02:45AM 館
突如現れたその巨大なオブジェクトに、一同は口を開けることしかできなかった。
森の真ん中にぽつりと生成されたあまりにも不自然な外壁。イナリだけが相も変わらない様子でナイフの背で叩いている。乾きかけた苔がぱらぱらと落ちた。
鉄柵と石積とで組まれた塀がまるで周りの森を切り抜いたように伸びている。
「立派な家だね」
呑気にもそんなことを呟きながら、イナリがその場で跳ねるように背伸びをして覗いている。
立派な石造りの外観。正門とは真逆の裏手から回ってしまったようで玄関は見えない。だが、枯れ枝を灰色に垂らした木や痩せた土の固まった花壇、片方の紐の切れたブランコが死体のように吊られた裏庭が霞の向こうに見えた。
かつての主の地位が伺えるような立派な洋館たが、それも遥か昔のことだろう。今ではすっかり幽霊屋敷だ。
それにしても、この場の雰囲気とは明らかに合致しないような建物だ。
無制限空間内でこのようなオブジェクトが生成される条件は限られる。
「無制限空間にボスエネミーがスポーンした場合に、同時に生成される専用オブジェクト。」
物珍しげなイナリに宛てたのだろうか。ギギが早口に言った。
対するイナリは暫く黙り
「……なにそれ」
案の定ぴんとこなかったらしい。ヒューイが補足する。
「要はボスエネミーの塒だ。」
「ネグラ?住んでるの。」
「さあな、実際に寝たり食ったりをここでしてるかまではわからん。だが基本、奴等はここを中心に周辺エリアを巡回、遭遇したプレイヤーに襲い掛かる。」
「へえ。で、帰ってくるの。」
「たぶんな。」
「そう。」
それだけ聞くと、イナリは壁を手で伝うように歩き始めた。
「ちょっ、なにしてんだおまえ!」
「なにって」
慌てて止めたヒューイに、イナリは足を止めずに首だけ動かす。
「帰ってくるなら、待ってようかなって。ないの、入り口。」
「バカ、死ぬ気か!?」
ヒューイが肩を掴んで止める。
「別に顔見たらすぐ帰るけど。さすがに喧嘩はできないかな。」
「そうじゃない!この中は特殊エリア化してる。入ったら最後、閉じ込められて強制的にボス戦だ!」
「特殊エリア」
文字通り、特殊ルールが適応される閉鎖空間だ。
外部とは完全に切り離されており、エリアごとに設けられた『目標』を達成するか、特定の場所で『撤退』を選択するまで出ることはできない。内部は入るごとにマップが変更される仕様となっており、強力なエネミーキャラのスポーンや、エリア内で適応される特殊ルールなども存在する。
「それは……困る」
「とにかく入るのは不味い!」
「でも、ボスの正体くらい掴んどきたいし。……巣の形はこれなわけでしょ。だったら住んでる奴とか特定できない。」
「えっと……」
横で聞いたマナが何やら思い出しているのか顎を触る。
「ええとね、待って覚えてる、wiki見た……んとね。洋館タイプは……確か人型か固定型。大型の車両タイプは出ないかったはず……でもこの森に出たことないからねー……わっかんないわ。」
「それじゃわかんないや。」
結局イナリは足を止めることなく、ヒューイが止めるのも聞かず入り口まで回ってきてしまった。
「でっかいね」
呟くイナリ。
マナが頻りに「やばいって」と口にしているが、どうやら聞こえないらしい。
表面に錆が浮いているが、それでもやはり堅牢そうな鉄格子の門が、頭上で人間くらい一刺しでいけそうなトゲを生やしている。
裏から見ても巨大だったが、表から改めて眺めてみると更に迫力を感じる。
霞の向こうに見える窓はどれも墨を塗ったように黒く、中を窺えない。
だが見つめているとその向こうに何か恐ろしいものが見えそうだ。
目をそらすと、早速ヒューイの注意が飛んだ。
「イナリ、門に触れるな!」
「え」
何の癖なのか、錆びた門の格子ナイフでつつこうとしたイナリが手を引っ込める。
「触れたら飲み込まれるぞ。」
「……。」
だが、それを聞いてもまだ中が気になるらしく、頻りに振り返っては背伸びをしている。
「どうするヒューイ。」
ギギが小声でヒューイの袖を引く。
「コイツ絶対やらかす。」
コイツとは、言うまでもなくイナリの事だろう。
如何にもさっさと関わりを絶ちたいという風だ。それに関しては同感だが、ヒューイは首を横に振るばかりだ。
「だからってほったらかす訳にもいかんだろう。」
「じゃあなに。みんなここで死ぬか?」
「そこまでは言ってないだろう……みんなで生きて帰る、そうだろう。」
「……。」
元より説き伏せるつもりはなかったらしい。
ギギはそのまま黙った。
「ああ、えっと。うん。」
なにやら一人でぶつぶつと言っているイナリ。
やがて目を細めると、一言呟いた。
「帰ろうか」
「は?」
「帰る。」
それだけ言うと、イナリはさっさと踵を返した。
「も、もういいのか?」
突然の決定に戸惑うヒューイに、イナリは頭を掻く。
「粘ろうかなとか思ったけど、なんかヤバい気がして。」
「ヤバい?」
ボスエネミーの脅威に関しては全く無関心だった彼が、何かを警戒している。
問い返してみても、やはりイナリは曖昧に首を傾げる。
「……関わりたくない」
「は?」
それ以上には押しても引いても何も出ない。
「帰ろうヒューイ」
元より乗り気でなかったギギがここぞとばかりにイナリに続く。それを決め手に、一行は完全に撤退の線へと映った。
「……」
これでいいのだ。こんな恐ろしい場所に長居する理由はない。
「どうかしたー、セト?」
先を行っていたマナ呼ばれて、はっとした。
「いや、なんでも……」
ーーセトくん
「っ!?」
耳元で囁くように吐息が掠め、うなじの辺りを誰かの長い髪の毛が触れたような気がした。
咄嗟に振り向くが、そこには誰もいない。
重い鉄の門が、目の前に佇むだけだ。
今確かに、誰かに呼ばれたはずなのだ。
耳元、ほんの近くで少女の声が名前を呼んでいた。
「……誰……だよ」
イナリが言った通りだ。
ボスエネミーじゃない。ここに何か触れてはいけないものがいる。
早くここを離れなければ、不味い。
慌てて踵を返したが、その時、目の前にそれは現れた
「あ……」
ーーいないいない、ばあ♪
小さな二つの手のひら
背後で金属軋む重い音がする。
何が起こったのか理解するまもなく、胸を押されるようにして後ろに倒れこんだ。
恐怖で頭の中が真っ白になる。
背後には、巨大な怪物のように口を開けた舘の門。今自分は、まさにその怪物に飲み込まれようとしている。
「セト!?」
ヒューイが叫ぶ声が聞こえたが、もはや遅い。
背中から地面にぶつかり、揺らいだ視界の中で門が再び閉じていく。
「そんな……ヒューイ!!」
地を這うようにして手を伸ばすが、無情にも門は閉じていく。
だが、そんなとき。
「うっ……!?」
何かが勢いよく突っ込んできて、自分の腹にめり込んだ。
「ぐえっ……」
その何かと縺れ合うように転がると、後頭部を強打してやっと止まった。
「い……たい……」
「あぶないあぶない」
無理矢理目をこじ開けると、目の前には自分に覆い被さるようにしているイナリがいた。
「……は!?」
「よかったね、間に合って。」
無味乾燥な調子に言うイナリ。
「間に合って……って!?」
それをはね除けるようにして起き上がると、目の前の光景に背筋が凍った。
門は完全に閉じ、その向こうには何もない闇が広がっていたのだ。
門の鉄格子を掴むが、まるで地面に打ち付けられているかのようにびくともしない。
視界にはシステム通知で『撤退封印』の文字が表示されていた。
「開かない……」
「……突き飛ばすことないじゃないか」
苦言を呈しながら、ぶつけたらしい腰をさするイナリが立ち上がった。
だが、それを気にしていられる場合ではない。
たった今、自分達は表側とは完全に隔離された閉鎖空間に閉じ込められてしまったのだ。
「嘘だ……開け!開け!」
何度も門を蹴るが、システムによって固定されたオブジェクトを破壊することは不可能だ。
そもそも、ここは表側とは別の次元に存在している。門を破っても、そこに広がるのはシステム管理の外側に広がる空白だけだ。
「開かないんじゃないかな、それ」
門にすがり付くように膝を着くと、後ろでイナリがぼそりと言う。
「そんな……うそだろ!あんたが飛び込んでこなければ、もう少しで出られたかもしれないのに!」
イナリの胸ぐらを掴むが、彼は起伏のない表情でぼそぼそという。
「間に合ってなかった。」
「そんなの、もしかしたら……」
「間に合ってなかった。」
「でも……」
突然イナリの手が動き、胸ぐらを掴んでいた腕をがっちりと掴んだ。
「いっ……」
「絶対に間に合わなかった。」
表情こそ冷淡そのものだが、まるで万力のような握力だ。
そのまま腕をどかすと、イナリはジャージの襟を整える。
「門に挟まれて死ぬのはかわいそうだなって。」
「……。」
痺れの残る腕を擦る。
確かに、間に合わなかったのかもしれない。
「でも……どっちみちここに閉じ込められてしまったら終わりじゃないですか……」
「そうかな」
「終わりですよ!」
殴り付けた地面から乾いた土が舞った。
「たった二人ですよ!ここにはボスがいる。生き残れる訳なんてない……。」
「……。」
イナリは聞いているのかいないのか、半目を閉じて何やら考えている。
「……俺一人に絡むのは勝手だけど、知らない人まで巻きこんじゃ駄目だよ……」
誰に宛てているのか、そんな独り言まで溢している。
「聞いてるんですかイナリさん」
「え」
どうやら聞いていなかったらしい。
もはや生存は絶望的だ。
「なんでこんなことに……」
何も大したことをしたつもりはない。
いつも通り、ただいつも通りに仕事をしていただけだ。
それなのに、あまりにも理不尽だ。
「セトくんだっけ」
「……。」
突然、イナリが声をかけてきた。
「……なんですか」
「俺、これから出るけど、どうするのかなって」
「は?」
見上げた顔は相も変わらず。
まさかこの状況に気でもふれてしまったのだろうか。
「……いいですね、イナリさんは。そこまで来れたら気楽で……。」
皮肉を言うと、イナリは何を思ったのかやや首を傾げた。
「……そう、かな。そっちはなんかすごく考え事してるから。なにかあったのかなって。」
駄目だ、てんで会話にならない。
「で、どうやって出るんですか?」
きっとまともな案はでない。なにせひねり出す頭が既にまともではないのだ。
「撤退封印の解放条件。」
「……。」
封印の通知と共に入っている筈の条件だ。読んではいないが、大方予想できる。
「エリア内のflag破壊。」
フラッグとは、一部のエリアに生成される特殊オブジェクトで、ミッションのクリア条件などにもされる人の頭ほどの赤い結晶だ。
「ボスが抱えてるんですよ、それ。」
「だよね。」
そう言うと、イナリは手ぶらのまま屋敷の玄関に向かって歩き始めた。
「……。」
きっとボスに遭遇した側からやられるに決まっている。
そんなことを考えていると、イナリが振り向いた。
「ああ」
「なんですか」
「門開いたらすぐ出て。待たなくていいから。」
何かまともな発言を期待したが、やはり空振りだった。
「開いたら、出ますよ……」
「それがいいよ。」
もう散々だ。
頭を抱えて座っていると、扉の方から早速大きな音が聞こえてきた。
どうやら扉が開かないらしく、殴るか蹴るかしているらしい。
「はあ……」
それを聞きながら、改めて屋敷の外観を見渡す。
薄暗く、灰色で、冷たい。
今にもこの世のものではない何かが湧いて出そうだ。
そう思うと、急に指先が震えてきた。
彼が行けば、ここで自分は一人きりになる。
「……。」
そう言えば、低レベルではあるが最近解放した解錠スキルがある。
しばらく思い悩み、やがて腹を決めて立ち上がった。
「……いま開けますから、どいててください……」