差す。


「あの店は、偽物を取り扱っていたことで、客から訴えを起こされたことがあります。もう少し信用のおけるところへ行きましょう」

「へえ……」


 宝石に関することなど、カミーユにはまったくわからない世界だった。

 本物か偽物かなんて、よくよく見なければわからないのであれば、どちらでもいいような気がする。けれど多くの女性の心理は違うようだった。

 彼女たちは、本当に価値のあるものでなければ嫌なのだ。それは、どう見えるかの問題ではなく、彼女らの心のなかにある満足感に関する問題のようだった。


「あそこは、構えは地味ですが、目利きの商人がいる店です。入ってみますか?」

「うん、いいよ」


 トゥーサンが足を向けたのは、茶と白の大きな木組みの商店の間に挟まれてつぶされそうな、同じく木組みの、ひどく縦に細長い建物だった。

 扉は堅く閉ざされている。

 トントンと二度トゥーサンが扉を叩くと、覗き窓が開いた。


「デュノア家に仕えるトゥーサンだ」


 簡単に名乗ると扉が開き、大柄で屈強な男が腰を折った。


「どうぞ、お入りください」


 彼はただの用心棒のようで、二人を奥の部屋にいる店主のもとまで案内すると、再び扉口のほうへ戻っていく。


「トゥーサン様、ようこそお越しくださいました。珍しいですね、貴方様のほうからいらっしゃるなんて」


 五十代前半くらいだろうか。中肉中背で、体格については特筆すべきことのない男が、椅子から立ち上がった。

 だが彼の眼光は鋭く、眼球が細かく動くのが、神経質そうな印象を与える。

 その瞳が、カミーユの姿をとらえると、やや驚いた面持ちになってから、深々と頭を下げた。


「ご領主様でいらっしゃいますね。はじめまして、この小さな商店の主をしております、ダンドロと申します」

「なぜ私が領主家の者とわかったんだ?」

「トゥーサン様がお連れになった方ですし、なによりも、僭越ながら、お母上様に似ていらっしゃるところがあるような気がいたしましたもので」

「母上に会ったことがあるのか?」

「いささか昔のことですが、御館に参じたことがあります」


 かつてダンドロは、伯爵夫人であるベアトリスの求めに応じて、デュノア邸に宝石を届けに行ったことがあった。

 ダンドロの店は、デュノア家が贔屓にしている宝石商のひとつで、伯爵夫人の私物以外にも、位の高い侍女の装飾品や、親戚への贈りものなど、要望に応じて様々な宝石を選りすぐり、デュノア邸に届けていた。その際に、トゥーサンはダンドロと馴染みになったのである。


「高貴なお二方がおそろいになって、本日はなにをお探しでしょうか」

「うん」


 カミーユは顔を斜めに上げて、トゥーサンを見ながら答える。


「エマに贈る首飾りを探しているんだ」

「エマ様?」


 記憶を辿るようにダンドロは首をかしげ、そしてなにかがひらめいたのか、ゆっくりと頭を下げた。


「すぐに思い至らずに申しわけございません。トゥーサン様のお母上で、若君さまの乳母様でいらっしゃいますね」

「そう、エマのために、なにか元気のでる宝石はないかな」

「元気の……」


 何色の石だとか、どのような形がよいとか、そういったことではなくて、「元気が出る宝石」と言われるとダンドロもいささか戸惑う。

 しかしカミーユがこのように言ったのには、わけがあった。


 このところずっと体調を崩してふさぎこんでいるエマを元気づけようと、カミーユはトゥーサンに相談し、二人で彼女に首飾りを贈ることにしたのだ。

 なぜ首飾りかというと、指輪では寸法がわからないし、五十近いエマはほとんど髪飾りなどつけないし、最も選びやすく、かつ彼女が身につけやすそうなものが、それだったからだ。


 店主は悩んだ末に、奥の部屋からいくつかの首飾りを出してくる。

 初めに見せたのは蜂蜜を固めたような色の宝石だった。


「これは黄水晶といいまして、身につけていると活力が出てくると言い伝えられております」

「ちょっと地味かな。もっと明るい色のほうが、元気が出るんじゃないのかな」


 目利きのダンドロが選んだ宝石を、カミーユは一蹴する。


 そもそも、「元気が出る」という言葉の定義が曖昧なのである。

 ダンドロは、言い伝えや迷信、魔力としての意味合いで「元気が出る」石を探したが、カミーユの口ぶりだと、見ていて元気になるような石という意味になる。

 気分を害した様子もなく、ダンドロは次の首飾りを黒大理石の平たい台のうえに置いた。


「明るい色ということであれば、これはいかがでしょう」


 それは濃い赤の宝石である。


「紅玉といいまして、心臓や太陽の象徴とされています」

「ちょっと血の色みたいで、エマには刺激的すぎるかもしれないなあ。トゥーサンはどう思う?」


 宝石など選んだことのないカミーユである。それに、エマの好みなどまったくわからない。決めかねてトゥーサンに助言を求めると、


「そうですねえ」


 と彼も困ったような顔をした。

 トゥーサンとて、母親に首飾りを贈るのは初めてのことだ。


「そうだ、エマは青っぽいほうが好きなんじゃないかな。いつも水色の花を活けているし」

「ああ、それはそうかもしれませんね」


 二人の意見が一致したので、ダンドロは再び店の奥から青い宝石の首飾りを選んでくる。


「これは、非常に高価なものですが……」


 店主がうやうやしく首飾りを大理石の台のうえに置いた。

 それは濃い群青色の石だった。


「これは――――」


 カミーユの双眸がみるみるうちに見開き、次いでトゥーサンの顔にも驚愕の色が広がる。

 信じられないものを目前にしたように、少年は震える手を首飾りに伸ばした。間近で見れば、それがやや赤みがかっていることがわかる。


「ダンドロ!」


 カミーユは叫んだ。


「は、はい」

「これを、どこで手に入れたんだ!」

「は、これですか?」

「これは姉さんのものだ!」


 左手で首飾りを持ったまま、殴りかかりそうな勢いで、カミーユはダンドロの襟首を掴みあげる。


「いったいどうやって、姉さんからこれを奪ったんだ!」

「お、お待ちください。それは、質屋から流れてきた品です。私はそこから高値で買い取ったのです」

「質屋だって? どこの質屋だ!」

「街外れの、川に近い通りにある質屋ですが、一年前に店主が急死して閉じました」

「…………」


 ダンドロの言っていることをすぐに信用できないカミーユは、掴んでいる相手の襟元を離さない。威嚇するように睨んでいると、トゥーサンが落ちついた口調で言った。


「カミーユ様、ダンドロの申していることは真実でしょう。私も、街外れの質屋が一年ほど前に看板を降ろしたことを存じております」


 信頼している若者になだめられて、ようやく少年は手を離した。


 幼いわりには血の気の多い領主様だと思いつつも、ダンドロは不快感を覚えたりはしなかった。

 デュノア家の幼い姉弟の仲の良さは、領内でも有名だった。姉であるシャンティが亡くなったときのこの少年の哀しみは、どれほどのものだっただろう。


 そのシャンティが身に着けていたという首飾りを見つけたのであれば、感情が昂るのはいたしかたのないことだ。

 さらにダンドロは、質屋の主人の口から聞いた話を思い出し、己のなかに暗雲が重くたれこめていくのを感じた。


「これは、たしかにシャンティ様のものなのでしょうか」

「うん」


 カミーユの沈痛な表情のなかに、じんわりと困惑の色が広がっていく。


「その質屋は、どうやってこれを手に入れたんだろう」


 手のなかにある首飾りは、まぎれもなくシャンティのものだった。彼女は、いつでも肌身離さずこれを見に着けていたのだ。

 あれだけシャンティと近くにいた自分が、見間違えるわけがない。

 どんな経緯で彼女は、この首飾りを手放すことになったのか……。


「これを購入したとき、質屋の主はなにか言っていなかったか」

「……お耳に入れて愉快な話ではないかもしれません」

「なんでもいい、教えてくれ」


 少年の瞳は必死だった。

 渋い顔でわずかに迷いを見せてから、ダンドロは口を開いた。


「シャンティ様ご本人であったかどうかは存じ上げません。ただ、ちょうどあの方が亡くなられたころ、ひどく汚れたドレスをまとった少女が、これを売りに来たそうです。高価なものだとひとめでわかったものの、年端もいかぬ娘御だったので、たやすく騙し、安価で手に入れることができたと喜んでいました。金貨一枚と銀貨数枚と言っていたかと思います……私はその十倍以上の値で売りつけられましたが」


 首飾りを両手で握りしめ、カミーユはうつむいた。

 トゥーサンは、彼が泣くのではないかと思った。


 だが、少年は泣かなかった。


 この首飾りを売りに来たときのシャンティは、十三歳。今の自分と同じ歳だ。

 そのとき、きっと彼女は泣かなかった。

 そんな気がする。はっきりした理由はないが、シャンティは――儚そうに見えて、それでいて芯の強いあの姉は、泣かなかったような気がするのだ。

 シャンティが涙を流さなかっただろうに、男の自分が泣くわけにはいかない。


 祖母の形見であるこの首飾りを売ったときの哀しみは、どれほどのものだっただろう。


 ――瑠璃よ、瑠璃っていうの。


 声が聞こえてきたような気がした。

 遠い昔の断片的な記憶のなかに、これをもらったときのシャンティの姿がある。エマにかけてもらって、嬉しそうにほほえんでいた少女。


 ――姉ちゃん、それなあに。

 ――瑠璃よ、瑠璃っていうの。とても高価な宝石なのよ。


 それをほしいとねだった自分。

 だめだと言われて泣きだすと、シャンティは大切な首飾りを自分にかけてくれた。……それから、どうしたのか。

 外に出た覚えがないのに、それが庭の生垣のなかから出てきたことを不思議に思ったことが、なんとなく記憶に残っている。


 ……ひとつ、わかったことがある。

 シャンティは、生き抜くために、これを売ったのだ。

 父の言いつけどおりこの領地を出て、どこかへ向かうための資金を得るために、断腸の思いでこれを売ったに違いない。

 そんなシャンティが手に入れたのは、わずか金貨一枚と銀貨数枚――。

 たったそれだけのお金で、いったい何日間生活ができるのだろう。


 それでもシャンティは、おそらく歩んだに違いない。

 自分に課せられた過酷な運命を。


「姉さん……!」


 ――生き抜いていてほしい。

 瑠璃の首飾りは、たしかにシャンティが生きようとした証だった。





+++





 兵士の意識が戻ったのは、橙色の夕陽が西の空を赤く溶かしながら沈むころだった。


 そして、寝台に横たわったままの彼が口にしたことは、リオネルを落胆させた。なぜなら、彼は山賊の拠点をつきとめることができなかったからだ。

 ユーグという名の兵士が語った出来事は、次のようなものだった。


 五人の山賊らがアベルを抱えてスーラ山に入ってすぐに、兵士らは追跡を開始した。ラロシュ家に仕える兵士であるユーグは、侯爵の言いつけにより、自分たちにだけわかる目印をこっそりつけていった。

 しかし、しばらくすると思いもかけないことが起こる。突然、山賊らが五人ばらばらになったのだ。しかたがないので、兵士らも五方に別れて山賊を追跡することにした。


 深い森のなかを追い続けたが、なにか様子がおかしい。歩いたわりにはさほど標高が上がっていないのだ。しかも、己がつけた目印のところに再び戻っているではないか。

 賊を追って険しい山道をぐるぐると巡回し、気がつけばどんどん彼らとの距離は離され、いずれ見失ってしまった。

 熊に遭遇したのはそれからまもなくのことだった。傷は、そのときに負ったものだ。

 冬眠から目覚めたばかりの熊は動きが鈍い。常の状態の熊に遭遇していれば、今頃、命はなかっただろう。傷を負いつつも逃げのびることができたのは、この時期に山に立ち入ったからこその幸運としかいいようがなかった。


 けれど熊から完全に逃れたときには、兵士らは互いにはぐれ、つけていた目印からも遠ざかり、自分はひとり森のなかを彷徨いながら命からがら山を下りた。


 アベルを連れ去った山賊の後を追ったのは、エルヴィユ家の兵士だ。他の山賊らを追跡していた兵士がどうなったのか、自分にはまったくわからない。

 ――兵士はそう語った。


「山賊のなかにも知恵者がいるようですね」


 ともに話を聞いていたセドリックがつぶやいた。

 兵士らによる追跡にすぐに気づき、五方に別れて兵力を分散させた末に彼らを撒くなど、ただの阿呆には考えつかぬことである。


「見事にしてやられたというわけですか。計画は失敗ですかね」


 自らも加担した計画であるにも関わらず、グヴィド伯爵の口ぶりはまるで他人事のようだった。


「いいえ、きっとアベルは無事に戻って、山賊の居場所を教えてくれるでしょう」


 リオネルを気遣うようにシャルルが言うが、それにはっきり同意する者はいない。


「そもそもリオネル様に無断で従騎士殿を囮にするなど、なぜそのような卑劣なことをなさったのか。貴殿らはそのことを深く反省し、己の行いに恥じ入るべきです」


 厳しい眼差しでシャレット男爵が諸侯らを睨みまわすと、彼らの胸中は様々であっただろうが、反論する者はおらず、皆きまりの悪い表情で視線を逸らした。

 今回のことが良策であると信じてウスターシュに従った者も、リオネルに無断で遂行したことについては、後ろめたさを感じざるをえない。


 左頬に真っ青な痣のあるウスターシュ、そして、感情を押し殺したままのリオネルの両名は、その間、なにも発言しなかった。


 ウスターシュは、昨夜のことがあってから、リオネルに対する恐怖心がぬぐえなくなっていた。

 普段は温厚なリオネルのことである。さほど気にする必要はないかもしれぬとは思いつつも、リオネルの逆鱗に触れたときの刺すような気迫と、威圧感、そして、攻撃のすさまじさについては身にしみて知らされることとなったのだ。

 左頬は、まだズキズキと痛んでしかたがない。昨夜は痛みで寝つけなかったほどだ。

 ここは己の身の安全のためにも、口を開かぬことが得策と判断する。


 一方、リオネルは感情を押し殺すのに必死だった。

 ウスターシュだけではない。積極的に参画したセドリックや、シャルルに対してさえ、憎しみを覚える。

 グヴィド伯爵が計画が失敗だったなどと口にした瞬間には、なぐりつけてやりたい思いだった。それに巻きこまれたアベルや兵士らのことを思えば、なぜそのような言葉を軽々しく口にできるのか理解に苦しむ。


 しかし、ここで彼らに怒りをぶつけたところで、事態は改善しない。むしろ領主間の関係がこじれるだけで、なんの益も生みださない。

 そのことがわかっていたので、リオネルは言葉も感情も、すべてを表に出さずにいた。


 シャルルやセドリックらは無断で囮の計画を進めたことを謝罪し、リオネルも形式上は謝罪を受け入れたが、それ以上の会話は避けて、ベルトランやディルクとともに負傷した兵士の寝室を出る。



 現在、被害が多発する地域の村に、ベルリオーズ家とアベラール家の兵士を配置し、警護にあたるとともに、山賊と接触する機会をうかがっているところである。

 しかし今のところ、彼らは動きを見せてきていない。

 こちらから働きかける方法がないため、彼らが動かなければ、このまま出口のない状況が続くだろう。



 回廊の窓から差し込む光は、だんだんと弱くなっている。

 もうすぐ、アベルがさらわれて二度目の夜が訪れようとしていた。


 部屋を出たリオネルは、窓の外へ視線を向けた。

 アベルがさらわれた日から、快晴が続いている。

 ラ・セルネ山脈の山頂に積もる万年雪は、落日の陽光と暮れゆく濃い青を反射して、えもいわれぬ輝きを放ちながら、冷たい水滴と化していく。雪のかぶらない部分は、刻々と黒いインクが染みわたるように、ただ闇に沈んでいった。


 あのどこかに、アベルがいるのだ。

 こんなに近いところにいるはずなのに、助けに行くことができない。愛しい少女のことを想えば、心はどうにかなってしまいそうだった。


 ――無事で、いてくれ。


 窓枠に切り取られた朱色のスーラ山を、リオネルは、刺すような胸の痛みとともに見上げた。







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