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 空気は凍るように冷たい。


 春が近づいていると表現するには、寒さは依然として厳しかった。

 特に、山の奥の深い森におとずれる春は遅い。


 木々の葉の隙間からもれる光は弱く、昼間であるにもかかわらず、森のなかは薄暗い。地上では白い破片を落とす頻度を減らした雲も、ラ・セルネ山脈の山嶺には未だ少なくない量の雪を降らせていた。


 山脈にある山々のうちのひとつ、カザドシュ山。


 その一角に、あたりの陰鬱とした雰囲気とは対照的に、煌びやかな様相を呈している場所があった。

 黄金の小箱、同じく黄金の女神像、真珠の首飾り、紅玉の指輪、色とりどりの希少な裸石、絹のドレス、金剛石ダイヤモンドのちりばめられた短剣……裕福な商家や、貴族の邸宅を襲い、略奪した品々が山賊の塒に散乱している。

 それらを、無造作に手にとっては下卑た笑い声をあげているのは、厚い毛皮を着込んだ山賊らであった。


「金持ちっていうのは、いいもんだな。こんなお宝にかこまれて、生活してるなんざ、優雅なもんだぜ」

「農民は冬を越すのに必死だっていうのに、一部のやつらはこんなものを持っているとはな」

「だからおれたちがやつらから財産を奪って、平等にしてやってるんだよ」

「山賊にも、正義があったとはな!」


 男たちは盛大に笑う。

 燃え盛る囲炉裏の炎に、彼らが奪った宝石たちが眩しい光を放っていた。それは、幻想的なほど美しく、彼らの胸の奥に、ある種の感動さえ与えるものだった。


「この紫水晶、見てみろよ。なんて輝きだ」

「こっちの飾りについている宝石も見事だぞ」

「ドレスのさわり心地も、最高だな。どんな女が着ていたか想像するだけで、身体が熱くなるぜ」

「意外と、よぼよぼの老婆だったりしてな」

「勘弁してくれ」


 再び、男たちのあいだに笑いの渦がまきおこる。

 そんな笑い声が漏れ聞こえてくる小屋が建ち並ぶ合間を、ひとりの若者が歩んでいた。




 若者は、よこなぐりの雪のなかを歩み、小屋のひとつに辿りつくと、拳を握って扉を叩く。すると、いつものように仲間のひとりが現れ、来訪者の顔を見ると奥の部屋まで案内した。


 飾り気のない厚い木の扉を開ければ、よく見知った友の姿と、その胸にしなだれかかる女の姿がある。

 若者の視線と、部屋の主である男の視線がからみあった。


「ブラーガ、すまない。間が悪かったか」

「かまわない。なんの用だ、エラルド」


 エラルドは、女の顔を一瞥する。

 山賊の女ではない。

 焼けていない肌や、働いたことがないであろうなめらかな手指、そして、ブラーガに預けた身体にはまったく力強さが感じられない。

 豊満な体つきだったが、そこそこ美しいといってよい顔立ちである。


「その女は?」


 他意はなくエラルドは聞いた。


「どこぞの貴族の女だ。一度抱いたら、おれのそばから離れなくなった」


 再びエラルドは女に視線を向ける。歳は二十を超えたあたりだろうか。熱っぽい眼をブラーガに向けている。


「それは……よかったな」


 特に喜んでいるようにも、しかし、迷惑がっているようにも見えぬ友に、エラルドは心のこもらない所見を述べた。


「ロジーヌ、席を外せ。こいつはなにか話したいことがあるようだ」


 女がこの場にいることに対して、落ちつかなさを感じているエラルドの様子に気づき、ブラーガは優しいとは言いがたい声音で告げる。

 だが、女は気にするそぶりもなく、淑女らしい優雅な仕草でゆっくり立ちあがると、ドレスの裾をつまみ部屋を去っていった。

 その後ろ姿と、閉まる扉とを、エラルドは黙って見つめていたが、ブラーガは女の姿に目もくれなかった。


 部屋には、女のつけていた香水のにおいが残っている。

 エラルドは、なんとなく嗅ぎなれない香りに落ちつかない気分で、ブラーガの正面の床の上に腰かけた。


「どうだ、貴族の女というのは」

「……貴族だろうと、山賊だろうと、農民だろうと、女は女だ。淑女だかなんだか知らないが、しとやかぶった表皮を着こんでいても、脱いでしまえば、他の女とたいした違いはない」


 ブラーガの言葉にエラルドは小さく笑う。ブラーガらしい返答だったからだ。


「それで? そんな話を聞きにきたわけではないのだろう?」

「ああ」


 エラルドは、ブラーガに差し出された木杯に、かたわらにあったかめの酒を自ら注ぎ入れる。きつい酒精分のにおいが、香水のにおいと混ざりあっていく。


「その貴族とやらが、からんでくる話なんだが」

「貴族がどうした」

「シャルムの貴族らが、我々を一掃しようと計画しているらしい」


 ブラーガはしばし視線を杯に落としたまま黙したが、「それで?」と、どこか他人事のようにもとれる声音で問う。


「どうも、兵力をラロシュに集めているようだ」


 ブラーガはゆっくりと酒をあおる。


 ラロシュは、スーラ山の麓にある領地である。スーラ山の斜め背後には、別の拠点であるラナール山がそびえている。

 両山に近いラロシュ周辺は、必然的に略奪が集中していた。


「ラ・セルネ山脈のふもとの諸侯らが、続々と兵を率いてそこに集まっているらしい」

「なるほど、被害が甚大な場所にまずは兵を置くというわけか」

「ベルリオーズの領主が中心となっているそうだ」

「そんなことは、どうでもいい」

「放っておいてもいいのか」


 エラルドが問うと、ブラーガは鼻で笑う。


「好きにさせておけばいいさ」

「……やつら、どうやって我々を狩るつもりだろう」

「我々の居場所が掴めないかぎり、やつらが我らを一掃することなどできはしない。それに、貴族の主力は騎兵だ。山に攻め入るのは本領ではない」

「しかし、どんな手を使ってでも、我らの居場所をつきとめて、攻めてくるかもしれないぞ」

「どんな手を使うというんだ」

「それは……わからないが」


 小屋の外で吹きすさぶ風が、木の戸板をカタカタと揺らし、窓枠の隙間から入り込んで悲鳴のような高い音を奏でている。その音を聞くだけで、寒気を感じて身震いしてしまいそうなものだが、この山で生まれ育った二人は、まったく気にならないようだった。


「わからないなら、先のことを考えてもしかたない」

「まあ、そうだが……つきとめられ、攻撃されたあとでは、遅いんじゃないか?」


 わずかな焦りを声にじませて、エラルドがたたみかけるように問う。

 ブラーガはうつむいたまま笑った。


「おまえは、いつからそんなに弱気になったんだ? それほど、貴族が怖いか? いつか我らの居場所が知られるかもしれないとか、やつらがどんな方法で我々を追いつめようとしているかなど、心配するのは無意味だ。貴族らが攻めてきたら、そのときには迎え撃ち、我々が勝つか、もしくは負けるか――ただ、それだけの話だ」


 またしても、ブラーガらしい返答であった。

 起こってもいないことを、あれこれ考えない。直面したことだけに対処して、突き進んでいく。深く考えれば考えるほど思考は足枷となり、人は余計に身動きできなくなっていくという一面を、彼はよく知っていた。

 しかし、山賊の首長になってから、彼のその気質にもわずかな変化があった。


「ここにいるやつらと、あとスーラ山、ラナール山にいるやつらにも伝えろ。これから仕事をするときには、貴族どもの存在に用心しろと。そのうえで、我々の居場所が知られるような失態を犯したやつ、もしくは、居場所について口を割ったやつは、裏切り者として容赦なく始末すると」

「……わかった」


 ブラーガが変わったこと、それはある程度、仲間全体のことまで考えるようになったことである。ただ単に直面した問題だけに対処するのであれば、己だけは救えても、全員を救うことはできない。

 だからこそ、ブラーガはこのような命令をくだしたのである。

 非常に単純な命令内容ではあるが、今の時点でこれ以上に効果的な予防策はない。


 ただブラーガのその変化は、仲間を思う気持ちからくるものというよりは、首長という立場についたことからくる義務感に近いものであるようにエラルドは感じた。


 ブラーガの心の奥底にあるものは――。

 一本気でわかりやすいヴィートに比べ、喜びも哀しみも露わにしないこの男の心情は、いつも濃い朝靄に包まれている。


「しかし今回のこと、なぜベルリオーズの領主が動いたのだろう。我々はあそこまで手を伸ばしていないのに」

「さあな」


 エラルドの疑問に、ブラーガはどうでもよさそうに返答する。


「逆に、ベルリオーズの領主が動くのに、なぜ国の軍が動かないのだろう。ベルリオーズの領主は正統な王家の血筋だと聞くが、そのことが関係しているのだろうか」

「さあな」

「……本当に関心なさそうだな」

「まったく関心ないな」

「じゃあ、スーラ山にいるヴィートはどうだ?」


 ブラーガは、その名を聞いて、はじめて視線をエラルドに向けた。


「ヴィートがなんだ」

「スーラ山はラロシュの近くだ。心配じゃないのか?」


 再び視線を落としたブラーガは、そのまま杯をあおった。


「……好きであそこにいるんだ、放っておけ」


 彼の返答は、質問の答えにはなっていなかった。

 心配なのではないかという問いをはっきり否定しなかったところに、ブラーガの本心が垣間見える。


「心配なら、一度会いにいけばいいじゃないか」

「なんでおれがあいつに会いにいくんだ」


 不愉快そうにそう吐きすてると、その日、何本目かわからぬかめを空にした。







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