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「ようやくベルリオーズは動いたようですね」


 その声は、光の届かない部屋の隅の闇へ溶けていくような、低い声だった。


 深夜。

 王宮の一室である。


 暖炉の火と、天井から吊るされた燭台の光によって、壁面や家具にほどこされた金の装飾が煌びやかに照らされていた。

 精巧な寄木細工が埋め込まれた小卓を、三人の男が囲っている。


「ようやくといえばようやくだが、私には案外に早かったようにも思える」


 大神官ガイヤールのつぶやきに対して、己の所見を述べたのはブレーズ公爵だった。


「王弟殿下はもっと抗ってくるものと見込んでいたが、あっさりとリオネル殿をラロシュへ遣わされたご様子」

「狙いが外れましたか、ブレーズ公爵」

「そう――ベルリオーズ家を処罰する口実を失った」


 この男が、穏やかな風貌の裏で企んでいることの陰湿さに、白い祭服をまとったガイヤールは口端を吊りあげる。


「そんなことはどうでもいい。リオネルが討伐に赴けば、あいつを殺す機会などいくらでもあるわ」


 あいかわらず政治的な手法よりも、手っ取り早く標的の息の根を止めることに執心しているのは、レオンの兄ジェルヴェーズである。


「殿下は、いろいろご計画されているものとお見受けいたしましたが」


 表情を崩さずに、公爵は言った。おそらくジェルヴェーズは、この場にはいないルスティーユ公爵と共に、あれこれとリオネルを殺害する算段をしているのだろう。

 ジェルヴェーズは葡萄酒が入った杯に唇に押し当てながら、ここにはいない敵を睨むように宙を見据える。


「ああ、殺す方法はいくつか用意してある。だが、ベルリオーズ家を利用して山賊討伐を果たすという父上の意向もあるゆえ、ある程度かたをつけてもらってから、死んでもらわなければならない」

「それは得策ですね」


 ブレーズ公爵は顎髭に手をあてて、ジェルヴェーズの言葉に賛同した。

 どのみちいつかは果たさねばならぬ山賊討伐である。ならば、ベルリオーズ家とリオネルを最大限に利用してそれを成しえてから、彼らを処分すればよいのである。


「ついでに、シュザン・トゥールヴィル殿が動いてくれれば、まとめて処分できるのですが」


 ベルリオーズ家のために、シュザンが個人の判断でなにかしらの動きを見せれば、それは彼を失脚させる格好の機会となる。そう考えるのは、シュザンのことを忌み嫌うガイヤールであった。


「シュザンか。あれは目障りだが、なにせ父上のお気に入りだ。下手に手を出すと、おれが罰せられかねない」


 先日、見初めた娘を奪い返された一件を思いだし、ジェルヴェーズが歯ぎしりした。

 歯と歯が軋みあう耳障りな音が、静かな部屋に響く。


「いっそあの男を、うまく殺害することはできぬものでしょうか」


 声を低めてつぶやいたガイヤールに、ジェルヴェーズは鋭い視線を投げかけた。


「そのとおりだが、それを実行に移して父上に知られたときが、面倒なのだ」

「シュザン殿は、正騎士隊に所属する騎士からの信頼も厚いようですので、まかり間違えば、我々は、我が国の軍隊を敵にまわすことになりましょう」


 国王との兼ね合い以外にも問題があることを、ブレーズ公爵は冷静に指摘する。

 ジェルヴェーズは激しく舌打ちした。


「まあいい、シュザンを始末するのは、リオネルが死んだあとだ。父上の贔屓ひいきもそう長くは続かないだろう。リオネルが死ねば王弟派の勢力も潰え、そのときには、シュザンひとりを殺したところで文句が言える者もおるまい」

「……さようでございますね」

「王弟派といえば、最近、うるさい蠅が一匹いるようですが」


 ふと思い出したように言ったガイヤールを、ブレーズ公爵が見やる。


「カルノー伯爵か」

「さよう。カルノー伯爵は陛下に、リオネル殿の安全の確保のために正騎士隊を出動させるよう、直々に訴えたようです」

「たかが伯爵家の分際で、くだらぬことを」


 ジェルヴェーズは苛立たしげに、銀杯を握りしめる。


「今度そのような真似をしたら、おれが首を刎ねてやる。うるさい蠅を叩きつぶせるうえに、よい見せしめにもなる」

「殿下、そうはやりますな。カルノー家をつぶす方法はいくらでもございます。殿下が自らお手を汚されることはございませぬ」


 山賊討伐の命令が下ってからというもの、国王派と王弟派のあいだに緊迫した空気が流れている。今、軽はずみな行動をとることは、得策とは言えない。


 ジェルヴェーズは、ふんと鼻を鳴らして、つまらなそうに葡萄酒をあおった。


「目障りな王弟派のやつらを全員捕らえあげて、拷問にかけ首を刎ね、サン・オーヴァンの街なかに晒してやりたいわ」


 次期国王になる若者の物騒な物言いに、二人の男は眉ひとつ動かさない。

 この青年が将来この国の王に即位すれば、彼の口にしたことが、いずれ現実のものとなる日がおとずれるのかもしれなかった。


 窓の外は、月明りもない、漆黒の闇だった。






+++





 アベルが目覚めたとき、早春の太陽は、すでに中天に登っていた。


 朝にしては明るいという違和感を覚えて、深い眠りから意識を取りもどしたはいいが、束の間、自分がどこにいるのかわからない。

 それほど深い眠りにおちていたのだ。


 ベルリオーズ邸の豪奢な寝台でもなければ、宿営地の毛布の上でもない。簡素な寝具と丸椅子がひとつ置かれているだけの、飾り気のない部屋である。

 大きな窓からは、久しぶりに見る明るい日差しが、板張りの床に白い日溜まりを作っていた。


 眠気をふり払うように首を振ってみて、はっとする。


「い……いけないっ!」


 アベルは思わず叫んだ。

 自分がいるのはラロシュ邸であることに、ようやく思い至る。

 そして、同時に思いだしたのは、今朝から諸侯らの会議が開かれるということだった。


 しかし、「今朝」といっても、太陽の位置からすると、もうほとんど昼近くである。会議など、とっくにはじまっているどころか、そろそろ終わるころかもしれない。


 アベルは愕然としたが、落ちこんでいる時間はない。一刻も早く身支度を整えて会議場へ赴かねばならない。

 慌てて服を着替えて、昨夜のうちに運んでおいた盥の水で顔を洗う。


 彼女がこれほど寝坊したのは、朝が弱いということもあったが、単にそれだけではなかった。

 久しぶりに昨夜は食事を充分にとれたこと、何日かぶりに堅い地面ではなく、簡素だがちゃんとした寝台にひとりで眠れたこと、そして、あらゆる旅の疲れと、前日に多くの諸侯らに会った緊張が、アベルをいつになく深い眠りに誘ったのだ。


 さらに、いつもならこれだけ寝坊すれば、リオネルやベルトランが起こしてくれるのだが、この日はだれも起こしにこなかったので、このような時間まで惰眠をむさぼりつづけることとなった。

 彼らが起こしにこなかったのは、当然のことである。

 諸侯らの会議がはじめて催されるという、これほど重要なときに、アベルのことにまで手がまわるはずもなかった。


 大切な局面でこのような失態を犯してしまった自分を、アベルは深く恥じた。

 ジュストに傷つけられた身体が真の休息を欲していたことや、女性であるにもかかわらず幾日も騎乗して遠征することの過酷さなど、アベルのなかではまったく考慮されない。

 ただ己の不甲斐なさを痛感しただけだった。


 けれど、アベルを起こさずに会議に参加していたリオネルは、それらの事実に気づいており、心から憂慮していた。だからこそ、いざとなれば誰かに命じてアベルを起こさせることもできたのに、彼女をそのまま寝かせておいたのだ。

 極度に疲労した末の落馬であったことは、理解している。

 そんな少女を、リオネルは、少しでも長く休ませてあげたかった。


 しかし主人の配慮など気づきもしないアベルは、とるものもとりあえず会議場へ駆けつける。

 そして、そこで目にしたのは、午前の会議が終わり、諸侯や騎士らが室内から出てくる光景だった。


 アベルは呆然とその眺めをまえにして立ちつくす。ついに、内容をひと言も聞くことなく、会議は終わってしまったのだ。

 ……それも、寝坊によって。


 会議場の出入り口付近でたたずむ美しい少年を、騎士らは不思議そうに見やりつつも、通りすぎていく。

 彼らの視線はアベルの意識には登らず、愕然とするあまりに、へなへなとあとずさって、窓のある壁際に寄りかかった。


 なんという失態。

 なんという、だらしなさ。

 穴があれば入りたいとはこのことである。いや、むしろ穴がなければ、自分で掘りたいくらいだった。


 明るく豪奢な会議場内では、まだ一部の諸侯らが個別に話を続けている。そのなかにリオネルの姿もあり、今はラロシュ侯爵やシャルルと話をしているようだった。


 今更話を聞きにいくわけにもいかない。

 どうすべきか迷っていると、突然脇から声をかけられる。


「アベル……といったかな?」


 名を呼ばれて振り向くと、そこにいたのはブリアン子爵だった。

 なぜ彼が自分の名を知っているのかわからなかったが、とりあえず頭を下げて挨拶する。


「はい、アベルと申します。ブリアン子爵様」

「きみが、ファビアンの子供たちの憧れの人か」


 ブリアン子爵は間近で見るアベルの美しさに、子供たちが心を奪われるのも、無理からぬことかもしれないと思った。


「ファビアン……?」

「ああ、ラロシュ侯爵のことだ」


 うなずきつつ、名前で呼び合うほど二人は仲が良いのだと、アベルはこのとき初めて知る。


「マドレーヌ様も、セザール様も、けっしてわたしに憧れてなどいらっしゃいません。騎士のなかでは歳が下なので、遊び相手になると思われたのでしょう」


 アベルがそう言うのは、けっして謙遜などではない。なぜ子供らが自分の手をつないで離さないのかわからず、いろいろ考えた末に出した彼女なりの結論である。


 相手は含み笑いを浮かべつつ、


「きみはいくつだ?」


 と聞いてくる。


「十五です」

「十五というと、マドレーヌとは五歳違いか。出身の家はどこなんだ?」


 なにを求めて質問をしてくるのかわからなかったが、出身を聞かれたアベルは戸惑う。

 まさかこのような場所で、ブリアン子爵に身元を聞かれるとは思わなかったのだ。しかも、最も聞かれたくないことである。


 答えたくないが、なにか言わなければならない。


「……わたしは、貴族ではありません」


 すると、子爵は驚いたように顎に手をあてる。


「貴族ではない――というと、平民か」

「はい」


 ローブルグの騎士の家系であるということにはなっているが、いちいちそのような偽りの説明をするのは気が進まない。アベルはあえて必要最低限のことのみを述べる。


「ふむ……」


 親友の娘が惚れた相手が貴族ではないと知ると、子爵はやや考えこむようにアベルを見つめた。人となりも容姿も申し分ないが、平民の出身となると、侯爵家の娘を嫁がせるには少なからず困難がある。


 寝坊して会議に立ちあうことができなかったというのに、そのことには一切触れずになにやら考えんでいる子爵を、アベルは怪訝に思う。


 そこへ現れたのは、ベロム伯爵の長男ウスターシュである。よく動く黒眼は、彼の攻撃的な性格を現しているようだった。

 昨夜の夕餉の際に、ウスターシュはリオネルと挨拶を交わしていたが、その眼差しはけっして好意的とは受けとれなかった。


「ブリアン子爵殿、お話があるのですが」


 ウスターシュはそう言ってから、子爵が話をしていた少年へ視線をやる。

 ひとりひとりの騎士の顔など覚えてはいなかったが、この少年については、かつて見たこともないほどの美しさだったので、ウスターシュの記憶にあった。


「おまえはベルリオーズ家の騎士か」

「はい、ベルリオーズ家に仕え、従騎士をしているアベルと申します。ウスターシュ様」


 ウスターシュの質問を肯定しつつ、一礼したアベルに、ウスターシュは忌々しげな眼差しを向けた。


「おまえの主人とおれは気が合いそうにない」


 ここぞとばかりに、ウスターシュは言い放った。


「どうしたら、あのように頑固に己の意見を曲げずに通そうとする人間になるのだ? 聞けばまだ十八歳という。さしたる知識も経験もないくせに、傲慢としかいいようがない。青二才は黙って我々の意見に従っておけばいいというのに」


 会議の場でなにか意見の対立があったらしい彼は、本人には言えない文句を、従騎士であるアベルにぶつけた。


 一瞬面食らったアベルだったが、それも束の間のことだった。


「お言葉ですが、主人が己の意見を貫くのは、信念があるからです。信念のないところに、良い結果は生まれません」


 主人を誹謗ひぼうされて黙って聞いていられるアベルではなかった。


「なんだと?」


 みるみるうちに、ウスターシュの顔に怒気がみなぎる。まさか、この美しく、大人しそうな少年騎士が、伯爵家の跡取りである自分に反論してくるとは思わなかったのである。

 アベルがただ黙って文句を聞き、深々と一礼すれば、それで満足するはずだった。だからこそ、リオネル本人には言えない文句をぶちまけたというのに。


「従騎士の分際で、おれに口答えするのか? そんなことができる身分だと思っているのか? 自分の立場をわきまえていないなら、わからせてやろうか」

「わたしは思ったことを正直に申しあげたまでです。従騎士だとか、それ以外だとか、相手の身分をあげつらい、脅すような態度のあなたに、リオネル様の意見の善し悪しなど判断できるはずがありません。己の考えだけを通そうとしているのは、あなたのほうではありませんか」


 アベルの言うことはすべて正論だった。

 けれど、それは、だれもが面と向かってウスターシュに言うことができなかったことである。ここ数日間、彼をなだめつづけていたラロシュ侯爵でさえも、口にはしなかった。

 それを一従騎士の少年が、こうもはっきり、本人に対して言ってのけたのである。


 ブリアン子爵は呆気にとられつつも、少年の潔さと、ある意味無謀というべき勇気、そして主人に対する揺るぎない敬愛を感じずにはおれない。

 そして彼は、はたと気がつく。

 まずい。

 ウスターシュが、このように言われて大人しくしているわけがない。


「たかが子供のくせに生意気なことを――!」


 握った拳が宙に浮かぶ。

 しかし、アベルがひるむことはなかった。


「わたしは子供です。ですが、言葉に対して暴力で返そうとするあなたは、もっと子供です」


 その言葉によって、もはや拳は迷いなく振り下ろされた。

 止めようとしたブリアン子爵の腕は乱暴にふり払われ、拳はアベルへ向かい、叩きこまれて鈍い音が鳴る。


 けれど、アベルは痛みを感じなかった。


 大きく見開かれた水色の瞳に映ったのは、顔を背けた長身の若者の背中と、濡れたように艶やかな濃い茶色の髪だった。







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