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ひなげしの花咲く丘で② ~男装の伯爵令嬢は、元婚約者の親友の用心棒になる~  作者: yuuHi
第一章 リオネルの帰館とベルトランの従騎士
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 結局、本の整理をしたのはリオネルだった。


 厩舎からアベルを連れ戻し、書斎に戻ったはいいが、机の上には山のように本が積まれており、座って本を読むどころではない。そんな状況に直面したリオネルは、呆れた顔もせず「いっしょに片づけるよ」と言い、手際良く書物を本棚に戻し、またたくまに美しい順番に並べ替えてしまった。


 アベルはその光景を、呆然と立ち尽くし、ただ見守っていた。

 気がつけば、書物は分野別に分類され、その中でも同一の作者のものはまとまり、不思議と、高さや大きさまでそろっている。

 アベルは激しい敗北感に襲われた。


 自分は基本的に身体を動かすことしか芸がないのに、リオネルはアベルよりも武術が秀でているうえに、このようなことまで器用にこなすとは。

 身分の高さといい、端正な容貌といい、聡明さといい、非の打ちどころがないとはこのことだと思った。神様は、けっして平等などではない。


 けれども、それを、たんなる不平不満で片づけることはできない、とも思う。

 非の打ちどころのないリオネルも、幼いころから命を狙われ続ける人生を送っている。

 平凡でも、穏やかで安らかな生活を、彼自身は望んでいるかもしれない。世の中は、どこかで帳尻が合うようにできているのかもしれない。


 そういう意味では、アベルは自分の過酷な運命についても、ただ単純に嘆き悲しむ気持ちにはならなかった。

 それはひとえに、リオネルの存在があるからだ。辛いことは掃いて捨てるほどあるけれど、アベルには、いつも差し伸べられる強く優しい手がある。




 本の整理をした日から十日。

 熱が完全に下がったので、リオネルに館の内部を案内してもらい、女中頭、料理長、高位の騎士らなど主要な者たちとの挨拶をすませたあとは、馬の世話をしたり、ベルトランから稽古を受けたり、方々から言いつけられる雑用などをして過ごしている。


 けれどリオネル自身の意向か、もしくは必然的にそうなってしまっているのかはわからないが、リオネルのそばにいられる時間はこの十日間、思いのほか短かった。


 ジュストとは従騎士どうし顔を合わす機会も多かったけれど、口を開けば嫌味しか言わないので、避けるわけではないが、必要がなければ話さないことにしていた。


 最も気が重いのは、食事の時間だ。

 食堂では、食卓は二つにわかれており、リオネルやベルトランは公爵と共に奥にある楕円刑の食卓に、アベルは重臣たちと共に手前の巨大な長方形の食卓に座る。

 アベルと同じ食卓を囲むのは、ジュストはじめ高位の貴族の面々である。冷ややかな視線を彼女に向けるのは、ジュストだけではなかった。アベルの存在を快く思っていない者たちが、ここにはいる。

 あからさまになにか言ってくる者はなかったが、重苦しい空気は感じざるをえない。

 そのような環境のなかで、アベルは表情を消し、寡黙に食事をとる。

 いっそ使用人の食堂に混ぜてもらったほうが、はるかに心は休まるだろう。


 そんな生活が十日続き、少し疲れが出はじめたころのこと。

 寝起きの悪いアベルは、慣れない生活のせいでいつも以上に憂鬱な気持ちで目覚め、服を着替え、部屋を出た。

 すると扉のまえに、思いがけない人の姿があった。

 リオネルである。


 片手に外套を持ち、リオネル自身も濃紺の外套を羽織っている。

 一週間に一度しか会わなかった王都別邸にいたころとは違い、今は頻繁にリオネルの姿を館のなかで見かけているのに、なぜか、別邸にいたころよりも久しぶりに会ったように感じた。


「あ……おはようございます」


 驚きと戸惑いを織り交ぜた声で、アベルは挨拶した。

 以前より遠くに感じられるリオネルは、しかし、以前と変わらない笑顔を見せる。


「おはよう、アベル」

「……ずっとここにいらしたのですか?」

「ちょうど今来たところだよ」


 身長差があるので、こちらは見下ろされる形になるが、リオネルの眼差しは優しい。


「アベル、少し出かけないか」

「どちらへ?」

「シャサーヌの街だ。まだ行ったことないだろう」


 アベルは面食らって、水色の瞳を大きくまたたいた。


「ですが、朝食もまだ召し上がっていないのでは?」

「だから、朝ご飯は街で食べよう」

「え……? ええ?」


 アベルは、リオネルが本気で言っているのかどうか判じかねて困惑の声を上げる。


「おいで」


 呆気にとられているアベルの様子に笑ってから、リオネルはアベルの手をそっと握って歩き出す。

 リオネルに軽く引っ張られるようにして、アベルの足もまえへ進んだ。


「あの……いいんですか?」

「今朝はなんの用事もないから、ゆっくりできる」

「ベルトランは?」

「ルブロー家から人が来ているから、その相手をしているよ」


 ベルトランの実家であるルブロー家から、だれかが来るということは聞いていた。けれどベルトランを伴っていないリオネルなど、見たことがない。

 もの言いたげなアベルの視線に気づいたらしく、リオネルは苦笑した。


「ベルトランがいっしょでなければ、おれを外に出さないつもりか?」


 まるで父上のようだと、リオネルはつけ足した。


「いいえ、そんなことはありませんが……刺客に襲われたときのことを考えると――」

「おれの命はアベルが守ってくれるだろう?」


 リオネルはにこにこしている。からかわれているような気がして、アベルは少しふくれた。


「もちろん、命にかえてもお守りします」

「それなら二人で出かけても大丈夫だ」


 アベルの力強い返答にリオネルは笑みを深めると、再び歩きだす。

 ――むろんリオネルは、アベルに命をかけさせる気などないし、なにかが起こればリオネル自身が全身全霊で彼女の身を守るつもりだった。


 大階段を下り、玄関まで辿りつく。

 アベルの手を引いて歩く若い跡取りの姿に、使用人らが驚きつつ、深々と頭を下げる。


「リオネル様、手……」


 アベルは恥ずかしさから、自分の手を引き寄せた。


「……ああ、ごめん。外に出るから、これを羽織って」


 リオネルは片手に持っていた外套をアベルに渡した。リオネルのものよりやや明るめの紺色である。仕立ての良さそうなものなので、これもかつてリオネルが使っていた衣服かもしれない。


「では、ちょっと出かけてくるから、ベルトランと父上には伝えておいてくれ」


 さらりと使用人に声をかけるが、リオネルにそう告げられた使用人はあたふたしとしている。


「リ、リオネル様、お……お待ちくださいっ」


 使用人らやアベルが呼びとめる間もなく、リオネルはすたすたと玄関を出ていった。

 早足のリオネルに追いつくと、アベルは凍えるような外気に白い息を吐きながら、問い正す。


「公爵様やベルトランに、外出の旨をお伝えしていないのですか?」

「言ってない」


 表情を変えずに返答したリオネルに、アベルは呆れて言葉を失った。


「言ったら、ベルトラン抜きで外出できるわけないだろう?」

「戻りましょう、リオネル様。ルブロー家の対応が終わったら、三人で出かけましょう」

「あいにく、まとまった時間が空いているのは今朝だけなんだ」

「…………」


 仕方なさそうに言うリオネルの目は、たしかに笑っている。


「寒くない? 吐く息が半端なく白いね」


 リオネルは、いつになく楽しそうだった。

 そんなリオネルを前にすると、説得しなければならない立場にいるはずのアベルも、つられてなんとなく嬉しくなってきてしまう。


「外套が暖かいので大丈夫です」


 アベルはリオネルを見上げて、ややいたずらっぽく笑った。その笑顔の意味を理解したリオネルが、会心の笑みを浮かべる。


「そうか、じゃあ行こう」


 二人は厩舎に入り、それぞれ馬に跨ると、ベルリオーズ邸の前庭を通り、堀を渡り、壮麗な門をまたたくまに駆け抜けていった。






 この数日間、雪は降っておらず、今までに積もった雪は、地面にうっすらと溶け残っている程度だった。

 館の敷地を出ると、手入れされた広々とした芝生を、幅の広い砂利道が横切っている。その向こうには、芝生を挟んで密度の濃い森林が広がっていた。


 森を左手に見ながら砂利道を駆けていると、リオネルが説明する。


「ここは『城門前通り』と呼ばれていて、館からシャサーヌの街に続く大通りだ。昔、この館が城としての役割を果たしていたときからの名前がそのまま残っている。そこに見える森は、『蒼の森』と呼ばれている。これは、昔からここで狩りをしてきたベルリオーズ家の紋章色が蒼だからだ」

「リオネル様も狩りをなさるのですか?」

「するよ。昔から父上に連れられてよく森に入った。ただし、森の中はこちらから見るよりはるかに広大で深く、鹿や猪や兎以外にも、熊や狼などの獰猛な動物もいる。ひとりのときや、暗くなってからは、けっして近づいてはいけないよ」

「わかりました」


 森に沿うように大きく婉曲した城門前通りを辿り、右手に広がる田園地帯を抜けると、ちらほらと木組みの民家が見えはじめた。

 両脇に店や民家が立ち並ぶ界隈に入ると、その先に、幅の広くない川が流れている。

 川には橋がかかっており、橋の両側の麓には二つの尖塔のある砦がそびえ、堅固な門が備わっていた。


「これはティス川といって、シャサーヌの街の生活に欠かせない水路でもあり、生活用水でもある。アンテーズ川に流れ込んでいるから、ここでなにかを落としたら、運がよければサン・オーヴァンにまで流れ着くかもしれない」


 リオネルの言葉に、アベルは口元をほころばせた。

 サン・オーヴァンにはイシャス、そしてエレンやドニがいる。まだ半月ほどしか離れていないのに、アベルは彼らをひどく懐かしく思った。


「関所の門をくぐり、ティス川を渡れば街の中心だ」


 リオネルは門の手前で馬から降り、手綱を引いて一軒の民家の裏庭へと入っていく。


「リオネル様、ここは?」

「おれが街に行くときに、馬を繋いでおく場所のひとつ。今日はアベルと話しながら街を歩きたいから、川を渡る前に馬から降りることにした」

「こちらの方と、お知り合いなのですか?」

「知り合い……」


 アベルは間抜けな質問をしたと思ったが、一度口から出たものは、もとに戻すことはできない。リオネルはこの街を含む、大ベルリオーズ領の領主なのだ。知り合いなどという関係はあてはまらない。


「うん、まあ、知り合いみたいなものかな」


 けれどリオネルは馬鹿にする様子もなく、笑顔でうなずいた。


「モーリス、いるか?」


 リオネルは裏口の扉から、屋内に向けて声を放る。

 彼の声はさほど大きくなかったが、すぐに顔を出したのは、髭を生やした筋骨逞しい中年の男だった。


「これは、リオネル様」


 モーリスは、かすかに驚いた顔をしてから、うやうやしく腰を折った。


「お久しぶりでございます。館へ戻られていることは、お噂で聞き及んでおりました。騎士のご叙勲、そしてご無事のご帰館、誠におめでとうございます。我ら領民にとりましても、誇らしいかぎりでございます」

「ありがとう」


 リオネルは、身分の差を感じさせない親しげな笑顔をモーリスに向ける。


「モーリスも元気そうだね。皆、変わりない?」

「はい、おかげさまで妻や子供たちも風邪など引かず、息災にしております」


 モーリスは、見慣れぬ少年の姿にちらと視線をやってから、


「……本日は二頭お預かりすればよろしいですね」


 と確認した。


「頼む」

「かしこまりました」


 モーリスは二頭の手綱を引きうける。アベルの存在を気にしながらも、立場をわきまえ、紹介されるまではけっして自分からはその存在について尋ねない。


「モーリス、ここにいるのはベルトランの従騎士になったアベルだ。これからも会う機会があると思うから、覚えておいてほしい」


 アベルはモーリスの前まで進み、軽く頭を下げる。


「アベルです」


 モーリスは、近くで見るアベルの美しさにしばし目を見張ってから、我に返ったように頭を下げた。


「アベル様、はじめてお目にかかります。この場所で、リオネル様の馬番をしているモーリスという者です」

「馬番は本業ではないだろう?」


 リオネルは苦笑した。


「はあ、生業は鍛冶屋でして……お預かりするついでに、馬蹄の手入れや交換もできます」

「そうですか。だから、馬をつなげておく場所があるのですね」

「他にもご依頼いただければ、剣や鎧、農具などもお作りします」


 アベルが直接依頼することはなさそうだったが、とりあえずうなずいておく。

 会話が途切れてモーリスは再びアベルの姿に見入ったが、大きくまばたきをして視線を逸らした。


 二人はモーリスのところを出て、橋の麓の砦に向かう。


「この砦は関所といっても、シャサーヌの町の内部にあるものだから、普段は通行税や検問などはしていないんだ。罪人が逃げ出したときの検問や、万が一暴動が起きたとき、何者かに街が襲撃されたりなどしたときに、門を閉める役割がある。シャサーヌの正式な関所は、町全体を囲む外壁に十六個所ある」


 二人は砦の門をくぐって橋を渡った。

 川辺の通りから一本道を入ると、すでに繁華街の賑わいが始まっている。


「この道をまっすぐ行けば、大広場だ。このあたりから人が多くなってくるから、はぐれないようについてきてね」


 リオネルの言葉にアベルは大きくうなずいた。







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