32
しばらく他愛もない会話が続いたが、ベルトランがアベルを連れて扉口に現われると、皆がいっせいにそちらを向いた。
広間に連れてこられたアベルは、皆の前でひざまずく。
多くの貴族らの視線にさらされたアベルの姿は、いつもよりひどく脆いもののように、リオネルの目には映る。叶うなら、この少女をだれの目にも触れないところに隠しておきたかった。
「……私の従騎士、アベルです」
ベルトランに紹介され、アベルは頭を垂れたまま口上を述べた。
「さきほどは見苦しい姿をお見せし、まことに申しわけございませんでした。わたしは、ベルトラン様の従騎士をしているアベルと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
「なかなか礼儀正しく、落ちついた物腰の少年ですね」
シャルルがつぶやくと、ベルリオーズ公爵は重々しい声をアベルの頭上に落とした。
「アベル、立ちあがり面を上げよ」
「はい」
立ち上がって再び軽く礼をした少年を、客人らは好奇と驚きの眼差しで見つめる。
これほど美しい少年を、華やかな貴族社会を生きる彼らでさえ見たことがない。
「そこにおられるのはアベラール侯爵殿、ならびにエルヴィユ侯爵殿と、その嫡男シャルル殿、そして、その妹御のフェリシエ殿だ」
公爵に紹介され、かすかな緊張がアベルの喉元にせりあがる。
今、目前にしているのは、将来リオネルの妻になる女性、フェリシエ。
そして、アベルの父であるデュノア伯爵を知るアベラール侯爵――かつては義理の父となるはずだった男だった。
「お目にかかれて、大変光栄です」
アベルは深く一礼する。
すると、ゆっくりとフェリシエが近づき、自らの白い手をアベルのまえに差し出す。
アベルはかがんでその手をとり、甲に軽く口づけを落とした。その流麗な身のこなしを、フェリシエはじっと見下ろしている。
「あなたがアベルという名の従騎士ですね。まだ、十五歳とは……なんてかわいらしい。どちらの家の方なのかしら?」
「わたしは貴族ではありません、フェリシエ様」
「まあ、貴族ではない? リオネル様のおそば近くに仕えるのに?」
「…………」
「フェリシエ殿、アベルはもともとローブルグの騎士の家系の者です。この国ではあいにく貴族ではありませんが」
アベルを擁護したのは、リオネルである。
「あらそうですの」
フェリシエは艶やかな笑顔をリオネルに向ける。
「あんまり綺麗な子なので、貴族かと思いましたわ」
そして彼女は、リオネルに向けたのと似通った笑顔を、アベルにも向けた。
アベルは少し頬を赤らめてうつむく。間近で見るリオネルの婚約者は、実に華やかで美しい女性だった。
眉目秀麗なリオネルと、咲きかけの薔薇のようなフェリシエ。これほど似合いの二人はいないだろう。
「アベル、あなたはたとえ貴族ではなくても、わたしの夫となるリオネル様を守る大切な役目を担うのですもの。これからぜひ仲良くなりたいわ」
「もったいないお言葉です」
フェリシエの言葉に、アベルは頭を下げた。
「あなたの顔が見たいわ。頭を上げて?」
アベルはゆっくりフェリシエに向きなおる。
二人の視線が静かに交わった。
「綺麗な水色の目ね……」
「……おそれいります」
フェリシエの青緑色の瞳に比べたら、自分の目の色など、どれほどのものだろうかと思う。
「ベルトラン殿の従騎士になるまえは、そなた、なにをしていたのだ?」
エルヴィユ侯爵が問う。
「サン・オーヴァンの街で、家族と暮らしておりました」
「家族とは?」
「父母と、産まれたばかりの弟です」
「そなたの両親は今なにをしているのだ?」
「……鍛冶屋でしたが、病気で二人とも亡くなりました」
レオンがちらとディルクの顔を見ると、ディルクはうなずく。
二人とも、アベルの境遇について、そのような話は聞いたことがない。周囲を納得させるための方便であることは容易に想像ができた。
「それは気の毒なことだ……それでは、弟はどこにおるのだ?」
「今は、サン・オーヴァンのベルリオーズ家別邸におりますが、春からはこちらへ移る予定です」
「……ほう」
エルヴィユ侯爵は、なにか思うところがあるような目線でちらりとリオネルを見やる。
リオネルは、平民で年端の行かぬ少年を、その幼い弟とともに引きとり、そばにおくというわけである。貴族同士でしか交流を持たない彼らの社会においては、信じられないことだった。
「ローブルグ貴族の血を引くとはいえ、平民として暮らしていたにもかかわらず、なぜそなたは剣を使えるのだ?」
アベラール侯爵がはじめてアベルに声をかけた。
わずかに高鳴った自らの鼓動を感じつつ、用意しておいた回答を慎重に口にする。
「物心ついたときから、父の作る剣や武具がすぐそばにありましたので」
「それだけの理由で?」
「……もとはローブルグの騎士の家系ですので、父は幼いころからわたしに剣を教えてくれていました」
「そなたの父は、そなたに剣を教えてどうするつもりだったのだ」
「騎士としての誇りを忘れぬようにと」
「……なるほど。しかし、ローブルグの騎士が、シャルムの貴族に仕えるということに、そなたはなにも感じぬのか?」
「先祖がローブルグにいたのは昔の話です。そして、仕える主君は自ら選びたいと思っておりました。わたしの主君は、リオネル様以外にはありえません」
「それほど思い入れがあるのは、なぜなのだ? そなたはどのようにしてリオネル殿に見出されたのだ?」
「それは……」
「父上、もういいではありませんか」
ディルクが苦笑して父侯爵を見やる。自分も同じ種の人間であることは棚にあげておいて、根掘り葉掘り聞く父に対して呆れ果てていた。
「ずっと質問攻めでは、彼も疲れるでしょう。とりあえず挨拶のために呼んだのですから、深い話は別の機会にして、そろそろ解放してあげてもよろしいのでは?」
「それもそうか」
鋭い質問を投げかけてきたアベラール侯爵だったが、最後にアベルにあたたかい笑顔を向ける。それは、ディルクの笑顔によく似ていた。
「一度にいろいろ聞いてすまなかったな」
息子に甘いという意味では、アベラール侯爵もベルリオーズ公爵と同じだった。次々と生まれてくる子供たちはそろって女であり、ようやく四人目にしてディルクが産まれたのである。待ち望んだ男児であり、アベラール家の大切な跡取りでもあった。
「アベル、来てくれてありがとう。もう戻ってかまわない」
最後にリオネルからすまなそうな顔を向けられ、アベルはその気遣いに笑顔を返す。
「ご用向きなどございましたら、いつでも声をおかけください」
皆に向かって一礼し、アベルは部屋を辞した。
「よく耐えたな」
アベルの姿が見えなくなると、ベルトランがリオネルにだけ聞こえるほどの声で言った。
リオネルは自嘲気味に微笑し、首を横に振る。
「とてもじゃないけど、見ていられなかった」
フェリシエや侯爵らに囲まれ、次々と投げかけられる質問に対して、作り話を返し続けなければならなかったアベル。
その気持ちを思うと心が痛む。
そして、父と対面したときのように真実を告げてしまわないか、気が気ではなかった。そうなればアベルは今度こそ、ここにいられなくなる。
リオネルは、幾度、質問を遮ろうとしたことか。けれどそれをぐっと押し留めたのは、アベルのためだった。
ここでリオネルが質問を中断させれば、彼らは納得できないだろう。それどころか、リオネルがかばったことで、彼女はかえって立場を悪くする。
それがわかっていたから、安易に口を挟むことができなかった。
ベルトランはそんなリオネルの状況をよく理解していた。
「今回は、質問を打ち切ったディルクに感謝しなければならないな」
「そうだね」
二人の小声を拾って、ディルクが振り返る。
「なに? おれがどうしたって?」
「……耳がいいんだな、おまえは」
リオネルが微妙な顔になると、レオンがディルクを指差し、糾弾した。
「こいつは〝地獄耳〟の持ち主だ」
「そうかな?」
ディルクが楽しそうに首をかしげるので、レオンは念を押す。
「言っておくが、褒め言葉ではないぞ」
「あ、そう」
ディルクはわざとらしく肩をすくめたが、こたえた様子は少しもなかった。