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 早春の陽気にあたためられた風が、昨日までの冷たい空気をさらっていく。光と、花の香りが満ち溢れているのは、王宮だけではなく、ここラロシュ邸も同様だった。

 新しい季節の歌が流れはじめている。


 庭園では蕾がほころび、蝶が舞い、そして生命がはじける。

 そんな庭を眺めていたのは、二人の青年だった。


「美しいな」


 ぽつりとつぶやいたのはレオン。


「草花が? それとも、アベルが?」


 くだらぬ質問をするのは、ディルクである。

 だが、いつもは「男が美しいわけがないだろう」などと怒りながら答えそうなレオンは、このとき、いつになく率直に答えた。


「全部だ」


 草花だけでも、アベルだけでもない。

 この清々しい春の景色のなかに、リオネルとアベルが一対のつがいのように、なごやかに歩いている。

 そのすべてが、一枚の絵画のようなのだ。

 二人が男であるとか、そんなことはどうでもよいほどに、これを見る人すべてに「これでよいのだ」と感じさせる光景だった。



 ようやく起き上がる許可が下りたアベルに、「少しだけ外を歩かせてやりたい」、そう言いだしたのはリオネルだった。


 アベルはずっとリオネルとの約束を守り、寝台で横になって身体を治そうとした。一日でも早く主人のそばで働けるように。

 養生しているあいだ、レオンに伴われたマドレーヌとセザールが頻繁に部屋へ訪れ、動き回れぬ退屈な時間を少なからず楽しいものにしてくれた。

 けれど元来、奔放な性格のアベルが、こんな気持ちのよい季節に外に出たくないわけがない。それを知るリオネルは、暖かい昼下がりにアベルを庭に連れだしたのだ。


 ずっとラロシュ侯爵の子供たちのお守りをさせられていたレオンも、数々の仕事をこなしていたディルクも、このときだけは二人と共に庭に出ることとなった。


 ちなみに、けっして軽くない怪我を負っているヴィートやブラーガは、未だに医者から絶対安静を言い渡されている。しかしヴィートは「人間とは思えぬ」とまで医者に言わせたほど驚異的な回復を見せ、医者の言いつけを守らず、近くにあるブラーガの居室と自室を行き来し、先日などは、アベルの部屋がある最上階にまで行こうとしてエラルドに止められた。



 庭園では、さきほどまではディルクとレオン、そしてマチアスも、アベルと共に歩いていたが、今、三人はバルコニーに続く階段で足を休めている。

 一方、一歩一歩踏みしめるようにゆっくりと歩くアベルに、リオネルは根気よく付き添っている。付き添っているといっても、彼の表情はむしろ、従騎士仲間の二人が見たこともないほど、幸福そうだった。


 春のやわらかい日差しを受ける、白い花のようなアベルも、その傍らで笑顔を絶やさぬリオネルも、夢のように美しい。

 目の保養とは、こういうことをいうのだろう。


「ただ、ベルトランがそばにいることだけは、平和な感じがしないな」


 まるで親子か、恋人同士のようにさえ見える二人のそばでは、赤毛の用心棒が絶えず一定の距離を保ちながら、さりげなく周囲を警戒していた。その姿は、まるで彼自身が抜身の剣のような鋭さである。

 レオンのぼやきに、ディルクが皮肉めいて笑った。


「しかたないさ、いつ刺客に襲われるかわかったものじゃないから。アベルがあんな状態ではリオネルを守れないだろうし、それに、リオネルを狙うのはひとりだけじゃない。あいつはまだ尻尾を出していない」

「あいつ?」


 わずかな緊張を隠すようにしてレオンは尋ねたが、ディルクはそれに気づかずに答える。


「すぐにわかるさ」


 はっきりと教えてくれないので、レオンはディルクの表情を盗み見た。

 ――まさか「レオン、おまえのことだ」などというわけではあるまい。

 そう思いつつも、レオンは一抹の不安はぬぐいきれなかった。

 兄ジェルヴェーズの怒りをかうことよりも、従騎士仲間とのあいだで育んだ関係が壊れることのほうが、レオンにとってはおそろしい。成果なく王宮に戻ったらジェルヴェーズにどんな仕打ちをされるかわからない。それでも、リオネルに手をかけるなどとんでもないことである。

 本意ではないにせよ、リオネルを暗殺するよう命じられていることが、レオンには荷が重く、また、後ろめたかった。


 すると、珍しくマチアスが口を挟む。


「ディルク様、そのような曖昧な返答では誤解を招きます。だいたいの検討くらいはお伝えしてもかまわないのではありませんか」


 はっとしてディルクはレオンを見た。


「そうだ、すっかり忘れていた。そうそう、おまえのことじゃないから。安心してくれたまえ、レオン殿下。リオネルを狙っているのは、おそらくここに集まった領主のひとりだ」

「おれのことではないなど、あたりまえだ」


 不機嫌に言い捨てながらも、さりげなく胸をなでおろし、


「それにしても」


 と、レオンはため息をつく。


「……あの二人のそばで、ベルトランが目を光らせているのは平和な感じではないが、おまえのそばにマチアスがいるのは、この世のなによりの平穏だな」


 おかしそうにディルクは笑ったが、マチアスは、庭園を歩く二人の姿を、どこか考え込むように見つめていた。











 ほほえましい二人の姿を、真剣な眼差しで見つめていたのは、彼だけではなかった。


 庭園をのぞむ、館の最上階の一室。

 アベルがほころびかけの野の花のようだとすれば、この女性は開花した薔薇のような美しさである。

 だが、その瞳に宿るのは、この世の美しいものではなく、人間という生き物が抱く厄介で暗い感情だった。

 それを、人は「憎しみ」、「嫉妬」、そんなふうに呼ぶだろう。だが、そのような言葉では片づけられぬほど、フェリシエの感情は激しく渦巻き、心が引きちぎられるようだった。


 十三歳ではじめて会った日から、いや、それよりも以前――父や兄からリオネルの存在を聞かされていた少女のころから、焦がれてやまぬ青年。

 実際に目にしたリオネルは、想像以上に魅力的な人だった。


 庭園を歩む彼の姿が、フェリシエの胸を高鳴らせる。

 細身だが、逞しくひきしまった体つき。しなやかな手足。優美な物腰。文句のつけようのない美貌。優しい声……。

 そのひとつひとつが、フェリシエの心を震わせる。……震わせるのに。


 ――私は、貴女との婚約を進めるつもりはありません。私のような者に貴重な時間を費やされるより、どなたか素晴らしい男性と結ばれていただきたい。


 彼は、いつもの優しい声で、そう告げたのだ。

 なんと運命は残酷なのだろう。

 そして今、瞳に映る青年は、フェリシエにはけっして向けぬ、穏やかだが、深い愛情と親しみがこもった眼差しでアベルを見つめている。

 その秀麗な顔に浮かぶ笑顔は、胸がしめつけられるほどに、幸福そうだ。


 彼は、アベルのまえでしか、あのような表情を見せない。親友であるディルクや、常にそばにいるベルトランにさえ見せないのに……。

 フェリシエは、そのことにはっきり気がついていた。

 くすぐったそうにアベルはリオネルを見返し、二人は親しく笑いあう。

 その光景に、記憶のなかにあるリオネルの言葉が重なって、胸が焼け焦げるような気がした。


 それは、一週間ほどまえ、フェリシエがアベルの部屋を訪れた日の、晩餐の折りである。

 リオネルの態度は、いつもに増してよそよそしく、冷たいほどであった。


 婚約者候補であるフェリシエを形式上、同伴はしたが、ほとんど口もきかずに他の諸侯と話してばかりいた。

 そして、その日の別れぎわ、隠しきれない不満を顔中に浮かべたフェリシエに対して、リオネルは告げた。


『先日、我々の婚約について私が貴女にお話ししたこと、今でも気持ちは変わりありません。これから先にも変わらないでしょう。父上やエルヴィユ侯爵殿は、どんなに困難でも説得していくつもりです』


 咄嗟に言葉も出ないでいるフェリシエを、わずかに瞳を細めてリオネルは見つめた。


『それと……我々の関係がこのような状態である以上、本日のように、事前の承諾なく私の家臣の病室に立ち入ることは、お控えいただきたい』

『それは――』


 反論しようとして、言葉が出ない。

 アベルのことが心配だったから、そう言おうとしたのに、この深い紫の瞳にはすべての嘘を見抜かれる気がして、喉が詰まってしまった。

 それ以上なにも言わぬフェリシエに、リオネルはかすかな憂いを帯びた面持ちで謝罪した。


『貴女に、このようなことを申しあげる私を、どうかお赦しください』


 ――そんな顔しないで。

 あなたのそんな顔が見たいわけではない。

 笑ってほしい。

 その瞳に、あふれるほどの愛と親しみを宿して、見つめてほしい。

 自分だけを、見てほしい。

 見てほしい。

 ――わたしだけを、見て――。


 フェリシエの胸は、切ない思いで張り裂けそうだった。

 赦せない。赦せない、赦せない。


 ――わたくしにはあんな表情しか見せないのに、なぜアベルにはこんなふうに笑うの?


 あの笑顔と眼差しを受けるのは、どうして自分ではないのか。

 リオネルのすべてがほしい。笑顔も眼差しも、心も、身体も、すべて自分のものにしたい。

 ……自分のものに、ならない。


 順調に進んでいたはずの縁談が、このようになってしまったのは、悪い夢だろうか。

 悪夢を見させているのは――アベル。

 女の勘は鋭い。

 歯車が狂ったのは、すべてアベルのせい……。理屈ではなく、フェリシエのうちには自然とアベルを憎む気持ちが煮えたぎった。

 

 窓辺に佇み、長いこと無言で庭園を見つめているフェリシエに、ひとつの影が近づく。そしてそっと耳元でささやいた。


「ジュストには、急ぐよう命じました。ご安心なさいませ」


 侍女ライラの声は届いていたが、フェリシエはわずかに視線を伏せただけで、なにも答えなかった。

 とても安心などしておられぬ心境だった。

 兄シャルルも、ライラの従兄弟であるジュストも、アベルを殺害できていない。

 いったい、いつになったら、この焼き焦げるような感情から解放されるのだろうか。

 はたしてアベルが死ねば、こんな思いをしなくてすむようになるのだろうか。

 ――足りない。

 ――もっとだ。


「また二人で、なにをこそこそしているんだ?」


 突然声がして、ゆっくりフェリシエは振り返った。

 兄のシャルルが、いつものように無断で部屋に入りこんでいる。けれど、このときフェリシエは兄を咎めずに、無言でそのまま窓の外へ視線を戻した。


 シャルルもまた、フェリシエの態度に対してなにも言わず、思いつめたような面持ちで、うつむいた。


「フェリシエ」


 妹の名を呼ぶ声は、暗く沈んでいる。

 窓辺に立つフェリシエは、振り返らない。兄がなにを言うのか、漠然と予想できたからだ。


「アベルのことは放っておいたほうがいい」

「…………」

「リオネル様は、あの従騎士のことをとても大切にしておられる。私の指図でアベルが傷つくようなことがあれば、エルヴィユ家はもはや、完全にあの方からの信用を失うだろう」

「理由は、それだけですの?」


 もともと善良で、裏表がない性格のシャルルである。

 先日のフェリシエの嘆願に心動かされるのも当然のことであるが、アベルに手を下すことにひどい罪悪感を覚えるのも、また当然のことだった。

 わずかに言い渋ってから、シャルルは口を開く。


「あの子は『騎士の間』にいる負傷者を守るために戦い、瀕死の怪我を負った。まっすぐで、責任感の強い子だ。おれには、あの子の命は奪えない」

「それがどうしたというのです?」

「フェリシエ……」


 妹の頑なな態度に、シャルルは眉を寄せた。

 だが、兄に発言を許すまえに、フェリシエは声を低めて言い放った。


「あの子は、悪魔の使いよ」


 シャルルは、痛みをこらえるように沈鬱な表情をつくる。


「あの子は、わたしとリオネル様の仲を裂こうとしています。わたくしは、こんなにもあの方を愛しているというのに!」

「だが、フェリシエ。それは本当にアベル自身が望んでいることだろうか」

「お兄様は、ジュストを疑いますの? わたくし――フェリシエ・エルヴィユが婚約者にふさわしくないと、アベルがリオネル様に諫言するのを聞いたのは、ジュストよ」

「疑うわけではないが……」


 渋い面持ちのシャルルを、フェリシエは憎しみをこめて睨みつけた。その瞳には、虚構からだけではない、熱い雫がたまっている。


「わかりましたわ。お兄様も、妹のわたくしではなく、あのような子供のほうを贔屓ひいきするのですね。よく、わかりました。わたくしはいつだって、だれからも愛されないのです」


 だがシャルルは、このとき妹が真の涙を浮かべていたということに気がつがない。なぜなら、彼には、フェリシエの涙はいつだって真実に見えていたからだ。


「なぜそういう話になるのだ、フェリシエ。そんなことを言っているんじゃない」

「もう結構です」


 フェリシエの大きな青緑色の瞳から、朝露のような雫がこぼれおちる。


「だれも、わたしを愛してはくれないのですから」


 落ち着いた歩調でシャルルはフェリシエに近づき、その肩にしっかりと手を置く。


「おまえは私の大事な妹だ。なにものにも代えがたい存在だ」


 その声に、フェリシエの頬を濡らしていた真実の涙が、止む。

 そして次の瞬間には、相手の気持ちを測るように、シャルルの顔を見上げていた。


「アベルよりも?」

「むろん」


 はっきりと答えるシャルルの瞳は、まっすぐにフェリシエを見つめていた。

 そこに偽りはない。

 そうだ、この瞳。

 アベルも同じ。

 善良で真面目でまっすぐで……けれど、だからこそ騙しやすく、こちらの思いどおりに繰ることのできる人間の瞳。


「お兄様」

「なんだ?」


 見つめ返してくる瞳は、妹への愛情であふれている。


「わたくし、リオネル様と結婚できなければ、死にます」

「フェリシエ……」


 狼狽する兄に、フェリシエは追い打ちをかけた。


「アベルの死か、わたしの死……お兄様の望むほうをお選びくださいませ」


 言葉を失ったシャルルの顔を引き寄せ、フェリシエは頬に口づけした。


「優しいお兄様を困らせる、わたくしをお赦しください。もし、お兄様にはどうしても選べぬというのであれば……」


 フェリシエは、シャルルの頬に自分の頬を触れながら、その肩越しにライラを見る。

 ライラは、うっすらと笑みを浮かべ、静かにうなずいた。


「もし選べぬのであれば……アベルをリオネル様からお引き離しください。そして、わたしが味わっている苦しみ以上の苦しみを、アベルに与えてください。そうしなければ、わたくしフェリシエ・エルヴィユは救われませんわ……お兄様」


 絨毯に陽だまりをつくる、昼下がりの光。

 鳥の声。

 冷たい影。

 なにも答えぬシャルルの瞳には、深い苦悩が浮かんでいた。











 踏みしめる土が温かい。

 横から見つめてくる瞳にも、優しさがあふれていた。


「お忙しいと思うので、この先は、わたしひとりで平気です」


 あまりにリオネルが根気よくつきあってくれるので、アベルは気後れして、そう言った。

 長らく寝台にいたためにひどく鈍っている身体を、慣らすための散歩である。たかが従騎士の自分に、リオネルほどの者をつきあわせるのは気が引ける。

 しかし、リオネルは首を横に振って、真面目に答えた。


「おれも身体が鈍っている。こうやって歩いていると、ちょうどいい運動になるんだ」


 思わずアベルは口元をほころばせる。

 百歩譲ってリオネルの身体が鈍っているにせよ、このようなのんびりとした散歩が、彼にとって運動になどなるはずがない。そんなことを信じる者はだれもないだろう。それを、真面目くさって堂々と答えるリオネルがおかしかった。


 アベルを笑わせることができたので、リオネルは幸福そうに、その顔を見つめる。

 そして、真剣な眼差しでつけ足した。


「本当は、アベルといっしょにいたいだけなんだ。きみがかまわないなら、ここにいさせてくれないか」


 ついさっきまで笑っていたアベルの美しい顔が、瞬時に戸惑いの色をたたえる。

 そんなことを、リオネルにまっすぐに見つめられて言われたら、だれだってうなずかざるをえないだろう。

 いっしょにいてかまわないという相手の了解を得てすぐに、リオネルはアベルの髪に一瞬だけ触れる。そして言った。


「白い花弁がついていたよ」

「え、本当ですか?」


 ほら、と言って開いたリオネルの手のひらから、ひらひらと飛び立ったのは、花のように白い羽根の蝶。


「あ――」


 アベルは驚き、瞳を輝かせる。羽根をはばたかせて、戯れるように蝶はアベルのまわりを飛び回っている。

 すました顔でリオネルは蝶からアベルへと視線を移す。


「間違えた。蝶だった」


 顔を見合わせて、二人は笑った。


 目覚めてからというもの、リオネルは今まで以上に優しく接してくれているように、アベルには感じられた。身体への気遣いはさることながら、アベルを笑わせるような冗談をよく言うし、笑ったときの顔を不思議なほど優しい眼差しで見つめてくる。

 そんな主人に対し、アベルはわずかに戸惑うと同時に、くすぐったくてしかたがなかった。


 周囲に神経を研ぎ澄ませながら従うベルトランも、ほほえましいほど仲の良い二人をそっと見守っている。

 こんな時間が永遠に続けばいい――だれもがそう感じる昼下がりのひとときだった。


「明日、もしアベルの体調がよければ、ヴィートに会いにいってくれないか。きみと話すのを心待ちにしているようだから」

「…………」


 蝶を目で追うのをやめ、アベルは顔をうつむける。


「アベル?」


 なにも答えぬアベルの顔を、リオネルは覗きこんだ。


「まさか、彼を刺したことを、気にしているのか」


 アベルは無言のままだったが、思いつめたような表情が、リオネルの質問を肯定していた。


「あれは、おれたちに責任がある。アベルのせいではないよ」

「ですが……」


 言葉を地面に落とすように、アベルは己を責める言葉を吐きだす。


「ですが、ヴィートを刺したのは、他でもないこのわたしです。リオネル様が彼の命を救ってくださらなかったら、わたしは彼を死なせていたかもしれないのです」

「だがきみは殺さなかった。急所を外しただろう?」

「あのとき、きちんと物事を考えることができる状態だったら、もっと違う方法で彼を止めることができたはずです」


 暖かい風が、アベルの金糸の髪を揺らして、頬をくすぐる。

 真面目すぎる性格が、アベル自身を苦しめている。

 そんな不器用な生き方が、リオネルにとっては愛おしくも、心配だった。


「きちんと考えられるもなにも、アベルは立ちあがることさえできない状態のはずだった。きみはもう充分すぎるほどに、がんばったし苦しんだ。これ以上、自分を責めないでくれ」


 アベルが顔を上げてまっすぐにリオネルを見上げたのは、彼の声に、なにかを感じたからだ。

 リオネルの瞳を見つめて、気がつく。

 ――リオネルもまた、苦しんでいるということに。

 もし思い上がりでなければ、リオネルは、アベルが己を責めていることに対して、心を痛めている。そんなふうに見えた。


 きみは、もう充分すぎるほどに、がんばったし苦しんだ。

 これ以上、自分を責めなくてもいい。

 ……そう言ってくれる人がたったひとりでもいるということは、どれほどありがたいことだろう。


 この人は、アベルのことを心から案じてくれているのだ。

 紫色の瞳に向かって、アベルは小さくうなずいた。リオネルの顔に安堵の色が広がる。


 ――もう自分で自分を責めることはやめよう。

 アベルはそう思った。

 自分のためではない。

 こんな自分を心配してくれる、優しいリオネルのために――。


「今から、ヴィートに会いにいってもいいですか?」

「今から?」


 驚くリオネルに、アベルは深くうなずく。


「かまわないけど……アベルは大丈夫なのか?」

「自分を赦すまえに、ヴィートの赦しを請いたいのです」

「…………」


 ヴィートが赦してくれれば、もうアベルはこのことで悩まぬようにすると決めた。

 これは決心である。

 つまり、本当に心が悩まずにすむかはわからないが、心に決めれば、それは次第に真実の形になるだろう。そのためには、まずヴィートと直接話す必要があった。


 リオネルは、背後にいるベルトランを振り返り、そして視線だけで暗になにかを確認してからアベルに向きなおる。


「わかった。ヴィートに会いにいこう」










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