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「山賊どもが服従を誓ったとなると、リオネル様の周囲はいよいよ強者で固められたようで」
「ベルリオーズ家の勇敢な騎士と、ラ・セルネの賊……か」
なにかを思いだすようにブレーズ公爵がつぶやく。
「それに、リオネル殿のそばから片時も離れぬ赤毛の騎士は、おそろしいほど腕が立つ」
忌々しげに言い放ったのはルスティーユ公爵で、彼は刺客として放った多くの家臣たちを、かの赤毛の騎士によって失っていた。
「ベルトラン・ルブロー。ルブロー伯爵家の三男ですね」
伯爵家など無数にあるので皆いちいち覚えてはいなかったが、ルブロー家は古くからの名門であるうえに、前ルブロー伯爵のもとに前王妃の姉であるベルリオーズ家の令嬢が嫁いだことで名が知られている。
「ベルリオーズ家は、代々剣豪を生む血筋……リオネル様ご自身も、並ぶものなき剣士との噂」
ガイヤールの指摘に、皆は再び口をつぐんだ。
「早いところ、多少手荒な手段をとってでも、リオネル殿を抑えにかかる必要があるかもしれませぬな」
抑えにかかる――と、やや控えめにルスティーユ公爵が表現したのは、王の意向をくんでのことである。ジェルヴェーズやルスティーユ公爵はこれまで幾度もリオネルの命を狙って様々な陰謀を画策してきたが、それは正式にエルネストの許可を得たものではなかった。
ただ、国王に対して秘密裏に行っているわけではない。エルネストはすべて知ってはいたが、是とも非とも口にはしないままなのだ。
王の真意は、だれもが測りかねていた。
一方ブレーズ公爵は、エルネストとは違う理由で、ルスティーユ侯爵らの企むリオネル暗殺計画には加担していなかった。
殺すことで問題が解決するとは思っていなかったからである。
リオネルが他殺を疑われる死を遂げたなら、シャルム国内に根強く存在する王弟派が瞬時にして疑惑と怒りの声をあげ、農民から貴族まで、正当な王子の弔いと報復に燃えて武器を手に取り立ちあがるだろう。そうなれば、国は激しい混乱のなかで、疲弊し、弱体化してしまう。
かように考えながらも、ジェルヴェーズとルスティーユ公爵の画策していることにブレーズ公爵が口出ししないのは、リオネルがむざと刺客に殺されるような人物だとは思っていないからである。
忠誠を誓う騎士たち、赤毛の用心棒、そしてリオネル自身――。
ベルリオーズ家のたしかな強さは、古くから敵対する家同士だからこそ、ブレーズ公爵にはよくわかっていた。それは剣技や武力だけの話ではない。ベルリオーズ家の者には、結束や忠誠心を超えた、内側から湧き出るようななにかがそなわっているのだ。それがなんなのか、どこから生じるのか、公爵にはわからなかったし、わかりたいとも思わなかった。
人は恐怖だけでは支配できぬということを、ブレーズ公爵は己の苦い経験からもよく理解している。
だが、愛情や慈悲の心だけでも、人を思い通りに動かすことはできない。
なぜなら、人の感情とはひどく厄介なものだからだ。抑圧も、愛情も、人の心の闇のなかから「裏切り」を生む可能性をはらんでいる。
さらに、情というものはいざというときに人間の足をひっぱる。
そういう意味では、ベルリオーズ家やリオネル自身にも必ず脆さがあるのだ。
大切なものが多いほど、失うものも多い。
それが大切であるほど、失うことは恐ろしいはずだ。
その恐怖があるかぎり――恐怖が大きければ多いほど、そこに弱さがある。
リオネルを殺すよりも、より効果的に破滅させる方法はこの先いくらでもあるとブレーズ公爵は考えていた。ルスティーユ公爵のように、幾人もの部下を無駄に失うのは愚かしいことだった。
「山賊どもに、陛下への忠誠を誓わせるというのはいかがでしょう」
安易な提案をしたルスティーユ公爵に、ブレーズ公爵は問いかける。
「彼らは騎士ではありません、王命では動かないでしょう。もし誓わなければいかがするのです?」
「誓わぬものは殺せばよろしい」
迷わず返ってきた答えに、ガイヤールが薄笑いを浮かべた。
「山賊とはいえ、少なくとも武器を捨てて降参した相手。それを処刑するとなると、いささか外聞が悪いのでは」
「だが、今回の件ではリオネル殿が新たな味方をつけ、シャルム国内における名声を高めた。これで、王弟派はますます図に乗り、勢いづく。このままにはしておけまい」
「ルスティーユ公爵殿のお気持ちはわかります」
ブレーズ公爵は硝子の杯を傾けて、葡萄酒を揺らした。春の日差しに溶けてしまいそうな、透きとおった深い紫色の液体がきらめく。
「ですが、力ずくでねじ伏せるだけが手でもありますまい」
「どういうことですかな」
「リオネル殿がどのような血筋であれ、今は一公爵家の嫡男であり、陛下の家臣であることには違いありませぬ。そのことをはっきりと世に知らしめれば、山賊どもも陛下の力の及ぶところにある者たちであるということも、明白になります」
先ほどからずっと黙り込んでいるジェルヴェーズが、鋭い視線をブレーズ公爵へ向ける。
それに気づいて、公爵は来るべき質問を待った。
「いかにして知らしめるのだ」
「褒美を与えればよいかと」
「褒美?」
皆がいっせいにブレーズ公爵を見つめる。
「さよう。今回の働きを称えて、褒美をとらせるのです」
「なにを与えるのだ」
「与えるものは、なんでもかまいませぬ。財宝でも、金でも、勲章でも、女でも」
だれもが口を挟まずに、公爵の話に聞き入る。
静かだった。
春の風に吹かれて揺れる草花の歌が、聞こえてきそうなほどに。
「ただ、褒美を与える際に、リオネル殿をここへ呼び寄せること――そこに意味があります」
「ほう」
組んでいた足をほどき、ジェルヴェーズは杯を卓上に置いた。剣呑な色が、その瞳には宿っている。
「ここ、とは王宮のことか」
公爵はうなずいた。
「あの男を、ここへ入れるのか」
それは、ジェルヴェーズがひどく恐れていたことである。
シャルム王国の宝ともいうべき、巨大にして豪華絢爛な宮殿は、本来ならば王家の正当な血を引き継ぐリオネルの住まうべき場所だった。そこに立ち入らせることは、真の持ち主に王座の一部を明け渡すような感覚を、ジェルヴェーズに覚えさせる。
ジェルヴェーズはリオネルのことを憎悪していたが、同時に、その存在を恐れてもいた。だからこそ、リオネルを完全に屈服させるか、もしくは殺してしまうか、どちらでなければ安心していられないのだ。
そんなジェルヴェーズの思いを察していたのかどうか、騎士館に住まう従騎士のなかでもディルクのようにこっそり宮殿に出入りする者は多いが、リオネルは従騎士時代、まったく宮殿には近づかなかった。
「騎士の叙勲を受けた今、あの方が宮殿に赴くのは時間の問題でございます。まだ若いリオネル殿が、王弟殿下のように隠遁するわけにはいきますまい」
穏やかにブレーズ公爵は答える。ジェルヴェーズの機嫌を損ねまいとする貴族たちでは、かくもはっきりと彼の意に反することを口にはできないだろう。
しかしジェルヴェーズ自身も、父王の信頼厚いブレーズ公爵には一目置くところがあったし、また、この男に対しては時として父王以上に反論しにくいところがあった。
「それで、どうするのだ」
ぶっきらぼうに、ジェルヴェーズは尋ねる。
「大勢の者が見守るなか、陛下とジェルヴェーズ殿下の御前でリオネル殿をひざまずかせるのです。そのうえで、褒美をとらせると同時に、陛下のみならずジェルヴェーズ殿下個人に忠誠を誓わせるのがよいでしょう。そうすれば、殿下とリオネル殿の立場ははっきりし、リオネル殿を玉座にと望む王弟派の者たちも、殿下が将来王座に就くことに対して大きな声では文句が言えなくなることでしょう」
「私個人に……?」
今まで考えたことのなかったことに、ジェルヴェーズはしばし逡巡する。
そのあいだに、ガイヤールがさりげなく口を挟んだ。
「はたしてリオネル様ほどのご身分の方が、国家にではなく、ひとりの人間に忠誠を誓いますでしょうか」
小さくブレーズ公爵は笑った。
ガイヤールの指摘はもっともなことであったし、公爵自身、指摘されるまでもなくわかっていたことだったからだ。
二人の視線がからみあい、ガイヤールはブレーズ公爵の笑みからなにかを悟って、返事を待たずにうなずいた。
「誓わなければ、誓わせるということですね」
「……あるいは、時間がかかるかもしれませんが」
それは、エルネストの意に沿った案でもあった。
ブレーズ公爵は、王がどれほどアンリエットに心酔していたかを知っている。それを「愛」と呼ぶのか、もしくは、どうしても手に入れられぬものを欲する「我慾」と称するのか、あるいは、弟クレティアンに対して抱く敗北感と嫉妬をぬぐい切れぬがゆえの「対抗心」と呼ぶのかは、ブレーズ公爵にも判断がつかない。だが、どういう理由であれ、あの貴婦人に対して止むことなき憧れと思慕を抱いていたことはたしかだ。
忘れ形見であるリオネルを、殺さずして、完全なる支配下に置くこと。
それが、もっとも望ましい形であるように、公爵には思えた。
リオネル暗殺はこれまで成功していない――この十八年間もの長きにわたって。
ならば、そろそろ違う手段をとるべき時期にきているのではないか。
山賊討伐に乗じて、リオネル暗殺の姦計をめぐらしていたジェルヴェーズとルスティーユ公爵も、もはやそれが失敗に終わったことを悟っていた。
ふん、とジェルヴェーズは鼻を鳴らす。
だが必ずしも不満な様子ではない。リオネルの成功と、現状の停滞感からくる抑えきれぬほどの苛立ちが、完全に満足いく方法ではないにせよ、一定の方向性を見出したことで行き場を得たのである。
「やつを殺すという考えには変わりはないぞ」
念を押すようにジェルヴェーズは公爵を睨んだ。
すべてを了承しているかのように、ゆっくりとブレーズ公爵はうなずく。
「そなたの考えることは愉快だな」
はじめて言葉を発したエルネストは、香りを楽しむように、注ぎ足したばかりの高級な葡萄酒を口に含みながら公爵を見やった。
国王のひと言に賛同して、ルスティーユ公爵は幾度も首肯する。
「まことに奇想天外にして巧妙。私のような単純な男には思いつきませぬ」
称賛の言葉を受けたブレーズ公爵は、その場でだれにともなく深く頭を下げた。
「言い難きことながら、これを考えたのは私めではございません」
「ほう、では貴殿を超える知恵者は、どなたかな?」
わずかな間をおいて、ブレーズ公爵は答えた。
息子のフィデールでございます、と。
公爵の口から挙がった意外な名に、ガイヤール以外の者は皆、虚をつかれる。
「フィデール、か」
顎に手をあててエルネストはつぶやいた。
「そなたの息子には、しばらく会っていないな……」
ブレーズ家の嫡男フィデールは、ノエルの従騎士として王宮に滞在していたことがあり、エルネストは幾度か彼と会話を交わしたことがある。ジェルヴェーズとは、共に酒を飲むこともあったようだ。
「今はジェルヴェーズ殿下と同じく二十歳となりました。この折に、陛下と殿下に願い出たき議がございます」
ブレーズ公爵がなにを口にするのかエルネストは容易に予想がついた。
そのことについてまったく異論はなかったし、むしろ言いだすのが遅いと感じていたくらいである。
「フィデールの考えをこうして皆様にお聞かせしたこの機に、息子をジェルヴェーズ殿下のお傍に仕えさせたくお願い申し上げます。まだ若く、至らぬことが多いかとは思いますが、将来、必ずや殿下のお役に立ちましょう」
公爵の話を聞いていたジェルヴェーズの口元に、愉快げな笑みが広がった。
国王エルネストの返答は早く、かつ明快だった。
「早々に王宮に連れてくるがよい。私には、そなたがついているように、ジェルヴェーズにもよき方腕が必要となろう」
ジェルヴェーズの気性の激しさや、人を人とも思わぬ冷酷かつ傲慢な振る舞いについては、父王でさえも手を焼いている。自分が王位を譲る際には、彼を抑えることのできる存在が必要だと考えていた。
だが、容易な役目ではない。冷静で知己に富み、ジェルヴェーズともすでに面識のあるフィデールであれば、もしかしたら、なしうることかもしれぬとエルネストは期待していた。
ガイヤールがブレーズ公爵をちらと見やると、公爵は視線を合わせずに葡萄酒の杯を口に運んだ。……ガイヤールが思っているほど、ブレーズ公爵にとって思いどおりに物事が進んでいるわけではない。
現国王に続き、次期国王にまでブレーズ家の影響力を及ぼすために、布石を打っている。そのように周囲からは見えるであろう。むろん、そういう意味合いもある。だが、そうでないことのほうが大きい。
ジェルヴェーズをうまく制御できなければ、この国は血なまぐさい時代を迎えるに違いない。ジェルヴェーズは、意のままにならぬ相手を赦せぬ性格である。これから幾人の者が、カルノー伯爵と同じ運命を辿ることか。
彼をうまく手なずけることができる人物がいるとすれば、いまのところ、己の息子しか思い当らなかった。
だが、ブレーズ公爵自身が、息子を手なずけているとは言い難い。
そこに、別の問題があるのだ。
いつのころからか、フィデールのことがわからなくなり、そしてある種、手に負えなくなっていた。
フィデールは愚かな人間ではない。父親であるブレーズ公爵に対しても反抗的ではないし、だからこそ、彼の行動についてさして気を揉む必要はないのかもしれない。それは、わかっている。
だが、いつも漠然とした不安が残るのだ。それは、息子という人間そのものがわからないと感じる瞬間があるからだろうか。
一方、ガイヤールがブレーズ公爵を見やったのは、公爵が察したような理由のためではなかった。
ガイヤールは、フィデールと面識がある。……フィデールのことを知るがために、ブレーズ公爵の表情を読もうとしたのである。
「リオネル殿をお招きするのは、いつがよろしいかな」
ルスティーユ公爵の疑問に答えたのは、国王エルネスト自身であった。
「五月祭……であろうな」
エルネスト、ジェルヴェーズ、ブレーズ公爵、ルスティーユ公爵、そしてガイヤールは皆しばしそれぞれの考えに沈んで黙した。
――五月祭。
これが、国王派にとっての長い葛藤の終わりではなく、むしろ新たな戦いの幕開けであるように、ここにいる者たちには漠然と感じられた。
いつもお読みくださっている皆様、明けましておめでとうございます。
今年は、去年ほど更新ができるかわかりませんが、気長にお付き合いいただければ幸いですm(_ _)m
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2018年が、皆様にとって良い年になりますように。
心よりお祈り申し上げます。yuuHi
(年が明けて初めての更新だというのに、悪役しか出てこなくてごめんなさい…m(_ _)m)