今までの日常 その3
ところで今思った疑問だけど、香奈は私の言うこと信じすぎなんじゃないかな? 結構嘘をついているのに、何故疑いもせずに飲み込んでしまうんだろう。
尊敬している先輩だから? だとしたら注意しないといけないな。私は基本的に無害だけど悪い男に騙されたら良くないし。
でも、なんといって説得すればいいんだろうか。私は嘘つきであり、思いつきで話してるのであって、説得できるようなスキルは持ち合わせてない。
可愛い後輩のために、私は何をしてあげられるだろうか。
……試してみるか。
「ちょっと、しんみりしちゃったね。話変えようか」
「急になんなんですか。まあ、私も恥ずかしくなってきましたし、いいですけど」
先輩の言うことに逆らわないのは後輩の美点でもあるし欠点でもある。香奈はツッコミはするけれど、完全に否定はしない。良くも悪くも良い子なんだろうなあと思いつつ、私はすっかり冷めたオムライスをほおばる。
「この前さ、京子と口論になったんだけど、香奈って野球とかサッカー好き? テレビで見たりする?」
「いえ、あまり興味ないので、ほとんど見ません。ニュースで試合結果を知るくらいですね。ああ、根室センパイはスポーツ全般好きですからそういう話題になったんですね」
「まあそうなんだけどさ。京子はカープ女子だとかオリ姫みたいなにわかファンと違って子供の頃から好きなんだって。特に野球は幼稚園から小学六年生までやってたんだ。いわゆる野球少女かな」
「野球が好きなのにどうして中学からテニスをやるようになったんですか?」
「それは私が誘ったんだよ。小学校は別々だったけど、中学で仲良くなってね。まあそれはいいや。重要なのは京子が今も野球が好きだってことだよ」
「重要、ですか?」
香奈はから揚げを咀嚼して飲み込み、ウーロン茶を飲み干す。
「野球の話をしてくるんだけど、私は興味がないし、正直どうでも良かったんだけど、ある日疑問に思って訊いたんだよ。『どうして野球選手を呼び捨てにするの?』って」
「うん? 別に普通じゃあないですか。ニュースでも基本呼び捨てですし」
「いやいやいや」
私は大きく首を振って反論する。
「私は本当のファンだったら敬称をつけて話すべきだと思うんだよ。例えば坂本『さん』とか。まあ『様』はやりすぎだと思うけどもそれなりの敬意を払わなくちゃいけないと思うんだ」
「えー? 可笑しいですよ」
私の主張に対して香奈は不可解な表情を見せた。
「それはどうかと思いますよ。近づきがたくなるじゃないですか。それに野球場で応援するとき、いちいちさん付けするの面倒くさくないですか?」
「そのめんどくさいって思う時点で敬意が足りないんだよ。尊敬するべき人たちだよ? 野球選手は。だって自分の夢を叶えているんだよ。嫌々野球選手になった人なんていないんだから」
「それはそうですけど、極論過ぎません? さっきも言いましたけど、近づきづらくなるって思いますよ。それに子供たちが応援している様子を想像してください。みんながみんなさん付けで言わなければならなくなりますよ? 嫌ですよそんなの。あどけない子供が野球選手をさん付けして、呼び捨てしたら親が怒るのって酷くないですか?」
うーん、確かに想像したら嫌な光景だ。だけど肯定したら話が終わってしまうので、敢えて否定してみる。
「でもさあ、私は尊敬ていうか敬意ていうかなんていうのか分からないけどそういうのが満たしていない気がするんだよ。応援してるのか非難してるのかどうか分からないことも多いし。まあほとんど非難なんだけどさ」
さっきと同じことを違う言い方で言ってみると、
「じゃあ具体的に説明してください」
と言われたので私は腕を組んで考える。
「えーと、京子に言ったことと同じこと言ってもいい?」
「いいですけど。というより私に断る理由が思いつかないんですが」
「なんかのはずみで同じことを言ったって知ったら気分悪くなるし。まあいいや、京子は大体香奈と一緒のことを言ったんだけど、そのとき私はこう言ったの。『じゃあ使えない選手とか非難してるのはファンじゃないの』って」
「使えない選手ですか? 要するに戦力外の選手のことですか?」
「そういうのじゃないよ。戦力外の選手が使えないのは当たり前じゃない。私が言いたいのは、実力があるのにそれが発揮できてない選手を言うんだよ。プロのプレイヤーが全員が全員、最高のパフォーマンスを発揮できないようにね」
どんなに優秀な選手でも変わらない不文律であり常識でもある。
「京子は良い子だけれど、口うるさいところがあるからね。たまたま調子が良かったり悪かったりして成績が上下することがあるじゃない? その度に『この選手は使えない』とか『やっぱりこの選手は使える』とか手のひら返しに誉めたり貶したりしてる」
「根室センパイだけじゃなく誰だって言ってますよ。そんな目くじら立てることはないんじゃないですか?」
もはや呆れ果てるような顔をしている香奈をよそ目に、私は更に言葉を紡ぐ。
「京子は百歩譲って文句言ってもいいよ。百歩譲ってね。だけどそこらへんのおじさんがスポーツ新聞見ながら『こいつぜんぜん使えないなあ』とか言ってるの聞いてだんだん腹立ってくるのね。たいした人生を歩んでもいないくせに、偉そうに批評なんかしてるの。ふざけんなって思うわけよ。そのお前が使えないとか言ってる人は、お前が想像してる何倍も何十倍も努力してるのに、どうしてそんなこと言えるのか小一時間問い詰めたいよ。香奈はどう思う?」
「……確かに腹立つ気持ちは分かりますけどそこまで真剣にならなくてもいいんじゃないですか?」
「真剣? どういうこと?」
不真面目な人間である私に、真剣なんて言葉似合わないと思ったり。
「センパイの意見は正しいか正しくないか、どっちかと聞かれたら正しいんでしょうね。でもセンパイの言うことは極端なんですよ。確かに野球選手は尊敬すべきだと思います。ですがそこまで敬意を払う必要あります?」
香奈は苦笑をしながら私に疑問を投げかける。
「だってセンパイだって言ったじゃあないですか。戦力外の選手は使えないって。それっておかしくないですか? 戦力外の選手も人より努力して苦労して練習したのに、センパイは使えないって言いましたよね」
まあ確かに言った。失言だった。
「失礼ですけど戦力外の選手だってセンパイより努力しているのに、センパイは『使えない』って断言したじゃあないですか。センパイの主張ぶれぶれですよ。というより答え出てますよ。使えない選手は使えないって言ってもおかしくないし、そこまで敬意を払う必要ないってことです」
なんだか論点がずれてる気がするけど、軌道修正はしない。何故なら『香奈は先輩の言うことを鵜呑みにしない』ということが分かったからだ。
我ながら滅茶苦茶な論法だった。話題だった。
京子と野球選手について議論したことないし、してもそんな答えのない迷宮に入り組んだようなこと話すわけがない。
これはただの中身のない、討論という形を取った虚構の話だ。
だけど――
「私はただ、報われてほしいだけかもね」
嘘つきで気まぐれな私だけど、この時点では本音で話そうとした。だってそうじゃないと自分でも纏まらなかったから。
「報われてほしい? それって努力した人は努力した分だけ見返りとかがあったほうが良いって、言いたいんですか?」
「うーん、そんな感じかな。まあちょっとニュアンスは違うけども。ちょっと待ってね。考えるから」
私は腕を組んで考えた。その思考の最中に香奈は新しいの持ってきます、と言って自分と私のコップを持ってドリンクバーに向かった。気が利く後輩だなあと思った。
「それで、考えがまとまりましたか?」
新しく注がれたコーラを一口飲んで、一息置いて、促されたまま私は答えた。
「思うんだけどさ、努力する人や努力した人は純粋に努力することが大好きでやっているんだよ。私にとってはテニスがそうだったように。そして今の香奈にとってのテニスのように。初めから見返りやご褒美を求めてはいないんだ。下心ではなく真心で物事は始まるんだよ」
「つまり、どういうことですか? 何かを始める時点では手段と目的が一緒になっていたと言いたいんですか? それがだんだんと乖離していくと?」
「かいり? ああ、乖離ね。難しい言葉知ってるなあ。まあいいや。その例えで言うなら手段と目的が同一だったのが目的のための手段になっていくのが正しいのかな」
「なるほど、確かにそうですね。テニスが好きでたまらなかったのに、大会に出て優勝することが目的になって、手段であるテニスを苦しみながらやり続ける。そういうことですか?」
「分かりやすいね、それ。だけど最終的に私が言いたいこととは違うかな。大会に出てもテニスが好きでたまらない人もいるし。そんな人に対して好きなこと好き勝手にやって不愉快だなんて言えないしね」
「センパイの喩えは毒が強すぎて理解に苦しみます」
苦笑いをしながらウーロン茶をごくごく飲む香奈。まあ話がややこしくなってきてるのは否めない。
「ストレートに言うよ。ずばり私が言いたいのは才能の有無によって手段と目的がぐちゃぐちゃになっちゃうのが問題なの」
「……はあ? ずばりというよりいきなりですね。才能の有無? なんでそんな話になったんですか?」
「香奈が言ったじゃん」
「何をですか? 私の発言に失言があったんですか?」
何気にラップみたくなっていたけどスルーする。
「香奈、自分の言ったことをもう忘れたの?『手段であるテニスを苦しみながらやり続ける』って。苦しむってことは才能がないってことでしょ?」
それはつまり、香奈も苦しみながらテニスをやっていることも示唆している。
香奈はハッとした顔をして、それから目を伏せた。表情に蔭りが出ている。
「……私は才能のない、努力することでしかセンパイに追いつけない凡人ですから、ついそんなこと言ってしまった感がありますね」
「そんな言い方だと私が才能あるみたいになるからやめてほしいなあ。それに香奈は才能なくないからね?」
「よく言いますね。私、一度もセンパイに勝ったことないですよ」
少し不満そうに言う香奈に私は両肩を竦める。
「だから私は経験というアドバンテージがあるんだって。子供の頃からやってるんだから強いの当たり前でしょ?」
「それを差し引いても強いんですって。センパイって意外と自己評価低いですよね」
まあ育ってきた環境が悪かったしね。
「私のことはどうでもいいよ。話戻すけど、才能って求める人全てに与えられているものじゃあない。選ばれた人間だとか選り好みされた人間っているじゃない。その理不尽さが私は納得できないんだよ」
「それってしょうがないですよ。人間は能力に違いがあって、それが個性っていうものではないですか?」
確かにそうだ。みんながみんな平均程度の力がなかったらテニスの試合もつまらなくなるし、極端なことを言えば一万人の凡人の中に一人の天才がいたおかげで社会は発達してきたし、文明はここまで栄えてはいなかっただろう。言い換えるなら逸脱した人間こそが地球を回してきたのだ。
「まあ無個性の世界は絶対面白くないけど、それでも平等で優しいユートピアになると思うよ」
「そういう世界は悪平等で厳しいディストピアになりますよ。そんな世界はまっぴらごめんです。それでセンパイは結局何が言いたいんですか?」
香奈が催促してきた。まあこれまで抽象論で語ってきたから、本論から横道に逸れている感がある。
「私が言いたいこと――それはね、全ての人が報われてほしいってことかな。努力した分だけ結果につながるような、才能なんてくだらない不安要素に左右されないような、必ず報われるような環境を望んでいるのかな」
「そんなの無理に決まってますよ。何言ってるんですか?」
香奈は手厳しいことを言う。まあ当然か。自分でも言ってて無理だなあと思っていたから。
「センパイの言ってることは選択肢を減らして、たった一つにするって言うことですよ。つまりは可能性をなくすってことです」
選択肢と可能性。人間が生来持っている才能や性質を最大限に引き出すこと。希望とか未来とかキラキラした明るいものと同じだ。
「香奈、こんな話を聞いたことある? 自由と平等は相反するものだって。自由だから格差が生まれ不平等なるし、平等だから拘束が出来て不自由になるって。まあ資本主義と社会主義が噛み合わない理由の一つらしいけどね」
「ふうん。センパイって物知りですよね」
「いや、これは高校一年の現代社会で先生が言ってたことの受け入りだけどね」
あの先生は良いこと言ってたなあ。懐かしい思い出だ。
「これは私見だけど、ディストピアはユートピアに成り得ると思うんだよね。自由だから不平等。平等だから不自由。二律背反だからこそ、不完全だからこそ完全以上のものが産まれるんだと思うんだけど」
「……なるほど、面白い考えですね」
どこか納得したように感心した後輩に、私は次の言葉を紡ぐ。
「だから誰もが報われる世界は創れるし、実際に今の社会でも創れると思うの。具体的にはさっき言ってた戦力外の選手にケアを行ったり、敬意を払ったりできると思うのね」
「その分、どこかに歪みが生まれると。やっぱり悪平等ですよ」
呆れたように言う香奈に私は何を返せばいいのか分からなかった。
私の言っていることは空想だし空虚だし、なにより虚構でしかなかった。
それからしばらく私と香奈は黙ったままですっかり冷めてしまった料理を食べた。
食べ終わって、紙ナプキンで口元を拭き、そして話し始める。
「とどのつまり、私は分かってもらいたいだけかもね。努力しても報われない人の気持ちを。才能のない人の苦悩を。自分じゃあ何も出来ないくせに他人を非難する人にね」
「……センパイって優しいのか優しくないのか分かりませんね」
うん。自分でも分からないよ。
そう心の中で答える。
私は弱くて弱々しくて情けない人だ。
けれどそれを可愛い後輩はもちろん、他人にそういう姿を見せたくないんだ。逆に強くて優しい人だと思われたい。
わがままだな、私。
「センパイ、一つ聞いていいですか?」
香奈が授業みたいに手を挙げて尋ねてきたので「なあに?」と聞き返す。
「センパイはどっちの立場で今までの話を語ってきたんですか?」
「どっちの立場?」
よく分からないなと思いつつ、次の言葉を待つ。
「センパイって、否定しますけど選ばれた人間ですよね。才能があったからテニスが上手かったですし」
「……香奈だってそうじゃない。同じように才能ないって思い込んでるタイプでしょ?」
「私のことはいいんです。話逸らさないでください。普通はセンパイの立場は上から目線でもおかしくない。でもセンパイは戦力外だとか才能がない人だとか弱者の立場で話をしている。センパイってどっちつかずな印象を受けるんです」
考えてみるとそうかもしれない。私の立場――立ち位置ならば上からだけど、心情的には下から見ている。
やっぱり家庭の影響かな……
「センパイは人を優越感で見てるのか劣等感で見てるのか、どちらですか?」
香奈は真剣な顔で訊いてくる。私はその言葉で昔を思い出していた。
『佐々木に友達なんかいないよ。お前は人を自分より上か下かにしか見えていないんだ』
そう言ったのは確か京子だっけ。
私は自覚なかったけど、実際に言われてみて、ああそうかもしれないと感じたのを覚えている。
だから私は友達が少ないんだろうなと納得した。
しかし過去のことはどうでもいい。この場で私はなんと答えばいいのか。
「……わからないよ。自分が人をどのように見てるかなんて、わからない」
弱音を吐くようなトーンになってしまったのは仕方がない。
「だって、優越感で見たときは優しくしようと思うし、劣等感で見たときは凄いと思うしその時々で変わるじゃない」
「……そりゃあそうですけど」
「少なくとも私は平等に見てるんじゃない。差別と言っては乱暴だけど、区別して見てるんだと思う」
我ながら上手いかわし方だ。
「でもセンパイはどっちのほうが多いんですか? 優越感と劣等感のどちらか」
「それって、はっきりさせないと駄目?」
なんだかどんどん追い詰められているような気がしてならない。
「駄目って訳じゃあないですけど、でも気になってしょうがないんです」
そうはっきり言われてしまえば答えざるを得ない。私はちょっと考えて、それから答える。
「どっちかというと劣等感かな。ていうか香奈は私のこと凄いとか尊敬するとか言ってくれるけど、そこまで凄くも尊敬されるような人ではないんだよ」
自分に自信がないのは昔から。
テニスの大会で入賞してもそれが払拭されない。
みんなで喜んでいても、どこか冷めている自分がいる。
自己評価が低いのも他人を過大評価するのも――
「香奈には話していないけど、それなりの理由があるんだよ」
「理由ですか? 訊いてもいい話ですか?」
「ファミレスで話す内容ではないよ」
暗に話すのを断るのを、香奈は不満そうに聞いていた。
「話すとしたら私、佐々木あやめルートに進んでくれないとね。今、香奈は根室京子ルートに進んでいるからね」
「えっ? 私たち恋愛ゲームのキャラクターだったんですか?」
「ツッコミが具体的過ぎるなあ。もしかして恋愛ゲームやったことあるの?」
私が指摘すると香奈は嫌そうに「センパイが合宿のとき話したじゃないですか」と言った。
「嬉々として語るセンパイにみんなドン引きでしたよ。なんなんですか本当にもう!」
思い出に怒り出したら対処できない。何故なら改めることなんて出来ないから。
「私、そんなこと言ったっけ? 覚えてないなあ」
「センパイはずるいですよね。勉強の暗記は出来るのに日常の記憶力がないなんて。頭の中どうなってるんですか?」
そんなの私が訊きたいくらいだ。とにかく理不尽すぎるのだ。
良い思い出はすぐ忘れるけど、悪い思い出は決して忘れない。
今でも夢に出ることがあるのだ。
「そんなこといいじゃない。とにかく私の秘密を知りたかったら好感度や親愛度をあげないと。いくら後輩補正があっても簡単に話すほど、安い女ではないから」
「いえ、そこまで興味ないですから」
さらりと私の人生を路傍の石のように扱われたのに若干ショックを受けた。
「まあいいよ。それで言いたいことも聞きたいことないよね。もう食べ終わったし、外出ようよ」
話を畳んで帰り支度をしようとしたら、香奈が「ちょっと待ってください」と言ってきた。
「なあに? 話しすぎて喉が痛いんだけど」
「センパイのルートに入った人っているんですか? それと私もルート入りできます?」
想定外のことを訊かれて、私は少し戸惑った。でも動揺を隠すようにニヤリとシニカルに微笑んで、こう言った。
「そりゃあまあ仲良くしたり、仲違いしたりする人間だし、ルート入りするかもしれないね」
だって――
「私たち、笑って生きてるんだもん」
どんなに辛い過去があっても、ね。




