03:55AM 《error》
「うわっ!?」
傾く視界の中で、真っ赤な光が溢れるのを見た。
赤く散る光は、まるで薔薇の花弁にも見える。
突き飛ばされたと理解したのは、背中から固い床に衝突したやっとその時だった。
「いたい。」
顔をあげると、そこにいたのは銀の羽根を右腕に受けたイナリだった。
「イナリさん!?」
「……。」
その呼び掛けに応じることはなく、イナリは落下したシャンデリアの方をじっと見ている。
「ああ……」
「どうしたんですかイナリさん!」
「いや」
目を細くしながら、彼は腕に刺さった羽根を引き抜く。
シャンデリアの下敷きになったボスエネミーの亡骸の上で、緩い風が渦を巻いている。
「セトくん、先帰ってていいから。」
「は?」
ここにまだ何かがいるのは疑いようもない。
それにまだ、フラッグは破壊されていないのだ。
「冗談じゃない。俺も一緒に……」
「その銃じゃ無理だと思う。」
言われて見下ろすと、胸に抱えていたSG550の機関部に銀の羽根が深く突き刺さっていた。
これでは、もう銃としては機能しない。
「フラッグは俺が壊しておくから。それより早くいった方がいい。でないと……」
イナリの言葉を待たずに、渦巻く風が勢いを増した。
シャンデリアの下にあったボスの亡骸が赤い光の粒子に溶けていく。
そして、渦巻く風に飲まれると、そこで新たな形を作った。
銀の翼は血に濡れたように赤黒く染まり、全身には鬼火のようなオーラを纏っている。
クラウンオウルと原型を似せているが、明らかに別種だ。
こんなボスエネミーは、見たこともない。
「行って。俺一人で十分。」
その一言を残すと、彼はインベントリから太い槍のような物を出した。
対戦車ロケットランチャー、RPG-7だ。
室内にも関わらず、それを躊躇うことなく敵に撃ち込んだ。
しかし、弾頭は標的に命中する前に爆散した。
よく見ると、肉眼では捉えにくいが、無数の羽根がボスエネミーの周りを高速で回転しており、月光を赤く反射させている。
いったい何枚の羽根が展開されているのかわからないが、あの範囲に入るのはミキサーの刃に触れるのと同じだ。
気が付くと、一目散に礼拝堂の出口へと走っていた。
あんな化け物に勝てるわけがない。
ましてや、あれに守られているフラッグになんて近づけない。
とにかく、今はあの存在から少しでも離れることしか考えていなかった。
「うん、それでいい」
背後で微かに、そんな声がした気がした。
無言なまま、相手を見つめ続ける。
色は赤くなっている。それに、身体中をあの鋭い羽根が飛び回っている。
これがなんなのかはわからない。
だが、相手をしなければここから出ることは無理そうだ。
ボスエネミーが、その翼を大きく広げる。
またあの羽根を飛ばす攻撃か。
ならあまり脅威にはならない。
見て避けるぶんには、なんの問題もない。
赤い翼を大きく打ち、無数の羽根が飛ぶ。
今度はかなりの速度だ。肉眼でとらえるのはほぼ不可能だろう。
だが、それでも問題はない。
どこを通り、どこを通らないのか、それを理解するには十分だ。
しかし、直後背中に鋭い痛みが走った。
「あれ……。」
背中をなにかに大きく切り裂かれ、LPが一気に四割削れる。
原因は一瞬遅れて理解できた。
視界の外からも、羽根が飛んできている。
第二段階では、たしか本体のみが瞬間移動の能力をもっていた。
だが、この形態では飛ばすことのできる羽根までも瞬間移動が可能らしい。
つまり、360度どこから来るのかがわからない。
視界に収まりきれる範囲ならさばきようもあるが、それ以上は手におえない。
「……」
これは、難しい。
フラッグを出現させた今、無理をしてこいつを倒す必要はない。
だが、ボスエネミーは現在フラッグを中心に動いていて、接近は困難だ。
フラッグの破壊条件は、三メートル以内からの攻撃。そこまで接近しなければあれを破壊することはできない。
仕方ない。かなりの無茶になるが、試そう。
ボスエネミーが上昇を始めた。
とたんに上空からの攻撃が始まる。
鋭い羽根が雨のように降り注ぎ、地面へと突き刺さる。
柱の影に隠れてもいいが、それでは部屋中央のフラッグに近づけない。
多少食らっても、死なない程度に、かつ足が動けば十分だ。
回復アイテムを打ちながら、フラッグへと突っ込んだ。
早速上空からの二本が右肩に刺さったが、まだ問題ない。続く攻撃を、インベントリから取り出したAKMで振り払った。
弾薬の暴発の恐れはあったが、とっさのことで気にしてはいなかった。
幸いマガジンと機関部へのダメージはなく、代わりに銃身を遮るように幾つもの羽根が突き刺さっていた。
これでただの鉄の塊と化したが、それでもまだ盾としては働く。
飛んでくる羽根は腕か、振り回すAKで受けながら、フラッグへと体当たりをする。
あと五メートルの距離で、イナリはAKMを振り上げて大きく床を蹴った。
背中になん本か羽根が刺さったが、そのままの勢いでソ連製の自動小銃をこん棒のように振り下ろす。
既に耐久力の限界へ達していた小銃が、赤い結晶と共に砕けた。
マガジンが割れて、スプリングによって無数の弾がばら蒔かれる。
《目標達成:撤退封印解除》
テロップが流れて、何処からともなく鍵の開くような効果音がした。
ひとまず、これで仕事は終わりだろう。
「はあ」
ため息をつく。
そしてその背中に、無数の羽根が突き刺さった。
「キザキくん」
聞き覚えのある声で、自分でも忘れかけていた名を呼ばれて、遠のきかけていた意識が戻ってきた。
間違えはしない。彼はずっとこの声を頼りに歩んできたのだから。
「駄目ですかね。」
口にして、腕で顔を覆う。
身体中が重い。痛みを随所に感じるが、どこが痛むのかもはっきりしない。
「まだ、戦わなきゃ」
「駄目だよ、こんなところで負けちゃ。まだ終わりじゃない。」
「そうですか、じゃあ……」
残弾の僅かとなったM1911が、天井に向かって火を吹いた。
「声真似なんてしないでほしい。」
そのとたんに聞きなれた声は豹変し、おもちゃで遊ぶ幼い少女のような声音になった。
「あら、狸寝入りなんて、イナリくん卑怯ものね。」
「寝ようともしてないし、寝たふりもしてない。」
目を開けると、そこには色彩の抜けた灰色の世界が広がっていた。
宙を舞う埃も、猛攻を仕掛けてくるエネミーも、全てが停止している。
そんななかに、モノクロのドレスで着飾った少女がクスクスと笑いながら見下ろしていた。
彼女のことは知っている。
なんでも、本人はこの世界の神だと主張しているのだが、彼にとってはたちの悪い悪魔のようなものだ。
『アゲハちゃん』
彼女は、自らそう名乗った。
「嫌ね、イナリくん。まさかこれくらいで死のうとするなんて、駄目じゃない。」
「死のうとはしてない。死にそうなだけ。」
「まさか……」
少女はまた笑うと、彼の髪の毛を指先にくるくると巻く。
その手触りを楽しむように一頻り撫でると、不意に目を細めて、耳元に唇をよせた。
「まだホンキ出してないクセに……?」
「……。」
撫でられた頭を気にするように掻き回すと、床に倒れたまま瞬きをする。
「残念だけど、これが限界。」
「相変わらず嘘が上手じゃないね」
彼が抵抗しないのをいいことに、少女は更にその体にまとわりつく。
彼の腕を取って、その横へ腕枕のようにして並ぶ。
「ねえイナリくん。このエネミー、びっくりした?イナリくんがあんまりあっさり倒すから、さっき作ったんだよ?イナリくん専用に。クラウンオウル、第三段階。《クラウンオウル・ルージュ》」
「迷惑。」
「ひどい、これでも三分は悩んだのに。」
その三分が長いのか短いのかはよくわからない。
彼女はまた彼の髪の毛を手にさわる。
「ねえ、見せてよ、ホンキ」
「嫌だ。」
「オネガイ」
「嫌だ。」
「こんなに頼んでも?」
「これが今のホンキ。」
「もう」
彼女はむくれると、今度は彼の胸の上へ馬乗りになる。
「今のあなたは、その力を左目だけに絞ってる」
「……左目しかできない。」
「嘘つき。」
そう言うと、イナリが無理に閉じた右目に口づけした。
そしてその瞼を小さな舌でちろりと舐める。
「……こっちもできるんでしょ?……ううん、違う。目だけじゃない。今のイナリくんなら、全部できるハズ。」
「できない。やらない。」
そう言うと、彼は固く両目を閉じた。
「ねえ、やってよ、見せて?おねがい。」
「嫌だね。」
「ねえ」
彼女はイナリの額に自分の額をぐりぐり押し付けながら、駄々を捏ねるように繰り返す。
「おねがいおねがいおねがいおねがい、みせて?見たいの、見せて?」
「……やだ。」
「やんなきゃ殺しちゃうから。」
「なら殺せばいい。」
それを聞くと彼女は額を離した。
「そう」
幼げな容姿には似つかない鋭さで目を細めると、今度は氷のように冷たい口調で言う。
「なら殺すわ。あなたじゃない。この森にいる全員を殺すの。」
すると、やっとイナリが目を開けた。
「知ってるんだから。この森には今、あなたの大事な人がいっぱいいる。でも、ルージュちゃんを使えば一瞬ね。」
「……」
無言のまま、視線だけがぶつかる。
しばらくして、やっとイナリが口を開けた。
「……やればいいんでしょ」
「うん、そう。」
とたんに嬉しそうな表情になると、今度はその唇に思いきりキスをした。
「……。」
迷惑そうな顔をする彼に、少女はにこりと微笑む。
「……そのうちやらなきゃいけないのは、なんとなく知ってた。」
イナリが立ち上がる。
その体にノイズがまとわりつき、ぴりぴりと音を立てる。
表示されていたLPゲージが消失、プレイヤーネームにもひびが走る。
《error》
「そう、それがみたかった」
「……ん。」
彼は小さくため息をつくと、目の前の少女に銃口を向けた。
「満足なら消えてよ、もう疲れた。」
銃声、
画面を、植物の根のようなひびが覆った。
本編のネタバレを回避しようとしたら超絶展開に。
反省はしている。
公開はしていない。




