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 広くはないが、天井やはり、壁など、いたるところに壮麗な装飾がほどこされた室内に、四人の男たちがいた。


 彼らは鮮やかな刺繍の施された肘掛椅子に座り、葡萄酒を片手に円卓を囲んでいる。

 背後には、侍従や使用人がひかえており、それなりの身分の貴族らであるようだ。


 波打つ、赤みがかった銅色の髪をもつ三十六歳の男は、そのなかでは最も高位の貴族で、ラロシュ侯爵である。

 父親である前侯爵が五年前に亡くなったため、比較的若くして侯爵位を継いでいた。


 ラロシュ家に次ぐ位を賜っているのはベロム伯爵家だが、今回ラロシュ領に兵を率いてきたのは、伯爵自身ではなく、二十五歳になる長男ウスターシュだった。

 背は小さいが、その黒っぽい瞳は眼光鋭く、気の強さをはっきりとあらわしている。


 その次に高位であるのは、ラロシュ領の南に隣接するブリアン領の領主、ブリアン子爵である。

 ブリアン子爵は、ラロシュ侯爵と同じ三十六歳で、顎鬚のある細身の男だ。

 彼が爵位をすでに継いでいるのは、父親である前ブリアン子爵が、幼いころからの親友であった前ラロシュ侯爵の死に衝撃をうけ、息子に爵位を譲り、自らは引退したからである。

 ともに三十六歳のラロシュ侯爵とブリアン子爵は、二人の父親と同様に旧知の仲であり、親しかった。


 そして、四人目が、ラロシュ領とベロム領のあいだに位置する領地を治める、クヴルール男爵である。 この四人のなかでは最年長の四十四歳で、細身というよりは、痩せ細っているという表現のほうがあてはまるような、生気のない男である。

 彼がもともとこういう風貌の男であったのか、もしくは、山賊に館を襲われ、先祖代々の宝と、愛娘をさらわれたために老けこんだのかは、初めて会ったものには判断がつかなかった。


 そして、ラロシュ侯爵家とブリアン子爵家は王弟派、ベロム伯爵家とクヴルール男爵家は国王派だった。

 敵対する政派の貴族が、こうやってひとつの卓を囲んでいるのは、他でもなく、共通の敵である山賊に対抗するためである。



 今現在、ラロシュにはこの四人と、この場にはいないが、エルヴィユ家の長男シャルル、バヤール伯爵、そしてグノー子爵もすでに到着している。

 あと二、三日すれば、最有力貴族であるベルリオーズ公爵家とアベラール侯爵家をはじめ、フォール公爵家、グヴィド子爵家、オードラン子爵家、シャレット男爵家など、多くの諸侯らがそろうだろう。


 シャルルらがこの部屋にいないのは、彼らは先刻到着したばかりで、それぞれ率いてきた兵士に指示を出し、身の回りのことをしなければならないからである。


 幾日か前に到着しており、討伐隊の中心となるベルリオーズ家が到着するまでは手持無沙汰な諸侯らが、この客間に集まっていた。


 ラロシュ邸に集まる諸侯らの数は多いが、彼らが率いてきている兵士の数はさほど多くはない。なぜなら、ベルリオーズ家も騎士のみを率いてきているように、彼らの兵力は主に騎士たちからなっているからである。

 騎士だけであれば、諸侯らに仕える者の数には限りがある。また、だからこそ、山賊討伐という場面においても、これほど多くの諸侯らが集まる必要があった。




 小さな卓の上には、葡萄酒の杯が四つと、砂糖菓子の入った銀の小皿がある。


 先程から葡萄酒は女中らによって頻繁に注ぎ足されているが、砂糖を固めた菓子のほうは、まったく減っていない。


「ベルリオーズ家が到着するまでなにもできないとは、なんともはがゆい。いっそ今から、賊の根城をたたきつぶしに向かい、ひとり残らず血祭りにあげてやりましょう」


 血の気が多いのは、ベロム伯爵の長男ウスターシュである。彼はいっきに銀杯をあおった。

 その彼を、先程からなだめすかしているのは、ラロシュ侯爵だった。


「ウスターシュ殿、お気持ちはわかりますが、すぐに行動に移せることでもありますまい。山賊の拠点もわからないのに、攻め入ることなどできないのですから」

「それは、ベルリオーズ家の嫡男殿が到着しても同じこと。それによって、なにが解決するわけでもありませぬ」


 手荒に卓に置かれた杯に、よく教育されたラロシュ家の女中が、黙って葡萄酒をそそぎいれる。


「ですから、リオネル様ご到着後に、皆で話し合いをしていくのです」

「なぜ、私が二十歳にもならぬ子供を中心に、物事を進めねばならないのですか」

「ウスターシュ殿」


 うっかり本音がでてしまったウスターシュは、ラロシュ侯爵に諭されて不服そうに、そっぽを向いた。


「今回の討伐は、国の正規軍が動かない以上、我々の中核となりうる者と、強い兵力が必要です。それを持ちあわせているのは、国王陛下から命を受けたベルリオーズ家以外にはありません」

「私は、現国王陛下とジェルヴェーズ殿下を、真の王家と認める者です。ベルリオーズ家の下で動くなど、屈辱の極み」

「政派などにかかずらっていては、賊に対抗することなどできませんよ」

「貴方とてしょせんは王弟派。王弟殿下の血筋こそ、王座にあるべきと考えておられるのでしょう。どうして私が貴方の言うことを受け入れられますか」


 政派が違う者の話は聞かぬと言われては、なだめようもない。

 ラロシュ侯爵が、困ったようにこめかみを押さえると、彼の友であるブリアン子爵が呆れたような顔でウスターシュを、それからクヴルール男爵を見やる。


「男爵、国王派の貴方の話ならウスターシュ殿は聞くかもしれませんよ。なにか、この血気盛んな若者に言ってさしあげてください」


 血気盛んと評されたウスターシュは、不快感をあわらにしてブリアン子爵を睨むが、子爵は気にもとめなかった。


「クヴルール殿」


 なにも言えないでいたクヴルール男爵は、ブリアン子爵に催促されて、ようやく重い口を開く。

 しかし……。


「私は国王派と言っても、たかが男爵家です。とても伯爵様のご長男殿に、お話しするようなことなど……」


 重い口から出たのは、なんの役にも立たない言葉だけだった。


「男爵家だから、なんだというのです。貴方はこのなかで最年長でいらっしゃいますし、奪われた財産や、ご令嬢を取りもどすためにも、我々領主の結束のためになにかできることがあるでしょう」

「奪われた財産……娘……ああ、ロジーヌ。私の愛しい娘……」


 男爵の落ちくぼんだ双眸から、泣き暮れてとうに枯れたはずの涙がにじみでる。


 それを見たブリアン子爵は、諦めたように、肘掛についた右手にがっかりとひたいをうずめた。同情しないわけではないが、これでは、なんのために討伐に参加しているのかわからない。


「貴方のご息女は、無事でいるかもしれませんよ。悲嘆に暮れるよりも、これからどうやってロジーヌ殿を救い、賊の被害をなくしていくかということを考えましょう」


 口をつぐんでしまったブリアン子爵のかわりに、ラロシュ侯爵が男爵を励ます。

 しかし、彼の思いやりのある言葉も、打ちひしがれた父親の心を癒すことはできなかったようだった。


「私のような、身分の低い者のためにご深慮くださり、感謝いたします……ですが、気休めはけっこうです……」


 男爵は、ハンカチで目元をぬぐいながら謝辞を述べる。丁寧な言葉遣いでありながら、その内容はどこか無礼だった。


 再び困った顔をしたラロシュ侯爵は、友人の顔を見やるが、彼もまた片眉と口の片端をつりあげて苦笑しただけだった。


 山賊を討伐するという大業を成し遂げなければならないというのに、国内の対立と同様、このラロシュでもまた、国王派と王弟派の対立がこれほど顕著なのである。

 そのうえ、被害にあっている諸侯らは、かたや復讐心に燃えあがっているかと思えば、かたや絶望にうちひしがれてどうにもならない。


 ラロシュ侯爵は、自分とブリアン子爵だけの力ではどうにもならないことを悟り、ベルリオーズ家とアベラール家の、若く聡明な二人とシャルム王国第二王子の到着が、この状況を好転させることを期待するしかなかった。


 だがそれも、ウスターシュのような者がいることを考えれば、逆に対立の火種になることは充分に考えられる。

 熱烈にリオネルを支持する者、そして、激しくリオネルを忌む者。その二手に分かれうるのだ。


 侯爵は、幾度かベルリオーズ家に赴いたことがあり、その折に、嫡男であるリオネルにも会ったことがある。

 じっくり話をしたわけではないが、彼が研ぎ澄まされた精神の持ち主であることはひと目でわかったし、それと同時に穏やかで優しげな青年であるという印象を受けた。


 自分らが頼みこんだすえに、ようやくベルリオーズ公爵は王命を聞き入れ、大切な一人息子である彼を山賊討伐に向かわせたのだ。

 今回のことで、リオネルを苦境に立たせたり、危険な状況に追い込んだりするわけにはいかない。


 ラロシュ侯爵は、漠然とした不安を抱きつつ、ゆっくり葡萄酒の杯を干した。





+++





 一方、ラロシュ領のはるか南西――リオネル率いるベルリオーズ家の騎士らが去ったあとの、シャサーヌの街。


 騎士らが出立した日、仕事をしていた者や、街道から離れた場所に住む者は見にいくことができなかったが、街の周辺に住む人々は、遠征する彼らの姿を見送るために、早朝に街道につめかけた。

 そして、遠征を目にした彼らが興奮気味に伝える話によって、街中はかつてないほどの熱気に包まれた。


 市場や店先、食堂や居酒屋、どこへ行っても連日その話題ばかりである。

 ベルリオーズ家の跡取りが美男であるとか、アベラール家の跡取りやシャルムの第二王子も彼に負けぬ色男であるとか、騎士らが堂々たる姿であったとか、騎士の列がまったく乱れていなかったとか、何番目かにいた騎士が自分の遠縁であるとか、乗っていた馬が名馬だの毛色がどうだのと浮ついた内容から、山賊らは凶暴で残忍だとか、山賊討伐は成し得るのだろうかとか、これはベルリオーズ家を陥れようとしている罠だとか、国王がクレティアンの血筋を根絶やしにしようといるとかいう物騒な内容まで、ありとあらゆる話が飛び交った。


 そして、皆、こういう話題に関しては、飽きずに同じことをあちこちで繰り返すのである。

 その夜も、シャサーヌの一角にある居酒屋で、多くの者が酒の肴に、今最も関心を集めている山賊討伐と、それに向かった騎士らのことについて話していた。


 その店の壁につり下がる木製の看板には、鍋に入った雌鶏が描かれている。

 この居酒屋の名前が、「土鍋の鶏カセロール・ドゥ・プレ」だからだ。

 とくに鶏肉が自慢というわけでも、鍋の料理にこだわりがあるわけでもないのに、なぜその名がついているのか――それは店主に聞かなければわからないことである。


 店内は狭く、天井も低い。

 ほとんどは立ち飲み席だが、小卓が三つほどあり、その周りにはいくつか背もたれのない丸椅子が置かれている。


 立ち飲みをしている客のなかで、ずば抜けて大柄な男が、店内の喧騒に負けじと声を張りあげた。


「おれは、背が高いから、人ごみのなかでも見ることができたんだ」


 たしかに、彼の頭はあと少しで、低い天井に届きそうである。入口の扉をくぐる際にはさぞ苦労したことだろう。

 すると、彼の周りにいた客が悔しげな顔になる。


「おう、おれは仕事していたから見にいけなかったんだ」

「おれは見にいったが、街道にはあまりに大勢の人がいて、一部の騎士しか見られなかった」


 その様子に満足そうにうなずいてから、大柄な男は自慢げに話しだす。


「我らがリオネル様や、他の方々も麗しかったが、なかでもひとり小柄な騎士がいて、それが見たこともないような別嬪さんなんだよ」

「そんなに別嬪さんなのかい?」

「おうとも、おれのような無骨な男には、どう例えていいかさっぱりわからんが、それはとにかく別嬪なんだよ」

「それじゃあ、せっかく見たのに、どんな風貌なのかちっとも伝わってこないぞ」

「そ、そう言われても困る。なんというか、そうだな、よし。おまえら全員、目を閉じてみろ」

「は?」

「いいから閉じろ」


 話を聞いていた周りの男たちが目を閉じる。


「そうだ。それで、想像してみてくれ。この世で最も美しい顔を」


 しばらく彼らのあいだに静寂が流れ、いつまで想像させられるのかと思ったひとりが、


「想像したぞ」


 と続きを促す。


「おう、そうか。では、その騎士の美しさは、おそらくおまえらが想像した以上のものだ」


 背の高い男は、この説明に彼なりに自信があったらしく、胸を張った。だが、目をつむっていた者たちが両目をいっせいに開き、一様に不満を露わにした。


「それだけか?」

「ちっともわからないぜ!」

「なんだ、その説明は」

「目をつむって損したぜ」

「こんなことのために想像したのか」


 幾多の非難を浴びた男に、少しもこたえた様子はなく、逆に豪快に笑いだす。


「ははは! まあ、見ることができなかったのが、おまえらの不運だ。おれからの説明なんて諦めろ! はははは!」


 男たちは呆れた顔で、大柄な男を眺めていた。

 すると、そのときどこからか涼やかな声が聞こえてくる。


「その騎士なら見たことがある」


 皆がいっせいに声がしたほうを向くと、円卓を囲う腰掛のひとつに、若者が座ってこちらを見ていた。

 金髪に、蒼い瞳、腰には長剣を下げた騎士風の美男である。


「貴方が見た人が、僕が見た人と同じ人なら、説明できると思うけど?」

「おう、してみてくれよ」


 若者は、記憶を辿るように目を細め、詩を歌いあげるように言葉をつむいだ。


「髪は、月明かりを集めて編み上げたような金色。長い睫毛に縁取られた瞳は、晩秋の青空から降りそそいだ雫のような淡い水色で、肌は、象牙のようになめらかで白い。まるで『蒼の森』にいる伝説の妖精か、勝利の女神アドリアナのような、美しく気高い姿……」


 そこにいた男たちは、若者の説明に聴き惚れていた。


「そうだ! そのとおりだ! おれが言いたかったのは、そういうことだ」

「それほど美しい人間がいるのか?」

「いや、人間離れしすぎていて、余計に想像できなくなってしまったよ」

「象牙って、どんなものだ?」

「青空から、雨が降るなんてはじめて聞いたぞ」

「おまえらは馬鹿か、それはものの例えだ、比喩だ。だから教養のないやつは困る。いや、すばらしい話だった。騎士様、あんたは詩人なのかい?」


 若い騎士はかすかに口角をつりあげると、それ以上はなにも言わず、無言で彼らに背を向けた。

 男たちはその背中を見て、首をかしげる。


「あの騎士は、だれだ?」

「騎士ではなく、騎士風情の格好をした詩人だろう」

「いや、詩人になりそこねた騎士じゃないか」

「なんなんだそりゃ」

「この店で、たまに見るような気がするな」

「憲兵でもなさそうだし……」


 彼らの会話は全て聞こえていたが、若者は気にしなかった。

 そして、発泡酒を口にふくみながら、小声でつぶやく。


「あの美人さんは、ベルリオーズ家の騎士だったのか……だとすれば、あの紫色の目の青年は――」


 若者は、シャサーヌの街で会話を交わした二人の姿を思いだして、小さく笑った。







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