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 クヴルール男爵は手を縄できつく縛られて、兵士らに引かれている。


「あと、あそこで椅子に座っているご遺体は、どなただ?」


 無残な遺体に目をやり、リオネルはわずかに苦い表情になる。


「男爵は、自分の娘だと言っていた」


 リオネルの言葉が聞こえていたのか、クヴルール男爵の肩がかすかに揺れる。


「娘というと……首長殿にぞっこんのロジーヌ殿か!」


 まさかという口調で確認するディルクに、リオネルは首を横に振った。


「いや、おそらく違う」

「だって、本人がそうだと言っていたんだろう?」


 ちらとディルクが男爵を見やると、彼は視線を伏せた。


「この部屋には、ロジーヌ殿の香水の匂いがしない」


 リオネルの指摘にはっとしたディルクは、部屋の匂いに意識を集中させる。

 たしかに、血の匂いのなかにかすかな香水の匂いが混じっているが、それはロジーヌがまとっていたものではない。


「では、あれはだれなんだ?」

「どなたでしょう、男爵殿」


 顔をしかめたディルクと冷ややかな声音のリオネル、両者から視線を受けた男爵は、いっそう顔色が悪くなったように見える。


「……そのまえに」


 男爵の声は、聞き取りにくいほどに、ひどくかすれていた。


「最初の問いの答えをお聞かせください。私はどうなるのでしょうか」


 このように生きているか死んでいるかわからぬほど生気のない男であっても、やはり己の命は惜しいのだろうか。


 そのとき慌ただしく駆けつけてきた騎士がひとりいた。クロードである。

 丁寧に一礼してから、リオネルの耳元でなにかささやく。


「わかった。ご苦労だった」


 報告を受けたリオネルがうなずくと、クロードは従えてきた兵士に命じて、すでにマチアスらによって縛り上げられているクヴルール男爵の配下の男たちを、ひとりずつリオネルの寝室から連れ出していく。

 その光景を眺めやってから、リオネルは静かに男爵の質問に答えた。


「初めてなんですよ」


 意味がわからずクヴルール男爵は顔を上げる。


「貴方は、私の命を狙い、そして失敗した凶手のなかで、はじめて死を選ばなかった人です」

「…………」

「お聞かせ願えませんか。暗殺を命じた者が、だれなのか」


 愕然がくぜんとしたように男爵は目を見開き、そして突然、床に両膝をつき絶叫した。

 狂ったように叫びながら、クヴルール男爵は頭を床に打ちつける。


「クロード」


 リオネルが名を呼ぶと、クロードが、錯乱した状態の男爵を部屋から引きずり出した。

 嫌なものを見たようにベルトランが眉をひそめる。


「あの狐、自ら死を選ぶだろうな」


 ディルクは唇の端に、皮肉と畏怖の混ざりあった笑みをひらめかせた。


「リオネル……おまえは、恐ろしい男だな」


 おそらく、リオネル暗殺を命じた者は、クヴルール男爵よりもはるかに位の高い人物なのだ。その人の名を口にするなどという選択肢はない。

 彼に残されている運命は、高位の貴族であり、王族でもあるリオネルを害そうとした罰としての極刑か、運よく助かっても、暗殺を命じた主からひそかに始末されるだけである。

 親友から向けられた言葉に、リオネルは冷然と答えた。


「アベルを害そうとした罪だ。自ら死を選べるなら、軽いものだろう」

「……そこか」


 リオネルらしい返答に、ディルクは苦笑する。そして、親友の横顔と、そして先程から憂色をたたえうつむいたままのアベルを見やる。


「クロードは、なんと?」


 椅子の上に置かれていた身元のわからぬ遺体が運びだされていく。その様子を気にしながら、先程の報告の内容をベルトランが尋ねた。


「本物のロジーヌ殿は、ラロシュ邸の近くに停めてあった馬車のなかに、意識を失った状態で閉じこめられていたらしい」

「はあ、なるほど。周囲には娘は死んだものと思わせて、密かに、愛する山賊の元から引き離すつもりだったということか」

「実の娘は殺せなかったのだろう」

「ならば、ここにあった遺体は?」


 わずかに間をおき、リオネルは厳しい表情をつくった。


「ラロシュ家に仕える侍女がひとり、行方がわからなくなっているらしい」


 一瞬訪れた沈黙ののちに、ディルクが「ひどいな」と短く呟く。

 少なからず衝撃を受けたのは、アベルだった。


「……エヴァではない」


 気遣うようにリオネルがそう言ったが、口をつぐんだまま、細い肩がわずかに震える。

 なんの罪もない無抵抗な命が、このような形で失われてよいのだろうか。そのとき神は、いったいなにをしていたのか。ただ傍観していただけだというなら、神とはなんと残酷な存在だろうかと、アベルは思う。


「身内以外ならどうなってもいいと思っている人間は多いものだ」


 独り言のようにベルトランがつぶやいた直後に、顔色の優れぬアベルを、マチアスがさりげなく別室に促した。


「まだ本調子ではないでしょうから、アベル殿はお部屋へ」


 マチアスがちらとリオネルに承諾を求めるように視線を向ける。

 うなずこうとして、だが、リオネルは痛みに耐えるようにただ目を細めた。


 了承が得られなかったために動くことのできぬ二人の元へ、リオネルは近づく。


「アベル」


 それは、愛情と、そして愛するがゆえの苦しみが混じりあうがごとき声に、マチアスには聞こえた。


「赦してほしい」


 リオネルの真剣な声音に、アベルの心臓が跳ねる。

 見上げたアベルの瞳に、哀しげにも見える深い紫色が映しだされた。


 言葉の続きがあるのかと思ったが、リオネルはそれ以上なにも口にせず、ただアベルを見つめ、そして、最後にマチアスに目くばせした。

 軽く一礼して、マチアスはアベルを改めて部屋の外へ導く。


 なぜか哀しい気持ちになってアベルは胸を押さえた。

 リオネルにあんな瞳をさせているのは、自分なのだろうか。

 自分はなにか間違ったことをしただろうか。

 どんな間違いを犯せば、主人をあれだけ怒らせ、そしてあんな顔をさせることになるのだろう。


 もやもやとした気分は、リオネルの切なげな声と瞳に頭中を支配されて、気がつけばどこかへ消えてしまっていた。

 今は、ちくりと刺すような痛みを伴った哀しみだけがある。


「赦してほしい」と彼は言った。

 瞼から離れぬ深い紫色を何度も思い返し、そして、ふと気がつく。

 ――「正しい」、「間違っている」、ではないのかもしれない。

 そんなものに、本当はどんな意味があるというのだろう。

 自分が正しいことをして、そのことの正当性をいくら唱えたところで、おそらくそこには人の心を動かすものはなにもないのだ。

 真実は、「正しさ」にはない。

 きっと、あの紫色が物語るものこそが、そこにある真実のすべてなのだ。

 ならば、アベルが赦さねばならぬものとは、いったいなんなのだろう。


 それでも――、と思う。

 主人にあんな顔をさせても、自分には曲げられないものがある。

 それをなくしては生きてはいけないから。

 ――なにを犠牲にしても、守り抜きたいものがある。







+++








 部屋から出ていく二人の後姿を見送りながら、ベルトランが責めるような語調で尋ねた。


「本当に、演技だったのか」


 視界から大切な相手の姿が完全に消えると、リオネルは肩の力を抜くようにため息をついた。アベルを失うと思った瞬間に止まったのではないかと思った己の心臓が、ようやく再び鼓動を刻みだしたような気がする。


「わからない」


 ベルトランがリオネルを見つめる。その瞳を、リオネルは見返すことができなかった。

 納得させるために、アベルには「演技」だと言ったが、もしアベルがあのような行動にでなければ、自分は短剣で自らの喉を突いていたかもしれない。

 むろん、急所は外して。

 だが、助かったかどうかはわからない。


「……勘弁してくれ」


 低くベルトランがつぶやいた。


「すまなかった」


 短く謝罪してから、リオネルはベルトランに向き直る。


「アベルを救ってくれて感謝する。ベルトランが来なければ、おれは目のまえでアベルを失っていた」

「それなら、先にディルクに感謝しろ。おまえとアベルの危険を察知し、おれをここへ連れてきたのは、ディルクだ」


 親友の視線を受けたディルクは、軽く苦笑して首を横に振った。


「おれはクヴルール男爵の動向をずっと注意して追っていただけだよ。食堂に彼の姿がなかったから、嫌な予感がしたんだ」

「なぜクヴルール男爵があやしいと?」


 山賊がラロシュ邸を襲撃してきた夜のことを、ディルクは二人に語った。

 次々と目を覚まして緊急事態に対処する諸侯らのうち、クヴルール男爵はまっさきにディルクらの前に現れたにも関わらず、ただひとり夜着姿ではなかった。髪も整っており、どうも眠っていたようには見えない。そして、ちょうどその夜にリオネルが刺客に襲われたことを、あとで知った。


 リオネルの動向を探り、刺客たちに指示を与えていたのであれば、男爵に眠るつもりがなかったことの説明がつく。だがむろん、それだけでは彼が首謀者であるとは断定できない。そのため、それから常に彼の動きに注意を払っていたのだ。


「おまえにも伝えておくべきか迷ったんだけど……推測の域を出なかったからやめておいたんだ。けれど、こうなってみると、伝えておけばよかったと思うよ。そうすれば、二人が危険な目に遭うことはなかったかもしれない」

「いや、どのみちこうなることは避けられなかったと思う」


 なにかを思い出すように、リオネルは視線を伏せる。

 アベルの寝室のまえでクヴルール男爵を見かけたとき、リオネルは、そこはかとなく危険な匂いを感じたのだ。だからこそアベルを自分から離した。それなのに、アベルは戻ってきてしまったのだ。

 事前に危ぶんでいても、同じことが起こっただろう。


「とにかく、おまえとアベルが無事でよかったよ」

「――おれが無事だったのは、アベルのおかげだ」


 命が助かったというのに、めっきり元気のないリオネルに、無言でディルクは視線を向けた。


「おれは今日、アベルに二度も命を救われた」


 思いつめたようなリオネルの横顔から、ディルクは視線を床に移し、そして愛情をこめて笑った。


「おまえも案外、不器用だな」

「…………」

「少し前、あれは、叙勲を受けて王都から戻るときだったかな。旅の途中で刺客に襲われたことがあっただろう? あのときおれは、無茶をしたアベルを叱ったおまえに、『命をかけておまえを守ろうとするアベルの気持ちを拒絶するのは酷だ』と言ったことがあったのを覚えているか」


 リオネルはうなずく。よく覚えていた。


「あのときおれはああ言ったけど、今は、なんだかおまえにそんな言葉をぶつけられなくてね」


 うつむいたまま、リオネルは一度だけまばたきをする。


「おまえがアベルを大切に思う気持ちがどれほどのものか、毎日これほど近くで見ているとわかるようになってくる。そうすると、心配する気持ちからおまえがきつく言ってしまうのも理解できるんだ」

「……おれは、いつもあとから後悔しているよ」

「あれから半年近く経つのに、おまえたちはなにも変わってないな」

「そうかもしれない」


 顔を上げたリオネルと、ディルクの視線がぶつかる。

 毒気のなかにも深い友情を感じさせるディルクの笑顔をまえに、リオネルもつられて笑った。親友の笑顔に、リオネルは少し救われた気がした。







「どこへ行っていたのだ?」


 戻ってきたディルクに、レオンは小鹿の香草焼きをほおばりながら尋ねた。


「あとで話すよ」


 さらりと答えて、ディルクは冷めかけた食事に手をつける。


「服を着替えたのか?」

「ちょっと血の匂いがついてしまったからね」


 物騒な言葉に、レオンが顔をしかめて、肉を切っていた手の動きを止める。


「血……? リオネルは無事なのか?」

「大丈夫だ。なにやら用事を済ませてからくるらしいよ」


 今は事情を話す気がないらしいので、レオンは怪訝な顔のまま、「それならいいが」と食事を再開する。


「……あちらで、姫君がお待ちかねのようだぞ」


 指摘されてディルクが視線を上げた先、ほど近い斜め前の席には、諸侯らに愛嬌をふりまきながらも、ときおり咎めるような目線をこちらのほうへ向けてくるフェリシエがいた。


「――ああ」


 そんな目線にディルクはしれっと作り笑いを返しておいて、それから、視線をもとに戻して小さく溜息をつく。


「フェリシエ……ね」

「なんだ?」


 ぽつりとこぼした独り言が気になったらしいレオンに、


「いや、なんでもない」


 と返し、ディルクは生ぬるいアスパラガスのスープを口に運んだ。









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