04:00AM "望まれた結果"
もし、mob管理AIの産み出したデータの集合体でしかない『クラウンオウル・ルージュ』に知能があったのなら、その現象に恐怖さえ感じていただろう。
目の前のプレイヤーが、突然プレイヤーの『定義』を逸脱したのだ。
LP、その他ステータス、プレイヤー情報の概念が破綻。
システムによる加護と拘束を次々と破壊し、その内側から膨大な情報の波が溢れ出す。
そして遂に、エネミーキャラであるクラウンオウルにはその存在を認識することができなくなった。
《error》
ここまで膨大な情報を内包しながらも、"それ"が未だに人の形を保っていることは、もはや奇跡的にさえ見えた。
「……あんまり長くやってると頭がパンクしそう」
"それ"は自分の額を平手で叩くと、ぐるりと首を回した。
「悪いけど、早めに消えてほしい」
「うっへ~……こりゃ酷い。」
華美な装飾の施されたオペラグラス越しに、背の高いモデルのような美男が溢す。
館の上空からその天井を見下ろし、先程切り落とされた肩を竦めた。
「……クラウンオウルの視界ジャック完了……見ますか、姫?」
「あたりまえじゃない、ニコはやく!」
男が差し出すそれをもぎ取ったのは、先程の少女だ。
オペラグラスの向こうに見えているのは、イナリと対峙しているボスエネミーの視界だ。
「……まったく、神様の趣味が覗きとはねぇ……」
「文句あるのニコ?」
「へいへい、めっそうもございません」
エネミーの視界越しに彼の姿を認めた瞬間に、彼女の背筋に震えが走るのが見えた。
恐怖とも、興奮ともつかない震えだ。
この異様な感覚に取りつかれたのが、この自称神の職務放棄の始まりだろう。
従者のため息も聞かずに、彼女は口のはしをつり上げる。
「……ステキ……!」
イナリの姿が見える。
しかし、それは既にゲーム内の『アバター』を逸脱した存在へと成り果てていた。
全身にノイズを纏い、時おり壊れたビデオテープを再生するように姿がぐにゃりと歪む。
「なんなんですかねえ、アレ。errorって、またバグですか?」
「バグじゃない。イナリくんが本気出してくれたの。」
「……本気?」
「ええ。すごい、イナリくんの力がこの世界のシステムを追い抜いちゃったのね。」
「無茶苦茶な……」
それが本当なら大問題である。この世界を正常に稼働させる上での重大な欠陥だ。
「姫、はやいところ処置を」
だが、当の少女はクスクス笑うばかり。
「ダメよ、まだ見てるんだから。」
「見てるって……はぁ、まったく」
ことに限ってあの『イナリ』のことになると、この神は判断力を失う。
その下で動く者としては、面倒ごとの種になる彼には消えてもらうのもありなのだが。
クラウンオウルの攻撃が再開した。
360度、全方位から飛来する鋭い刃の群れ。
しかしイナリは、まるでそれらを予め予想していたように回避していく。
「すごい……というか、もはやおっかないな」
物理法則の範囲内の生き物の動きには見えない。
「イナリくんの力はね、"可能性"を見ることなの」
「可能性?」
「そう。"こうしたらこうなる"、"ああしたらああなる"っていうのがわかるの。」
「未来予知ってかんじですかねえ?」
「間違ってはいないけど……イナリくんの力の真骨頂は『未来を選択する』ことかしら。」
未来とは、並列して存在する無数の可能性の中から選択された、ひとつの結果に過ぎない。
一方彼が見ているのは、その選択肢となる可能性の全てだ。
今まではその能力を『空間認識』と『断片的な記憶』のみに限定していた。そのため『何がどう動くか』、その結果『どんな状況に陥るか』など、直感的な回避行動にしか回せなかった。
しかし、それを認識の全てにまで拡張すれば、話は変わってくる。
彼の中では今、時間の不可逆性と、次元の独立性が破綻している。
恐らく体感では、確定要素と不確定要素、あらゆる可能性の下に存在する並行世界の自分を、全て同時に体験しているようなものだろう。
彼はそれらを選別することで、常に『望んだ結果を選択する』ことができる。
『未来予知』という平面的な情報の"前借り"とは訳が違うのだ。
「まさに神の領域……てところですか」
「さあ?そうでもないわね。」
少女はクスクスと笑う。
「皮肉よね。よりにもよって、この力を掴んだ彼自身には"望み"なんて何もないのに……。」
「望みがない?なら、あの問題児は何で動いてるんですかね。」
「さあ……幽霊?亡霊のささやきかしら。どちらにしろ、神様にするにはあんまりにもかわいそうすぎる。それに、負担だって尋常じゃないはず。」
可能性を見るということは、無限に近い莫大な情報が一点に集中するということになる。並みの人間に堪えられるものではない。
「ほう……まったく、かわいそうな奴だ。飼い主の言い付けきちんと守って柵の外にさえ出なきゃ、一生幸せな羊でいられたものを……」
男は首を傾げながら言う。
「しかも、よりによってあいつ自身には目的もないときた。羊でいられるのも時間の問題だな。いまに堪えられず野垂れ死ぬか、それともイカれたモンスターになるかだな。」
「バカね、ニコ?」
少女は艶やかな笑みを浮かべ、唇を舐めた。
「イナリくんはモンスターになんてならない。だって私のかわいいイナリくんだもの。」
その言葉に、男は肩を竦めた。
「知りませんよ、今にその手に噛みつくかも。指一本もってかれたり。」
「手や指ならかわいいもんじゃない?それよりも……」
そういうと、どこか恍惚とした表情で自らの喉元を指で指した。
「噛みつくなら、コ・コ♪」
「……」
もはや手のつけようもない。
家畜に食い殺されたがるなんて、まともな頭では理解できないだろう。
「なんかなぁ……はあ」
「……ッ」
まるで蜂の群れと格闘しているようだ。
四方八方、何処からでもあの刃が飛んでくる。
回避するルートを選択し続けている今、向こうからの攻撃は掠めることさえない。だが、それもあまり長くは持たないだろう。
集中力にも、限界がある。
もうざっと五万通りの死は味わっただろうか。今、この瞬間も100回は死んだ。これが毎秒、いや、もっと短い感覚で流れていく。
そんな情報の濁流から一筋の生存ルートを見つけ出して紡いでいく。
これはつまり、そういう能力だ。
もちろん、まともな神経ではやっていられないだろう。
現に、こんなことをしていると、自分が今生きているのか死んでいるのかさえ分からなくなる。
いや、そもそも時間という感覚が失われた状態では"今"という感覚も曖昧になっているのだが。
「まだ戦うの?」
ふと、どこからともなくそんな声がした。
鈴の鳴るような、透き通った優しい声。
今度はあのたちの悪い神様の声真似ではない。たぶん、本物だろう。
本来なら二度と聞けるはずのない声だが、時間の概念を破壊した今なら、再び聞くことができる。
その言葉をゆっくりと飲み下し、小さく呟く。
「止まるわけにもいきませんから。」
この力を引き継いだ時に決めたことだ。
望んだ結果も、それに至るまでのリスクも、最後まで背負うと。背負って、きちんとその結末を見届けると。
「もう、何かを見捨てたりとか、犠牲にしたりとか、疲れたんですよ。それなら、もう全部背負うしかないかなって。」
「……。」
その言葉に、彼女は淋し気に黙った。
「これだけやってると、やっぱり死ぬのにも慣れてきますから。大したことないです。だから……」
襲いかかる刃の群れを潜り、ゲパードを展開した。
「待っててください。貴女の望んだ結果に、絶対にたどり着きます。」
一瞬だけ、隙間なく飛び交う刃のなかにひとつの道が見えた。
「じゃあ、いってきます」
全身、紙一重の間合いで赤い羽根が空気を切り裂いていく。
床を蹴り、身を捻り、僅かな隙間さえ見逃さずに押し通す。
一挙一動のすべてが針の穴を通すような精密動作だ。
距離が詰まっていく。
もう少しで、ボスエネミー本体を取り巻く刃の範囲に入る。
その直前で地面に足を着き、急停止した。
もちろん、一瞬でも同じ場所にとどまれば、全方向から攻撃がくる。
もはや、回避の余地はない。
だが彼は臆することもなく片膝を着いて、上体を固定する。
ストックを浅く脇の辺りで固定し、斜め上へと構える。
銃口からの直線距離、僅か四メートル。
大口径の弾丸が、血のように真っ赤な仮面を砕き、貫いた。
「……!?」
館の出口まで目前のところで、そのやけに大きな銃声が聞こえた。
「まさか……」
彼が一人で、あのボスエネミーを倒したのか。
もちろん、真偽のほどは定かではない。
だが、何か予感めいたものがしたのだ。
常識で考えればそんなことはあり得ないが、彼のことだ。あれを常識に当てはめて考えるのは間違いだろう。
だが、妙だ。
倒したのなら倒したで、自分はここで待っていればいいはずだ。それなのに、何か胸騒ぎがする。
「おちつけよ……今さら戻ってどうする」
相手は見たこともない新種のボスエネミーだ。自分が戻ったとして、立ち向かえるわけもない。そもそも今の自分は丸腰だ。他人の心配をしている場合ではない。
自分に言い聞かせてみるが、それでもおちつかない。
と、そこであることを思い出した。
先程入手した拳銃がある。
これさえなければ、自分を納得させて逃げ切ることができただろう。
これさえなければ
「ああ、クソ!!」
拳銃はあまり使ったことがないが、仕方がない。
慣れない操作で初弾を装填し、来た道を駆け戻った。
「……」
身体中に痺れるような感覚が走る。
視界がぐにゃりと歪んで、思わず目を閉じた。
体が、元のアバターに戻ろうとしている。
目の前には、頭部を破壊されたボスエネミーの残骸がある。
倒せたのか。
朦朧とした意識のなでははっきりしないが、そう信じるべきだろう。
そうでなければ困る。
減少したLPゲージと、《error》の表示にかき消されていたプレイヤーネームが復帰する。
これで終わりだ。
安堵のため息をつこうとしたその時、右肩に激痛が走った。
「……ッ!?」
まるで焼けた金属を捩じ込まれたかのようだ。
痛みに神経を焼かれ、右腕に力が入らない。
荒い呼吸のなで手を伸ばすと、ぬるりとした暖かい液体に触れた。
「あれ……やっぱりダメか」
この世界に閉じ込められてからはしばらく目にしていなかったものが、手のひらの上にどろりと乗っている。
ではこの痛みも同じく、今まではシステムが遮っていたものだろう。
どうやら、ぎりぎり間に合わせきれなかったらしい。
「……いたい」
首を曲げてみると、あの羽根が深く突き刺さっている。
アバターとしてのダメージなら大したことのないものだろう。しかし、そうでない体で受ければ訳がちがう。
刺さった羽根を握ると、それだけで激痛が走る。
奥歯を噛み締めて、羽根を引き抜いた。
「い……ッ」
抜かれた羽根はすぐに赤い光に溶けて消えた。
だが傷はそのまま。ダメージ演出の代わりに、皮膚の破けた傷口からは血が流れ出ている。
生身と同じ傷だ。
不思議なことに、LPに影響が出る様子はない。
これも《error》の作用だろうか。
だが、LPが減らないからといって問題がないという訳でもなさそうだ。
突然かなりの血を流した為か、頭が重い。
肉体は確かにダメージを受けている。
ジャージを脱いで、下から着ていたシャツを裂いて腕を縛る。
LPとは別問題だということは、回復薬の効果も期待できないだろう。
いや、そもそもこの世界の法則下で生身の傷がきちんと治癒するのかも怪しい。
「……。」
いずれにしても、早く外に出なくてはならない。
ここは多層空間として成立する特殊エリアだ。撤退の封印を解いていても、外からの救援は望めない。
なんとか立ち上がり、礼拝堂の出口へと向かう。
この調子なら、何とか一人で出られそうだ。
だが、それが最後の油断となってしまった。
「……ッ」
背中にいくつものダメージ判定が入り、突然鉛を背負わされたような重みがのしかかってきた。
これは、クラウンオウルの攻撃だ。
ステータスに《鈍化》のデバフが入っている。
LPは残り僅かで耐えたが、この状態ではもはや体を動かすことができない。
床に埃や長椅子だった木片の散乱する倒れると、背後から低い呻き声が聞こえてきた。
まだ完全に殺しきれていなかったらしい。
頭部に大穴を空けられた状態のままで、死に際のクラウンオウルが迫ってくる。どうやら、道連れにでもしていくつもりのようだ。
反撃を行わなくてはならない。
何か、武器を
だが、体が言うことを聞かない。
クラウンオウルが外套のような翼をさばき、鋭い爪の生えた腕を振り上げる。
「あああああああああああ!!」
銃声が響き、赤い光が飛び散った。
「……」
クラウンオウルの胸が弾け、ダメージ演出が入っている。
続けざまに銃声。
いくつもの射線がボスエネミーの体へと吸い込まれ、赤い光を散らす。
金属をこすり合わせたような断末魔の悲鳴をあげ、ボスエネミーが倒れた。
「あれ……」
朦朧としたまま倒れていると、肩口に殴り付けるようにLP回復薬の針が刺された。
「……だから、信用できないって……言ったんですよ!」
目の前には、肩で呼吸をするセトがいた。
「……何ですか、俺一人で十分って……そうやって嘘言って、ごまかして……だからあんたを信用できない!」
「ごめん」
セトがその肩に手を回して立ち上がらせる。
「……ッ」
「イナリさん……!?」
顔を歪めたイナリに、セトが眉を潜める。
それもそうだろう。この世界では本来痛覚抑制が働くため、激しい痛みは遮断されるはずなのだ。
そこで彼はやっとイナリの血を見る。
「それ……まさか、なんで血が……!?」
「このことは」
遮るように口にすると、彼の目を見つめる。
「……悪いけど、このことは黙っててほしい」
「……」
どうやらただ事ではないことを理解したらしく、セトもそれ以上なにかを聞くことはなかった。
「もうさんざんだ。はやく……こんなところ出ますよ」
「……うん、たすかった」
「……。」
「セトくんありがとう」
数分後
プレイヤー二名がエリアを脱出。ボス撃破により存在定義を失った特殊エリアは役目を終えて消失した。




